表記のピアニスト、パノス・カランの名は今回のリサイタルで初めて知りました。そのピアノ演奏一筋の人生は、他の名だたるピアニストと同じかもしれませんが、演奏活動スタイルは一味も二味も違っています。謂わば ❛マイナー❜とも言える。即ち、社会福祉活動を伴なった演奏ツアーを行っているのです。プログラムやネット上やコンサートステージで語られた本人の言葉によれば、❝ これまで、世界各地の紛争地帯や貧困地帯や被災地域を回り、ピアノコンサートを開いてきたという。シエラネオレ、コルカタ、アマゾンのジャングル、そして日本の福島。福島には東日本大震災後避難生活を余儀なくされている人々へ、極上の音楽を届け励ましたそうです。今回の演奏会は彼の流暢な日本語のトーク付きで、彼はトークの中で、福島の演奏会場でのこと、津波被害で家族全員を失った年老いた男性が、演奏を聴いた後近づいて来て、涙ながらに、❝ありがと!ありがと!❞と言ったそうなのです。老人は避難生活の何年間か他の人と一言も話ししない程、心を閉ざしていたそうなのです。その人が何年か振りに言葉を口にした、如何に音楽の力が大きいか、心を開くかという話をしていました。またその活動は演奏会にとどまらず、福島で『青年管弦楽シンフォニエッタ』を立ち上げて指導し、一緒に海外演奏活動も行ったというのですから、その手腕には感心します。もっともそうしたオルガナイズの試みはそれ以前にも、居住する英国で、10年程前にチャリティ団体『Keys of Change』を設立するなど、実績を重ねてきている様です。プログラムの概要は以下の通りです。
【日時】2021.8.17(火).19:00~
【会場】サントリーホール大ホール
【演奏】パノス・カラン(ピアノ)
福島シンフォニッタOBアンサン
ブル(終曲のみ)
【Profile】
パノス・カランはピアニスト、指揮者、人道主義者であり、そのアイデアは21世紀のクラシック音楽の理解を急速に形作っています。ギリシャで生まれ、ロンドンの王立音楽院で教育を受けたパノスは、世界のトップコンサートホールからアマゾンのジャングル、コルカタの最も貧しい地区、戦争で荒廃したシエラレオネの刑務所、そして避難所に音楽を持ち込みました。津波後の日本の中心。最近の公演には、カーネギーホール、ニューヨーク、シンフォニーホール、ボストン、クイーンエリザベスホール、ロンドン、シドニーオペラハウス、サントリーホール、東京、東京オペラシティでの4回のソロリサイタルが含まれます。
2010年9月、パノスは世界中の異常な状況下で暮らす若者に音楽を届けるチャリティーKeys of Changeを設立し、2014年には福島ユースシンフォニエッタを設立しました。
彼はラフマニノフピアノ協奏曲第3番と最近ロンドンのカドガンホールでのライブリサイタルで24ショパンエチュードを録音しました。
パノスカランは130か国以上を訪れ、バルセロナ、ブエノスアイレス、アテネ、東京に住み、現在はロンドンに住んでいます。彼は6つの言語を話します。
【曲目】
①ラフマニノフ:前奏曲 Op. 23-217.
②ラフマニノフ:前奏曲 Op. 32-12
③スクリャービン:練習曲 Op. 8-12
④チャイコフスキー/プレトニョフ編:『くるみ割り人形』より「金平糖の踊り」「アンダンテ・マエストーソ」
⑤ショパン:練習曲 Op. 10-11
⑥ショパン:練習曲 Op. 25-12
⑦リスト:ラ・カンパネラ
⑧リムスキー゠コルサコフ/シフラ編:熊蜂の飛行
⑨シューマン/リスト編:献呈 Op. 25-1
⑩ハジダキス:Grande Sousta 『偉大なる舞曲』
⑪カラン編:通りゃんせ
⑫ファジル・サイ:Black Earth 『黒い大地』
⑬マルケス:ダンソン第2番
⑭ガーシュウィン:ラプソディー・イン・ブルー
【演奏の模様】
今回のサントリーHは飛び飛びの席で一階の多くは埋まっていましたが、P席、ℝ席は数十人程度、L席は撮影などの関係者のみなのか数人程度。リサイタルだから最初はローズルームかな?と思ったのですが、大ホールと聞いてエーッと思いました。でもホールに入ってみて、成程、感染症対策をしっかりやるためかーと納得、いつもこの様な座席だといいのですが、採算的に難しいでしょう。でもカラン氏は採算のこともしっかり考えていたようです。それは、一階真正面席の右翼に一団の年配者の紳士たちが陣取っていたのです。休憩になると彼らは外国人らしく通訳の女性を数人おいて、座席の近くで話しています。集団の会話はホールでは控えなければならないのに、その様子から見ても外国人でしかもコンサート慣れしていない人達だと分かりました。トークの最後の方で、❝今日は、これまで関係した国々の複数の大使の方々をご招待しています。いつも沢山のご芳志を賜っており、今回も期待しておりますので会場の皆さんどうぞ拍手を!❞といった趣旨のことを言って会場を笑わせながらしっかりと計算高いところも見せていました。
最初の①の曲では、立ち上がりのせいなのか音に強さはあるのですが、(特に高音の)清明感が感じられません。でも最後手を交差して弾いた後の高音は奇麗でした。②を弾くころには、高音の感触も研ぎ澄まされてきて、相変わらず力強さ
はあったのですが、左手の音の切れ味が今一つの感。
一曲弾き終わるたびにマイクを手に握り、関係ありそうな話をしていました。ラフマニノフの手は大変大きかったとか、スクリャービンは音を聴くと色が目に浮かんだといった話題など。
③のチャイコフスキーのくるみ割り人形は、金平糖の踊りがピアノでよくもこうチェレスタ的音が出せるなと思う位、金平糖になりきっていました。ピアノでないみたい。
④ではショパンのエチュードから2曲。ショパンを弾くころには調子が上がってきたのか、繊細な音を注意深く弾いている様子が窺え、特に二曲目の「革命エチュード」では激しさの中に繊細な音使いをする、あーこれは本物のピアニストだと思わせる説得力ある演奏をしていました。
次のトークでは、ショパンは気難しいところがあって。友人は少なかったが、そのライバルともいえるリストは、大変モテモテで何人の女性関係があったか分からないといったことを話していました。
⑤の曲では高音が綺麗に出ていて特に右手の球を転がす如きコロコロとした上下動の旋律がとても良かったです。
次の熊蜂はスピードが速すぎる難曲として知られており、多くの楽器用に編曲されているが、ピアノ曲としても手の大きいシフラが、最も音速いテンポで弾くピアノ曲に編曲しているといった話をした後、やおらピアノに向かうと猛スピードで弾き始めました。でも聴いていて 、❛熊蜂でも追いつけない程のスピード❜感はなく、あのブンブンブン感が余り感じられる演奏ではありませんでした。
前半最後の曲はシューマンの歌曲「献呈」のリストピアノ版。演奏はまずまずだったと思うのですが、やはりこれは歌を聴くのが一番。リストの編曲は素晴らし過ぎるのですが、過ぎたるはなお及ばざるが如しですね。
《15分間の休憩》
後半は、正統派クラシックからやや幅を広げた個性的な曲たちが演奏されました。
⑧の曲はハジダキスというギリシャの「国民的作曲家」の曲らしいのですが、初耳でした。速いテンポの軽快な舞曲風の曲でした。民族音楽の匂いがします。
⑨はトルコの曲だそうです。ピアニストは英国に住んでいますが、もともとギリシャ生まれだそうで、祖母がイスタンブール生まれで難民として欧州に渡ったそうです。ギリシャで育った幼少の頃にはトルコは敵国と思っていたが、自分の先祖の出自の国と知り、その考えは改めたそうです。
『黒い大地』という曲は、音がトルコ風の民族楽器から媛りだ出される様な、不協和音も含む如何にも音階的にもトルコ音楽といった感じで、右手で鍵盤をたたいて高い音を出しながら、左手を伸ばしてピアノの中に入れ、見えませんが、多分ピアノの弦を抑えていたのだと思います。これまで聴いたこともないような、打楽器的な実に不思議な音を出していました。この様な演奏は初めて聴きましたし、初めて見ました。
⑩は日本のわらべ歌、ここからは、奥に並べて置いてあったもう一つ別のピアノ(即ち二台のピアノが並んで置いてあったのです。不思議に思っていました)を使って演奏されました。先ほどまでのピアノは移動して退却です。多分⑨の演奏で弦の張り具合が変化してしまい、調律もすぐにやる訳にいかず、使用出来なかったのだと思います)曲の終わりは、強打鍵による大音響の演奏で閉じましたが、我々の耳に浸みこんでいる「通りゃんせ」からは、かなり隔たりのある響きでした。帰りは怖いのできっとこっそりそっと通るのでしょう?あれは。
⑪演奏前のトークで、旅に興味がありこと、ホテルで夜通路にスーツケースを慌てて出した時、部屋のドアが自動ロックでかかってしまい大失敗したことなど笑いを誘いながら話しました。中々ゆーもらすなところもあるピアニストです。
曲はメキシコの曲。上昇グリッサンドが五回も入っている曲でした。最後は随分と力強く速いテンポになり、やはりグリッサンドで終焉しました。
さて最後の曲はガーシュインの有名な曲ですが、これを弦楽アンサンブルとピアノの共演で演奏するそうなのです。しかし演奏予定だった「福島青年管弦楽シンフォニエッタ」のメンバーがコロナで上京出来なかったので、その在京のOB、OGの協力を得て、以下のアンサンブルチームを組んだそうです。
1Vn:高岸 卓人 平井菜々子
2Vn:井上葵 斎藤ゆきみ
Va :髙梨瑞紀 久間木壱成
Vc :谷口賢記 酒井峻甫
Cb :斎藤理沙
ピアノの演奏が主導権をとり、弦楽アンサンブルはほとんどピアノの引き立て役に徹していた感がしました。
当初は、様々な活動で世界を放浪しているという、この初めて聴くピアニストに関して「Who is he?」、「How does he play?」と疑問だらけだったのですが、全部の演奏を聴いて、❝これは本物だ❞の感が強いです。欲を言えば、これまでの「アンコール」曲を集合した演奏会で、一曲一曲が短か過ぎる不満が残りましたので、今後本格的なプログラムを組んで欲しいと思います。