一昨日、8/15は、敗戦(終戦)記念日、我が国最大の犠牲者に対しての慰霊祭が毎年ながら執り行なわれました。この時期は丁度、旧暦の盂蘭盆に重なっていて、死者の魂が戻って来るという信仰が、まだまだ各地で生きています。旧盆の入りは8/13(金)、わが家でも朝早く雨が小振りになったところを見計らって、小さい空の素焼きの花鉢に紙を入れ、その上に芋がらを乗せて、向かい火を焚きました。毎年恒例です。盆の終わりには、送り火を焚かなければならないのですが、今年は、それをいつ焚くかで迷ってしまったのです。原因は、13日、14日、15日と続いた大雨のせい。家の中で焚く訳にはいかないし、ベランダででも、雨があたって火がつかないでしょう。迷ってネットで調べたら、送り火を焚く日は、地方によっては、16日の処もあるというのです。そこで、いつもの年は15日にやっていたのを、今年は16日に変更しました。また、お盆中は、本来なら仏壇にお経をあげるのが筋なのでしょうが、お坊さんを呼ぶわけにはいかないし、自分でもお経を覚えてとなえる気にもならないので、例年この三日間には、自分の好きなクラシック音楽、特に鎮魂の『レクイエム』をかけることにしています。何かちぐはぐですね。キリスト教でもないのに。お経よりは、いいと思って好きな様にしているだけです。三日間で三つ聴きます。先ず①モーツァルト、翌日は②フォーレ、15日は③ヴェルディ。音楽として好きな順に並べているのです。①は、伝統的な教会音楽の趣きがありますね。勿論その枠に留まらない箇所もありますが。でも、モーツァルトは、死んだ時自分のレクイエムで送られることはありませんでした。葬儀もされず、一説によるとシュテファン教会近くの共同墓地に、ポイ捨てされたともいわれます。
②のフォーレの曲は、キリスト教の形式に則って(一部変更)作曲された比較的静かで荘厳な曲です。親類の葬儀のために作られていたともいわれます。フォーレ自身の葬儀でも、マドレーヌ教会で演奏されたそうですから、自分のために作曲したとも言えます。③のヴェルディのレクイエムが一番宗教的音楽から遠い気がします。冒頭から何か深刻さがひしひしと伝わって来る激しい雰囲気があり、これは、曲全体を通じて一貫している感触です。気持ちの奥から発散される嘆き、慟哭、胸が張り裂けんばかりの悲しみ、それが延々と続くのです。CD二毎分、以上の3曲の中では、断トツに長い。この曲は、ヴェルディの葬儀でも演奏され、その死を悼む群衆の葬列が、延々と続いたそうではありませんか。将に人びとの嘆き、感情の発散の曲。レクイエム本来の、死者の魂を静めて無事天国の神の元に受け入れられる『鎮魂の曲』からはかけ離れたものだと私は思うのです。あれでは、ヴェルディ自身が驚いて生き返るのではなかろうかと思えるほど。
尚、レクイエムは鎮魂曲ではないという考えもありますので、以下を参考にして下さい。
《参考文献》
『Requiem~典礼の儀式と音楽作品~』2010年10月 国立音楽大学付属図書館展示