HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

若林顕ショパンリサイタル

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 若林さんはわが国では著名なピアニストで、その名を知らない人はないと言っても良い程です。今回の様なかなりマイナーな演奏ホールで、この様な地道な演奏活動もされているのですね。感心しました。

 今日(7/9)のリサイタルは、オールショパンプログラムでした。本公演は、2020年度に予定されていたものが、コロナ禍のため延期されていたもので、2018年から全15回に渡るショパンシリーズ演奏の一環として行われたものです。副題として、「ショパンをめぐる旅」と題されています。そのVol.12回 目で、あと来年2月までの Vol.13、 Vol.14、 Vol.15の三回を残すのみとなりました。プログラムの概要は以下の通りです。今回はショパンの協奏曲が入っていて、オーケストラの代わりに、弦楽四重奏との共演(ピアノ五重奏版)で演奏されました。若林さんの経歴を先ず引用記しておきます。

概歴】

〇若林 顕(ピアノ)Akira Wakabayashi, Piano
 常人離れした技巧を有しオーケストラにも匹敵するかの表現力、世界に飛翔する日本を代表するヴィルトゥオーゾ・ピアニスト。
 20歳で第37回ブゾーニ国際ピアノコンクール第2位、22歳でエリーザベト王妃国際コンクール第2位の快挙を果たし、一躍脚光を浴びた。その後国内外の多数のオーケストラとの共演や国内外でのソロ・リサイタル等、多忙な演奏活動を展開し、現在に至るまで常に第一線で活躍し続けている。
 東京芸術大学で田村宏氏に、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院、ベルリン芸術大学でハンス・ライグラフ氏に学ぶ。
 第3回出光音楽賞、第10回モービル音楽賞奨励賞、第6回ホテルオークラ賞受賞。
2002年にニューヨーク・カーネギーホール(ワイル・リサイタル・ホール)で鮮烈なリサイタル・デビューを果たし、カナダ・トロントにおけるMusic Toronto Chamber Music Seriesやシカゴでのマイラ・ヘス=リサイタル・シリーズにて大成功を収めて再招聘されるほか、フランス・ナントにおける音楽祭『ラ・フォル・ジュルネ』などにも出演。また、英国やフランスでの活動領域を着実に拡大している。
 共演したオーケストラは、NHK交響楽団をはじめとする国内の主要なオーケストラのほか、ベルリン交響楽団、サンクトペテルブルク交響楽団、ロシア・ナショナル交響楽団、エーテボリ交響楽団他海外の名門オーケストラも多数。ゲルト・アルブレヒト、アレクサンドル・ラザレフ、ダニエル・ハーディング、ウラディーミル・スピヴァコフ、ゲルハルト・ボッセ他の名指揮者とも数多く共演している。
 室内楽の分野では、カルミナ弦楽四重奏団、ライプツィヒ弦楽四重奏団、ウィーン八重奏団など、内外の多くの名手達と共演、好評を博している。また、近年はヴァイオリニスト鈴木理恵子とのデュオで、作品の本質に迫る深い音楽性が各地できわめて高い評価を受けている。
 レコーディングではこれまでに多数ソロアルバムをリリース。「ラフマニノフ:ピアノ・ソナタ第2番、前奏曲」、「ベートーヴェン:3大ピアノ・ソナタ」、「チャイコフスキー:くるみ割り人形(ピアノ独奏版・世界初録音)」、「リスト:ピアノ作品集」、「チャイコフスキー:ピアノ協奏曲第1番(ラザレフ指揮日本フィルとのライヴ)」、「ショパン:エチュード全集」、は全てレコード芸術・特選盤となり、極めて高い評価を受け続けている。
 2018年リリースの最新盤「ショパン:エチュード全集」では、「これは超弩級の形容がふさわしい、稀に聴くほどの名演譜である・・詩人ショパンの微笑が、難技巧を超えて輝く名演・・これを待っていた、」濵田滋郎氏推薦、「1音の存在感、鉄壁の技術と洗練された音楽性…唯一無二の音楽が響いている。知情意の均衛のとれた名演である」と評されている。
 リサイタルに於いては2014年に続き、2016年にも再び、サントリーホール(大ホール)でソロ・リサイタルを行い、「類のない高次元の名演」「圧巻のリサイタル」と評され大成功をおさめた。
 また、自身では3回目となる「ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ全曲シリーズ」を2017年に完結し、2018年より「ショパン:ピアノ作品全曲シリーズ」を新たに開始。「エチュードOp.10全12曲」を含むリサイタルでは、「完璧なエチュード ヴィルトゥオーゾ・ピアニストの本領発揮」と大絶賛された。 

 【日時】2021.7.9.(金)19:30~

【会場】戸塚区民文化センターさくらホール

【出演】ピアノ:若林顕

               弦楽四重奏:鈴木理恵子(1Vn)  山田百子(2Vn)  鈴木康浩(Va)  毛利伯郎(Vc)

【曲目】

①ノックターン20番嬰ハ短調(遺作)「レント・コン・グラン・エスプレッショーネ」  

    ②四つのマズルカ 作品41                       

    ②-1第26番嬰ハ短調 Op.41-1

    ②-2第27番ホ短調  Op.41-2

    ②-3第28番ロ長調  Op.41-3

    ②-4第29番変イ長調 Op.41-4

③ポロネーズ13番変イ長調KK IVa-2

 ポロネーズ14番嬰ト短調KK IVa-3

④スケルツォ第4番ホ長調Op.54

⑤ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21 弦楽四重奏(鈴木理、山田、鈴木康、毛利)版

 

【演奏の模様】

①の夜想曲は、ショパンがポーランドを離れウィーンからパリに行った1830年頃の作品で、生前出版されることは無く死後に公にされたので「遺作」と付けられています(ノックターン19番、21番も同様)。ノックターンとしては2番の曲と並んで有名な曲です。若林さんは冒頭のトークで、この曲は大変有名で、映画「戦場のピアニスト」にも取り入れられていると話しまして弾き始めました。この最初の曲を聴いただけで、❝これは本物だ。文句なしに素晴らしい❞と思いました。                     ショパンの曲はどれでも全部好きなのですが、ノックターンの中で特に、と言われれば個人的には1番とか4番が特にいいですね。 

②四つのマズルカは、②-2以外は、1839年にノアンで作曲されました。

 ノアンのジョルジョサンドでの館で過ごしたこの時期は、ショパンの晩年で最も充実した時期だった様で、数々の名曲が生み出されています。その辺の事情に関しては昨年2月の記録に書いていますので、文末に(再掲1)しておきました。

②-1はゆったりとしたテンポで、異国情緒豊かに演奏。

②-3 結構お洒落なメロディのマズルカで、何回か緩急テンポを変えて繰り返され

②-4は、明るい優雅なメロディで舞りに合わせる様子が伺えます。 タタタッタというリズムが繰り返し再現されました。四つのマズルカの中では一番長い曲でしたと言っても皆数分の短い舞曲から成ります。若林さんは、②-2を含め、各マズルカを思っていたよりかなり力を込めて弾いていました。

②-2だけは、上記の前年の1838年作、体調が良くなかったショパンは、ジョルジュサンドに連れられて、マジョルカ島へ静養に行った時に作曲された作品で、彼の有名な「雨だれ」と同じ場所の同じ時期の作品です。その時はショパンはかなり精神的にも肉体的にも疲れていた時期なので、この曲も、速いリズムが何となく不安な感じがしますし、主題が多くの転調で変奏されるところからもショパンのいら立ちが感じられます。(ジョルジュサンドの子供たちも一緒に島へ行っていて、ショパンに懐かなかったと謂われます)

何れのマズルカも若林さんは、相当力を込めて弾いていました。

③ポロネーズ13番は1821年ショパン11歳の時の作曲と謂われ、最も古い(若い時の)作品の一つです。高音のポロポロという音からスタート、甲高いメロディが修飾音を交えながら歌の様に綺麗に鳴り、非常に純粋で初々しい響きを感じました。幼少のモーツアルト作品を彷彿とさせます。

 ポロネーズ14番は1822年作、矢張り13番の様に幼さ、純粋さを感じますが、ピアノの音の扱いが非常にテクニカルに高度になって来ており 、将来のショパンを彷彿とします。13番から1年で作曲技術がこんなに上達するとは天才そのものですね。

 若林さんは、両ポロネーズをマズルカの時以上に、元気に生き生きと弾いていました。左手を時には打鍵後やや高く上げ、また時には手をクロスさせて変奏を力強く弾いたり、全体として重厚感のある曲として表現していました。でも考えようによっては、これ等はショパンがまだ青酢っぱい駆け出しの若い時の曲ですから、重厚感のある大曲的なものより、軽やかな清澄感のあるものとした方が若いショパンが喜々としてピアノに向かっている姿が見える様な気がします。

  ④のスケルツォ4番は、リズムにショパン特有の特徴のある主題が繰り返されます。この曲の若林さんの演奏は、圧巻でした。中盤かなりのffで打鍵の続く力演、最強で弾く時は、腰をもち上げあらん限りの力で腕を振り下ろし、しかしすぐにppに切り替わり静まりかえった様な変化、それまでの曲では見られない程の表情豊かなメリハリの効いた演奏でした。

最後の⑤ピアノ協奏曲第2番ヘ短調Op.21は、先々月弦楽六重奏伴奏版での演奏を、ピアニストの伊藤順一さんが『ショパンフェスティヴァルin表参道(日本ショパン協会主催)』で弾いたのを聴きました。その時の記録があるので(再掲2)として、文末に挙げておきます。                                 若林さんの演奏を聴いて、結論的には以前聴いた事が無い位の素晴らしいものでした。特に弦楽四重奏との調和されたアンサンブルが、見事でした。またこのカルテットの響きの調和が素晴らしい。ここでの調和があって初めてピアノとも調和出来たのでしょう。初めて聴きましたが、かなり演奏経験のある四重奏団だと思います。これなら大オケバックでなくとも、ショパンのコンチェルトの素晴らしさは十分感じ取ることが出来ます。感動します。特に2番は1番ほど生で聴く機会が無いので、今回は貴重な経験となりました。(再掲2)の時より弦楽のアンサンブルが優れていたと思います。特に1Vnが目だって素晴らしかった、と言っても決して出過ぎることはなく、これに合わせる2VnもVcもVaも皆さんアウンの一致が為されていました。 このメンバーによる弦楽四重奏曲演奏会が若し今後あれば、聴きに行きたいですね。  

 尚、若林さんのアンコール独奏があり、アナトーリ・リャードフ(露)作曲『オルゴール』でした。彼はピアノの小品を多く残し、ショパンの影響を受けていたとも謂われ作曲家です。 

 

//////////////////////////////(再掲1) //////////////////////////////////////////////////////////

        

            『ノアンの名曲たち・ショパン』

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ジョルジュサンドの「ノアンの館」

 フランスには「ノアン」という地名が沢山あります。ここで言うノアンは「ノアン=ヴィック」。パリ南方約300㎞の小さな村、領主で貴族だったジョルジュ・サンドの先祖の館はサンドが育った父方の実家で、サンドがパリとの往復を何回となく繰返したノアンの館は、当時はパリから馬車で一昼夜以上かかる道程でした。ノアンの館には超一流の文人、音楽家、画家などジョルジュ・サンドが交流した客人達、フランツ・リスト、バルザック、ショパン、フローベール、アレクサンドル・デュマ・フィス、ドラクロワ等が訪れ、知的交感の場、一種のサロンだったのです。ショパンはサンドの愛人として1839年以降1846年頃まで、ここで主に夏を過ごし、この間多くの名曲を生み出しました。ショパンにとっては、充実した日々だったと推察されます。1839年冬のマジョルカ島でサンド一家と過ごした時も、多くの名曲を書きましたが、この時は、ショパンの体調は良くなく、それは幾つかの曲からも窺える。ノアンでの田園風景に囲まれた、田舎暮らしは多分ポーランドの地方の風景の記憶に似たところがあったのでしょう、きっと。「バラード4番」「ノックターンロ短調」「舟歌」など、落ち着いた中に充実感の感じられる名曲を生み出しています(バラード4番は今年初め仲道さんの演奏を、ノックターンロ短調は、ルービンシュタインの録音で随時、舟歌はつい最近ポゴレリッチの演奏を聴いています)。サンドもパリとノアンを頻繁に行きし、精力的に文学作品を書き続けました。ショパン以前は別な愛人と、逆にショパンも女性関係はサンドだけでなく、互いに異性との愛情を創作活動を高めるエネルギー源としている。「結果良ければすべてよし。」愛情関係は破綻しても、後世に残る偉大な業績を二人共残したのですから、すべて良しと考えるべきです。サンドがショパンの葬式に出なかったのは、出られない位、内心非常につらかったからではないだろうか。サンドを、ショパンを捨てた冷たい男性遍歴女とは考えたくありません。ノアンの生活終了後僅か3年で生涯を閉じたショパン、享年、若干39歳。対するジョルジュ・サンドはその後27年も長生きしたのでした。せめてショパンがあと10年でも生きていたら、他の楽器の曲も多く作っていたかも知れないし、シンフォニーを手掛けたかも知れない。そしてショパンの評価はベートーヴェンやその他音楽の聖人たちをきっと超えていたかも知れません。 

/////////////////////////////(再掲2/抜粋)///////////////////////////////////////////////////////

ショパン『ピアノ協奏曲第1番、第2番』コンサート/ショパンフェスティバル in 表参道③

ショパン音楽祭最終日(5/29)は、コンチェルトの1番と2番が同時に聴けて、しかも会場は大ホールではないので、オーケストラは入れなく弦楽六重奏付きで演奏するという、めったに聴けない演奏会なので、万難を排して聴きに行きました。

【日時】2021.5.29.14:00~

    2021.5.29.16:00~

【会場】カワイ表参道コンサートサロン「パウゼ」

【演奏】①五十嵐薫子(協奏曲第1番)14h~

    ②伊藤 順一(協奏曲第2番)16h~

【共演】弦楽六重奏団

    執行恒宏(Vn1)      村井俊朗(Vn2)        渡邊信一郎(Va1) 

    生野正樹(Va2)     小川和久(Vc)         市川哲郎(Cb)

【編曲】小林仁(オケ弦楽五部➡弦楽六重奏版)

【Profile】                         ①五十嵐 薫子 Kaoruko Igarashi

f:id:hukkats:20210530001655j:plain                      日本音楽コンクール第3位および三宅賞、ピティナピアノコンペティション特級銅賞他数々のコンクールで優勝・入賞。2017年桐朋学園大学を首席で卒業。日本各地で演奏活動を行う他ソリストとして東京都交響楽団、日本フィルハーモニー、東京フィルハーモニー、東京シティフィル等と共演。これまでに今泉紀子、山田富士子、村上弦一郎、横山幸雄、岡本美智子の各氏に師事。

 ②伊藤 順一 Junichi Ito

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東京藝術大学附属高校並びに同大学を経て、パリ・エコールノルマル音楽院へ留学しアンリ・バルダ氏のもと、コンサーティスト高等ディプロムを満場一致の首席で修了。その後パリ国立高等音楽院、リヨン国立高等音楽院で研鑽を積む。第4回日本ショパンピアノコンクール2019第1位。またヨーロッパ各地のコンクールでも1 位を受賞し各オーケストラと共演。 

【演奏の模様】                        ②コンチェルト2番は、1番と比べると鑑賞することが少ない曲です。1番だったら曲の隅々まで耳で覚えているのですが、2番はそうはいきません。2番の演奏開始の前に同ステージでは、「日本ショパン協会賞」の授賞式が、関係者出席のもと行われました。それも見たので若干記しますと、出席者は、受賞者二名(伊藤 順一、藤田真央) 協会役員(海老彰子会長、植田克己副会長)在日ポーランド代表。                 海老会長の挨拶の中で、❝伊藤さんはパリエコールノルマル音楽院に留学中に演奏して、その時たまたま審査員を務めたことがあったこと、藤田さんは今大いに活躍されているピアニストで、今後もショパンをたくさん弾いて下さい。❞ といった趣旨のことを話されました。真央君は、今はモーツアルトを多く弾いていること、ショパンコンクールへのエントリーを逃したこと、等を受賞挨拶していましたが、ショパンを弾くことにはためらいがある様です。残念!才能豊かなのに。いろいろ挑戦するのは若いうちですよ。 

 さてその後で伊藤さんの演奏が始まりました。第一楽章冒頭から弦楽とピアノがフル稼働、伊藤さんはしっかりとしたタッチで弾き、にぎにぎしさもある華麗な舞といったはなやかさを感じる演奏でした。弦楽には管が入っていないので、オケの時とは違った印象もありましたが、Vn、Va,、Vc、Cb それぞれ一生懸命、弓を振るって力を込めていました。オケと違って、聴衆の面前にさらされ視線を直かに感じていることもあるためか、必死にならざるを得ないのかも知りません。Vaを一つにしてVcを二台にした方が低音弦がずっしりと響いてPfの音をさらにしっかりと受け止められたかも知れない 。第1Vnの音が時々金属的響きが強い時が有りました。                           第二楽章の冒頭は奇麗なアンサンブルでした。続いて伊藤さんがゆったりとしたテンポで弾き始め、比較的単純な調べながらトリルなど修飾音をまじえて、高音部への跳躍音などダイナミックな動きでも透明なPfの音を保ち、しかも力強さは失わず、中々素晴らしい演奏です。この箇所のメロディは、こんなに素敵なものとはこれまで感じたことがない位心に浸みるものでした。さすが、日本のショパンコンクール第1位のピアニストだけのことはあります。

 第三楽章のPfの歯切れの良い舞踊的リズムの調べが流れると、すぐに弦楽アンサンブルが受け答え、それを繰り返してPfのソロの箇所に至ると弦は伴奏に徹し、それを何回か繰り返します。Vnは弓で弦をたたく様な仕草さで音を出すとろともあり、ますますピアノも弦も力が入ってきて、最後はPfの左右のユニゾンの三連符の下降音の連続と上昇音の連続で、伊藤さんは一気呵成に曲を締めくくりました。ああ、しんど、聴く方も手に汗握る思い。Pf を支えた弦楽アンサンブルも見事な力演でした。               大きな拍手が鳴り響き、何回か挨拶を重ねた後、伊藤さんは、ピアノに向かいアンコール曲を弾きました。これぞとショパンという調べが響き渡り、途中から弦楽が入りました。『華麗なる大円舞曲』。Pfも弦も熱が入り、力のこもった演奏でした。引き続いてメドレー的に別の曲が鳴り出し、弦もピッツィカートを織り交ぜるなど、皆さん曲に酔ったが如く体をくねらせ、力を込めて弾いています。『アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ』後半を弾き終わった時は聴衆も奏者も一種興奮状態、拍手は鳴りやまず、ホールは熱気にあふれました。拍手に引き出されたピアニストは再度ピアノに向かい二曲目のアンコールをまたアンコール演奏、弾きだしました。オペラに例えると、新世紀3大テノールの一人と目されているファン・ディエゴ・フローレスが、ハイCが連続で歌われる難曲のアリアを軽々と歌いこなし、観客の熱狂的アンコールに応えて再度見事に歌い上げるようなものです。

 ショパン音楽祭最終日を飾るに相応しいフィナーレでした。