HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

出張サマーミューザ『東京交響楽団』演奏会

f:id:hukkats:20210801233721j:plain

秋山指揮東京交響楽団

【日時】2021.8.1.(日)17:00~

【会場】テアトロ・ジーリオ・ショウワ(川崎市新百合ヶ丘)

【管弦楽団】東京交響楽団

【指揮】秋山和慶

【曲目】

①シューベルト『交響曲第7番(未完成)』

②チャイコフスキー『交響曲第6番(悲愴)』

 

【演奏の模様】  

①現在、第7番交響曲とされている作品は、1822年、シューベルト25歳の時作曲されました。

 シューベルトは現在楽譜が残っているものだけで14曲の交響曲の作曲を試みていて、そのうち有名な「未完成」も含め6曲が未完成に終わっています。よく演奏されるのは、ロ短調交響曲(D759)通称『未完成』と、最後の完成された交響曲である大ハ長調交響曲(D944)、通称『ザ・グレート』。

シューベルト自身による標題は第4番『悲劇的』(D417)の1曲だけで、他は後世によるものです。第7(8)番ロ短調『未完成』はその名の通り、完成したのは第2楽章までで、第3楽章が20小節(ピアノ・スケッチも途中まで)で終わっていることからこう呼ばれるようになったのです。

他の未完の交響曲のうち、ホ長調D729は4楽章のピアノスケッチで完成に近く(楽譜に「Fine」と書き添えてあることから、一応は完成したとみなす音楽学者もあり。)、シューベルトの死後フェリックス・ヴァインガルトナーやブライアン・ニューボールド(英語版)らの手によって補筆され、全曲の演奏が可能になっています。このため、1951年のドイチュの目録では作曲年代順に、ホ長調交響曲D729に第7番が割り当てられ、『未完成』D759が第8番、『大ハ長調』D944が第9番とされました。

 しかし、国際シューベルト協会(Internationale Schubert-Gesellschaft)が1978年のドイチュ目録改訂で見直し、交響曲第7番『未完成』、第8番『大ハ長調』としたのです。最近ではこれに従うことが多くなってきています。

管弦の規模は、2管編成弦楽五部12型。

 指揮者は、東京交響楽団の桂冠指揮者の秋山さんです。このオーケストラは、ミューザ川崎をホームとしており、オープニングコンサートで初日を飾り、その名を聞かない日は無い程の実力派の売れっ子オーケストラです。秋山さんも同様で、日本の楽界の代表的指揮者の一人と言えます。

 この両者一体となった『未完成』は、聴きごたえがありました。

①-1  アレルゴ モデラート  ロ短調

コントラバスの低くて重い音が短く小さく響き、すぐに弦楽アンサンブルが、流麗な第一主題のシューベルトメロディを奏でます。冒頭のコントラバスの唸りとも言えるパッセージは、最後まで要所要所で出て来ました。あちこちでのチェロのソロアンサンブルが、ズッシリと全体を引き締めるいい響きを立てます。クラリネットのソロの活躍ぶりも目立ちました。

①-2 アンダンテ・コン・モート ホ長調

流石メロディーの大発明家シューベルトらしい流麗な調べを分厚いオーケストレーションで見せつけられました。これ等の調べは通常はラジヲ・テレビとか録音とかで聴くことが多く、生演奏は、楽団が多くても演奏に取り上げられそれを聴きに行くことは、そう多くは有りません。今日は久し振りで力強く響きが良い立派な生演奏を聴き、矢張りオーケストラ演奏を生で聴くのはいいなと、又シューベルトの曲はいいなと満足しました。(7/25にフェスタサマ―ミューザで聴いたシューベルトの4番に関して、❝~交響曲はどれもが珠玉の曲群とまでは言えないと思います。この分野は彼(シューベルト)が尊敬して目標としていたと謂われるベートーヴェンを残念ながら超えていませんね ❞ と記録しましたが、今日の7番の未完成を聴くと、たった二楽章で、ベートーヴェンの3番、5番、7番、8番、9番を除いた交響曲群に対して遜色のない珠玉の作品だということが実感させられます。従って何回も繰り返して言いたくなるのは、❝あーあ、もう少しシューベルトが長生きだったらナー❞ということです。)  

 この楽章では、ホルンとティンパニーの活躍ぶりが印象的。

 

②チャイコフスキー『交響曲第6番(悲愴)』

  チャイコフスキーの6番の生演奏を聴くのは、昨年11月8日のウィーンフィル来日ミューザ公演以来です。その時のウィーンフィル演奏の記録を、参考まで文末に再掲(抜粋)しておきました。

 今日の秋山さん指揮の東京交響楽団は、一糸乱れず指揮者と呼吸がピッタリ、これまで互いに何百回となく演奏して来ている信頼と結びつきがあるからでしょう、見事なハーモニーを繰り出していました。昨年のウィーンフィルの悲愴に負けない位の立派な演奏でした。名曲中の名曲の名演を1年振りで聴けて大満足でした。

 なお、チャイコフスキーはこの曲を1893年8月に完成させ、10月に自ら指揮して初演、ところがその9日後に、急死してしまったのです。享年53歳でした。これは大きな損失ですね。死因はコレラとも謂われますが、巷間「ころり」とも呼ばれるくらいですから、現在のコロナより怖い病気だった様です。このチャイコフスキーの死は真に残念でした。

 今回の『コロナ禍』でも、世界中でどれ程の有能な人材が失われたことでしょう。これ以上被害を広げては、亡くなった人々、残されたご家族に申し訳が立ちません。未来の人類にも大きな損失を与えてしまう。行き残った者の責任が問われます。

再掲(抜粋)//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

《速報1》『ウィーンフィル来日公演(2020.11.8.atミューザ川崎)』を聴きました

 

f:id:hukkats:20201105005116j:plain

 

 待ちに待ったウィーンフィルの公演が、サントリーホールに先駆けて、ミューザ川崎で行なわれました。指揮のゲルギエフは、今や世界的な伝説的大指揮者とも言えるでしょう。15年振りの来日です。この指揮者とウィーンフィルの組み合わせで生演奏を聴けることは、、コロナ禍の世界状況にあって夢の様な大事件です。音楽を愛する人々だけでなく、コロナに苦しめられているすべての人々に夢と希望を与えることでしょう。世界的な大ニュースです。

演奏会の概要は以下の通りです。

 

【日 時 】

2020年11月8日(日) 17:00開演

 【会 場 】

ミューザ川崎シンフォニーホール

 【演 奏】

ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

 【指 揮】

   ワレリー・ゲルギエフ

 

【演奏曲目】

①プロコフィエフ:バレエ音楽『ロメオとジュリ エット:作品64 』

 (第2組曲より)

 1.モンタギュー家とキャ ピュレット家、

 2.少女ジュリエット、

(5.仮面、第1組曲)

 7.ジュリエットの墓の前のロメオ 

 

②プロコフィエフ『ピアノ協奏曲第2番ト短調 作品16』  

 

③チャイコフスキー『交響曲第6番口短調作品74「悲愴」』

 

【演奏速報】

    今回はプロコフィエフの曲が中心でしたが、これはゲルギエフが最も得意とするところです。

③『悲愴』

 この曲をゲルギエフの指揮、ウィーンフィルの演奏で、生で聴けるなんて夢みたいです。もう死んでもいいとまでは言いませんが、溢れる満足感、あとは何も要らないという気持ちになりました(聴き終わった後空腹感から何か食べたいとも思いましたけれど)。

 ウィーンフィルの『悲愴』は、録音ですとカラヤンなどの指揮のものを聴いているのですが、今回の生演奏は、それらと比較にならないほど遙かに凄かった。やはり名指揮者による名管弦の生演奏は違いますね。

 まず、指揮者のゲルギエフが凄い。”炎の指揮者”とも呼ばれる(日本にも同様に呼ばれている人がいましたっけね)ゲルギエフ、いつだったかNHKテレビで放送していたのですが、第二次大戦中にショスタコーヴィチが作曲した交響曲第7番『レニングラード』を指揮していました。その熱情的な指揮に触発されたオーケストラのアンサンブルは、また聴いてみたい、生で聴いてみたい、と思わすものでした。

 曲は概ね[急-舞-舞-緩]という珍しいテンポの四楽章構成です(勿論、急に緩有り、緩に急有りですが)。

1楽章が一番長く(約20分)、ファゴットの音と続く弦の出だしは、不気味な憂鬱感に満ちたものですが、1楽章前半終わり近くのゆったりした切ないメロディは綺麗ないい調べですね。最後のppppppをバスクラリネットがほんとに聞こえない位の消える音で、締めくくりました。ゲルギエフは、そのかすかな音をたぐり寄せる様に、指揮の手を楽器に向けて指揮していました。

①の曲からここまでは、ゲルギエフは、録画でみるのとは打って変わってかなり冷静沈着に全体的に力まずウイーンフィルの奏者の出音を確認する様にタクトを振っていました。

 中盤の突然、突き上げるかの様なパンチのある強列な音、全パートの強奏が続き、アンサンブルの響きの何と迫力と一体性があるのでしょう。それが終わると最後はゆったりとした主題に戻って静かに終了しました。 

 

続く第2楽章と3楽章は短い楽章です。

③ー2の民族音楽的調べの舞曲風な流麗なメロディを、ゲルギエフは少し早いテンポで引っ張り、オケも力強さの中に優雅さを失わない流石の演奏でした。静かに終了しました。

③ー3は速いテンポのスケルツォから発展するマーチ風のメロディから構成。軽快なリズムで全力演奏する弦のアンサンブルは最後まで続き、次第に盛り上がって、普通だったら全曲の終わりかと思える程の完璧な終了でした(ダメ押しにティンパニがダダダダンと終了宣言)。何とせわしない楽章なのでしょう。チャイコフスキーの命を削って乗り移らせたみたいな手に汗握る楽章です。それにしてもウィーンフィルの演奏は何とアンサンブルの音の響きが重厚なのでしょう。こんなすごいアンサンブルを聴くのは久し振りです。 ピッコロやテューバやシンバルの音がアクセントでピリッと聞こえました。

 第3楽章の終わり方から見ると次の最終楽章はどうも付け足しの楽章と思えてなりません。もし3楽章と4楽章を入れ替えて演奏したらどんな印象になるのでしょうか? 

 いや前言を取り消します。この考えは間違っています。付け足しどころか第4章は冒頭から分厚い重量感のあるアンサンブルでいかにもチャイコフスキーらしいメロディの連続です。第5番の4楽章の脱兎の如き速いテンポの迫力あるシンフォニーの響きとは異なり、こうしたゆったりした響きを作り出せるとは、チャイコフスキーはやはりすごい人です。名楽章中の名楽章でしょう。ゲルギエフはここまで次第に力が入って来た指揮をここでは全霊を込めた感じで身振り手振りを大きく振ってオケを引張っています。

 タムタムの音からブラスの響きで一旦静まった弦アンサンブルが再び異なるメロディで静かに鳴らしそっと全曲を終えました。指揮者は相当疲れている筈ですが、ゲルギエフは微塵も外に出しません。聴いている方も疲れました。万雷の拍手に迎えられる指揮者とオケの団員、会場に響く拍手は鳴りやみません。いつも『悲愴』を聴いて思うことは、暗い雰囲気の箇所も多いですが、素敵でロマンティックとさえ言えるメロディがふんだんにあるこのシンフォニーを映画音楽、特に悲恋などの恋愛映画にもっと使われないものかと思うのです。調べると、SF映画「ソイレント グリーン」ぐらいしか見当たりません(あとは彼の生涯のエピソードを綴った映画位か?)