【日時】2023.5.27.(土)14:00~
【会場】池袋・東京芸術劇場
【管弦楽】パシフィック・フィルハーモニア東京
【指揮】外山雄三
<Profile>
1944年東京高等師範学校附属国民学校(現:筑波大学附属小学校)卒業。
1947年 東京高等師範学校附属中学校(現:筑波大学附属中学校・高等学校)卒業。
1948年東京音楽学校(現:東京芸術大学)本科作曲科に入学。作曲を下総皖一に、ピアノを田村宏に師事。
1952年 東京芸術大学音楽学部作曲科卒業。大学卒業後、NHK交響楽団に入団。
その後、大阪フィルハーモニー交響楽団では専属指揮者を、京都市交響楽団では常任指揮者を、名古屋フィルハーモニー交響楽団では音楽総監督・常任指揮者を、仙台フィルハーモニー管弦楽団及び神奈川フィルハーモニー管弦楽団で音楽監督をそれぞれ歴任した。
NHK交響楽団の正指揮者(終身職)を尾高忠明とともに担当し、2015年3月まで愛知県立芸術大学で客員教授も務めていた。作曲活動も活発で、発表作品が多数ある。多数の受賞経験がある他、チャイコフスキー国際コンクールや聖チェチーリア音楽院国際指揮者コンクールなどの審査員も務めている。
2016年、大阪交響楽団のミュージックアドバイザー、2020年、名誉指揮者野茂就任。
1931年5月10日生まれ92歳となる。
【曲目】
①シューベルト/交響曲第5番 変ロ長調
(曲について)
交響曲第5番は第4番と同じ年、1816年9月に作曲され、10月3日に完成されたと自筆譜に記されている。前作とは趣を全く異なる交響曲であるが、モーツアルトなどの古典派の作曲家の作風を思わせるような心地よい旋律と優美な雰囲気が醸し出される作品で、シューベルトの初期の交響曲の中では最も人気が高い作品である。
第4番と同様、オットー・ハトヴィッヒが指揮する私設オーケストラで演奏するために作曲されたと考えられているが、初演の日付は明らかではない。また公開の演奏会での初演の詳細についても一切不明である。
なお第5番は、第4番よりも楽器の編成が少なくなっておりクラリネット、トランペット、トロンボーが省かれ、ティンパニも欠くという小規模な編成の交響曲である。
②シューベルト/交響曲第9番 ハ長調 「ザ・グレート」
(曲について)
シューベルトが1825年から1826年にかけて作曲し、1838年に初演された4楽章からなる交響曲。『ザ・グレート』(独:Die große C-dur 、英:The Great C major)の呼び名はシューベルトの交響曲のうちハ長調の作品に第6番と第8番の2曲があり、第6番の方が小規模であるため「小ハ長調(独:Die kleine C-Dur)」と呼ばれ、第8番が「大ハ長調」と呼ばれることに由来する。この『ザ・グレート』はイギリスの楽譜出版社が出版する際の英訳によって付けられたものであるが、本来は上述のように第6番と区別するために付けたため「大きい方(のハ長調交響曲)」といった程度の意味合いしかなく、「偉大な」という趣旨は持たない。しかしそのスケールや楽想、規模は(本来意図したものではないにせよ、偉大というニュアンスでも)『ザ・グレート』の名に相応しく、現在ではこの曲の通称として定着している。
指示通りに演奏しても60分以上かかる大曲であり、シューマンは曲をジャン・パウルの小説にたとえ、「すばらしい長さ (天国的な長さ)」と賞賛している。ベートーヴェンの交響曲の規模の大きさと力強さとを受け継ぎ、彼独自のロマン性を加えて完成された作品となっており、後のブルックナー、マーラー、20世紀のショスタコーヴィチなどの交響曲につながっている。
シューベルトの死後、1839年にシューマンが、すっかり忘れ去られてしまっていたシューベルトの自筆譜を発見して世に知られるようになった。
1839年3月21日、メンデルスゾーンの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏によって、この交響曲は初演された。シューマンは初演には立ち会えず、翌年の再演でようやく聴くことが出来た。
【演奏の模様】
ホントに何年振りなのでしょうか?「外山雄三」と言う名を演奏会指揮者として見るのは?既に90歳を超えて、もう軽井沢で悠々自適、隠居生活をされているのかとばかり思っていました。一世を風靡したレジェンドが復活した、というよりよくぞ指揮台に立つ決心をされたものだと感心するばかりです。日本楽壇最高齢の指揮者の登場です。これは見逃せません。
と思ってホールに入って開演を待ちました。週末の午後早い時間帯なので、多くの聴衆が駆けつけるかなと思いましたがそうではなく、一階から二階の中央帯部分は埋まっていましたが、そこ以外は、結構空席が目立ちます。開演ベルが鳴って団員が入場してコンマスも登場、いよいよ指揮者が現れるかな?と思った瞬間、外山さんではなくてもう少し若い男性が出て来て、マイクを手に話し始めました。楽団長の「ニノミヤ」さんと名乗り、概ね次の様な話しをしました。'❝指揮者はここ数日、リハーサルを繰り返したのですが、疲れてしまって今日は少し調子が良くない。そのため指揮は、後半の「グレート」から始め、前半の5番は、指揮者なしで演奏します。ご了承下さい。❞ とのことでした。ブーイングなぞ微塵だにしません。聴衆は大きな拍手で了解の意を表していました。それはそうでしょう。90歳を超える事すら常人には非常に困難な事なのに、敢えて指揮棒を執ろうとするその熱意に打たれたのです。
さて、指揮者無しで果たしてどうかな?と思いつつ、リハーサルを数日やったそうなのだから、パシフィック・フィルは外山さんの指揮指導を吸収している筈、問題ないと思いました。そうしている内にコンマスが頭を少し縦に振って弓を弾くと同時に一斉に演奏がスタートしました。楽器構成はかなりの小規模編成です。
①シューベルト/交響曲第5番
4楽章構成で演奏時間は約30分弱。
楽器編成は、弦楽五部1Vn.(8) 2Vn.(6)Va.(4) Vc.(3) Cb..(2)管楽器 Fl.(1) Ob.(2) Cl.(1) Hrn.(2) Fag.(2)
第1楽章 Allegro 2分の2拍子
第2楽章 Andante con moto 8分の6拍子
第3楽章 Menuetto. Allegro molto 4分の3拍子
第4楽章 Allegro vivace 4分の2拍子
先ず一番先に感じたことは、旋律作曲家シューベルトらしい美しい心地良い調べの連続だったという事です。しかもそれらは何となくモーツァルト的というかその影響を受けていることが感じられる。一楽章でも二楽章でもFl.(若しくはOb.)と弦楽(特にVn.アンサンブル)との掛け合いが繰り返され軽快感を深め、テーマの単純な転調繰り返しも理解しやすい響きを醸し出していました。
第三楽章に入りると、最初の短調の調べがこれまでの気軽るな雰囲気を若干重くするのですが、それ程深刻なものでは有りませんでした。ここでも管楽器の先ずHrn.にフォローする弦楽奏⇒Fl.に続く弦楽奏⇒Ob.に続く弦楽奏と先導役を管のそれぞれが繋げて移動、またFl.とOb.が美しくソロ音を奏でていました。この楽章も次の最終楽章もモーツァルトの影響が初期のシューベルト(5番は19歳の作曲)にはダイレクトに入って来ていることを彷彿とさせる響きが有りました。又これらの美しくオケを飾る旋律は、歌曲にでも転換できそうな雰囲気を持っているでしょう。ツイ口ずさみたくなる様な曲たちでした。
聴後感としては、指揮者がいなくてもほとんどの場面でスムーズにオケが流れました。このことは何も時々彼方此方で散見する指揮者無しのオケ演奏会でも良いと言っている訳でも、指揮者はいらないという事を意味するのでも有りません。今回はたまたまリハーサルで外山さんが良く練習して置いたお陰げと見るべきことだと思いました(勿論それプラスいつも楽団の演奏を牽引しているコンマスの働きもあったに違い有りませんが)。因みにこの5番の四楽章の終盤でも、次の曲、「ザ・グレート」の終わりに近い処でも弦楽パート間に僅かな違和感、ちぐはぐ感が感じられたのは指揮者がいれば是正出来たものと思われます。
演奏が終わると館内は演奏者たちを讃える大きな拍手と歓声まで上がりました。これは袖で聞いていたであろう外山コンダクターにも励ましとなったに違いありません。
ここで《20分の休憩》です。
後半はシューベルトの交響曲でも圧倒的な長さを有する交響曲です。休憩の間椅子等が増強され、楽器構成は、二管編成弦楽五部12型(12-10-8-6-6)。如何に長い曲かは、それ以前の交響曲が長くても4、5、6番の約30分程度に対し、「ザ・グレート」は、演奏によっては1時間もかかることも有る大曲なのです。外山さんは体調を考慮し、前半の5番をパスすることにって、満を持して「ザ・グレート」を指揮するために前半は体を休めていたのでしょう。
館内の大きな拍手を受けながら外山雄三コンダクターの登場です。往年の生き生きした姿は見る影もなくご老体を若い団員と手を取り合って支えて貰いながらの登壇でした。きっと何年振りかのオンステージだったのでしょう。確か前任は大阪交響楽団です。それから数年は経っているのでしょう、きっと。指揮台には椅子が用意されていましたが、最初はきちんと立って指揮をし始めました。
②シューベルト「ザ・グレート」
四楽章構成。
第1楽章 Andante - Allegro ma non troppo
第2楽章 Andante con moto
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace
第4楽章 Finale. Allegro vivace
ホルン2本がおおらかな響きを立て始まりました。この開始部分はシューマンの交響曲やメンデルスゾーンの交響曲、ブラームスのピアノ協奏曲にも影響をあたえています。この序奏部分が楽章全体を構成する主要なモチーフを提示している点に大きな特徴があるのです。
Hrn.は前半の5番の時一か所で、出鼻で不安定な音を立てましたが、後半ではそういうことは一度も無く安定した良い演奏をしていました。それにも増してOb.首席はいい音を立てていた。特に第二楽章のソロなど、吹く奏者自信もうっとりしながら演奏している様に見えました。
流石、シューベルトは5番から年が経ること10年、この間多くのことを学んだのでしょう。この曲を聴くと全体のオーケストレーションが大々的になり、大規模化した楽器を存分に鳴らして分厚いアンサンブルの響きを引き出していることに気が付きます。その分オケ全体の響きも分厚さを増し、複雑化し、単なる美しいメロディだけでは終わらない深味のある力強い曲になっていることが実感として分かりました。
二楽章での後半でのVc.アンサンブルのソロの響きも良かったし、何と言っても二楽章から最終楽章まで、通して目立った活躍をしていた男性Ob.奏者は、何回も何回も素晴らしく響くソロ音を立てて、弦楽アンサンブルと対となって、オーケストラを引き立てていました。
こうして「ザ・グレート」の演奏は何事も無くいい演奏に終始し終わるのではなかろうかと思った終盤に入ったその時でした。事件は起きました。事件というより事故、出来事と言った方がいいかな?演奏中に袖から二人の女性係員(団員?)が急ぎ足で指揮者の所に駆け寄り、タオルかハンカチか何か布で外山さんの前の方(顔かも知れないし、服かもしれない)を拭いたのです。さらにもう一人が車椅子を走りながら指揮台まで押して行って、三人がかりで指揮者を支えながら移乗させたのでした。そしてあっという間に袖に消えて行きました。この間数分はあったでしょうか?演奏は何事も無い様に進行しその後暫く又指揮者無しで演奏、最後まで演奏し切りました。
配布されたプログラムノートによれば、終焉のメロディとして、ベートーヴェンの第九の歓喜の歌を用いた旋律をCl.により響かせているといいます。兎に角かなりの力演をこの管弦楽団は見せて呉れました。最後の方でパート間での若干の調和の乱れ、ずれが感じられましたが、全体としての長時間の整合性に比すれば、微々たるものでした。
演奏が終わるとここでも前半の時以上の大きな拍手と歓声が上がり、スタンディングオーベーションする人たちも何人もいました。なり続く拍手に、袖からは車椅子に乗って押されて指揮者が登場静かに頭を深々と下げていました。しかもカーテンコールに答えて二回も出て来たのでした。一時も早くゆっくり休みたいのでしょうが、矢張りそこはプロ魂の凄さを見せて呉れたのだと思います。想像するに、リハで体調を崩したら、急遽代役を立てるとか休演とするケースも考えられますが、そうはしなかった、これも想像ですが外山さんは命と引替えに演奏を強行したのでしょう。
今日は、❝よもや舞台で倒れても、死して命を長らえるべし❞の気概を持った指揮者魂、演奏者魂を見せて貰った貴重な体験をした演奏会でした。
演奏終了後心配そうに袖の方を見る演奏者