HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

幻のバレンボエム『ベートヴェン/ピアノソナタ1番2番3番4番』リサイタル

 今年4月に入ってから、バレンボイムをはじめ、アルゲリッチ、マイスキー、ムーティー、ラザレフ等著名な音楽家の来日予定が発表されましたが、結果的に来れない演奏家と来れる演奏家に分かれました。バレンボイムは幸い来日出来て予定通り演奏出来る模様で、苦労してチケットを取ったかいがありました。当初その演奏会初日とされた(hukkats注)6月3日(木)のベートーヴェンの初期のピアノソナタを聴きに行きました。

(hukkats注)当初、6/3 6/4の2日間の予定だったものが、その後追加公演として6/2にも急遽行われることになった。しかし演奏曲目が、6/4と全く同じ最後のソナタ達だったので、6/2のチケットは購入しませんでした。

 処がすでに新聞等でも報道されているとおり、バレンボイムは何を勘違したのか、予定した曲を一曲も弾かなかったのです。前代未聞!!。弾いたのは、前日(6/2)の追加公演(追加公演を本公演より前にやるのも余り聞かないですね) 及び6/4の公演とまったく同じ曲、即ち30番、31番、32番などの最後のソナタでした。6/3の当初予定曲は、1番、2番、3番、4番の最初のソナタ。これを聴きたかったから行ったのに。

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 来日は四月に決まり、バレンボイムは以下の日本向けのメッセージをリモートで届けました。

《(こうして)みなさんのところにお話しできることを、とてもうれしく思っています。日本には数限りない思い出があります。1966年に最初に行ったコンサートは、かなり昔のことになりますが、今でもはっきり覚えています。1984年にはピアノ・リサイタルを、1987年にはベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲演奏会を行いました。理由はさまざまですが、なぜこれほどまでに日本が印象深く、私の好きな国であるかというと、それはコンサートにいらっしゃる皆さまが、ただイベントに来るというのではなく、非常に強い関心と、本当に真摯な、まっすぐな気持ちで、いらしていただける。つまり、そこに“意義を認めていらしていただけるということなのです。今回私はベートーヴェンのソナタだけを演奏します。東京では2回、最初のソナタを4つと、最後の3大ソナタを。その後、大阪と名古屋にも参ります。このコロナの時期に大切なことは、もちろん、あらゆる手段を講じて健康を守り……そして経済も大切な課題かもしれません。しかしながら、その中にあって、文化、精神世界を決してなおざりにしてはいけないということを申し上げたいと思います。そういった中で、日本でこの機会を設けていただけたことを、非常に喜ばしく思っております》

 また今回の来日に先立ち、我が国のピアノ教育団体であるピティナの広報室長、加藤哲礼氏が、リモートでバレンボイムの来日直前インターヴューを行った様子が、ネットに掲載されたので参考まで転載します。

Special Interview

[加藤]今日はとても貴重な機会をいただき、ありがとうございます。ピティナは音楽教育の団体ですので、今日は「教育」についてマエストロにいくつかの質問をさせてください。

まず、マエストロは、ご両親をはじめ多くの音楽家たちの指導や影響を受けて、今日の音楽活動をなさっています。印象に残っている「教育」あるいは「先生」のエピソードやアドバイスがありましたら、お聞かせください。

[バレンボイム]こちらこそ、このような機会をいただいて大変光栄です。最初のご質問ですが、実のところ、私の実質的な「ピアノの先生」というのは一人しかおりません。それは私の父です。父より前に、ほんの最初の段階では母に手ほどきを受けたのですが、あらゆる点で、本当の意味で私の「先生」であったのは、父でした。

父はとても知的な人で、哲学を学んだこともあって、教育やピアノ演奏についての自身の考え方を持っており、とても上手にそれを発展させていました。彼の思想の根幹は、人は音楽の「中」で、また音楽と「ともに」、考えることができるはずだというものでした。ただ、本能で音楽をするというだけではないのだ、というのです。

作品を勉強したり練習したりするときの基本的なプロセスとしては、まず頭で考え、それを心で感じ、それから指へと到達するべきなのですが、多くの人はそのことをきちんと理解していません。何となく指の訓練だけに終始しながら、膨大な事柄を整理するのに費やしてしまうのですが、それは不可能なことです。父からはそのようなことを学びました。

[加藤]とても示唆に富む導きがあったのですね。 今度は逆に、ご自身についてです。マエストロは早くから、若い世代への教育や機会の提供も熱心に行ってこられました。「音楽教育」について、現在お感じになっていることを教えてください。

[バレンボイム]今日、音楽と音楽教育が直面している2つの問題を憂慮しています。

1つめの問題は、これは私がよく知っているヨーロッパの状況に限ってのことで、日本の事情はよく存じ上げませんが、一般大衆の教養のレベルがどんどん下がっているということです。音楽に関する教育も以前ほどなされなくなってきています。これは、未来に向けての大きな問題でしょう。

2つめは、若い音楽家たちが、文学や哲学といった他の精神的な分野に関する教育をきちんと受けていないことです。彼らは、ピアノやヴァイオリンや何か特定の事柄の「スペシャリスト」になろうとするのですが、それは良いこととは思えません。なぜなら、音楽の「内容」というのは、すべて思想や感情に結びついているものであり、すべては人間的なものでなければならないからです。スピードやパワーや音量の問題のみを追えば、音楽は、容易に表面的なものになってしまうでしょう。私は「専門化(スペシャリストになること)」の有効性というのを信じておりません。亡くなった私の友人、エドワード・サイードは「専門家がある物事を深く知れば知るほど、かえって理解からは遠のいていくものだ」という言葉を残しました。

[加藤]挙げてくださった2つの問題は、日本の状況にも共通する、とても大切なものだと思います。 さて、ピアノを学ぶ子供たち、そしてそれを導く指導者にとって、音楽やピアノと一生良い関係を築いていけるように、心がけておくべきことは何でしょうか。 

[バレンボイム]最初に子供たちに教えてあげるべきは、「芸術にとっての最大の敵はルーティン(習慣化)だ」ということでしょう。最悪なのは、機械的に繰り返すことです。

練習するときに大切なのは、機械的にならずに、良い集中力をもって行うということです。実に多くの人たちが、技術上の問題を解決しようと、機械的に繰り返すのですが、それはまったく役に立ちません。たとえほんの1つのパッセージであっても、もし機械的に練習すれば、音楽的な特性というものを得ることはできません。練習の際にはいつも「集中」がなければなりませんし、音楽への「意志」がなければならないのです。機械的に、習慣的になってしまうことに、いつでも注意深くあるべきです。

音楽において、前の繰り返しということは絶対にありえません。たとえ音符が同じであっても、いつも異なる新しいものが生まれなければなりません。何が前にあって、何が後に続くのか、すべてが関係性を持ってつながっている以上、まったく同じことが繰り返されるということはありえないのです。そのことを丁寧に導いていただきたいです。

[加藤]コロナ禍においても、日本の音楽家たちは努力を続けています。日本で音楽に携わる人たち、音楽を学ぶ人たちにメッセージやアドバイスをお願いします。

[バレンボイム]新型コロナウイルスが、健康上の危害以外に私たちにもたらしたのは、全人類に対しての心理的なプレッシャーということでしょう。本来ならば前もって計画できたようなことを、1日ごとに少しずつ計画しなければならないような日々を、今、私たちは過ごしています。私にできる唯一のアドバイスは、そして私自身もそうあろうとしているのですが、例えば来シーズンや来年のことを考えるのではなく、毎日を一生懸命生きるということです。そうすることでしか、今の時代には心穏やかに過ごすことはできないでしょう。

[加藤]今日は貴重なお時間を割いていただき、本当にありがとうございました。6月の来日公演を楽しみにお待ちしております。

 以上のバレンボイムの発言からも、最初のソナタ四曲を弾くことを、明言していますし、教育的観点から、” 子供たちに最初に教えてあげるべきは、「芸術にとっての最大の敵は、ルーティン(習慣化)だ」ということだと言っています。東京の三公演をまったく同じく弾くことは、演奏のルーティンでなくて何なのでしょう?6/3には最初のソナタを弾いたことのある子供達もかなり聴きに来ていたでしょうし、自分のルーティンの殻を抜け出す目的で、聴きに来ていた若いピアニスト達も多かったのではないでしょうか。招聘もとは、6/3のチケットの払い戻しに応ずるらしいですが、問題はそんな金銭的なことで解決する程簡単なことではありません。多くの聴衆に精神的なショックを与えたことは間違いないでしょう。追加の公演をするとか、何らかの本人の声明をだすとかしないと、演奏の素晴らしさが減殺してしまう恐れがある。次回来日時に弾いてくれたら聴きに行きますが、第一、来日自体がいつになるのか、その時のパンデミックはどうなっているのか、日本自体に、何らかの不測の事態(地震、噴火、水害、その他)がおこっていないか、再来日自体の不確定要素が多すぎます。

今回の予定されていた本演奏会の概要は次の通りでした。 

【日時】2021.6.3.19:00~

【会場】サントリーホール大ホール

【出演】ダニエル・バレンボイム   

【略歴】ダニエル・バレンボイム(1942~現在)

レパートリーはピアノ・室内楽・指揮ともに多岐にわたり、バッハからベートーヴェン、ブラームス、ワーグナーに至るドイツ語圏の作品の演奏はとりわけ圧倒的な支持を得ている。作品の細部のみならず作曲家や時代背景までをも俯瞰し理解したうえでの確信的な音楽が特徴で、ベートーヴェンやモーツァルトのピアノ協奏曲・ピアノ・ソナタ全曲、バッハの平均律クラヴィーア曲集全曲といった集中的な演奏や録音が多く、いずれも好評を博している。2020年12月には自身5度目となるベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音をリリースして注目を集めた。1942年生まれ。5歳より両親からピアノを習い、7歳でピアニストとしてデビュー。1952年には10歳でウィーンとローマ、55年にパリ、56年でロンドンに相次いでデビュー、57年にはストコフスキーとの共演でニューヨークにデビューし、国際的な評価を確立した。54年にはフルトヴェングラーから「バレンボイムの登場は事件である」と評されている。60年代にはベートーヴェンの協奏曲全曲でオットー・クレンペラーと、ブラームスの協奏曲全曲でサー・ジョン・バルビローリと共演、レコーディングも行った。66年から69年にかけては、自身最初のベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音を行っている。また、68年には、ピンカス・ズッカーマン(ヴァイオリン)、ジャクリーヌ・デュ・プレ(チェロ)とともにトリオを結成。以来、フィッシャー・ディースカウ、イツァーク・パールマン、アイザック・スターン、ヨーヨー・マ、マキシム・ヴェンゲーロフ、マルタ・アルゲリッチ、エマニュエル・パユら時代を代表するソリストとともに室内楽にも取り組んでいる。                                      指揮者としても精力的に活動し、パリ管弦楽団、シカゴ交響楽団、シュターツカペレ・ベルリン、ミラノ・スカラ座の音楽監督、ベルリン・フィルの楽団史上初の名誉指揮者などを歴任。22年1月には、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートへの自身3度目の出演が予定されている。                     現在は指揮とピアノの双方で精力的に活動を続ける一方、99年に文学者のエドワード・サイードとともに設立したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を率い、若手音楽家の育成や中東和平を希求する活動にも積極的に取り組んでいる。グラミー賞、大英帝国騎士勲章、レジオンドヌール勲章、ドイツ連邦共和国功労勲章、高松宮殿下記念世界文化賞など受賞歴も多い。

【予定曲目】

ベートーヴェン(1770-1827)作曲

 ①『ピアノソナタ 1 番  ヘ短調Op.2-1』 (1794)

 

 ② 『ピアノソナタ 2 番 イ 長調Op.2-2』(1795)

         

 ③『ピアノソナタ 3  番    ハ長調Op.2-3 』(1795)

 

 ④『ピアノソナタ 4 番     ホ 短調Op.7』   (1797)

 

 【演奏会の模様】 

 実際にバレンボイムの生演奏は聴けなかったので、彼の過去の演奏の模様を映像で鑑賞し、感じたことを記することとしました。

 以前何かの折に、ブエノスアイレスの歴史ある「コロン劇場」から、音楽映像などが、プッシュで送られて来ることを述べました。丁度この演奏会の時期に、バレンボイムが最初の1番、2番、3番、4番を弾いている映像が送られてきたのです(コロン劇場のあるブエノスアイレスはバレンボイムの出身の街なのです。日本での演奏会の情報は当然知っている筈です)。 それを観ました。

 ベートーヴェンのソナタは全生涯に渡って32曲が創造されました。前期が作品2-1から作品26までの12曲、中期が作品27から作品90までの15曲、後期が作品101、106、109、110、111の5曲と分類されることが多いです。

 中期前後の名称付(後世の通称を含む)ソナタ群、「葬送」「月光」「田園」「テンペスト」「ワルトシュタイン」などなどが有名であり、演奏される機会も多いですが、初期のソナタは純朴、単純、簡単、明快なことから手軽に初学の徒、例えば小・中学生でも弾くことは珍しくない曲です。しかしこの時期には、ベートーヴェンが古典派の形式を尊重しつつ、第一テーマ、第二テーマ、動機の発展、展開など色々と試行錯誤し取り組んでいた時期で、作品番号が増えるごとに新たなベートーヴェンの試みがなされました。緩徐楽章は、これまでの古典派にはみられないラルゴ(7番)とかグラーベ(8番)というきわめて遅いテンポを用いて、魂に語りかけるような深い思想的な音楽を作り出していて、まさに人間ベートーヴェンの音楽です。1番~4番は何れも4楽章構成なのも特徴です。これ等はベートーヴェンが、ウィーンのハイドンに師事した頃から構想を練って作曲を始めたもので、Op.2の三曲(1番、2番、3番)はハイドンに献呈されました。

 

先ず

①の一番のソナタは一楽章(allegro)、 二楽章(adagio)、三楽章(menuetto.        allegretto) 、四楽章(prestissimo)の

 全4楽章構成です。

 冒頭のアルペジョからかなり歯切れの良い軽快なテンポで駈け上がり、一度テーマを繰り返した後なんなく引き終えて二楽章へ。ここでバレンボイムは、冒頭から数えて7小節目の四つ続く8分音符の第1音を他の8分音符より僅かに伸ばして弾いていました(下図⇓部)。四音とも同じ長さに弾くより確かに調べに表情が出ます。

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一楽章7小節目

 二楽章adajioは、ゆったり心温まる調べです。第24節からのくねくねと下降する箇所ではどこかモーツァルト的雰囲気も感じました。

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24小節目

 第三楽章は、やや速いテンポでテーマが弾かれ、途中バッハ的な匂いもするフーガ調のメロディが流れ、かなり速いスピードに戻って、これ等が何回か繰り返されました。バレンボイムの演奏は、第四楽章では速いテンポで激しいとも言えるメロディが続きます。終盤にとても綺麗な恰好いい調べが出て来ました(Sempre piano e dolceの小節以降)。この箇所をバレンボイムは弱い音で非常に丹念に緩速の表情を付けながら弾いていた。この辺りは将にベートーヴェンを感じる曲ですね。他にも綺麗なメロディを沢山作曲していますが、既にそのベートーヴェンのアイデンティティを確立する萌芽がこの最初のソナタに現れていると思いました。

②のピアノソナタOp.2-2(2番)も四楽章構成で、第一楽章(allegro vivace)第二楽章(Largo appasionato)第三楽章(Scherzo. Allegro)第四楽章(Rondo.Grazioso)

の中では、冒頭の切れ味のいい調べも仲々いいですが、特に第三楽章のScherzo Allegroはキラキラと輝く明るい雰囲を有した曲でリズムも面白く、また第四楽章でも冒頭での主和音の分散音階の上行進行の処も、お洒落な感じでこういうのは好きですね。矢張りベートヴェンの創意が感じられます。

 

③ピアノソナタOp.2-3(3番)    は

 第一楽章(allegro con brio)第二楽章(adagio)第三楽章(Scherzo. Allegro)   第四楽章(Allegro assai)。

 何と言っても第一楽章の勢いのあるメロディ、しかも相当の上下変化に富んだ、素晴らしい流れが、ベートーヴェンのこの時期の発明とも言える独創性の極致でしょう。何回聴いても飽きません。

 バレンボイムは、第一楽章から勢いよく飛ばし、一気呵成という言葉は、そのためにあったかと思う程の猛スピードであっという間に弾ききりました。その勢いは、第三楽章、第四楽章に至っても衰えず、とても80歳に近いピアニストとは思えない(映像は、70歳前半の頃のものでしょうか)エネルギッシュな、いやギラギラさえするタフネスな様子で弾いたのでした。老成した枯れた処は微塵も感じませんでした。確かに三つの楽章ともAllegroではあるのですが。

 しかし、第二楽章だけは、Slow, Slowに、なんでここだけはこんなにもゆっくりなのだろう、と思うくらい遅いテンポで弾いたのです。曲の全体構成がアンバランスの感は否めませんでした。

④ピアノソナタOp.7(4番)

 第一楽章(allegro molto e con brio)     第二楽章(Largo ,con gran espressione)   第三楽章( Allegro)             第四楽章(Rondo.Poco allegretto e grazioso)

 第三楽章がいい。軽快なテンポも調べも絶頂。第四楽章もいいですね。若干三楽章の続きの感もありますが。                                 演奏のテンポにわずかにむらを感じました。特に速いパッセージになると、時計の様な正確無比のテンポではなくなり、不安定の処がある様です。また遅く弾く箇所は、目立って遅く弾き特にフィナーレの処は、すごくゆっくりでした。

 総じて感じたことは、バレンボエムの演奏は、ベートーヴェンの初期ソナタの細部に至るまで総て体で記憶しており、恐らく目をつぶっても弾けるのでは?と思う位自由自在なものでした。これは、6/4の最後のソナタの時も感じました。ただ今回のコロン劇場の映像を観賞していて、何か老成した、大成した大樹のもと、安穏とした空気を吸って心安まるといった静穏感は感じませんでした。若かりしバレンボイムに目をかけてくれたアラウの域には未だ達していないと思います(アラウのPfソナタ演奏は、全曲録音を持っているので、しょっちゅう聴いています)。

 

 古今東西、「ベートーヴェン弾き」と謂われたピアニスト達は、概して長寿の人が多いと思います。

・ウィルヘルム・バックハウス(85歳)

・ウイルヘルム・ケンプ(95歳)

・クラウディオ・アラウ(88歳)

・ルドルフ・ゼルキン(88歳)

・アルフレッド・ブレンデル(現在90歳) 

現在の常識では長寿とまでは言えないかも知れないが、当時としては十分長寿と思われるピアニストとしては、

・アルトゥール・シュナーベル(69歳)

・エミール・ギレリウス(69歳)

・園田隆弘(76歳)

カットナー・ソロモン(英)の様に偉大なベートーヴェン弾きと謂われても、54歳で脳梗塞を患い、その後引退を余儀なくされたピアニストもいました。その後86歳まで生きたというのですから、若し順調に行けば、大家と称されたことでしょう、惜しい。

 以上から大胆に推理すると、ベートーヴェン弾きと謂われる程の演奏が出来るまでには、長い一生涯かかる、80,90歳になってしまうということでしょうか?ソナタ全曲集を出すとか全曲演奏で聴衆を魅了することは最低条件なのかも知れません。

 バレンボイムは、いろいろな作曲家の曲も弾きますが、中でもベートーヴェンのソナタは全曲演奏を五回残しており、また今年79歳になる将にベートーヴェン弾きに相応しいピアニストだと思いました。