この間の晴天の日に、港の見える丘公園等の庭園・西洋館が集まっている景勝地、「横浜山手地区」を散策しました。この地区には、横浜に住んでいても時々単発的に行ったことがあるだけで、多くの歴史的遺物が揃っているにもかかわらず、見たことが無い、知らないことが多いことに気が付いたのです。昨今の緊急事態宣言下では、多くの人の集まる室内の音楽会には危険が一杯で、命をかけてまで行く気にはなれません。と言ってフラストレーションは募る一方、何か少しでもその解消法は無いかと考えた時、レコード鑑賞、音楽配信鑑賞、読書等はするのですが、そればかりでは不十分なので、天気の良い日でしかも人出が少ない休日でない日を選んで、散策しようと思っていました。1/25は朝起きたら久し振りの良い天気で暖かな日になりそうでしたので、このチャンスは逃すまいとばかり、他事をさて置き最優先で、近場の「横浜山手地区」に出掛けたのでした。この山手地区は幕末から明治にかけて、外国人居留地だった名残の建築物が、関東大震災の被害後も復旧されて今日まで多くの洋館などが残っている歴史的地域です。通常であれば全国から多くの観光客が押し寄せて、近くの中華街や元町、山下公園からみなとみらい地区にかけての人気の観光スポットとなっています。でも現在はコロナ禍の影響で、人出はかなり少ないと推定されました。
家からは徒歩では行けないので、公共交通機関を利用しますが、春は間近かに迫っているのでしょう、途中の辛夷の街路樹の芽も随分膨らんで来ました。
満開の白梅の木も見かけました。随分早いですね。
通勤ラッシュ時間帯は過ぎていて、案の定座席は多く空いている状態でした。乗ってすぐに座席の近くの窓は出来るだけ大きく開けるのですが、以前だったら他の乗客は、皆なチラッと見て見ぬふりをして黙認状態がほとんどでした。しかしこれだけ感染が広がった現在では、開けた窓の近くの乗客に“有難う御座います”と謂われることが結構多くなりました。何れも年配者からですけれど。座席には座りません。窓からの新鮮な空気を吸いながら、つり革にぶら下がりながらの乗車です。最寄りの駅はJR石川町駅、件の場所に行くには、「横浜元町」の商店街を通り抜けます。この街は、買い物、食事など何回も家内とも以前は来ていたのですが、最近はご無沙汰していてホントに久し振りです。シャッターの降りている店舗が随分多かったですね。人でも依然と比べたら雲泥の差です。
勿論その日が休日だった店舗もあると思うのですが、一目で長期に閉店している処や廃業した旨の張り紙が張ってある店も少なからずありました。この街は衣料品を扱う店が多いですから、真っ先にコロナ不況の影響を受けたのかも知れません。報道によれば銀座のGINZA SIXなどでも衣料品店の撤退が続いているみたいですね。横浜開港以来130年も続いている老舗のパン屋さんで、買って行こうとしたら閉まっていました。単に休日でしまっていたならいいですが。ここの食パン「イングランド」は開業当時からと同じ製法で味も同じということです。勿論最近は元町に本店がある「POMPADOUR」の方が、大手のパン屋チェインに成長して首都圏では、有名になりましたけれど。
少し歩いたら、地元のバッグのブランド店は店を開けていました。
元町の街はずれに急坂があって、そこを登ると山手地区です。
上り坂沿いにはしゃれた洋館や外人墓地がありました。
昇り坂の上方には「横浜地方気象台」の名が、気象観測所や放送局は小高い丘や山に作られる様ですね。
事前にマップを手に入れて、凡その検討を付けておきました。
坂を登り切った処には、「アメリカ山公園」の名が。
入ってみるとベンチが幾つも置いてある植栽の施された結構な小公園でした。
この山手地区には、古くからの名門女子校が幾つもあって、小学生が公園内の道路を通過していました。昔はこの山からの海岸付近の眺望が良かったらしく、ホテルなどを見下ろした古い写真が掲示されていました。
またこの山の由来についての掲示板もありました。
次に向かったのは「港の見える丘公園」。この名前は相当有名でしょう。この高台からかなり下方に降りて行ったところに造園されています。これまで高台の上の方からチラッと港を見下ろしたことは有るのですが、公園をじっくり散策したのは今回が初めてです。自分以外に見に来ている人は一人も見掛けませんでした。
公園から、みなとみらいの「ランドマークタワー」や「ベイブリッジ」等や港が一望出来ます。
近くには「大佛次郎記念館」の煉瓦造りの重厚な建物やや「神奈川近代文学館」の瀟洒な建物がありました。何れも休館でしたけれど。
水流と花壇・植込みの先には瀟洒な3階建ての建物が見えます。
近づいて見ると1階が喫茶店になっており、2階と3階が「山手111番館」ということでした。訊いたらこの数字は昔、番地に由来し名付けられたとのことでした。
建物の中に入ってみて広いテーブルとピアノが置いてある部屋があったので、昔のピアノですか?どちらのピアノ?と尋ねたら、“最近のヤマハのピアノです。時々演奏会が行われるので。”という答えでした。
上階(3階)は立ち入れませんでしたが、2階正面窓から見下ろすと見事な庭園風景が見られました。
感心したのは111番館のコロナ対策。下足は入口でスリッパ(勿論消毒済みでしょう)に履き替え、入場申請書に記入。住所、万一の連絡電話番号、健康状態のチェック項目等に記入し受付に出しました。今回は他の入場者は誰一人いませんでしたが、入場希望者が多い時には入場制限するとのことでした。
次に少し戻って、「横浜市イギリス館」を見ました。
この建物は、昭和12年に英国総領事公邸として建てられました。ここは中にそのまま入れましたが、申請書を書くのは同じです。
マントルピースのある部屋、感じのいい控室など一階と二階両方とも見られました。
窓から見る庭園風景は素晴らしいものがありました。
絵が飾ってある部屋が有り、いかにも古いイングランドの風景画と言った感じの絵でした。
建物には張り出し窓のボウウィンドウとベイウィンドウが備わっていることも特徴です。
イギリス館を見終わって外に出たら道路越しに、「YOKOHAMA INTERNATIONAL SCHOOL」と書いた建物が目に入りました。所謂外国人学校ですね。
中には入らず、少し戻って「山手本通り」に出て地図上の「山手234館」を目指していこうとしたら、目の前に煉瓦造りのがっしりした建物がありました。「岩崎記念館(ゲーテ座)」です。
明治18年に建てられた劇場は居留外国人の社交場となっていたそうですが、今は無く跡地に岩崎ミュージアとして新建築物が立てられました。
現在は、様々な展示が為されている様です。時間の関係で入場せず、急ぎ「山手234番館」の方角へ進みます。少し進むと左方に「山手資料館」が見えてきました。中に入って見てみたい気もしましたが、とても時間が足りなくなると思い外見だけ写真に収めました。
さらに進むと古い教会らしい建物が。「横浜山手聖公会(よこはまやまてせいこうかい)」と言うらしい。
これは、日本聖公会の教会堂で、プロテスタント・日本聖公会横浜教区に属する教会の模様。外形は大谷石を使ったノルマン様式の聖堂です。
少し進むとすぐに、「山手234番館」に着きました。
この建物は、昭和2年に外国人向けの共同住宅として建てられたもので、現在は修復されて間取りは変わっているそうですが、一階が居室展示、二階は会議室、ギャラリーになっています。
ここにきて予定した帰りの時刻が気になって来ました。出来るだけ混雑する交通機関の乗車を避けたいので、早めに切り上げないと帰宅のラッシュアワーにぶつかってしまいます。じっくり見学したかったのですが、その他に「エリスマン邸」「ベーリック・ホール」が近くにあるのでそちらの外見だけでもと思って急ぎ足で回りました。その建物の外観写真を掲載します。
途中営業しているカフェ・レストランがあったのですが、感染を避けるため、今回は持参の弁当を公園のベンチで一人静かに食しました。
周辺には、洒落たデザインの集合住宅や建物が多く見られました。将に「日本の小外国」でした。
その他にも見たいところはあったのですけれど、丁度10分後位に、すぐ近くのバス停に保土ヶ谷という駅行きのバスが来る筈で、それに乗ればJRの駅に出れて便利なので(来た時の石川町駅よりも便利です。歩く必要がありません。)少し待ってそれに乗りました。そしたら延々と30分以上も、バスは山手から大きな家ばかりの高台の住宅街を縫って走り、急坂に差し掛かっかったと思ったら、天から地に降りるが如く急降下して市街地にバスは降りて行きました。
家に帰ってから家内に話したら、そのバス通り沿いの家内の知り合いのお宅に、むかし招待されて一緒に行ったことがあるというのです。記憶を辿ると、あれは確か春爛漫の桜の頃でした。広い庭の大きな桜の木の下で催された「桜コンサート」に行きましたっけ。あの時も家内に車に乗せてもらったので、道順はさっぱり覚えていなかったのでした。
さて今回の散策は、あらためて地元の歴史遺産・景勝地を再認識させてくれました。素晴らしい所だと思いました。20歳台からたまに山手地区に行く機会はあったのですが、灯台下暗しというか、余り重要視せず、部分的に、表面的にしか把握していなかったのですね。やはり ”先達はあらまほしき事なり” でしょうか。