HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

Stendhal『イタリア紀行(1817年版)』2

≪ベルリン1816年10月4日≫

 この紀行の最初がベルリンだということに首をかしげる向きもあると思いますが、スタンダールは次の様に紀行の発端を書いています。 

“手紙を開封すると、四か月の休暇の許可だ。喜びのあまりの有頂天、心のときめき、三十歳にもなって私は何と莫迦なのだろう。でもいよいよあの美しいイタリアが見られる。しかし私は気を配って大臣の目から隠れよう。宦官どもは自由気儘な者にいつも腹を立てる。わたしは、帰ってきてから二ヶ月の冷遇を覚悟してさえいる。しかしこの旅行はわたしにとってほんとうに嬉しい。それに世界が三週間続くかどうか誰が知ろう。” 

 若干補足しておきますと当時スタンダール(本名ベール少尉)は、父が王党派であったにもかかわらず、それに反抗し共和派に身を置き、ナポレオンの1800年のイタリア遠征軍(ナポレオンのアルプス越えで有名です。)に従軍して、初めてイタリアに行っています。

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ナポレオンのアルプス越え

その時彼は実際戦うことは無かったのですが、イタリアをいたく気に入ってしまいました。上記の最初の文は、“休暇を申請し許可されたので、お気に入りのイタリアに行ける様になった”喜びの気持ちを述べたのです。しかしベールが実際に休暇を申し出たのは、1811年だったことが分かっており、上記の「1816年」は架空に作りあげた年なのです。恐らくこの「紀行」を翌1817年に或いはそれを書いている1816年のうちに出版する意図だったので、最新記事として書きたかったのかも知れません。

何故ベルリンなのか?それは、1806年にナポレオンはプロイセン軍を撃破し、10月にはベルリンを支配しました。従って1814年にナポレオンが没落するまで、ベルリンはフランス帝国(ナポレオンは1804年皇帝に即位)の支配下にあり、ベールは若い時から何かにつけ庇護を受けていた母方の縁戚、ダリュ伯のお陰もあって参事院書記官と帝室調度検査官を務め、ベルリンに勤務していたのです。

 文中に「宦官」とありますが、ベールの勤務するナポレオンの官庁に宦官がいたのでしょうか?昔はどの国の王室にもいたのでしょうけれど、革命を経て一時でも共和制となったフランス、たまたまその後ナポレオンが権力を得て皇帝になった時、宦官制度が復活したとはとても思えません。これは“長期休暇”位で腹を立てる軟弱な官僚を皮肉くった単語だと考えますが如何でしょう? 現代の会社等の組織でも、旅行のための長期休暇申請をしたとして、簡単に認められる職場風土はあるのでしょうか? “戻ったら席が無くなるよ”  とか  “忘れられないようにしてよ” とか  "無事でね” とかの嫌味を言われるかもしれません。ベールも何か嫌なことを謂われたのでしょう、きっと。