若い時にはリリックテノールでしたが、声帯の故障で発声法を改善し、現在のドラマティコの暗く重い声となったそうです。力強さと繊細さを兼ね備え高音も輝かしく出せる歌手の様です。

 さてAの独唱ですが、①の第一声よりこれは本物だといった直感が働きました。兎に角、声に力と声量があり、音程も非常に安定して正確です。

 次の独唱は④ですが、声量はあるけれど、乾いた声質というか、パヴァロッティの様な輝き、潤い、は余り感じられません。声域が低くバリトンにかなり近づく「ヘルデンテノール」では、「リリコのテノール」とは自ずから声質は異なるのでしょう。

 歌の合間にウィーンの街を散策するカウフマンをカメラが追い、”ウィーンの歌は最初からこういう風に歌うと決めないで、臨機応変に歌う”と話すカウフマンを映します。

 ④⑤はヨハンシュトラウスⅡ世の喜歌劇『ヴェネツィアの一夜』からの歌ですが、⑥は同じく喜歌劇『ウィーン気質』からの歌です。この喜歌劇からの二重唱は第二幕やフィナーレで歌われるのですが、もともとはオーケストラ曲として作曲したものを喜歌劇に転用しているのです。このオーケストラ版は11月9日、サントリーホール初日のウィーンフィルをアンコールでゲルギエフが指揮して大歓声を浴びた曲です。

 カウフマンの二重唱の相手のソプラノはレイチェル・ウィリス=ソレンセン(米国)です。

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 この歌手は昨年来日した時その歌を聴きました。昨年9月の英国ロイヤルオペラ『ファウスト』で当初予定のソーニャ・ヨンチェヴァの代役としてマルグリートを歌いました。その時の公演の記録を参考まで文末に掲載します。

 リサイタルの初めての二重のせいかソレンセンの歌い振りはやや上がっているかの印象。一方カウフマンはソレンセンに近寄ったり表情を様々に変えながら見つめたり、ソプラノをリラックスさせ様としている様子でした。デュエットとしての出来映えはまずまずだったでしょうか。でも「ウィーンかたぎ」という程のウィーンらしい歌い振りでは二人ともなかった。ウィーンを感じませんでした。オーケストラもそうです。チェコのオーケストラのせいでしょうか。他のワルツ的旋律の箇処も、あのウィーンナーワルツ独特の三拍子、「ンジャチャ ンジャチャ」がよく表現で来ていない。これは歌、演奏全体を通して感じた点です。

カウフマンの独唱で一番良いと思ったのは、⑨ロベルト・シュトルツ『プラーター公園は花盛り』でした。少し抑制気味に歌い、歌の最後は長ーく息を伸ばして終了しました。大きな拍手が湧きました。この公園はウィーンの人々の愛する憩いの場で、映像でもカウフマンが公園内でくつろぐ場面を映していました。こうした映像は、コンサートの映像の途中であちこちウィーン市内の景色やカウフマンの語りを映したりして、気持ちや考えを伝え様としていましたが、カウフマンは先ずまじめな人ですね。如何にもドイツ人らしいやや堅苦しさや不器用さまで感じました。南欧の歌手の様なオープンで開放的な明るさとは真逆だと感じました。

 オーケストラの演奏は一流のアンサンブルの響きを有していましたが、やはりウィーンらしさは余り感じられませんでした。これはウィーンフィルの演奏をタラフク聴いて間もなくだったからでしょうか?

 ソレンセンもソロで一曲歌いました。⑮フランツ・レハール 

『喜歌劇 メリー・ウィドウ よりヴィリアの歌《昔あるところにヴィリアという森の妖精がおりました》 』です。

この歌はオーソドックスなソプラノの歌い振りで声も良く出ていて、非常にうまく歌ったと思います。会場からの拍手もカウフマンを凌ぐほどの大きなものでした。

 最後の曲⑲ゲオルク・クライスラー 『死神ってウィーン人に違いない 』はオーケストラをカウフマンはストップしてピアノを中央に運びこむ様に要請、ピアノ伴奏で歌いました。この企画はフィナーレとして全く失敗だと思います。ピアノ伴奏の歌が素晴らしいとは全然思えませんでしたし、最後の盛り上がりにも欠けるものでした。

 総じての感想は、世界的に人気があるカウフマンは、やはりその声質に合ったオペラを歌うのが最適であって、いつの日か有名オペラのタイトルロールを引っさげて来日公演を行う時が来ることを期待します。