HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『N響・ルイージ就任記念演奏会』第Ⅱ弾~All R.シュトラウス~

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2022年9月Cプログラム 聴きどころ(Program Noteより)
 85年という長い生涯を歩んだリヒャルト・シュトラウス(1864~1949)。父親の影響のもとに絶対音楽(器楽曲)を手がけ、やがて交響詩・オペラといった標題音楽の世界へと足を踏み入れたのち、最晩年にふたたび器楽曲の世界へと戻ってきた。短いモティーフから楽曲全体を組み立てる作曲家の技法はどの作品、どの時代にも共通し、職人としての腕の確かさは一貫して衰えることがなかった。若年、壮年、晩年、それぞれの代表作から、シュトラウスならではの作曲技法の冴(さ)えを感じ取れるだろう。(広瀬大介)

 

【プレコン】

13:15pmよりN響メンバーによる室内楽のミニコンサート(約15分)。

【出演者】
チェロ 辻本 玲
チェロ 市 寛也
チェロ  西山健一(中 実穂 体調不良のため)
チェロ 渡邊方子

【曲目】ジョゼフ・ジョンゲン『4本のチェロのための2つの小品 作品89─〈伝説〉〈踊り〉』

辻本首席が、マイクを握ってメンバーを紹介、一人が急病で代替奏者になったこと、それぞれ何の曲が好きかなどと訊いていました。今日のシュトラウスが好きとか、辻本さんはシューベルトが好きらしい。同じ楽器のカルテット曲は結構あるそうですが、初めて聴いたこの曲自体は、落ち着いた秀作でした。初盤、遁走的に1~4に移動するのも、同種楽器でも異なった音なので、ソロで4回繰り返すのとは、大分響きが違って聞こえて面白かった。

 辻本さんは、N響以外にも、室内楽や異種分野との共演など、様々な活動をしている注目度の高い奏者で、過去に何回か聴いたことがあります。今度11月に仲道さんと1906年製スタインウェイを使ってチェロの二重奏を演奏するそうなので、聴きに行くことにしています。

 

【本演奏】

《ルイージ就任記念演奏会Ⅱ》

【日時】2022.9.16.(土)14:00~

【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】ファビオ・ルイージ

 〈Profile〉

イタリア・ジェノヴァ出身。

パガニーニ音楽院でピアノのディプロマを取得し、アルド・チッコリーニに師事。グラーツ音楽院ミラン・ホルヴァートに師事し[2]1983年、同音楽院を卒業。

1984年よりグラーツ歌劇場で活動を始める。1990年にはグラーツ交響楽団を創設し、1995年まで芸術監督を務めた。西ドイツおよびオーストリアの歌劇場を転々としながら経歴を重ねてきた。

1996年から2007年までライプツィヒ放送交響楽団芸術監督、1997年から2002年までスイス・ロマンド管弦楽団首席指揮者。2005年から2013年までウィーン交響楽団首席指揮者を務めた。

また、2007年8月よりザクセン州立歌劇場(ゼンパー・オーパー)およびシュターツカペレ・ドレスデン音楽監督に就任した。しかし、シュターツカペレ・ドレスデンにおいては、2010年のジルヴェスターコンサートの指揮者をクリスティアン・ティーレマンとすることが「音楽監督たる自身の与り知らぬところで決定された」と主張し、任期満了を待たずして一方的に契約を破棄している。

2010年より2012年までパシフィック・ミュージック・フェスティバル芸術監督、2012年よりメトロポリタン歌劇場首席指揮者ならびにチューリッヒ歌劇場音楽総監督。

2013年には、メトロポリタン歌劇場とのリヒャルト・ワーグナーの連作オペラ「ニーベルングの指環」の録音によりグラミー賞を受賞。

2017年からデンマーク国立交響楽団首席指揮者。2022年9月、NHK交響楽団の首席指揮者に就任。

 


【独奏】エヴァ・スタイナー(Ob.)    

    

  <Profile>

 エヴァ・スタイナーは1993年生まれのデンマークの若手オーボエ奏者である。9歳の時にコペンハーゲン音楽学校でオーボエを学び始め、15歳からはザンクト・アンネ・ギムナジウムでデンマーク王立管弦楽団のソロ・オーボエ奏者ヨアキム・ダム・トムセンに師事した。17歳からはデンマーク王立音楽院に学び、2009年にはベルリンスケ音楽コンクールで金メダルを受賞している。またエーレスンド・ソリスト・コンクールでは第2位を獲得した。2013年に南ユトランド交響楽団のオーボエ奏者となり、2014年にはデンマーク国立交響楽団の首席オーボエ奏者に就任、今日に至るまでこのポストにあり、同団の首席指揮者ファビオ・ルイージのもとで演奏している。ソロや室内楽などでも活発に活動しており、フルートのマリア・スタイナーとの姉妹デュオもよく知られている。N響初登場となる今回、彼女が披露するのはR. シュトラウスの《オーボエ協奏曲》。シュトラウス晩年の心境を綴(つづ)ったような味わいのあるこの曲を、気心の知れたルイージとの共演で彼女がどう表現してくれるのか楽しみである。
[寺西基之]


【曲目】
①R. シュトラウス/交響詩「ドン・ファン」作品20

〈Pprogram Note解説より〉

 若き日のシュトラウスは、1885年6月、フランクフルトで指揮者ハンス・フォン・ビューローと、パウル・ハイゼの戯曲《ドン・フアンの最期》を観劇した、という記録がある。1888年初頭から、このプレイボーイを題材にとった新しい管弦楽作品の作曲が進められた。1889年11月11日、《ドン・フアン》と題された新作は、ワイマール宮廷劇場管弦楽団にて、作曲家自身の指揮によって初演された。
もっとも、シュトラウスが総譜の冒頭に掲げたニコラウス・レーナウの叙事詩『ドン・ジュアン』からの3か所の引用には、具体的な物語は含まれておらず、それは単に主人公の人生哲学に過ぎない。だが、音楽には精力的な主人公の描写に続き、女性との愛の場面(2か所)、仮面舞踏会の場面、決闘で剣を投げ棄て、胸への一突きで死を受け容れるといった標題的な場面も描かれている。
シュトラウスはレーナウの引用から、実際のドン・フアンの死を表す詩句を2行分削っている。音楽で描かれるドラマ的な具体的内容を詩と結びつけることを、敢(あ)えて回避したのだろう。ドン・フアンのテーマにホ長調(ハ長調)、愛のテーマにロ長調(嬰ハ長調)、エピソード的に差し挟まれるト長調/ト短調 、死を描くホ短調、という調関係の枠組みが先に作られ、その枠組みのなかでソナタ形式に従って推進していく音楽は、標題にとらわれぬ、器楽的に自立した新しい交響詩の在り方を示している。(広瀬大介)

演奏時間:約17分
作曲年代:1888年初頭~9月30日
初演:1889年11月11日、ワイマール宮廷劇場管弦楽団、作曲家自身の指揮

 

 

②R. シュトラウス/オーボエ協奏曲 ニ長調

〈Program Note解説より〉

 R.シュトラウスが第2次世界大戦期に作曲した《ホルン協奏曲第2番》(1942)、《変容》(1945)、そして《オーボエ協奏曲》には、戦争と人道的犯罪への抵抗を示しつつ、同時に新たな時代を志向した作曲家の精神が息づいている。終戦後の1945年7月6日、シュトラウス邸を訪れた米軍兵士でオーボエ奏者のジョン・ド・ランシーによるオーボエ作品の作曲の勧めには、はっきり「否」と応えたシュトラウスではあったが、その3か月後には前言を翻(ひるがえ)し、協奏曲の作曲を短期間で終わらせる。作曲家はアメリカでの初演権をド・ランシーに与えようとしたが、所属するフィラデルフィア管弦楽団では第2奏者だったため、ド・ランシー自身が本作を演奏できたのは30年以上も後のことだった。
 ごく短い伴奏音型が2度繰り返されたあとに突然始まるオーボエの独奏、という第1楽章の始まり方、そのオーボエに絡むヴィオラ独奏の扱いなどに、晩年のシュトラウスらしい闊達(かったつ)な筆さばきがあらわれる。このあとに続く主要主題が全楽章にわたってさまざまに変容して全体を統一する。第1ヴァイオリンに続いてオーボエ独奏が奏する中間部の主題のひとつが《変容》で用いられた主題に似ているのは、決して偶然ではないだろう(その後も登場)。休みを挟まずにそのまま移行する第2楽章冒頭も第1楽章冒頭の伴奏音型に導かれて始まる。第3楽章のカデンツァ後から、テンポはヴィヴァーチェからアレグロへと徐々に穏やかに。闇(やみ)から光明へと流れるような、しなやかな音楽によって、シュトラウスは次世代への希望の灯(ともしび)をつないだ。(広瀬大介)

演奏時間:約25分
作曲年代:1945年10月
初演:1946年2月26日、チューリヒにて、マルセル・サイエ独奏、フォルクマー・アンドレーエ指揮、チューリヒ・ トーンハレ管弦楽団

 

③R. シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲

〈Program Note解説より〉

 20世紀に作られたオペラのなかでも、おそらく最高の人気と上演回数を誇るであろうシュトラウスの《ばらの騎士》。物語の舞台は18世紀のウィーン。陸軍元帥であるウェルデンベルク侯爵の夫人は、若い愛人のオクタヴィアンと情熱的な愛の一夜を明かす。そこへ、田舎からやってきたオックス男爵が登場し、商人の娘ゾフィーと婚約するために(そしてその財産を手に入れるために)、ウィーンへやってきたと告げる。オクタヴィアンは婚約の誓いである「銀のばら」を届ける「ばらの騎士」の役を担うこととなるが、当のゾフィーに一目惚(ぼ)れ。元帥夫人は、若い2人の前途を祝して2人を結びつけ、自らの恋にも幕を引く。
第1幕最後の元帥夫人の別れの決断、そして第3幕最後の女声三重唱により、これまでどれだけ多くの観客の紅涙が絞られたことだろう。
1911年の初演直後から、オペラの聴きどころを集めたオーケストラ組曲がさまざまに編曲され、シュトラウス自身も2種類のワルツ・メドレーを編曲した。また、1925年には映画伴奏音楽まで手がけている。今日もっぱら演奏されるのは、1945年に出版された、これらとは別の「組曲」だが、どのような資料をみても、それがシュトラウス自身の編曲なのかははっきり明示されていない。この編曲はポーランドの指揮者アルトゥール・ロジンスキによって、1933~1945年の間に、亡命先のロンドンでなされたもの「らしい」とされている。さらに、本作の総譜の筆跡により、編曲作業がシュトラウスではない他の誰かによって手がけられたことは確定的となった。実際の筋書きにほぼ沿った順番で音楽が並べられていることで曲全体の見通しがはっきりし、数ある組曲のなかでも本作がはるかに多い演奏回数を誇るまでに至った理由のひとつであろう。(広瀬大介)

演奏時間:約22分
作曲年代:[オペラ]1910年 [組曲(1945年)]1933~1945年編曲?
初演:[オペラ]1911年 [組曲(1945年)]ウィーン(コンツェルトハウス)、1946年9月28日。ハンス・スワロフス キー指揮

 【演奏の模様】

①R. シュトラウス/交響詩「ドン・フアン」作品20

 ドン・ファンと言えば近年の日本では、「紀州のドン・ファン」がすっかり有名になってしまいました。しかしその元を遡れば、ドン・ファンは、17世紀スペインの伝説上人物。ティルソ・デ・モリーナの戯曲「セビリアの色事師と石の客」が原型で、好色放蕩な美男として多くの文学作品に描写されているのです。プレイボーイ、女たらしの代名詞としても使われる事も多く、、イタリア語風だと「ドン・ジョヴァンニ」(伊: Don Giovanni)ですから、モーツァルトのオペラも同じ様な物語を元としている訳です。

 R.シュトラウスは、交響詩という形で、この物語を表現しました。

 N響首席指揮者に就任したルイージは、記念演奏として、ヴェルディのレクエイムを既に演奏済みですが、理由あって聴きに行きませんでした。今回は、就任記念第Ⅱ弾として、最近とみに好きになりつつあるR.シュトラウスをやるというので、久し振りにNHKホールに足を運びました。今回は14時開演ですが、13:15から演奏前ミニコンサートがあるそうなので、それも行くからには聴きたいという思いで、間に合う様に渋谷駅で降りたのです。ところがそこからNHKまでの徒歩が遠かった。もう記憶に無い位行っていないので、通りもいちいちスマホで確認しながらでした。結果遅刻というみっともないことは避けられましたが、エントランスの受付は長蛇の列、自席についたのはプレコンサートぎりぎりでした。その演奏の様子は既に上記しました。本演奏開演までは暫く時間があったので、係の人に暫く閉館していた工事のこと、10月のCプログラムのこと等を訊いたり、さっぱりしたロビーを写真に収めたりしていました。

さて開演となり舞台に現れたルイージは、スタスタというより颯爽と舞台を横切り、挨拶もそこそこにすぐに指揮台に跳び上がり演奏開始です。
 スタートのドラマティックなアンサンブルに続きコンマスがソロ音を響かせています。やや細い繊細な弱々しい音かな?確か今日の首席第一ヴァイオリン奏者は郷古さん。彼の演奏は、今年6月にサントリーホールでのチェンバー・ミュージック・ガーデン(CMG)でカルテットを組んで弾いていたのを聴きましたが、その時は結構男性的な強靱な音質を感じました。曲に依ってこんなにも演奏が違うものかと少し驚いたり不思議に思ったり。ルイージはぐんぐんN響を引っ張っていて、奏者一人一人もよくルイージに喰らい付いている様子、ドンファンの精力的歌声をイメージ出来そうな演奏です。綺麗な管の響きから続く弦楽の調べもとても美しい音、管と低音弦でそのテーマを流麗に繰り返していました。何か愛というものを静かに連想してしまう。Ob.ソロ音は、次のコンチェルトを一層期待させる程の美音でもって発声、Ob.→Hrへそして又Ob.へ戻る循環奏、弦楽も交えこの間一貫してOb.は綺麗な音を立て続けていました。Hr.4台が一斉に斉奏、かなりの大音でTimp.も入り盛り上がり、ルイージは体にも手にも力を込めて指揮していました。最後の全管全弦アンサンブルの大音はホールによく響き渡りドンファンの最後を予知させる様なアンサンブルでした。最後は少し拍子抜けした様な終焉でした。この曲も波有り山ありの起伏に富んだものでしたが全体として透明なアンサンブルの響きが清明感を聴く者に与える将にシュトラウス独特のオーケストレーションづくりを堪能できる曲でした。(他の楽器も色々活躍していましたが)特にHr.の活躍、4台すべてが安定したアンサンブルを構築していたことが印象的、これは次の曲も最後のオペラ関係の曲も期待出来そうだと思った次第です。 

 

②R. シュトラウス/オーボエ協奏曲 ニ長調

 ①の時より楽器がかなり減りました。協奏曲シフトです。3→2管編成(Fl.が1減、Hr.が2減、その他の金管が無し、打もなし)弦楽五部

ただでさえ美しい響きを有したシュトラウスの曲に、さらに響きの美しいオーボエを主役とした曲があったとは!しかもプログラムノートによれば、或るオーボエ奏者の作曲依頼を一旦は断った後で思い直して作曲したそうでしから、”天は二物を与えたもう” ですね。「天分とチャンス」とを。このチャンスをシュトラウスが逃していたら、後世の人々は、宝の一つを失う処でした。

 この名曲をエヴァ・スタイナーは、確実な技術で丁寧に演奏していました。でも決して派手な処や、はったりは無く、むしろ地味な位実直に吹いていた。概してOb奏者が良く見せる、冴え冴えとした高音は最初から見せず、最終楽章の後半まで取って置いたのでしょう、きっと。最後のカデンツァがとても冴えた演奏で圧巻でした。

 オーケストラ演奏会に於ける独奏楽器は、従来だと、ピアノ、ヴァイオリンやチェロのケースが殆どだったと思いますが、最近は、管楽器のソロ演奏が増えて来たような気がします。先日もトロンボーンの独奏を聴いています。明日はトランペットかな?

 

③R. シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲

②の時より、楽器補充がかなり有りました。三管編成弦楽五部14型(か?)

 冒頭Hr.が堂々と鳴り響かせ、ひとしきりの管弦アンサンブルのあとOb.さらには Fl.→弦楽→Hr.と楽器は変わっても何れもおしとやかな旋律を奏でました。オペラ『ばらの騎士』では、元帥夫人とその浮気相手オクタヴィアン、金満家オックス男爵とその片思い娘のゾフィー達が登場して繰り広げる「ばらの騎士」という、日本で言えば昔、仲人役が結婚の相手の家に、結納を代理で届ける役割に少し似た風習が、ウィーン界隈でもあった様です。この結納品が、銀のバラの花だったので、それを届ける役回りの騎士を「ばらの騎士」と呼んでいたのでした。オペラでは、オクタヴィアンが、ばらの騎士役を擬態し、オックス男爵をやり込めたり、元帥夫人とオクタヴィアン、ゾフィーの三者が繰り広げる愛憎劇などをからめて、R.シュトラウスは、みげとな音楽をつけた、オペラに仕立て上げたのでした。ルイージ得意の曲と言われているだけあって、管弦誘導路はみごとなものでした。とくに、後半、終盤では、ウインナーワルツの旋律が頻発、他のワルツとは、アクセント、音符の長さが異なるウインナーワルツ節が炸裂、オペラでオックス男爵達が曲にあわせて剽軽に踊る姿を思い出しました。

オペラ『ばらの騎士』は、R.シュトラウスの傑作オペラと言うだけでなく、オペラ史上に燦然と輝きを放つ傑作の一つだと言われています。古今東西、多くの名歌手、名指揮者によって演奏されて来ました。(元帥夫人は、往年のシュワルツコップのはまり役でしたし、カラヤンもよく演奏しました。)今年4月にこのオペラを新国立劇場で観ているので、その時のhukkats記録を参考まで、文末に抜粋再掲しておきます。

 今日のルイージの、シュトラウス指揮・演奏は、前評判以上の素晴らしいものでした。最後何回かの、指揮者カーテンコールに応じて舞台に出没したルイージでしたが、前回の演奏会から、演奏終了後の写真撮影解禁になったこともあって、皆スマホを向けていました。


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観客のかなりが去った後も、残った観客が拍手を続けたため、ルイージは、最後にもう一度舞台に姿を現わし、顧客サービスをしていました。


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 今日のルイージは舞台に颯爽と現れ、颯爽としたスタート、凛とした指揮振りなどを見せて、カラヤンを少し彷彿とさせるところもありました。


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2022-04-05hukkats記録(抜粋)////////////////

オペラ『ばらの騎士』初日を観る

【演目】ばらの騎士(Der Rosenkavalier) 

全三幕〈ドイツ語上演/日本語&英語字幕付〉
【予定時間】約4時間10分(第Ⅰ幕75分 休憩25分 第Ⅱ幕60分 休憩25分 第Ⅲ幕65分)

【鑑賞日時】2022.4.3.(日)14:00~

【会場】NNTTオペラパレス
【作曲】1909,1910間 リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss)

【初演】1911年1月26日 ドレスデン、宮廷歌劇場

【台本】
フーゴー・フォン・ホーフマンスタール(ドイツ語)

【Introduction】主催者資料より
<婚約のしるしは銀の薔薇>~煌めく音楽が綴る美しき恋と別れの物語~
ウィーン上流社会を舞台に、過ぎゆく時への思いや、若い新しい愛を、優美かつ豊麗な音楽で描いた絢爛たる傑作。劇作家ホフマンスタールとR.シュトラウスの名コンビの最高傑作で、あらゆるオペラの中でも最も贅沢で美しく、なかでも、第2幕の銀のばらの献呈シーン、終幕の三重唱は、観る者を陶酔の世界へ引き込む決定的な名場面です。細やかな人物描写に優れたジョナサン・ミラーの演出は、時代を18世紀から世界初演の1年後の1912年に移し、当時の聴衆が感じていた「時代の移ろい」をも作品から引き出しています。視覚的にも美しい舞台で、諦念と未来への希望が成熟したタッチで見事に描かれ、新国立劇場の数あるレパートリーの中でも抜群の人気を誇ります。

元帥夫人には、世界のトップソプラノとして活躍するアンネッテ・ダッシュが08年以来待望の新国立劇場出演となります。指揮は来日も多いウィーン出身の指揮者サッシャ・ゲッツェルが新国立劇場デビューを飾ります。

<R.シュトラウスとモーツァルト>
『サロメ』と『エレクトラ』の2つのオペラで成功したR.シュトラウスは「次はモーツァルト・オペラを書く」と言って、『エレクトラ』でタッグを組んだホーフマンスタールに再び台本を書いてもらって作曲に取りかかりました。音楽評論家の吉田秀和氏は一番好きなオペラは何かと聞かれて、モーツァルトを除けば『ばらの騎士』であると

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指 揮】サッシャ・ゲッツェル
【演 出】ジョナサン・ミラー
【美術・衣裳】イザベラ・バイウォーター
【照 明】磯野 睦
【再演演出】三浦安浩
【舞台監督】髙橋尚史
【登場人物】
元帥夫人(S): 陸軍元帥の妻、貴婦人
オックス男爵(Bs): 好色な田舎貴族
オクタヴィアン(Ms):伯爵家の若き貴公子
ゾフィー(S): オックス男爵の婚約者
ファーニナル(Br): 新興貴族、ゾフィーの父

他。

【配役】

元帥夫人:アンネッテ・ダッシュ

オックス男爵:妻屋秀和
オクタヴィアン:小林由佳
ファーニナル:与那城 敬
ゾフィー:安井陽子
マリアンネ:森谷真理
ヴァルツァッキ:内山信吾
アンニーナ:加納悦子
警部:大塚博章
元帥夫人の執事:升島唯博
ファーニナル家の執事:濱松孝行
公証人:晴 雅彦
料理屋の主人:青地英幸
テノール歌手:宮里直樹
帽子屋:佐藤路子
動物商:土崎 譲

その他。

【Profile】

<指揮者>サッシャ・ゲッツェル(Sascha GOETZEL)             

ウィーン生まれ。ヴァイオリニスト。指揮をリチャード・エスターライヒャーとヨル

マ・パヌラに師事。小澤征爾、リッカルド・ムーティ、アンドレ・プレヴィン、ズー

ビン・メータ、ベルナルト・ハイティングらの薫陶を受ける。2022年9月よりフラン

ス国立ロワール管弦楽団音楽監督に就任予定。22年1月からカナダ・ナショナル・ユ

ース管弦楽団の音楽監督。現在、ソフィア・フィルハーモニー管弦楽団首席客演指揮

者。これまでボルサン・イスタンブール・フィルハモニー管弦楽団、神奈川フィル、

ブルターニュ交響楽団で、指揮者、芸術監督などを務める。オペラでは、ウィーン国

立歌劇場で『フィガロの結婚』デビュー、『こうもり』『ドン・ジョヴァンニ』『魔

笛』『ラ・ボエーム』『ばらの騎士』など6演目を指揮。また、マリインスキー劇場

およびチューリヒ歌劇場でモーツァルトの数々のオペラも指揮。イスラエル・フィル

、バーミンガム市交響楽団、ハノーファー北ドイツ放送フィル、フランス国立管弦楽

団、ベルリン交響楽団などに客演。国内では、NHK交響楽団、紀尾井ホール室内管

弦楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、読売日本交響楽団などを指揮しているる。

新国立劇場初登場。

 

【元帥夫人】アンネッテ・ダッシュ(Annette DASCH)

<Profile>

ミラノ・スカラ座、ベルリン州立歌劇場、バイエルン州立歌劇場で『ドン・ジョヴァンニ』のドンナ・エルヴィーラ役、英国ロイヤルオペラ、テアトロ・レアル、シャンゼリゼ劇場、メトロポリタン歌劇場で『フィガロの結婚』伯爵夫人役、ザルツブルク音楽祭で『アルミーダ』タイトルロール、パリ・オペラ座『ホフマン物語』アントニア、フランクフルト歌劇場、バイエルン州立歌劇場『タンホイザー』エリザベート、バイロイト音楽祭、スカラ座、バイエルン州立歌劇場、リセウ大劇場、フランクフルト歌劇場で『ローエングリン』エルザ役、メトロポリタン歌劇場『ニュルンベルクのマイスタージンガー』でエーファ役、オランダ国立オペラ『イェヌーファ』タイトルロール、ベルリン・ドイツ・オペラ、ウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場で『こうもり』ロザリンデ役のキャリアがある。2019年バイロイト音楽祭『ローエングリン』で大成功を収め、19/20シーズンはパリ・オペラ座『リア』レツィア、バイエルン州立歌劇場『こうもり』ロザリンデなどに、20年9月にはチューリヒ歌劇場『チャールダーシュの女王』。新国立劇場へは、03年『ホフマン物語』のアントニア役及び08年のニューイヤー・オペラパレス・ガラに出演して以来、待望の登場。

〈時と場所〉 
18世紀中頃、マリア・テレジア治下のウィーン

【粗筋】

《第1幕》
時は18世紀中頃、舞台はウィーンの陸軍元帥の館。元帥夫人は夫の留守中、寝室にまだ若く、そして美しき貴公子オクタヴィアンを招き入れ、一夜を過ごしていました。早朝、そこへ突然オックス男爵が訪ねてきます。元帥夫人のいとこである男爵は、好色で知れた田舎貴族。女装をして小間使いに変装したオクタヴィアンをも口説こうとします。そんなオックス男爵が元帥夫人を訪ねてきたのは、彼が裕福な新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーと婚約したので、彼女に「銀のばら」を贈る「ばらの騎士」を紹介してほしいと頼みにきたからでした。元帥夫人はばらの騎士としてオクタヴィアンを推薦します。オックス男爵は納得して帰っていきました。
元帥夫人は若かった昔のことを思い出しながら、時の移ろいに憂いを感じていました。そして、オクタヴィアンに、いずれ私より若く、美しい人のために私のもとをから立ち去るでしょうと話します。オクタヴィアンはそれを否定しましたが、すっかり拗(す)ねてしまって館をあとにしました。
 
《第2幕》
正装したオクタヴィアンは裕福な新興貴族ファーニナルの館を訪れ、娘のゾフィーに銀のばらを贈ります。このときオクタヴィアンとゾフィーはお互いに一目惚れしていました。
続いてオックス男爵の登場です。彼は婚約者のゾフィーに下品な物言いをし続けたので、ゾフィーはすっかりこの結婚が嫌になってしまいました。そして彼女はオクタヴィアンに助けを求めます。オックス男爵の下品な態度に怒ったオクタヴィアンは成り行きでとうとう剣を抜き、彼と決闘となりました。もともと弱虫の男爵は、ちょっと怪我をしただけで大げさに騒ぎます。ゾフィーの父ファーニナルはこんな事態になったことに怒り、娘を叱りつけました。
騒ぎが一時おさまったとき、オックス男爵に一通の手紙が届きます。それは元帥夫人の小間使いからのお誘い。実はオクタヴィアンの仕組んだものでしたが、男爵は喜んで会いに行きました。
 
《第3幕》
郊外にある居酒屋の一室に、オックス男爵と小間使いに扮して女装をしたオクタヴィアンがいます。オクタヴィアンは散々、男爵をからかった後にその醜態をゾフィーの父ファーニナルに見せたので、ファーニナルも愛想を尽かしました。
そこへ元帥夫人がやってきます。元帥夫人は男爵にこれ以上の醜態をさらすことなく立ち去るように言い、オックス男爵は引き下がりました。
そこに残ったのは、元帥夫人とオクタヴィアン、ゾフィーの3人。2人の女性の間でオクタヴィアンは戸惑います。そのとき、元帥夫人は身を引くことを決心し、静かに立ち去ったのでした。その後二人になったオクタヴィアンとゾフィーは、抱き合いながら愛を誓い合ったのでした。

 

【上演の模様】

 このオペラは、R.シュトラウス(1864~1949)が40代中頃の作品で、長大な作品規模と大掛かりな管弦楽ゆえにしばしば楽劇と呼ばれます。このオペラの筋立ては貴族達の恋愛がテーマのコメディ作品でありながら、全3幕からなる非常に大規模なオペラであるからです。第1幕・第2幕はウィーンの貴族の屋敷内に、第3幕は居酒屋・宿屋に設定されています。作品の主要な人物4名のうち3名が第1幕で登場し、残る1名が第2幕で登場、第3幕では最後に全員が揃い、物語の完結を迎えるのです。バレエは当初挿入される予定であったが外され、合唱も大きな役割は持たない作品。タイトルの「ばらの騎士」とは、ウィーンの貴族が婚約の申込みの儀式に際して立てる使者のことで、婚約の印として銀のばらの花を届けることから、このように呼ばれるのです。物語当時の貴族の間で行われている慣習という設定ですが、実際には台本作家ホーフマンスタールの創作とも謂われます。

主要な4人に次ぐ役が3、4人いて(ただし比重は4人に比べて低い)、ソロ又は重唱で歌う役は名の無い役も含め28人を数えます。一幕に登場するテノール歌手はイタリアオペラのパロディを狙った端役ではありますが、曲自体はかなり美しいこともあって特別にスター歌手を特別出演させ呼び舞台に華を添える事もあります。今日は宮里さんがその役割を見事果たしました。ほとんどが重唱曲で、アリアはなく、テノールは情報屋ヴァルツァッキ以外には第一幕でかなり揶揄的な扱いで登場するのみなど特徴のあるオぺらです。又オクタヴィア役には、メゾソプラノがあてられていて、女性が男性役を演じている、所謂ズボン役が登場するオペラです。ズボン役は謂わば宝塚の男役の様なもの。このズボン役に関しては一昨々年の12月に 『Borderless Songs…性別を超える音楽達』という音楽会を聞いているので、参考まで文末に再掲しておきます。

第一幕開けは、元帥夫人のベッドルームで、愛人オクタヴィアンと一緒のシーンです。オクタヴィアンは少し興奮して夫人に話しかける歌を歌い、夫人はそれを軽くいなして歌います。ここではあまり多くは歌わない夫人役アンネッテ・ダッシュですが、その第一声を聴いただけで熟練の域に達したソプラノ歌手ということが明瞭でした。それに対しオクタヴィアン役の小林さんは、興奮して歌う場面だからなのか、声も、抑揚も少し上擦り気味で、素晴らしいメッゾとは思われなかった。

この第一幕では、オクタヴィアンとの情事に絡んだ歌のやり取りの他に、多くの来客が有り、その最たるものが、オックス男爵が婚約者に使わす「銀の薔薇」の使者を誰にするか相談して歌うのです(薔薇の使者は夫人の推薦で、オクタビアンに決まります)。

男爵役は急に降板となったジクムントソンの代役として、またまた妻屋さんが歌っていました。確かに安定感が有り上手なのですが、いつもの様に何か物足りなさを感じるバス振りでした。妻屋さん以外にドイツ語のこの役を演じることが出来るバス歌手は日本にいないのでしょうか?変更の知らせが2月10日付でしたから公演まで、ひと月近くあって、その間外人歌手に打診することを新国立劇場はしなかったのでしょうか?いつもいつも重要役柄を予定外国人歌手から日本人歌手に変更しています。小林さんだってそうでしょう。他のオペラ主催者と比べて何か安易なやり方だといつも思ってしまう。 それはそうと、劇中呼び込み歌手役の宮里さんが歌いましたが、これは素晴らしく日本人離れしたテノールの声を張り上げて歌い、会場から大きな拍手を誘っていました。そればかりでなく舞台の元帥夫人もオペラの演出でなく、心から拍手をしていた様に見えました。さらに経験を積み、研ぎ澄まされてくれば将来が楽しみな日本人テノール歌手です。

またこの第一幕では、元帥夫人のモノローグの歌が有名です。多くの来客が帰った後夫人がホット一息ついて歌う独り言の歌です。

 

❝(元帥夫人)[一人になり]

行ったわ、あの威張った、悪い奴。そしてそのかわいい若い子を捕まえて、つまらない金にありついて。[嘆息]まるでそれが当然かのように。そしてそれでもまだ、自分の方こそが彼女に何かを与えていると錯覚しているんだわ。だけどなぜ腹を立てるの?それが世の流れじゃない。覚えているわ、私も娘だった時を。修道院から出たてで、神聖な結婚生活に入るように命じられたのよ。[手鏡を取り上げる]彼女は今どこへ?ええ、[嘆息]過ぎた年の雪をお探し![穏やかに]そう命じるわ。でもこんなことが本当にありえるのかしら、私はあの小さなレジ(テレーズの愛称)だった、そして瞬時に私はまたおばあさんになってしまった…おばあさん、老元帥夫人!「見て、あそこに老侯爵夫人レジが行くよ!」[穏やかに]なぜこんなことが起きうるの?愛しい神はなぜこんなふうになさるの?私はでもずっと同じだったのに。それにもし神が物事をそうなさらなければならないのなら、なぜそれをその場で私に見させるの、こんなにはっきりとした感覚で?なぜ私から隠してくださらないの?

[常により静かに]すべて秘密だわ、あまりに多くの秘密。そして人はこの下にいて[嘆息]耐えるのだわ。そして「どのように」に[きわめて穏やかに]すべての違いがあるのよ。❞

独りになった元帥夫人の独白です。夫人は、修道院を出てきたばかりの若い自分はどこへいったのかと問い、また避けられない老いの予感に心を痛めるのです。時の移ろいは誰にも避けられないものであることを悟り、いつかはオクタヴィアンが去ることを予感しているのでしょう。元帥夫人役のアンネッテ・ダッシュは堂々としかも切々と歌いました。さすがこの役を多く演じた経験と本場の雰囲気を体に滲み込ませている歌手の為せる歌い振りだと思いました。歌い終わる間もなくオクタヴィアンが登場するので、拍手する間も有りませんでしたが。 ここは演ずる歌手の重要な聴かせ処のひとつで、リサイタルで独立して演奏されることもあります。その後の夫人とオクタヴィアンの二重唱的やり取りの歌でもダッシュが優勢で小林さんの声は弱い時が多い(強く高い音も出ていましたが、安定感、音楽性の高さではまだまだの感有り)。

次の第二幕では、オクタヴィアンがゾフィーに婚約の印であるペルシャ産の香油をたらした銀の薔薇の造花を渡す場面の歌のやり取りです。ハープやチェレスタに彩られて弱音器つきの弦楽器と木管が奏でる優美で、繊細な色彩感をもった管弦楽に乗って婚約申込みの口上が述べられるのでした。そのあとには打ち解けた二人の二重唱が続きますが、結婚の喜びを歌い上げるゾフィーと、彼女に惹かれて恋心を抱き始めたオクタヴィアンがそれぞれ歌う歌には微妙なずれがある二重唱です。(銀のばらの贈呈と二重唱)ここでは、ゾフィー役の安井さんが歌いました。安井さんは熟達した中堅のソプラノ歌手で、夜の女王をよく歌うくらいなので力強い声を有していますが、ゾフィーは許婚娘のおしとやかな役柄だけあって、余裕の発声で歌っていました。小林さんは一幕からだんだんと喉が滑らかになって来たのか、随分と安定性が増して来たように思えました。

第二幕後半で、オクタヴィアンに腕を切られたオックス男爵が、ゾフイーの父親ファーニナルの薦める酒を飲んで、機嫌を直して歌う場面があります(オックス男爵のワルツ)。通称『ばらの騎士のワルツ』で知られる処ですが、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『ディナミーデン』をもとにした旋律です。R.シュトラウスはこの『ばらの騎士のワルツ』は、ウィーンの陽気な天才(ヨハン・シュトラウス)を思い浮かべて作曲した様です。

 次の第三幕冒頭では、マリアンデル(オクタヴィアンの偽名)名義で居酒屋兼宿屋にオックス男爵をおびき出し、一杯食わせようというオクタヴィアンの作戦を実行するため、居酒屋で準備を行う場面で演奏されます。歌唱・台詞無しのパントマイムで進行する軽快・快活な曲想です。

でも三楽章の歌のハイライトは、やはり、夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三人で歌う三重唱の場面でしょう。『ばらの騎士の三重唱』として知られる名場面です。それぞれが自分の想いを独白で歌う三重唱で、オクタヴィアンは一目惚れしたゾフィーに気持ちが向き、でも先日まで愛し合っていた元帥夫人にも未練があって、ジレンマに陥って歌っているし、ゾフィーはゾフィーで、オックスに裏切られ、自分を救ってくれると信じたオクタヴィアンが格上の元帥夫人と愛人関係にあることを見抜き、傷ついています。オクタヴィアンをつなぎとめることも出来たはずの元帥夫人は夫人で、いつまでもオクタヴィアンを手元に留めておくのは不可能であることを痛感し、潔く若い二人を結び付かせて祝福し、自分は身を引く決意をした気持ちで歌っているのです。この場面はゾフィー役ではなく、元帥夫人役の歌手にとっての聴かせどころの一つと見なされています。R.シュトラウスにとって非常に愛着のある曲であり、遺言により彼の葬儀でも演奏されました。

 その他、管弦楽が歌に合わせて演奏する間に挟まれて演奏されるワルツが頻繁に出て来ます。特に第三幕では、あちこちそれまで良く知られている旋律のウィンナーワルツが挿入され、このオペラの物語は将にウィーンの物語なんですよ、としつこい程念を押していてしかもそれがR.シュトラウスの旋律に違和感なく溶け込んでいて、浮き浮きた明るい雰囲気を十二分に演出していました。妻屋さんは酔った勢いで衣服を脱ぎ棄て(ウィックまで投げ捨て)管弦の調べに乗って歌ったり、ワルツを踊ったり、器用な歌手なのですね。勿論独逸語は流暢なのでしょうから、得難い人材なのでしょう、きっと。

 二幕に戻りますが、ここでの一大見どころは、男爵は元帥夫人の奥女中マリアンデルだと思い込み、オクタヴィアンに言い寄って思いを遂げようとする場面でした。しかし実はオクタヴィアンの計略によって、男爵をやりこめるための様々な計略がそこには待っていたのでした。「マリアンデル」を口説こうとする男爵の前に、結婚相手を名乗る女性や「パパ、パパ!」と言いたてる4人の子ども達まで出現し、料亭の亭主は「重婚」だと騒ぎだすありさま。そこに風俗の乱れを取り締まる警察まで現れたため、オックス男爵は、同席している「マリアンデル」は自分の婚約者のゾフィーだと偽って切り抜けようとします。しかし、そこにファーニナルやゾフィーまで現れて、集まった野次馬たちは男爵とファーニナル家の「醜聞スキャンダル」と騒ぎ立てるのでした。この混乱の場に元帥夫人が現れ(それはオクタヴィアンの想定外)、警察に対しては「これはみんな茶番劇でそれだけのこと」と言って事態を収拾し、オックス男爵をたしなめて立ち去らせます。元帥夫人とオクタヴィアンの様子を見ていたゾフィーは二人の関係を悟り、自分はオクタヴィアンにとって「虚しい空気」のような存在でしかなかったのだとショックを受けるのです。元帥夫人はオクタヴィアンをゾフィーへと向かわせるとともに、ゾフィーも気遣う。元帥夫人は静かに身を引くのですが、考えようによっては男爵は脇が甘いお人良しで、ただ女好き、好色漢、色おやじだけなのかも知れない。それはその時代のウイーンの風潮を象徴しているかのようです。時代設定に関して、建前上は18世紀中頃、マリア・テレジア治下のウィーンということになっていますが、事実上は、このオペラが作られた少し前の19 世紀末のいわゆる「ウィーン世紀末」の社会風潮を色濃く反映されている内容になっています。オックス男爵に代表される堕落した貴族の風俗、元帥夫人からして、若い燕を囲って自堕落な生活に生甲斐を見い出している。元帥は登場しませんが、夫人は或いは元帥の女性関係に反発してオクタビアンに走ったのかも知れない。オックス男爵が酒場で飲んでいると以前関係した女が多くの落とし子たちを連れて現われたり、兎に角風紀の乱れが目に余ります。風紀を取り締まる「風紀警察」なるものまで登場します。でもそれらが悲劇を呼ぶのでなく、最終的に良識、理性に回帰し、誰が見ても笑って済まされる喜劇と化して物語が流れていて、頻繁に流れるワルツの調べと共に大いに楽しめる物語になっているのが、百年以上経っても人気が衰えないオペラである所以ではないでしょうか。