HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『重陽(ちょうよう)の節句(新暦)』

 今日9月9日は『重陽の節句』、9という数字は陽の最いたる数字であり、それが重なる日なので重陽の日という考えです。陽に対してのアンチテーゼは陰、この陰陽(おんよう)説は、古代中国の春秋戦国時代からある考え方で、周の『易』に由来するといいます。

 節句は季節の節目として区切りをつける日、桃の節句(3月3日)、端午の節句(5月5日)、七夕(7月7日)、菊の節句(9月9日)などがありますね。

 これらの季節の区切りも、旧暦の方が季節にピッタリ符合するので、旧暦の「重陽の節句」の日(新暦の10月25日)で考えないといけません。その日は秋空の続く将に盛秋の時期、『菊の節句』とも言われる所以です。そもそも陽は陰よりも縁起がいいと考えられ、菊の節句には昔は、お酒に菊の花ビラを落として飲む風習もありました。中国の清時代の『聊斎志異』という短編小説集には、この菊に纏わる『菊の姉妹』という物語がおさめられています(『聊斎志異』上巻185p~190p平凡社版)。

 簡単に言うと、菊が大好きな北京に住む夫婦が、菊の精の姉弟に遭遇し、花屋の生活を共にするが、大量に飲酒した弟は酔ってしおれた菊となって正体を曝け出し、最後には死んでしまうという粗筋です。でも花屋は菊の花を売って大繁盛し、富貴を極めたというのですから、縁起がいい訳ですね。もっとも菊の花は他の花と比べて、本当に長く咲き誇る不思議な生命力を有しており、菊のご紋が千代に八千代に栄えんことを表象しているのは成程と得心が得ます。

 こうした中国の故事・風習は、古代日本にも伝え継がれ、例えば、紫式部は重陽の節句に次の様な歌を歌っています。

 

菊の露 若ゆばかりに袖触れて 花のあるじに 千代は譲らむ

 

 これは重陽の節句の日前後に、あるじ(道長の妻)から「菊の着せ綿」(当時の謂わばコスメ商品、真綿に菊の香りや露、エッセンスをしみ込ませたもので、アンチエイジング効果があると思われていた)を賜ったのですが、自分は若いので袖に付ける程度にして、奥様に返して永遠の若さを保っていただこうかな。といった意味です。

今で言えば、フェイスマスクやコットンでお肌の手入れをする様なものですね。

 毎年11月には日比谷公園で、菊花展示会が大々的に行われていた筈ですが、今年はどうなるのでしょうか?盆栽作りなどいろいろな菊が綺麗で見事に咲いているのが見れたのですが。