HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

オペラ『愛の妙薬』観劇は見送りです

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   今日2月7日は旧正月松の内最終日(1月7日)で七草粥の日です。我々は新正月を祝ったのでひと月前に食したものですが、季節的には、丁度今頃がピッタリの行事です。雪がある年はその中から少し伸び始めている若菜を(旧暦の)1月6日に摘んで7日に粥とした風習は平安時代にも行われていたことが各種古書(例えば枕草紙)にも記載が有ります。もとはと言えばこれもまた大陸中国から伝来した風習で、古代中国、前漢(紀元前二世紀頃)時代には既に ❝「人日(じんじつ)」に「七種菜羹」を食す❞ 風習があった事が記載されています。「人日」とは1月7日のことで、3月3日の「上巳(じょうし)」、5月5日の「端午(たんご)」、7月7日の「七夕(たなばた)」、9月9日の「重陽(ちょうよう)」と並び『五節供』と謂われるものなのです。現在の日本では、人日を除いた4節供(後に節句と表記)が「桃の節句」「菖蒲の節句」「七夕」「菊の節句」として祝われる風習です。人日も辛うじて「七草粥」の風習で名残を留めているのです。

 今日は関東地方は天気も良くて風も少なく絶好のお出かけ日和でした。本来ならば、新国立劇場でオペラ「愛の妙薬」の初日公演のチケットをだいぶ以前から持っていたので行きたかったのですが、体調が少し思わしくなく(軽い頭痛があり発熱なし)またここの処のオミクロン感染の猛威を見ると東京に足を踏み入れる勇気は無くなり、オペラ観劇は見送ることにしました(NNTTにTELしたら払い戻しOKとのことでした)。一日中自宅静養を決めつけ、オリンピックのテレビ観戦三昧の日でした。

 正月明けくらいまでは、二か月間もコロナ感染の状況が静まり返っていたので、もうそろそろ終わりに近いかなとさえ思えたのでした。しかし甘かった。敵もさるもの、手を変え品を変え第六回目の攻撃を仕掛けてきたのです。その攻撃の激しさは今までにない程強力なもので、あれよあれよ思う間に日本国中が蹂躙されてしまった。これまでの経験を防衛能力向上に繋げられなかった責任は我々国民皆にあるでしょう。だいぶ以前から「第六波に備えよ」と掛け声だけは大きかった。でも水際防疫体制も、医療体制(就中検査体制)も、ワクチン接種体制も、皆後手後手に回り何一つ備えが整っていなかったのです。第五波が急速に抑え込まれた原因は、明確な科学的解析はされていませんが、多くの識者が` ❛ワクチン接種の効果❜ が大きいと言っています。毀誉褒貶は色々ありましたが、前内閣の管総理、河野大臣のワクチン接種に関する功績は大きいと思うのですが、如何がでしょうか?

 こうしたコロナ禍の下、音楽関係も出演取りやめ、代役設定、公演延期、中止と大きな影響を受けています。毎年恒例の音楽祭では「ラ・フォル・ジュルネ」はまたまた中止、「東京春音楽祭」は行われる様で、既にかなりのチケットを買っていますが、来月からですから、それまでにはコロナの勢いが弱まってくれることを祈るばかりです。

また6月からは、サントリーの「チェンバー・ミュージック・ガーデン」が始まり、既にチケットが販売されたのです。そのころのコロナ情勢がどうなるかは神のみぞ知るですので、聴きたいものはチケットを購入せざるを得ませんでした。

 今は出来るだけ、多くの人が集まる大規模ホールは避けて、小さな室内楽やリサイタルを優先して聞きに行く他ないかな等と、つれずれなるままに考える毎日です。

 これだけ保菌者が蔓延すると、感染確率は接触する(近くにいる)人数と接触時間を掛け合わせた積に比例するでしょう。後は運任せですね(少ない人数でもすぐ近くに大量保菌者がいて菌を吸い込む可能性もありますから)。それから免疫力というか持久力、体力維持、向上も重要です。ラジオ体操は朝欠かさず、ウオーキングは土日祝で天気の良い日で可能な時は出来る限り(本当は毎日夜でも出来るといいのですが無理なので)。昨今はニンニクを焼いて食べたり、セサミンを飲んだり、食べ物は出来るだけ高蛋白、低脂肪、糖質は可能な限り多種(白米、雑穀米、パン、多種雑穀パン、蕎麦、饂飩、拉麺Eetc.)代わり替わりに少量接種、果物も多種類を取り過ぎない様に食べ、野菜サラダは食事の前に必ず。といった風に気を付けています。

 今日の朝BS3チャンでチェコの歌手「マルタ・クビショバ」を主人公とした『世紀を刻んだ歌 ヘイ ジュード 革命のシンボルになった名曲』という番組を放送していました。我々人間が冬の場、苦難の場に置かれた時、それを救うのは「希望」という名の心の歌でしょう。そう痛感する今日この頃です。