HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

今日(8/4木)は旧暦七夕の日です。

  七夕伝説は中国伝来のもので、奈良時代には日本でも知識人には既に広く知られていました。万葉集では柿本人麻呂が、「七夕歌集」とも言える程の多くの関連歌を詠んでいます。

 ❝天の川水陰草の秋風に輝かふ見れば時は来にけり❞  (二O一三)

 ❝吾が待ちし秋萩咲きぬ今だにもにほひて行かな遠方人に❞(二O一四)

何れも、「水陰草」や「秋萩」の咲くのを見て、遠方の思い人(織女多くは妻)に会いに行かねば、という彦星の想いです。当時は防人(さきもり)などの公用で遠方単身赴任が多かったのです。もう七夕になると、秋の気配を感じるようになるのですね。それもその筈、暦の上では三日後(8/7,旧暦7/10)は立秋ですから。

 平安時代にはさらに広く知られた伝説となり、原典中国の風習と異なった行事も行われました。

「枕草子」第十段(hukkats注1)には、七夕を五節句(hukkats注2)の一つとして捉え、次の記述があります。

『正月一日・三月三日はいとうららかなる。五月五日は曇りくらしたる。七月七日は、曇りくらして、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。九月九日は暁がたより雨少し降りて、菊の露もこちたく覆ひたる綿などもいたく濡れ、移しの香ももてはやされて。つとめてはやみにたれど、なほ曇りて,ややもせば降りたちぬべく見えたるもをかし』

 要するに七夕の日は朝から曇っていても、夕方から晴れて星が見えるのがいいと言っているのです。今夜はどうでしょうか?関東地方は朝から晴れ予想ですが、所により雨との事、牽牛(白色一等星アルタイル)と織女(わし座一等星ベガ)の逢瀬は見えないかも?(今書いてる最中に夜空を見たら、曇りがちの晴れの模様。最も都会では一等星でも見えないか、見えても見分けるのは難しいですけれど。)

 1月は清少納言は1月1日と書いていますが、現在では1月7日を「人日(じんじつ)」と呼び、第1回目の節句の日としています。清少納言の時代には1月1日だったのでしょうか?最も節句としては3/3(桃の節句),5/5(端午の節句),7/7,(七夕)9/9(重陽(or菊)の節句)のみが有名で日常生活で祝われています。

 こうした事より「立秋」の翌日8/8(新暦)は、ぞろ目でも陰の日が重なるので余り良い日とはされていません(あくまでも非科学的な迷信に近いものですが)。特に今年の8月8日は年に数回しかない凶日とされます。これは枕草子第261段に『ことに人にしられぬもの、凶會日、人の女親の老いにたる』との記載のある様に「凶會日(くえにち)」 に相当する日だからです。暦法の詳しい人によれば、歴書「下段」に吉凶の要諦が毎日決められていて、8/8は「大くゎ」との記載があります。 これは「大禍(おおくゎ)」即ち「凶會日」に相当するというのです。8/8は暦によれば別段に大安と書いてありますが、「大くゎ」は大安等飛んでしまう程の根本的な最大の凶の日という事です。

 従って大安だからと言っても「下段」を知っている人は結婚式等挙げないでしょう。

 でも清少納言が書いている様に、平安時代でも、「ことにひとにしられぬもの」になってしまっている、即ち忘れ去られているというのです。現代ではまったく忘れられていて、誰も気にしない運気ですので、余り気にしない方が賢明かもしれません。因みに今年の「大くゎ」の日は、3/18,7/8,8/8,9/20,10/21,11/21,12/3です。これ等の日に核戦争勃発等にならない様、空を見上げて祈るのみです。

 

第十段(hukkats注1)

「枕草紙」には複数の底本が有り、ここでの第十段とは、柳原紀光自筆本を底本とした「岩波文庫(池田亀鑑校訂)」に依る。底本により段数に若干のずれが生じる。

第七段とする本も多い。

 

五節句(hukkats注2)

 これも中国伝来の陰陽説で、運気の高い奇数(陽の数)のぞろ目の日を五節句と設定。