HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

今日は本来の『七夕の日』です

 今日は旧暦7月7日、七夕の日です。今年は日本各地の七夕祭りもコロナ禍でほとんど中止となりましたが、例年ですと新暦(現在我々が使っているグレゴリオ暦)の7月7日近辺に行う地方(八戸、前橋、深谷、平塚他)、8月の7日の近辺で月遅れで七夕祭りを行う地域(盛岡、仙台、入間川、阿佐ヶ谷、安城、山口他)もありました。8月の月遅れのお盆に合わせて、七夕祭りをする地域(越後村上)もありますが、さすがに8月下旬の旧暦の今日の七夕祭りを行う地域は、寡聞にして知りません。

 確かに旧暦の7月7日であれば晴天が続き、雨雲のせいで彦星と織姫の逢瀬が、遮られる心配は全然ないでしょう。

 先の7月7日に書いた記事(2020.7.7.付hukkats記事「七夕の日」)で引用した“秋風の吹きにし日より久方の天の河原にたたぬ日はなし”という歌は、今の時期なら実感が湧きますね。

f:id:hukkats:20200825230253j:plain

アルタイル、天の川、ベガ

 出来れば1等星アルタイルや天の川、1等星ベガを肉眼で見てみたいですが、都会の空ではかなり難しいでしょう。

 もともと七夕の原産国は中国、その風習が日本化して既に平安時代の宮中では祭りが行われていた模様です。清少納言『枕草子161段(岩波文庫)』の後段には次のような記載があります。

 『秋になりたれど、かたへだに涼しからぬ風の、所がらなめり、さすがに虫の声など聞こえたり。八日ぞ帰らせ給ひければ、七夕祭、ここにては例よりも近う見 ゆるは、程のせばければなめり。

 宰相の中将斉信(ただのぶ)・宣方(のぶかた)の中将、道方の少納言など参り給へるに、人々出でてものなどいふに、ついでもなく、「明日はいかなること をか」といふに、いささか思ひまはしとどこほりもなく、「『人間の四月』をこそは」といらへ給へるがいみじうをかしきこそ。過ぎに たることなれども、心得ていふは誰もをかしき中に、女などこそさやうの物忘れはせね、男はさしもあらず、よみたる歌などをだになまおぼえなるものを、まこ とにをかし。内なる人も外(と)なるも、心得ずと思ひたるぞことわりなる。

  この四月のついたちごろ、細殿の四の口に殿上人あまた立てり。やうやうすべり失せなどして、ただ頭の中将、源中将、六位一人のこりて、よろづのこと言 ひ、経読み、歌うたひなどするに、「明けはてぬなり。帰りなむ」とて、「露は別れの涙なるべし」といふことを頭の中将のうち出だし給へれば、源中将ももろ ともにいとをかしく誦じたるに、「急ぎける七夕かな」といふを、いみじうねたがりて、「ただあかつきの別れ一筋を、ふとおぼえつるままに言ひて、わびしう もあるかな。すべて、このわたりにて、かかること思ひまはさずいふは、いと口惜しきぞかし」など、返す返す笑ひて、「人にな語り給ひそ。かならず笑はれな む」といひて、あまり明かうなりしかば、「葛城の神、今ぞずちなき」とて、逃げおはしにしを、七夕のをりにこの事を言ひ出でばやと思ひしかど、宰相にな り給ひにしかば、かならずしもいかでかは、そのほどに見つけなどもせむ、文かきて、主殿司してもやらむなど思ひしを、七日に参り給へりし かば、いとうれしくて、その夜のことなど言ひ出でば、心もぞ得給ふ。ただすずろにふと言ひたらば、あやしなどやうちかたぶき給ふ。さらば、それにをありし ことをば言はむとてあるに、つゆおぼめかでいらへ給へりしかば、まことにいみじうをかしかりき。』

 かいつまんで概略説明しますと、時期は中宮定子の父藤原道隆が亡くなった頃、“七夕の時期になりもう秋なのだけれど、虫の音が聞こえても風はまだ涼しくならない。”

 そうなんです、今日の七夕の7月7日はもう秋なのです。旧暦6月18日(新暦8月7日)は「立秋」でした。おととい旧暦7月5日(新暦8月23日)は「処暑」、もう夏の終わり、暑さをしまい込む時期を意味します。そう言えばこのところ日中の暑さは相変わずですが、朝晩の空気にはめっきり涼しさを感じる様になりました。今日から数えて7日目は「二百十日」で、台風の季節の到来ですね。日中の暑さも間もなく弱まっていくでしょう。

 さて枕草子に戻りますと、この七夕の時期に“頭の中将、(藤原)忠信が参上したので、明日の七夕の日にはどんな歌を詠まれますか?と訊いたらよどみなくすぐに漢詩の「人間の四月(白氏文集)」を読むと答えたのには流石だと感嘆しました”というのです。

 これには以前4月に頭中将が参上した折、朝方帰る時に「露は別れの涙なるべし」と詠んだ歌が、菅原道真の七夕の詩(和漢朗詠集)の一節だったので、清少納言が“随分急いだ七夕ですね(それは七夕の歌ですよ、まだ早いですよ。)”と言ったら、悔しがって他の人には言わないでと口止めされたことを思い出して、清少納言が蒸し返して訊いたのでした。忠信は清少納言の鋭さと教養の高さに感心し、また清少納言も、以前のことを覚えていた記憶の良さと、忠信がすかさず道真の詠った詩の原典、白楽天の詩集を挙げたことにいたく感激したというのでした。

 このエピソードは如何に当時の我が国の支配階級(天皇周辺、貴族階級)が、教養、特に和歌、漢籍の教養が高く、またそれを推奨・重視ししたかを物語っています。

 もっとも中国、朝鮮でも同様な傾向があったのでしょう。科挙の試験に代表される様に。そうした人たちが国を運営、動かしていたのです。現代の日本とは全く違いますネ。

 秋は初秋、仲秋、晩秋に分けることもあります。

駅から自宅までの路傍には、最近おしろい花が目立つようになりました。近づくといい香りがします。

f:id:hukkats:20200825233413j:plain

 

 『白マスク通して薫る赤い花』

 

おしろい花は仲秋の花。あと一週間も経つと『中秋の名月』ですね。