今日は、中止になったチケットの払い戻しのため、コンビニに行きました。それが、随分と遠い処なのです。というのも、チケットは大体はWEBで購入し、コンビニ発券を選んでいるので、近くのコンビニで発券することが多いのですが、今回のチケットは、あるコンサートを遠くに聴きに行った時に、その会場近くのコンビニで発券したため、同じコンビニに行く必要があるのです(郵送方式は、結構手続きがやっかい)。発券した処でなくとも、同じ系列のコンビニだったらどこでも払い戻し出来そうですが、そうはしてくれない。チケット会社の都合の良い様に、かってに払い戻しルールを決めている。まったく顧客のためなど、これポッチも考えていないのではと邪推してしまいます。松下幸之助さんの、爪の垢でも飲んで欲しいくらい。しかもチケットを売り始める時期は年々早くなっていて、最近では公演の半年前に売ることも、珍らしくなくなっています。半年という長い間には、何が起こるか分からない。今回は、コロナ禍ですが、天変地異、大事故、人災などなど、日本の、これまでの歴史をみれば何でもありです。 海外演奏家を招聘して来日公演を企画する場合は、ある程度早い段階から、アポを取る必要があるでしょうし、チケットは高額になるだろうから、早めに販売を始めるのは、分からないでもない。でも最近は国内の演奏家で、それ程人気が高くない(失礼!)と思われるケースであっても、随分早くから販売開始しています。これって販売会社の都合で早めているのでしょう?資金繰りが大変なのかな?まさか自転車操業している訳ではないだろうけれど等といろいろ考えてしまう。気になるのは、万が一チケット会社が倒産したら、前払い金は戻ってこなくなり、チケット消費者は馬鹿をみるということです。語学の「NOVA」、成人式の和服の「晴れの日」などなど、そんな例は、枚挙にいとまがないのです。
愚痴はこのくらいにして、今日は、チケット払い戻しの後、ついでに近くにある六義園に寄って園内を見て来たので、その話題に移ります。
ご存知かとは思いますが、六義園は、江戸時代から続く古い庭園です。H.P.によれば、造園当時から小石川後楽園とともに江戸の二大庭園に数えられていました。元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として与えられた駒込の地に、柳澤吉保(有名な幕府のお側用人、後大老格に出世)自ら設計、指揮し、平坦な武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げました。六義園は吉保の文学的造詣の深さを反映した繊細で温和な日本庭園です。庭園の名称は、中国の古い漢詩集である「毛詩」の「詩の六義」、すなわち風・賦・比・興・雅・頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」に由来します。庭園は小高い築山と広い池に中の島を有しています。
明治時代に入り、岩崎弥太郎(三菱創設者)の所有となり、昭和13年に東京市に寄付されて一般公開されることになりました。昭和28年3月31日に国の特別名勝に指定。公園としての開園年月日は、昭和13年10月16日で開園面積87,809.41㎡といいますから、約二万六千坪、東京ドームの二倍以上あります。
園内には様々な大木、花木がありますが、何と言っても『しだれ桜』が有名です。六義園には過去に何回か来ていますが、いつも春に枝垂れ桜を見に行くのです。でも今年は記録的暖冬とは言え、三月に入ってからの戻り寒の様な寒い日もあり,東京の開花宣言は今日にずれ込んだようです。今日は本当に寒い日でしたね。従って、枝垂れ桜も部分的に開花はしていましたが、まだ二分咲きくらいかな?
H.P.の満開の写真と比べると、本格的に咲くのはまだまだといった感じがします。明日から暖かくなれば今週末にはかなり満開に近づくかも知れませんが。
その他の木花はまだ咲いていませんでした。辛夷の大木が少しだけ花を着けていた以外は。
やはり今見ごろなのはその園内の庭園でしょう。上に書いた様なポリシーで、お金にいとめをつけず造成されたのが良く分かります。素晴らしい木々、植え込み、築山、池、流れる瀧、水辺に架けられた種々の橋、どれをとっても天下一品ですね。
園内を一回りしたころには、雨は完全に霙となり、混じる雪もサイズが大きくなってきました。土産屋さんは閉店しないでやっていました。
今の時期、あちこちで閉館、閉鎖、臨時休業する施設が多く、花見自粛要請まで出る中、六義園はやっているということが分かり、しかも今日は天気予報からこうなるとは知っていました。だからこそ寒いのを我慢して見に来たのです。人出も少ないだろうし、電車も混まないだろうしと思って。予想通りでした。
六義園を見た後、都内である美術館により絵画鑑賞もしたので、それはこの後、整理して書きます。