ミシェル・フーコー(1926~1984)は、フランスの哲学者・言語学者でポスト構造主義者に分類される。その思想は簡単に一言では言え表せないですが、「20世紀では新たな権力、新たな管理システムが発展しつつあり、これに個人の倫理を発展させて対抗する必要がある」と主張していたことは注目すべき点で、58歳でエイズで死んだフーコーが、30数年後の現代の一面を見通していたとも言えます。フーコーは新たな管理システム形態の一つとして「福祉国家」を念頭に置いていますが、むしろ最近では、急速なコンピューターの発展に伴う管理システム、ネット社会の出現、特に“GAFA”と呼ばれる巨大情報企業による、個人情報のみならず公共情報の独占と利用に対し、各国から懸念の声と対抗処置が相次いで発せられています。「新たな管理システム、大きな権力」の出現です。しかしフーコーのいう“個人の倫理を発展させて対抗する”レベルには至っていません。個人はネット社会で相当程度発言、自己主張出来る手段を持っているのだから、倫理観を民衆レベルで磨き上げ、力を集中して管理されることに対抗する必要が有るのではないでしょうか。
ところで表題の『言語表現の秩序』は、フーコーがその理論が社会的に認められ、1970年仏コレージュ・ド・フランス(パリ・カルチェ・ラタンにある世界最高レベルと目される学術研究機関)の教授に招聘され、その就任初講義録を纏めて刊行されたものです。そこでは、言説(discours:言語で表現する種々のアクション、例えば、話、講演、講義、言語著作etc.)の構造を解析的に分析し、三つの外因的原理により統御され境界線で区分される事、さらに内因的原理として①「注釈」②「希少化」③「語る主体の希少化」をあげた。③の説明で興味深いことに、フーコーは日本の事を逸話として紹介しています。引用すると“17世紀のはじめ、将軍は、ヨーロッパ人の(航海、交易、政治、軍事的技術についての)優越が、その数学知識に負っているということを聞き、かくも貴重な知(サヴォワール)を手に入れようと望むことになります。彼は、この世にも不思議な言説の秘密を握っている一人のイギリス人の船員を自分の居城に呼びよせ引き留めました。将軍は直々に進講を受け、数学を知り、事実力を保持し、長寿を全うしたのでした。日本人の数学者が出たのはその後、19世紀になってからの事です。・・・この船員、ウイリアム・アダムズが独学で、即ち一人の大工だった者が、船大工として一人前に働くために、幾何学を学んだのでした。この物語のうちにヨーロッパ文化の大いなる神話の一つの表現をみるべきではないでしょうか。東洋の専制の独占された、秘密の知に対して、ヨーロッパは、知識の普遍的な伝達や言説の無制限で自由な交換を対置していると言えましょう” また②の説明では、「作者」に関する興味深い部分があるので引用します。“(希少化の原理)は作者にかかわるものであります。作者といっても勿論或るテキストを述べたり書いたりした個人を意味するものではありません。言説の集合原理としての、それらの意味作用の統一体或いは起源としての、それらの一貫性の中心としての作者のことであります。・・・われわれのまわりには至るところに多くの言説があり、それらは人がそれらを帰する作者における意味や有効性とは関係なしに、流通するのであります”。
ネット社会で自分がブログに「hukkats」名でアップした後は、それが独り歩きし、自分の意図するところとは関係なく流通してしまうのかなと思うと、益々言語表現の重要性を感じるのです。フーコーの時代にネット社会はまだなく、若し現代に生きていたら何と言うでありましょう。
この本でフーコーが展開する理論に対しては訳者、中村雄二郎氏が詳細な論評をしているので省きますが、一つだけ、フーコーがこの初講義をした当時のフランス、特にパリの状況について述べますと、その前々年に1968年のいわゆる「五月危機」が起き、学生と労働者のゼネストによる反体制運動を、賃上げの要求に対する「グルネル協定」の締結、国民議会の解散総選挙で乗りきったドゴール大統領は、危機の鎮静化に成功した。
しかしその後も危機の影響は、各方面に大きな影響を及ぼし、大学では学生の自発的なアイデアのディスカッションを授業で行ったり、学生による自治権、教育制度の民主化などが制度化されたりしたのです。そうした流れの中での70年、フーコーの教授招聘はそこで学ぶ者だけでなく、パリ中の関心ある学徒の注目と期待の中で行われたのでした。講義の教室は満杯で隣接の教室にテレビモニターが置かれ、そこも続々集まる聴衆で教壇から外の道路までびっしり埋まったというのですから、その人気ぶりが窺えます。なおフーコーは日本にも来ており、また米国の言語学者チョムスキーとの対談も行っています。