HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『トリエステ・ヴェルディ歌劇場来日公演(東京)』

≪椿 姫≫

文化の日の振替休日(2019年11月5日月曜16:00~)に、東京文化会館で表題のオペラが催行されました。トリエステ歌劇場は、イタリア北東部にある人口約20万人の街にあるオペラハウスで、ここで椿姫が初演されたのです。行ったことがなく、以前、須賀敦子さんのエッセイ集「トリエステの坂道」を読んだ位の知識しかなかったのですが、当該都市の歴史を調べてみると、将に有為転変、紆余曲折を経てイタリアに属したことが分かりました。今度その歴史書を読んでみたくなりました。
 今回の来日公演は、関西を回って関東の複数の都市でも引っ越し公演を行っており、東京文化会館が最初の公演ではないのです。既に行われた愛知県芸術劇場での公演については、先週の水曜日の朝日新聞夕刊(2019.10/27付け)に評が載っていたので読みました。それには、①スター歌手がいなくとも、十分オペラは楽しめることが分かった ②間合いが良く歌手にオケが合わせてくれる ③パリの豪華なサロンを再現してオペラの定番の味を出している。④出演者はほとんどイタリア人なので言語を共有しているからアンサンブルが緊密、国際的キャスティングではありえないこと。等の趣旨のことが延べられています。
 恐らく公演場所が変わっても指揮者、オケメンバー(若干の入れ替えはあるかも知れない)、演出(舞台装置も含む)、独唱歌手はヴィオレッタ等主要歌手の他は基本的に変わらない筈ですので、東京公演ではどうかな、と思って注視して観て来ました。そしたら新聞に書いてあることが殆ど当てはまらないことが分かりました。ヴィオレッタ役は当初から4人キャストで行くことが分かっていたので、主役は場所によって違います。アルフレッドも多分ダブルキャスト。この違いは相当大きなものだったのではないでしょうか。東京の主役はマリナ・レベカさん。レベカさんは二度目の来日ですが、オペラファンの間でもRebeka who?といったところが正直なところではないですか?我が国では余り知名度がそれ程ではない、知る人ぞ知る歌手と言った感じ。むしろ欧州での知名度の方が高いでしょう。彼女の録音の歌を聴いていたのですが、ロッシーニのコロラテューラを駆使する歌も見事に歌えるし、グノーのファウスト、マルガリート役での歌もフランス語の発音も綺麗だし、今回の東京公演にはかなり期待していました(横須賀での他キャスト公演も見に行こうかなとも思ったのですが、用事があって東京だけにしました)。
 さて、純白のロングドレスで登場したマリナ・レベカのヴィオレッタですが、やはり期待通り最初から飛ばし、相当素晴らしい歌を披露してくれました(通常、最初の立ち上がり時のエンジンが、仲々かからない歌手が多いのですが。)。第一幕5場で宴会の後一人になったヴィオレッタが、アルフレッドの愛の告白を思い出して思い悩んで歌う、最初の見せ場である独唱「E strano!…」は、声量もあり高音域も十分発声され、続く投げやりの気持ちに戻って歌う「Follie!follie…」も高く透る声で息継ぎも上手に歌い、相当な高水準のソプラノであることを示した。ただ低い音域を歌う時声量を抑えるためか、言葉も音もややくぐもって若干不鮮明になる箇所がありました。もともと高音部は得意とし、低音部が相当歌えるようになってから、オペラでも躍進されたと聞きますけれど、さらなる精進を期待します。一般的にオペラ特に「椿姫」はヴィオレッタ役のスター歌手の活躍があるかどうかで、オペラの成否が決まると言っても過言でないと思います。スター歌手がいて初めてその醍醐味を味わうことが出来る。カラス然り、ティバルディ然り(録音でしか聴いていませんが)。かって来日公演したデセイ、ネトレプコ然り。マリナ・レベカもそれらのディーヴァに比肩するとまでは言いませんが、第一幕を聞いただけでも十分なスター歌手だと分かると思うのです。
 一方オケの方は、第一幕から歌手の歌に合わせることが出来ない場面が複数ありました。少しテンポが遅れたのです。むしろ歌手が率先してオケを引っ張った感じがする。
 また第一幕から演出にも注目して見ましたが、衣装はかなり豪華でした。“パリの豪華なサロンを再現”出来ているかも知れない。でも舞台装置はシャンデリアこそ大きいものの豪華とは言えないもので、また正面のセットは、写真又は絵画により上階に上がる階段を表現、昨年のローマ歌劇場椿姫公演の時の様な、螺旋階段を設置してそこからヴィオレッタが下りて来るといった豪華さは鳴りを潜め、むしろ質素な位でした。白いソファは幅狭で小さく、これは最終場面のヴィオレッタの死の床にも転用された。室内は殺風景ともいえる程でした。オルセー美術館に展示されている(いた?)「椿姫のサロン」のミニ模型の方が赤絨毯他豪華な室内造りですよ。
 次にアルフレッド役のラモン・ヴァルガスですが、余り声が出ない、不安定な個所が多すぎる等、レベカ椿姫には(容姿も含めて)かなり不釣り合いだと思いました。
 休憩の後の第二幕、パリ近郊の主役二人の棲み家で、アルフレッド、ヴィオレッタが相次いでパリに出掛け、戻る間に生じる来訪したジェルモン(アルフレッドの父親)とのやり取りの場面です。ここでは、3人の実力を試される歌が揃っています。
 先ず第3場、資金不足を解消するため、お金を工面するため、ヴィオレッタが持ち物を売りにパリに出掛けたと聞いたアルフレッドが歌う「O mio rimorso ! O infamia(ああ自責の念!不名誉だ!)」 の独唱の最後、「ah,l’onta lavero(恥を拭い去ろう)」の箇処で、最後の最後‘~ro’を、ヴァルカスは低い音で歌い終わったのでしたが、高いHi-C(C5)で歌い切って欲しかった。そしたら観衆受けするでしょうに。声が出ないのでしょうかね?(歌手ではないので見た事が無いのですが、楽譜には二通りの音符が書いてあるという人もいる。でもこの焦って高揚したアルフレッドの気持ちを表現するには高音で歌うしかないと、私は思いますよ)
 第5場、ジェルモンがヴィオレッタを説得し、最終的にジェルモンに泣きながら「Dite alla giovine 」を歌い、諦める気持ちを妹さんに伝えて!と朗々と訴えるジェルモンとの二重唱の箇所は、レベカ最大の見せ場、聴かせ処でした。強弱、高低、微妙に揺れる心境を歌の変化に乗せて見事と言える歌い振りでした。まーこれだけ歌えれば、言うこと有りません。敢えて言えば、泣きじゃくるところをもっと大げさに表現しても良かったかな?この日最大の歓声と拍手が沸き起こりました。
 第2幕第8場、父ジェルモン役アルベルト・ガザーレが、息子アルフレッドに故郷プロヴァンスに帰っておいで、と説得する有名過ぎるアリア「Di Provenza il mar, il suol」を歌い、これまた万雷の拍手を受けました。通常、ジェルモンには実力派のバリトンが起用され、深く響くいい声を披露することが多いのですが、この日のガザーレは少し前の第5幕で、嫁ぐ予定の妹がいて兄アルフレッドの帰郷が前提だと自分の家の都合をヴィオレッタに打ち明ける「Pura siccome un angelo Iddio mi die' una figlia…」の独唱により、少し乾いたバリトンであるが、仲々声量も歌唱力もあるジェルモンだということを示した。この日はアルフレッドの不足分をジェルモン役が補った形となりました。
それにしてもここでいつも思うのですが、ジェルモンは少しやり過ぎじゃない?相手(ヴィオレッタ)の弱点に付け込んで、やさしさに付け込んで、別れを説得するなんて。パリでのアルフレッドの浮名等、遠い田舎のプロヴァンスまで伝わって評判になる筈がないと思うのですが?東京での行いが例えば、上高地の村に伝わるでしょうか?勝手にさせておけば、良かったのに。どうせヴィオレッタは長生き出来ないのだから。病状からするとせいぜい数年でしょう?それからアルフレッドを呼び寄せ、妹の結婚式を挙げれば良かったのに。デュマのストーリーとはかなり違ってきますが。誰か「異説椿姫」を書いてオペラ化しないかな?冗談、冗談です。
 さて第二幕後半のサロンでの宴会の場面は、踊り、かけ事、合唱などなど、再び衣装、さらにはバレーを加え華やかさを表現した演出でしたが、室内、セットなどやはり質素な物。賭けに勝ったアルフレッドが、皆の前で札束をヴィオレッタに投げつけ、借りを返したと叫ぶ 歌「Ogni suo aver tal femmina…」は、やっとヴァルガスの本領発揮と思われる良い歌い振りでした。
 最後第3幕は、瀕死のヴィオレッタの横たわる部屋の場面です。ここはヴィオレッタ最後の歌を披露する独演場ですが、レベカ姫は私のこれまで聴いたソプラノとは違って
、瀕死だけれど力強い歌い方をしました。それはそれでいいかなとも思う。最後アルフレッドに会いたい一心で、自分を奮い立たせている、最後の生の力を振り絞って歌うというのも有りかな、と。
  以上です。今後のレベカが楽しみ!!
ア、忘れていました。①~③はすでに私の考えは書きましたね。④の国際的キャスティングですが、これは今どこの歌劇場でもやっているではないですか。見ませんでしたが最近の国立劇場の「椿姫」でも。欧米では当たり前の事です。コミュニケーションは国際共通語の英語が喋れれば十分です。オペラだけでなくオケでも招聘者は多くいますよ。このこととアンサンブルの出来を結び付けるのはやや無理かな?