【日時】2024.2.23.(金・祝)14:00〜
【会場】池袋・東京藝術劇場
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】エリアフリ・インバル
〈Profile〉
エルサレム音楽院でヴァイオリンと作曲を学んだ後、レナード・バーンスタインの推薦によりパリ音楽院で学んだ。 1963年にカンテルリ指揮者コンクールで優勝し、本格的な指揮活動を始めた。イギリスの市民権を取得している。
1974年から1990年までフランクフルト放送交響楽団の音楽監督を務め、黄金時代を築いた。その後、ベルリン交響楽団(現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)の音楽監督(2001年~2006年)、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者(2009年~2012年)を歴任した。
日本では、1970年代以降、読売日本交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、NHK交響楽団に客演した。特に東京都交響楽団とは強い結びつきを保ち、1991年の初登壇後、特別客演指揮者(1995年~2000年)、プリンシパル・コンダクター(2008年~2014年)を務め、2014年4月に桂冠指揮者に就任した。
2019年8月に台北市立交響楽団の首席指揮者に就任した。
【曲目】
マーラー交響曲第10番(デリック・クック補筆版)
(曲について)
マーラーは1910年に本作の作曲を開始したが、翌1911年、死去により完成させることができなかった。楽譜は第1楽章がほぼ浄書に近い段階で、他の楽章は大まかなスケッチがなされた状態で残された。国際マーラー協会は第1楽章のみを「全集版」として収録・出版しており、これに基づいて第1楽章のみ単独で演奏されることが多かったが、第二次世界大戦後、補筆によって数種の全曲完成版が作られている。なかでもイギリスの音楽学者デリック・クックによるものが広く受け容れられており、補筆完成版の演奏機会が近年増加傾向にある。
マーラーの遺稿は5楽章からなり、第3楽章を中心とする対称的な構成として構想されている。スケルツォ楽章を中心とする5楽章構成はマーラーが好んで用いているが、第10番では第3楽章に「プルガトリオ(煉獄)」と題する短い曲を置き、これを挟む第2楽章と第4楽章にスケルツォ的な音楽が配置されている。第1楽章は交響曲第9番につづいて緩徐楽章だが、速度はさらに遅く、形式感は薄れてソナタ形式の痕跡はほとんど認められない。
純器楽編成によるが、第3楽章「プルガトリオ」で自作の歌曲集『少年の魔法の角笛』から第5曲「この世の生活」が引用されている。これを始めとして、第9番や『大地の歌』などを想起させる楽句が随所に現れる。
調性的には交響曲第9番からさらに不確定な印象を与え、無調に迫る部分が見られる。極度の不協和音が用いられており、第1楽章で1オクターブ12音階中の9音が同時に鳴らされ、トランペットのA音の叫びだけが残る劇的な部分は、トーン・クラスターに近い手法である。アルノルト・シェーンベルクはこれを和声の革新とみなした。
演奏時間は第1楽章のみの場合、およそ20分台後半から30分ほど。補筆全曲版の場合、およそ75分から85分。
<クック版について>
イギリスの音楽学者デリック・クックによる。クックはこれを「第10交響曲の構想による実用版」と位置づけており、マーラーの構想を音として聴ける形にすることを目的とした。したがって、補筆部分は抑制的である。補筆総譜の下段にマーラーが残した略式総譜を併記して参照可能とし、詳細な校訂報告によって、補筆材料を提供している。この補筆はアルマを始めとして、当初は反発を買ったが、のちにアルマの承認を得て、次第に広く受容されつつあり、補筆版として代表的な存在となっている。
※第1稿
第2楽章と第4楽章に一部欠落がある。マーラーの妻であったアルマや、弟子のブルーノ・ワルターらははじめこれに気分を悪くしたという。
1960年、BBCがラジオ放送でベルトルト・ゴルトシュミットの指揮によって初演。この初演はアルマの承諾を得ておらず、アルマによって総譜の上演・出版を差し止められた。
※第2稿
アルマの承認を得て、新たに見つかった資料によって欠落が補填されたもの。1964年発表。
初演:1964年、ゴルトシュミット指揮、ロンドン交響楽団
アメリカ初演:1966年、ユージン・オーマンディ指揮、フィラデルフィア管弦楽団。これは録音されレコード化された。CDでも復刻され、現在では第二稿唯一のCD録音として知られるものである。一般にはあまり流布しなかったが、当時このクック版の最初の全曲レコードであった。
※第3稿
クックがコリン・マシューズ・デイヴィッド・マシューズ(英語版)兄弟、ゴルトシュミットの協力を得て、1972年に発表、1976年に出版したもの。クックはこれを「最終稿」と呼んだ。編成は第3稿(第二版)とほぼ同一である
【演奏の模様】
全五楽章構成
第1楽章 Adagio
第2楽章.Scherzo
第3楽章 Purgatorio
第4楽章 Scherzo
第5楽章 Finale
楽器編成 四管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
木管 | 金管 | 打 | 弦 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
Fl. | 4, Picc.1(4番奏者が持ち替え) | Hr. | 4 | Timp. | 2 | Vn.1 | ● |
Ob. | 4, Ehr.1(4番奏者が持ち替え) | Trp. | 4 | 他 |
上記に記載のティン パニ2台を含む以下の打楽器を3名(以上)で演奏。Cym., Tri., B.D. |
Vn.2 | ● |
Cl. | 4, EsCl.1(4番奏者が担当、Bbクラ部分は数小節のみ), B.Cl.1 | Trb. | 4 | Va. | ● | ||
Fg. | 4, Cfg.2(3番4番奏者が持ち替え) | Tub. | 1 | Vc. | ● | ||
他 | 他 | Cb. | ● | ||||
その他 | Hp |
結論的には、我が国の管弦楽団としては、近年稀にみる素晴らしい演奏だったと思います。エリアフ・インバルという90歳になんなんとする名匠を得て、1965年設立、半世紀以上の歴史を持つ東京都交響楽団は、現団員の総力を結集して、このマーラーの生涯総決算とも言うべき記念碑的曲を堂々と弾き切り、春寒の藝劇に集う幾千の聴衆(座席は大入りでした)の血潮を熱く滾らせ魅了したのでした。
殊に未完と謂われる最終交響曲を補筆補充してマーラーの遺品を磨き上げたデリック・クックの功績は甚大なものが有ります。いくらマーラーの骨組みは残されていたとはいえ、これだけマーラー以上に(と言うと言い過ぎかな?)マーラー的な曲作りは、常人では成し得なかったでしょう。 最終楽章の美しくも悲しみを湛えた弦楽奏の調べは、将に天国の精霊たちが集う花園の香りの如し。毒蛇に噛まれて死んだ妻エウリディーチェを求めて、黄泉(よみ)の国にまで足を踏み入れたオルフェオが見た、この世には無い美しさのエリュシオンの園そのものです。
マーラーの遺曲に手を加えることを断じて許さなかったアルマが、このクック版の初演の録音を聴いて、曲(特に終楽章)の素晴らしさに感銘を受け、改訂を正式に認めたと言われる逸話がある程、素晴らしいのです。同感の至りです。
これまで第一楽章は、不協的振動が耳にとげの様にささり、とても快いとは言えない印象を持っていたのですが、インバル都響の弦楽奏は髭を剃ったばかりの頬で、赤ちゃんに頬ずりする様な滑らかさと柔らかさを感じました。またこの曲では、Vn.アンサンブルが中心という事には変わり有りませんが、Va.アンサンブルやVc.アンサンブル及びそれらのソロ演奏が大活躍し、コンマス独奏、Va.首席のソロ、Vc.ソロ等の首席演奏が目立つ演奏でした。またこれもマーラーの曲らしい管、打の大いなる活用が目立ちました。即ち、木管の調べは弦楽奏との掛け合い、合の手でしっかり弦楽アンサンブルを活性化させ、また何回か鳴らされる大きな打撃音、最終楽章前後でのTimp.とHrn.の重奏、二台のTimp.の掛け合い、ダーン、ダーン、と数回鳴り響くのは、マーラーお得意の木槌の打撃音でなく軍楽太鼓の重い音です。その後のFl.ソロの美しい旋律の滔々とした調べ、続くVn.アンサンブルが入り、Hp.の合いの手 → Fl.(2) → 2Vn.アンサンの辺りでは美を振りまき、Hrn.(首席)の見事なソロ演奏をVn.アンサンが受け止めるといった具合で、非常に聴き応えが有りました。また第4楽章の初盤では弦楽の強奏にシロフオンの音が重なり、中盤ではシロフォンが強い調子で前面に出て来ました。各章ところどころのTria.の音は山椒の様にピリット効くと言った具合でした。
マーラーはこの10番の作曲に関しては、妻アルマとの関係を云々されることが多いですが、結婚(1902)からマーラー死去(1911)まで僅か9年、しかも23歳で18歳年上のマーラーとの結婚生活ですから、結婚前からのアルマの男性関係から見るとアルマはマーラーに何か不満を抱いていたことは確かでしょう。マーラーの最晩年(と言っても50歳と若いですが)のこの10番の曲には、マーラーのアルマに対する気持ちがぶつけられていることも確かでしょう。しかし曲を聴いてみると、不協和音を中心とする不安、恐れ、異常を感じることもある第1楽章から、様々な調べを経て第5楽章の、何か苦悩が濾過され浄土(キリスト教の国ですから天国かな)へと誘われたマーラーが神によって救済される感じが十分漲っているクックの補筆は、常識的な結論だし大成功のオーケストレーションだった、と言えるのではなかろうかと思いました。
演奏が終わって、インバルが腕をゆっくり降ろした後数秒間まで、満員の館内は静まりかえり、その後轟音の様な叫びと拍手が鳴り響いたのでした。これ程感銘を受けたオケ演奏は久し振りなので(昨年の海外オケの来日演奏以来かな?)、自分も強く大きく両手を痛い程叩いていました。
終演後演奏者を労い讃えるインバル、この日を最後に都響を去る 店村眞積ヴィオラ特任首席奏者が花束を手に挨拶、拍手は一段と高まりました。
マエストロ・インバルは今年88歳で元気一杯、90歳を超えても日本の楽壇に貢献され、クラシックファンを魅了されんことを切望します。