HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

N響2000回記念『マーラー1000人の交響曲』演奏会二日目を聴く

第2000回 N響定期演奏会

 日本を代表するオーケストラNHK交響楽団(N響)が、今年12月に通算2000回となる定期公演を開催します。

記念すべき公演の曲目は、マーラー作曲《交響曲第8番「一千人の交響曲」》。8人の独唱者、2組の混声合唱団、児童合唱団、そしてオルガンを含む大編成のオーケストラで演奏される大曲です。

初演の時の演奏者が1000人になったということで「一千人の交響曲」と呼ばれるようになったこの曲、作曲者のマーラーは「宇宙が鳴り響く様子を想像してください」と言ったそうですが、演奏会当日は会場のNHK ホールが壮大な響きで満たされることでしょう。

タクトを振るのはN響首席指揮者のファビオ・ルイージさん。イタリア出身の世界的な指揮者です。モーツァルトやベートーベンからマーラー、R.シュトラウスといった「ドイツ物」を中心に、「歌心」と「情熱」あふれる音楽作りで聴き手を魅了しています。指揮姿も情熱にあふれたもので、聴き手の私たちにもルイージさんの熱い思いがぐんぐん伝わってきます。

今回、ルイージさんからステラ net にメッセージをいただきました。
「記念すべき演奏会を指揮するのはとても名誉なことです。この交響曲は類を見ない大きさで、全編聴き所満載の作品です」
演奏にかけるマエストロの意気込みに、当日への期待が高まります。

(NHK財団・ステラ)


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ファビオ・ルイージが首席指揮者に就任して1年あまりが経過した。以前に比べ、マエストロがN響メンバーを信頼し、一緒に音楽を作ろうという姿勢が強まってきたように感じる。上昇気流に乗りつつある中で迎える第2000回定期。大きな節目として、末永く記憶に残る熱演を期待したい。[Aプログラム]のマーラー《一千人の交響曲》は、ファン投票による選曲。名前通りの大編成を必要とするため、100年近い歴史を持
つN響が演奏するのも、今回でようやく5回目である。戦後間もない山田和男(一雄)指揮の日本初演に続き、歴代のタイトル指揮者がここぞという時に取り上げてきた。マーラーへの思い入れの強さでは、ルイージも負けていない。彼の推薦する欧米のトップ歌手たちと、大人数の合唱団がNHKホールに集結する。 実演でしか真価が伝わらない曲があると思うが、この作品などその最たるものだろう。マーラー自身「これまでの交響曲は、すべてこの曲の序奏に過ぎない」と豪語したが、彼らしい猥雑さが影を潜め“崇高 ”一辺倒になっていることを、否定的にとらえる見方もなくはない。だが、圧倒的な音響空間に身を浸すことで、“宇宙の響き”を具現化しようとした作曲家の意図に、多少なりとも迫れるのではないか。生で聴くことを特にお勧めしたい交響曲である。(NHK交響楽団)

【日時】2023年12月17日(日) 14:00~ (第二日目鑑賞)
【会場】NHKホール

【管弦楽】NHK交響楽団

【指揮】ファビオ・ルイージ

【合唱】新国立劇場合唱団&児童合唱  NHK東京児童合唱団

【独唱】

○ソプラノ:ジャクリン・ワーグナー★(罪深き女)、ヴァレンティーナ・ファルカシュ(贖罪の女)、 三宅理恵(栄光の聖母)、

○アルト:オレシア・ペトロヴァ(サマリアの女)、カトリオーナ・モリソン(エジプトのマリア)、

○テノール:ミヒャエル・シャーデ(マリア崇拝の博士)、

○バリトン:ルーク・ストリフ(法悦の教父)、○バス:ダーヴィッド・シュテフェンス(瞑想する教父)。 
 ★当初発表の出演者から変更となりました。

 

※出演者変更のお知らせ(第2000回定期公演)

 本公演に出演を予定していたソプラノのエレーナ・スティッキーナ氏は、本人の都合により来日できなくなりました。代わりましてジャクリン・ワーグナー氏が出演いたします。なお、曲目、指揮者、他のソリストに変更はございません。何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

 

ジャクリン・ワーグナー(Sop.)

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<Profile>

パリ・オペラ座、ミラノ・スカラ座、チューリヒ歌劇場、バルセロナ・リセウ劇場、ベルリン・ドイツ・オペラ、ザルツブルク復活祭音楽祭など、世界最高峰の歌劇場や音楽祭に幅広いレパートリーで出演。「美しく清潔で、凝縮された響き」(ニューヨーク・タイムズ紙)、「自然な威厳と卓越した声のコントロール」(オペラ・ニュース)などの評価を受けている。2022-23シーズンには、マーラー《交響曲第8番「一千人の交響曲」》をネルソンス指揮ゲヴァントハウス管弦楽団とワシーリ・ペトレンコ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団で歌うなど、コンサートでの活躍も目覚ましい。
アメリカ出身。マンハッタン音楽学校とミシガン州オークランド大学で学び、フランシスコ・ビニャス国際声楽コンクール、レナータ・テバルディ声楽コンクールなど数多くのコンクールで入賞。N響とは今回が初めての共演となる。
 

【演奏時間】約85分
【初演】1910年9月12日、ミュンヘン、カイム管弦楽団、ウィーン楽友協会合唱団、リーデル協会合唱団、ミュンヘン中央歌唱学校児童、作曲者自身の指揮

〈参考〉楽器奏者171名 独唱者8名 合唱団850名 (ウィーン楽友協会合唱団250名 リーデル協会合唱団250名 ミュンヘン中央歌唱学校の児童350名)

 

【曲について】

この8番の交響曲は、1906年夏にヴェルター湖畔マイアーニックで作曲されました。大規模な交響曲ですが作曲に要した期間は短く、ひと夏でスケッチされ。翌年の1907年夏にオーケストレーションが行われ完成しました。

交響曲第4番以来の声楽付き交響曲であり、4声部の独唱と大規模な合唱、バンダのソプラノなど、これまでにない大編成の交響曲となりました。最初から最後まで声楽が活躍するため、カンタータやオラトリオに近い、と言われています。第1部は「来たれ、創造主たる聖霊よ」となっています。しかし、第2部はゲーテの戯曲『ファウスト』を歌詞としています。物語を表現するためにソリストを割り当てたという意味ではオラトリオに近いです。

しかし特に宗教色が強いという訳でもなく、ヘンデルのオラトリオ『メサイア』などとは大分違います。マーラーはユダヤ教からカトリックに改宗していますが、純粋な信仰心というより、当時台頭し始めた反ユダヤ主義の影響が大きく、便宜的にそうした、という意見もありますし。ただ『ファウスト』から抜粋した個所は、マグダラのマリアなど、キリスト教色の強い箇所かも知れません。

【第1部】

Veni, creator spiritus,

来たれ、創造主たる聖霊よ

Mentes tuorum visita;

私たちの魂に訪れ

Imple superna gratia,

いと高き恵みにて満たしたまえ

quae tu creasti pectora.

あなたの作られたこの心を

Qui tu Paraclitus diceris,

慈しみ深き主とよばれる方よ

Donum Dei altissimi,

いと高き神よりの贈り物!

Fons vivus, ignis, caritas,

それは命の泉、炎、慈しみの愛

et spiritalis unctio.

聖霊よりの油をほどこす者と呼ばれるかたよ

Infirma nostri corporis,

私たちの弱き肉体を

Virtute firmans perpeti.

絶えざる力のよりて強めたまえ

Accende lumen sensibus.

その光によりて、われらの五感を高めたまえ

Infunde amorem cordibus.

われらの心に愛を注ぎ込みたまえ

Hostem repellas longius,

敵を退け、

Pacemque dones protinus;

われらに平安を与えたまえ

Ductore sic te praevio

導き手なる方よ、あなたにならい
vitemus omne pessimum.

われらより全ての悪を退けたまえ
Tu septiformis munere,

7つのたまもの(知恵、理解、賢明さ、強い意志、知識、慈しみ、敬う心)をわれらに与えたまえ
dexterae paternae digitus.

おん父なる神の、右の指なる方よ
Per te sciamus da Patrem,

おん父より約束された尊き方よ 

noscamus atque Filium,

豊かなことばでもって語ってくださる
Te utriusque Spiritum

聖霊なるあなたを知らしめたまえ
credamus omni tempore.

いかなる時にもあなたを信じます
Da gratiarum munera,

天の喜びを授けたまえ

da gaudiorum praemia;

大いなる幸福を与えたまえ

Dissolve litis vincula,

争いの縛りを解き放ち

adstringe pacis foedera.

幸福の誓いを結びたまえ

Gloria Patri Domino,

父なる神に栄光あれ

Natoque, qui a mortuis

死よりよみがえりし、聖なる子に

surrexit, ac Paraclito

なぐさめの主なる聖霊に栄光あれ
in saeculorum saecula.

いついつまでも永遠に
 

 

【第2部の概要】

2部は切れ目のないオラトリオのような音楽です。独唱や合唱は役回りを持っています。

独唱、合唱
合唱は、男声合唱、女声合唱、少年合唱から成り立っています。このうち、少年合唱は天使役です。

独唱は、以下のような配役になっています。
第1ソプラノ:罪深き女(マグダラのマリア)
第2ソプラノ:贖罪の女のひとり(グレートヒェン)
第3ソプラノ:栄光の聖母
第1メゾ・ソプラノ:サマリアの女
第2メゾ・ソプラノ:エジプトのマリア
テノール:マリア崇拝の博士
バリトン:法悦の教父
バス:瞑想の教父

 

【第2部の構成】

1.ポーコ・アダージョ
2.ピウ・モッソ(アレグロ・モデラート)

3.森は揺らいでなびき (合唱とこだま)
4.永遠の法悦の炎 (法悦の教父)
5.私の足もとで断崖絶壁が (瞑想の教父)

6.霊界の気高い一員が (天使)
7.地上の残り滓を運ぶのは (天使になりきったものたち)
8.岩の頂のまわりを霧のように (なりたての天使たち)

9.世を支配する最高の女王よ (マリアをたたえる博士)
10.触れることのできぬあなたにも (合唱)

11.その愛にかけてお願い申し上げます (罪深き女(マグダラのマリア))
12.たぐいない御方、光り輝く御方 (贖罪の女のひとり(グレートヒェン))
13.この人は手足も逞しくなり (昇天した子供たち)

14.来たれ、もっと高い天へ昇れ! (栄光の聖母&合唱)
15.すべて懺悔の気のある情け深い人々よ (マリアをたたえる博士&合唱)
16.はかなきものはすべて (神秘の合唱)

 

〈注〉

※『ファウスト』の主人公ファウストは悪魔の力を借りて若返り、村娘のグレートヒェンを誘惑しますが、生まれた子供と共にグレートヒェンを捨ててしまう(悪魔の誘か?)。グレートヒェンは子供殺しの罪でファウストの名を叫びながら死刑に処せられるが、悔悟によって地獄からは救われます。

※マグダラのマリアは聖書に出てくる罪深い女性、つまり娼婦であった。イエスの足に香油を塗り懺悔(ざんげ)して許されます。その後、イエスが磔(はりつけ)にされ、復活するまでを見届けたとされ、復活したイエスに触れようとして「我に触るな」と言われた。その後イエスは布教する生活に入り、マグダラのマリアは隠遁して生涯を終えたという説やイエスの身の周りの世話をしたという説も有り。

 

【第2部合唱&独唱歌詞】

第2部 ゲーテ《ファウスト》「山あい」から終幕の場面

《CHOR und ECHO》

合唱とこだま

Waldung, sie schwankt heran,

森の木立はこちらになびき

Felsen, sie lasten dran,

岩場は連なりのしかかる

Wurzeln, sie klammern an,

木と木、根っこと根っこは絡み合う

Stamm dicht an Stamm hinan,

樹木の幹、そびえて寄り添いしがみつく

Woge nach Woge spritzt,

谷あいの波はぶつかり合い、しぶきをあげてほとばしる

Höhle, die tiefste, schützt,

洞窟はその深淵でわれらを守る

Löwen, sie schleichen stumm,

獅子たちも言葉少なに親しげに

Freundlich um uns herum,

われらの周りを巡りつつ

Ehren geweihten Ort,

清められたる聖なる愛の隠れ家に

Heiligen Liebeshort.

敬意を払うふりをする

 

PATER ECSTATICUS (Baritone)

《法悦の教父(バリトン)》
(auf und abschwebend)

(舞うように漂いながら)

Ewiger Wonnebrand,

永遠なる法悦の炎

Glühendes Liebesband,

焼け付くような愛のきずな

Siedender Schmerz der Brust,

煮えたぎる胸の痛み

Schäumende Gotteslust.

高まる神への悦び

Pfeile, durchdringet mich,

矢よ、私をつらぬけ
Lanzen, bezwinget mich,

槍よ、私を突き刺せ

Keulen, zerschmettert mich,

棒きれよ、私を打ち砕け

Blitze, durchwettert mich,

稲妻よ、私をつらぬけ

Dass ja das Nichtige

虚(むな)しいものを

Alles verflüchtige,

この地より追い払え

Glänze der Dauerstern,

永劫なる星よ、輝け

Ewiger Liebe Kern!

永遠の愛の核心よ!

 

PATER PROFUNDUS (Bass)

瞑想する教父(バス)

(tiefe Region)

(深い谷あいにて)

Wie Felsenabgrund mir zu Füßen

岩場の連なり私の足もと

Auf tiefem Abgrund lastend ruht,

奈落に座れるごとく

Wie tausend Bäche strahlend fließen

いく千もの小川がきらめきながら流れゆく

Zum grausen Sturz des Schaums der Flut,

しぶきを上げる滝のように

Wie strack, mit eignem kräftgen Triebe,

おのれの力で樹木は

Der Stamm sich in die Lüfte trägt;

伸びて空めざす

So ist es die allmächtge Liebe,

森も岩石の大地も波打つように

Die alles bildet, alles hegt.

万物を創り、全てを育む

Ist um mich her ein wildes Brausen,

森と岩の大地を揺るがせて

Als wogte Wald und Felsengrund,

私を取り巻く荒ぶる水音

Und doch stürzt, liebevoll im Sausen,

豊かに満ちる水は

Die Wasserfülle sich zum Schlund,

とどろくざわめき優しさ込めて
Berufen, gleich das Tal zu wässern;

谷あい、水を送り出す

Der Blitz, der flammend niederschlug,

炎を帯び、大地を打つは稲光
Die Atmosphäre zu verbessern,

毒と霧とを含んだ大気を

Die Gift und Dunst im Busen trug;

浄化せんがため
Sind Liebesboten, sie verkünden,

全て愛の御使いならば我らを覆い

Was ewig schaffend uns umwallt.

永遠の創造主の力を告げ知らす

Mein Inn'res mög' es auch entzünden,

わが胸のうちにも火を灯してほしい

Wo sich der Geist, verworren, kalt,

私の心は錯乱しながら冷えている

Verquält in stumpfer Sinne Schranken,

にごりきった官能の鎖で縛られつつうめき

Scharf angeschloss'nem Kettenschmerz.

囚われの身となって苦悩する

O Gott! beschwichtige die Gedanken,

おお、神よ、われを和らげたまえ

Erleuchte mein bedürftig Herz!

わが貧しき心にも光を灯したまえ!


Chor der ENGEL

《天使の合唱》
(schwebend in der höhern Atmosphäre,
Faustens Unsterbliches tragend)

(ファウストが空を目指し不死の魂として舞い上がる)


Gerettet ist das edle Glied

霊界の手足なる気品を帯びた存在が

Der Geisterwelt vom Bösen:

悪の手から救い出され

“Wer immer strebend sich bemüht,

「絶えず努め励んでいた者は

Den können wir erlösen.”

私たちはお救いできるのです」

Und hat an ihm die Liebe gar

この人には天上からの

Von oben teilgenommen,

愛が降り注いだのですから

Begegnet ihm die sel'ge Schar

幸福な世界の人々が迎えるのです

Mit herzlichem Willkommen.

心からの祝福の思いを持って 

 

CHOR SELIGER KNABEN

《祝福された少年たちの合唱》
(um die höchsten Gipfel kreisend)

(山の頂をめぐりながら)

Hände verschlinget

手に手をとって、飛び回ろ

Freudig zum Ringverein!

楽しく輪になり踊ろうよ!

Regt euch und singet

さあ、立ち上がって歌おう

Heil'ge Gefühle drein!

聖なる心を秘めながら

Göttlich belehret,

神さまのみ教え守り
Dürft ihr vertrauen:

ゆだねていれば
Den ihr verehret,

みんな敬うそのお方
Werdet ihr schauen.

きっと仰ぎ見ることができるでしょう

JÜNGEREN ENGEL

《若い天使たち》
Jene Rosen aus den Handen

豊かな愛の聖なる悔い改めの女性たち
Liebend-heiliger Buserinnen

手から授けられたバラの花のおかげで
Halfen uns den Sieg gewinnen

私たちを救い、勝利をお与えくださった
Und das hohe Werk vollenden,

かしこくも気高き仕事を成し遂げさせ
Diesen Seelenschatz erbeuten.

心の宝を得ることが出来たのです
Bose wichen, als wir streuten,

そのバラを撒くと悪魔は散らばり
Teufel flohen, als wir trafen.

バラで打ちつけると逃げ去った
Statt gewohnter Hollenstrafen

慣れきった地獄の責め苦の代わり
Fuhlten Liebesqual die Geister;

悪魔は愛の思いによる悔恨という苦しみに覆われた
Selbst der alte Satansmeister

老いさらばえた悪魔の頭でさえも
War von spitzer Peindurch drungen.

刺されるような痛みに襲われた

Jauchzet auf! Es ist gelungen.

さあ、歓喜の声をあげよう!成し遂げられた


DIE VOLLENDETEREN ENGEL (+Alto solo)

《成熟した天使たち》

Uns bleibt ein Erdenrest

地上に遺した痕跡を運ぶのは
Zu tragen peinlich,

とても苦しいことす
Und wär er von Asbest,

たとえそれが石綿であったとしても
Er ist nicht reinlich.

清らかなものではありません
Wenn starke Geisteskraft

たくましい聖霊の力が
Die Elemente

地上にあるもろもろの要素を
An sich herangerafft,

集めてくれば
Kein Engel trennte

霊魂と肉体の結びついた
Geeinte Zwienatur

合わさった体を引き離すことは
Der innigen beiden;

いかなる天使にも切り離すことは出来ません
Die ewige Liebe nur

分かつことが出来るのは
Vermag's zu scheiden.

ただ永遠の愛のみ
 

DIE JÜNGEREN ENGEL

《いまだ未熟な天使たち》
Ich spür' soeben,

岩山のまわりを
Nebelnd um Felsenhöh',

霧のように覆う
Ein Geisterleben,

霊たちの活きている
Regend sich in der Näh'.

動きが感じられる!
Seliger Knaben

天から招かれた

Seh'ich bewegte Schar,

祝福を受けた少年たちが
Los von der Erde Druck.

地上の縛りから解き放たれ
Im Kreis gesellt,

輪になってより集まり

Die sich erlaben

舞っているのが見える

Am neuen Lenz und Schmuck

天上の新しい春に装いに

Der obern Welt.

元気づけられている

Sei er zum Anbeginn,

この方もまずはじめに

Steigendem Vollgewinn

あの子たちに混ざって

Diesen gesellt!

完成へと向かってほしい

 

DIE SELIGEN KNABEN

《祝福された少年たちの合唱》

Freudig empfangen wir

僕たちは悦んでお迎えします

Diesen im Puppenstand;

いまださなぎの段階のその方を

Also erlangen wir

そうすれば僕たちも成長し

Englisches Unterpfand.

いつの日か、天使になれるのだと

Löset die Flocken los,

この方を覆っている繭を

Die ihn umgeben!

取り去りましょう!

Schon ist er schön und groß

聖なる霊性を授けられ

Von heiligem Leben.

大きく美しくなられました

 

DOCTOR MARIANUS (Tenor)

《マリアを敬う博士(テノール)》

Hier ist die Aussicht frei,

ここは見晴らしがよく

Der Geist erhoben.

霊性はもっと高められる

Dort ziehen Fraun vorbei,

あそこを女たちが通り過ぎてゆく

Schwebend nach oben.

天を目指して漂い登ってゆく

Die Herrliche mittenin

その中心に星の冠をいただいた

Im Sternenkranze,

気高い方のお姿があり

Die Himmelskönigin,

あのお方こそ天の女王様

Ich seh’s am Glanze.

その光を仰ぐだけで、そうであるとわかるのです

Höchste Herrscherin der Welt!

世を統べるいと美しき乙女
Lasse mich im blauen,

蒼い天幕のうちに
Ausgespannten Himmelszelt

あなたの霊性をこの眼に触れさせてくだい
Dein Geheimnis schauen.

男の胸を真摯にも動かすもの
Billige, was des Mannes Brust

神聖なる愛の悦びをもって
Ernst und zart beweget

あなたのおそばへと
Und mit heiliger Liebeslust

向かうことを

Dir entgegenträget.

どうかお受け入れください 

Unbezwinglich unser Mut,

あなたが高貴なるお申し付けをくださると

Wenn du hehr gebietest;

私たちの勇気は堅固なものとなります

Plötzlich mildert sich die Glut,

あなたが乾きを癒してくださる時に

Wie du uns befriedest.

熱を帯びた感情も和らぐのです

 

DOCTOR MARIANUS und CHOR:

《マリアを敬う博士との合唱》

Mutter, Ehren würdig,

この上もなく美しく意味を持った聖なる乙女

Jungfrau, rein im schönsten Sinne,

栄光に輝くみ母よ
Uns erwählte Königin,

私たちのために選ばれた女王
Göttern ebenbürtig.

神々と等しく尊いお方


CHOR

《合唱》

Dir, der Unberührbaren,

手を触れることも叶わないあなたですが
Ist es nicht benommen,

誘惑に弱い私たちが
Dass die leicht Verführbaren

お近づきになり、おすがりするのは

Traulich zu dir kommen.

禁じられてはおりません

In die Schwachheit hingerafft,

弱さゆえに罪を犯した女たちを

Sind sie schwer zu retten.

救うことは、やさしいことではありません

Wer zerreißt aus eig'ner Kraft

されど自らの力のみで

Der Gelüste Ketten?

情欲の縛りを断ち切れましょうか?

Wie entgleitet schnell der Fuß

なめらかな床の上では

Schiefem, glattem Boden?

つい足を滑らせてしまうものです

贖罪の女たちと告白する女ひとりの合唱

CHOR DER BÜSSERINNEN

《贖罪の女たちと告白する女ひとりの合唱》

Du schwebst zu Höhen

永遠のみ国の高みを天駆ける

Der ewigen Reiche;

天駆けるお方

Vernimm das Flehen,

私たちの願いをお聞き届けください

Du Ohnegleiche!

慈しみ深き恵みなるお方

MAGNA PECCATRIX (Soprano)

《罪深き女》

Bei der Liebe, die den Füßen

パリサイ人たちに罵(ののし)られながらも

Deines gottverklärten Sohnes

清められし光の満てるみ子の足

Tränen ließ zum Balsam fließen,

香油という名の涙に変えて

Trotz des Pharisäer Hohnes;

愛の思いを注ぎます

Beim Gefäße, das so reichlich

この器にかけて

Tropfte Wohlgeruch hernieder;

豊かに香るしずくを落とした

Bei den Locken, die so weichlich

高貴なるそのみ足をやわらかく

Trockneten die heil'gen Glieder -

拭って差し上げたこの髪にかけて

MULIER SAMARITANA (Alto)

《サマリアの女(アルト)》
Bei dem Bronn, zu dem schon weiland

その昔、アブラハムが羊の群れを

Abram liess die Herde führen;

連れて行った泉にかけて願います

Bei dem Eimer, der dem Heiland

救い主のお口に冷たく触るお水を

Kühl die Lippe durft' berühren;

注いだ水桶にかけて願います

Bei der reinen, reichen Quelle,

この清泉から湧き出て

Die nun dorther sich ergießet,

永遠に澄みきり清らかで

Überflüssig, ewig helle,

世をうるおしつづけてやまない

Rings durch alle Welten fließt -

豊かな水にかけて願います 

 

MARIA AEGYPTIACA (Alto)

《エジプトのマリア(アルト)》

Bei dem hochgeweihten Orte,

主を横たえ憩われた

Wo den Herrn man niederließ;

聖なるところにかけて願います

Bei dem Arm, der Von der Pforte,

私を諌めるために会堂の外へと

Warnend mich zurücke stieß;

突き出されたそのみ手にかけて

Bei der vierzigjähr'gen Buße,

ただただひたすら誠実に

Der ich treu in Wüsten blieb;

祈り続けた40年にかけてす

Bei dem sel'gen Scheidegruße,

砂の上に書きとめたこの世からのお別れの言葉にかけて

Den im Sand ich niederschrieb –

これら全てにかけて願います

 

ZU DREI

《3人ともに》

Die du großen Sünderinnen

大きな罪を犯した女たちも

Deine Nähe nicht verweigerst.

おそばによることも拒まれず

Und ein büßendes Gewinnen

悔い改めをもって得た美しい徳を

In die Ewigkeiten steigerst,

永遠なるものへと成すお方

Gönn' auch dieser guten Seele.

この良き魂たちにも

Die sich einmal nur vergessen.

ただ一度、我を見失い

Die nicht ahnte, dass sie fehle,

過ちに気づかずにいた者も

Dein Verzeihen angemessen!

慈しみ深き許しを与えたまえ

UNA POENITENTIUM (Soprano)

《懺悔する女(ソプラノ)》
(Gretchen)

(かつてはグレートヒエンと呼ばれた女性、聖母マリアおすがりしながら)

Neige, neige,

たとえようもないお方

Du Ohnegleiche,

光、満ち満ちて、あまねく照らされる方

Du Strahlenreiche,

どうか私の幸福に

Dein Antlitz gnädig meinem Glück!

そのお顔をお向けください

Der früh Geliebte,

かつてお慕いし

Nicht mehr Getrübte,

今はもうわずかな濁りすらもない

Er kommt zurück.

そのお方が帰ってこおいでになりました 


CHOR SELIGER KNABEN

《祝福された少年たち》
(in Kreisbewegung sich nähernd)

(輪になって近づいて来ながら)

Er überwächst uns schon

あの方は僕らよりも大きくなって

An mächt'gen Gliedern.

手足もたくましくなりました

Wird treuer Pflege Lohn

僕らの施してきたことが忠実に

Reichlich erwidern.

報われる時が来たようだよ

Wir wurden früh entfernt

僕らはずっと前に

Von Lebechören.

人の世から離れてしまったの

Doch dieser hat gelernt:

でもこの方はたくさんのことを学んで来られたの

Er wird uns lehren.

僕らにも教えてくださることと思うよ 

 

UNA POENITENTIUM (Soprano)

《懺悔する女(ソプラノ)》

(Gretchen)

(グレートヒエン)

Vom edlen Geisterchor umgeben,

高貴なる霊たちに囲まれて

Wird sich der Neue kaum gewahr,

生まれ変わられたあのお方は戸惑い気味

Er ahnet kaum das frische Leben,

あの方は新たに生まれたことをご理解されていない様子
So gleicht er schon der heil'gen Schar.

新たなる生まれ変わりに気づかれていません

Sieh, wie er jedem Erdenbande

でもすでに神聖なかたたちと面持ちが同化されています

Der alten Hülle sich entrafft,

ご覧くださいあらゆる地上のしがらみを
Und aus ätherischem Gewande

断ち切って古い衣を脱ぎ捨てられました

Hervortritt erste Jugendkraft!

新しい青春の力が漏れ出してきているようです

Vergönne mir, ihn zu belehren,

あの方に教えることをお許しください

Noch blendet ihn der neue Tag.

あの方はいまだ新しい光を眩しがっておられます

MATER GLORIOSA (Soprano)

《栄光の聖母(ソプラノ)》

Komm! Hebe dich zu höhern Sphären!

さあ、来たれ!あなたはさらなる高みへとお昇りください

Wenn er dich ahnet, folgt er nach.

あなたに気づけば彼もそれに従います

DOCTOR MARIANUS (Tenor), Chorus

《マリア崇拝の博士(テノール)、合唱》

(深くうつむき礼拝しながら)

Blicket auf zum Retterblick,

すべての悔い改めを知る心優しきものよ目をあげよ

Alle reuig Zarten,

感謝とともに

Euch zu sel'gem Glück

従う身となるならば

Dankend umzuarten!

救い主の眼差しを仰ぎ見よ

Werde jeder bess're Sinn

全ての良きこころの持ち主たちは

Dir zum Dienst erbötig;

あなたにお仕えさせてください
Jungfrau, Mutter, Königin,

清きみ母よ、女王なる方よ

Göttin, bleibe gnädig!

女神なる方よ、永遠に恵みを与えたまえ 


CHORUS MYSTICUS

《神秘の合唱》

Alles Vergängliche

移ろい儚いものは全て

Ist nur ein Gleichnis;

もののたとえとでも言えるもの

Das Unzulängliche,

不足し到達できない

Hier wird's Ereignis;

たとえようもなく

Das Unbeschreibliche.

気高い現実が

Hier ist's getan;

ここに成し遂げられた

Das Ewig Weibliche

永遠の女性的なるもの母性的なるものこそが

Zieht uns hinan.

わたしたちを高みへと誘う

 

【演奏の模様】

楽器編成 四管編成弦楽五部16型

フルート×4、ピッコロ複数、オーボエ×4、コーラングレ×1、クラリネット(B♭管)×3、小クラリネット(E♭管)複数、バスクラリネット×1、ファゴット×4、コントラファゴット×1、ホルン×8、トランペット×4、トロンボーン×4、チューバ×1、ティンパニ×3台、バスドラム×1、シンバル×3人、タムタム、トライアングル、鐘(低音)×2、グロッケンシュピール×1、弦第1vn×18、第2vn×14、va×12、vc×10、cb×8(C弦つき)、チェレスタ×1、ピアノ×1、オルガン ×1、ハルモニウム ×1、ハープ ×2、マンドリン複数

 

 会場に入り、やや不思議に思ったのは、ステージ上の椅子が、思っていたより少なかったことです。案の定開演となり、オケ団員が入場着席したら、1Vn.(16)2Vn.(14)  Va.(14)Vc.(10)Cb.(8)と、弦楽器構成はそれ程大編成でなかった。以外でした。管は、通常並の四管編成、さらにこの曲の根幹となるべき合唱団陣容は、女声60人弱、男声120人弱の計180人弱。児童合唱団60人弱を合わせても240人程でした。「1000人の交響曲」って何?、合唱員と管弦楽団員を合わせての数でしたっけ?合唱団だけかと思っていました。尤も合わせた数だとしても、1000人以上はマーラーの初演の時だけかな?(他にも例があるかも知れない)。何せマーラーは張り切っていましたからね。この曲の初演が1910年、そしてそれから1年弱で亡くなった訳ですから、きっと心は満ちて燃え尽きたのでしょうね。

 第1部冒頭の

❝Veni, creator spiritus,

来たれ、創造主たる聖霊よ

Mentes tuorum visita;

私たちの魂に訪れ

Imple superna gratia,

いと高き恵みにて満たしたまえ

quae tu creasti pectora.

あなたの作られたこの心を

Qui tu Paraclitus diceris,

慈しみ深き主とよばれる方よ

Donum Dei altissimi,

いと高き神よりの贈り物!
Fons vivus, ignis, caritas,

それは命の泉、炎、慈しみの愛
et spiritalis unctio.

聖霊よりの油をほどこす者と呼ばれるかたよ

Infirma nostri corporis,

私たちの弱き肉体を

Virtute firmans perpeti.

絶えざる力のよりて強めたまえ❞

 の箇所の最初の一句は、ある日マーラーに突然ひらめいたといわれます(エヴィデンスがある様ですよ)。将に天(神)の啓示だったのでしょう。意識するしないに関わらず、マーラーの内なる声は、「油をほどこす方よりの贈り物」だと叫んだのでしょう。天に召される準備をしていたのかも知れません。

 この冒頭部分は、第2部最後の

《神秘の合唱》

Alles Vergängliche

移ろい儚いものは全て

Ist nur ein Gleichnis;

もののたとえとでも言えるもの 以下

と密接に関係していて、マーラーはこの辺りも、第1部の聖言とは全く関係ないゲーテの「ファウスト」の中の言葉を思い付いたというのですから、これは天才どころか将に神業です。マーラーはグノーの歌劇『ファウスト』は当然知っていたでしょうし、ドイツの文豪ゲーテの原典も読んだことがあったでしょう。ですが、第1部の宗教性と2部の物語(勿論宗教的ではありますが)を矛盾なくドッキングさせたのですから驚きです。2部最後の

Alles Vergängliche Ist nur ein Gleichnis;(移ろい儚いものは全てもののたとえとでも言えるもの)❞ 以下の合唱部分は、とても心に滲み入る様でした。最初はアカペラのpppで囁く様に歌声が響き、次第に管弦が入り、ソロも入り、Sop.のワーグナーは第1部の最初では声が伸びず美声も今一つだったものが、この最後に合唱と一緒に歌った声は伸びやかで、管弦や合唱の大音響きをも突き抜けて聞こえ最高でした。

 今日のソリスト達の歌い振りは女声パートは総じて先ず先ずで、ワーグナーは最初の第一声を聴いた時はやや失望したのですが、高音は出ていたので大丈夫かなと思っていたら、やはり尻上がりに良い声が出始め、最後は素晴らしい本領を発揮したのでした。もう一人のソプラノ、グレーテヒェン役のファルカッシュはワーグナーとも違った声質ですが、聴きやすい歌声を張り上げていました。三宅さんは少ない出番を有効に活用、衣装も光輝く聖母らしい様子でした。

 アルトのペトロヴァとモリソンも、出番は多くないのですが、第2部の

❝MULIER SAMARITANA (Alto)

《サマリアの女(アルト)》
Bei dem Bronn, zu dem schon weiland❞ と次の

❝MARIA AEGYPTIACA (Alto)

《エジプトのマリア(アルト)》

Bei dem hochgeweihten Orte,

主を横たえ憩われた❞

さらに続く一種の重唱部

❝ZU DREI

《3人ともに》

Die du großen Sünderinnen

大きな罪を犯した女たちも

Deine Nähe nicht verweigerst.

おそばによることも拒まれず❞

で歌われたワーグナーも含めた輪唱の歌声のやり取りが一番の圧巻で聴き応えがありました。

それに対し男声ソロは、特にテノールのシャーデがその経歴に似合わず不調というか年が関係あるのか、声量が出ず、最初の方では声も細くて、美声のテノールの痕跡は感じるのですが、不満が残りました。ところが彼は2部最後のコーダ部分では全く別人の様な立派な歌い振りをしたのにはびっくり、体調も考えてそれまでセーヴしていたのでは?と思えた。残りのバリトン、バスのストリフとシュテフェンスはまだ年も若いので洗練された歌い振りには至っていませんでしたが、二人とも出番は少ないものの結構長い(オペラだと)アリア(というよりはレチタティヴォかな?)を歌ったので、幾つか特徴がつかめました。ストリフは

第2部最初の方の

❝PATER ECSTATICUS (Baritone)

《法悦の教父(バリトン)》
(auf und abschwebend)

(舞うように漂いながら)・・・

の箇所の最後のパッセッジ、

・・・Ewiger Liebe Kern!

永遠の愛の核心よ!❞

の Liebeをリ―――――ベと随分長く伸ばして歌った声は安定して伸びやかで良かったし、またシュテフェンスは、

❝PATER PROFUNDUS (Bass)

瞑想する教父(バス)

(tiefe Region)

(深い谷あいにて)❞

の箇所のやはり最後のフレーズ

❝Erleuchte mein bedürftig Herz!

わが貧しき心にも光を灯したまえ!❞

では仲々いい声を張り上げていましたが、しかし果たしてその結果・効果を考えて歌っているのだろうかと思われる歌い振りでした。何れにせよ、これからの可能性はかなり期待出来そうな歌手達でした。

 一方事前に聴いておいた 2016年のN響90周年記念特別演奏会 パーヴォ・ヤルヴィ指揮マーラー「一千人の交響曲」の録画を見た限りでは、そこでは、ソリスト達が皆すばらしい自分の歌声を十二分に発揮していて、これぞ本物という感じを受けました。(今回の様に外人歌手でした)

 それに比し、今回のソロ陣は、全体として見劣り、聴き劣りがあるなと思わざるを得ませんでした。

 また肝心のコーラスですが、上記した2部最後の合唱は、オーケストラの度重なる終焉目掛けた大合奏に一歩もひけを取らず、管弦が影薄くなる程の大音量でNHKのあの広いホールの隅々まで声を響かせていたのを聞き、❝ああ、300人位が丁度かな?これが1000人近く集まったと仮定すれば、管弦がいくら声を大にして楽器を鳴らし、アンサンブルを形成しても雑になる可能性がある❞と感じたのです。その傾向は今日のオケとの関係でも出ていなかったでしょうか?ルイージさんは懸命に体を大きく傾けながら指示を出しても、管弦楽とは所詮異なる訓練法で合わせて来た混成合唱部隊ですから、若干の齟齬があったかも知れません。特に第一部の合唱旋律はマーラーの旋律としてはそれ程流麗な箇所は多くなく、管弦と合唱が自然と溶け合っているとは思えない混沌世界を感じさせる箇所も散見されました。そう言えばズート以前に、オーケストラの指揮者以外にもう一人合唱を指揮しオケに合わせていた公演を見たことがあった気がする。あれはいつの何だったのだろうか?ハテハテ?
 今日の公演を聴いた感想は一言でいうと、(これも最近別な公演の時の感想で使用した言葉なのですが)

❝目出度さも中くらいなりおらが春❞

なお、1部と2部の最後近くに、左右の壁についてある照明装置から強い光のランプが輝きましたが、あれは二階の横断通路の右翼でバンダが演奏したのに対し、スポットライトを浴びせたらしいのですが、バンダの位置自体が分かりずらいですね。もっと高い位置で吹けばいいのにと思った次第です。(バンダは3Trmp.+2Trmb.)


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