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綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

ベルリン・フィル日本ツアーブログ(リブログ)

 ベルリンフィルから今回の日本公演ツアーに関するメールが届いたので、その一部(ベルリン・フィル ツアーブログ)を、転載(リブログ)します。

 東京公演はいよいよ明日からですね。ウィーンフィルの公演を楽しんだばかりの東京地方のクラシックファンには、又贅沢な一時が待ち構えています。

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ベルリン・フィルが4年ぶりに来日!26日まで6都市で全10公演を開催。

 現在、ベルリン・フィルは日本ツアーを行なっています。11月26日までの来日公演の模様を、ベルリン・フィルのツアーブログで紹介しています。またベルリン・フィルの日本語版FacebookやX(旧Twitter)、LINE VOOMでも、ツアー中の写真やビデオを随時更新中。ぜひご覧ください!(ベルリン・フィル)


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Autor*inI(訳): 中村真人Veröffentlicht am: 15.11.2023 ベルリン・フィルと日本

 

初めての日本への旅


 1970年の大阪公演にて。着物姿の女の子から花束を贈られるヘルベルト・フォン・カラヤンと第1コンサートマスターのミシェル・シュヴァルベ (© Archiv Berliner Philharmoniker)


 1957年10月29日、西ベルリンのテンペルホーフ空港からベルリン・フィルのメンバー総勢百人以上を乗せた飛行機が飛び立ちました。楽団創設75年のこの年、初となる日本への演奏旅行が実現したのです。それはローマ、カラチ、ニューデリー、バンコクなどを経由する南回りのルートで、約45時間を要する大旅行でした。ベルリン・フィルのアーカイブ(資料室)には、スカンジナビア航空のチャーター機の機内食のメニューが保存されています。そこに並ぶのは、「ア・ラ・フルトヴェングラー」や「フィルハーモニー・ゲミューゼ(野菜)」「カルトッフェル(じゃがいも)・カラヤン」なる特別メニュー。一体どのような味がしたのでしょう。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが死去してまだ4年、初の日本ツアーに随行したのは1955年に首席指揮者に就任したばかりのヘルベルト・フォン・カラヤンでした。

 一行が日本に到着したのは10月31日。第1コンサートマスターのミシェル・シュヴァルベはこう回想しています。「私たちが羽田空港に到着したときから、日本の人たちの歓迎ぶりは想像以上のものでした。飛行場を出るや否や、私たちは沢山のファンに囲まれて、殆んど身動きも出来ないほどでした」。11月3日には、ツアー招聘元のNHKによってカラヤン指揮のコンサートがラジオとテレビで生中継されました。メインの演目は、ベートーヴェンの交響曲第5番。日本のお茶の間に初めてベルリン・フィルの演奏が届けられた瞬間です。このときのツアーでは、北は仙台、南は福岡まで16もの公演が行われ、ベルリン・フィルの演奏は各地で熱狂的に迎えられました。まだ新幹線がない当時、名古屋から福岡までの列車での移動は一日がかりの行程でした。

 

※ビデオ:ベルリン・フィル団員の回想

ビートルズに勝るとも劣らないヒーロー信仰、東京のカラヤン広場前にある第二の故郷、そして今でも上皇后陛下のために楽譜を自分でめくられる上皇陛下…。ベルリン・フィルには、日本でのユニークな思い出が数え切れないほどあります。ソロ・フルート奏者のエマニュエル・パユ、ヴィオラ奏者のヴァルター・キュスナー、ヴァイオリン奏者のアレッサンドロ・カッポーネが、過去の日本ツアーを回想します。(写真のみ)

 

○ベルリンで学んだ日本人
 とはいえ、ベルリン・フィルと日本とのつながりは、1957年に始まったのではありません。例えば、作曲家の山田耕作は、この演奏旅行のプログラム冊子に寄せたエッセイにこう書いています。「遂に待望のベルリン・フィルハーモニーを迎えることとなった。何たる喜びであろう。特に私どものような、ドイツ音楽を心のふるさととして熱愛するデア・アルテ・ホッホシューラー(ドイツ語で「元学生」の意)にとっては、これこそは無上の歓喜でなければならない」。国民的作曲家として知られる山田耕作は、すでに第1次世界大戦前、ベルリンで音楽を学びました。明治期から1940年頃まで、近代化を急務とした日本にとってベルリンは医学や科学技術、法学、文化芸術などの分野でもっとも重要な留学先のひとつでした。山田らベルリンで学んだ音楽家は、フルトヴェングラーやリヒャルト・シュトラウスが指揮するベルリン・フィルのコンサートを日常的に聴ける環境にありました。1924年には近衛秀麿が日本人として初めてベルリン・フィルを指揮し、大戦下の1940年まで計7回共演。山田耕作も1937年に自作を指揮してベルリン・フィルと共演しました。近衛は1926年に新交響楽団(現在のNHK交響楽団)を設立するなど、ベルリン・フィルは日本の西洋音楽の受容にも大きな刺激を与えたといえるでしょう。

 

○カラヤンとベルリン・フィル
 1966年の第2回の来日以降、ベルリン・フィルは数年ごとに日本公演を行うようになります。この頃の来日公演のプログラム冊子を見ると、カラヤンとベルリン・フィルのレコードの広告が必ず掲載されています。レコード産業の全盛期とも重なり、「カラヤン&ベルリン・フィル」は日本においてクラシック音楽のひとつの代名詞ともなりました。やがて1980年代に入ると、カラヤンの健康状態の悪化が懸念されるようになります。1984年の来日公演を招聘したマネジメント会社のある社員には、こんな思い出があります。「東京・普門館でのコンサートの開演前、私はたまたま舞台袖にいました。カラヤンさんがステージマネージャーのヴォルフガング・リンガーさんに腕を抱えられて舞台に行こうかというとき、カラヤンさんが私に向かって『君も手を貸してくれないか』と目で合図を送ってこられたのです。私はびっくりしましたが、リンガーさんとマエストロの両腕を抱えて舞台にお送りしました。普門館は指揮台までの距離がとても長かったので、カラヤンさんは音楽に集中するために少しでも体力の消耗を避けたかったのでしょう。自分もわずかながらカラヤンさんの役に立っているのかと思うと嬉しかったです」

 カラヤンは1986年の来日公演を急病によりキャンセルし、弟子の小澤征爾に代役を委ねます。しかし、1988年には最後の来日を果たし、設計の際に自ら助言を送った東京・サントリーホールなどで渾身の演奏を披露しました。カラヤンの名は、サントリーホール前の広場に今も刻まれています。

 

○アバド、そしてラトルとの来日


2017年の来日公演にて。サイモン・ラトルのサイン会に並ぶ人々 (© Monika Rittershaus)


 カラヤンの没後、1990年代の来日公演の顔となったのは、首席指揮者を引き継いだクラウディオ・アバドです。1992年の来日公演では、ブラームスの交響曲と協奏曲ツィクルスが組まれました。アバドはその後の日本公演で、カラヤンがほとんど取り上げなかったマーラーの交響曲をプログラムに取り入れるなど、世代交代が進んだベルリン・フィルと清新な演奏を繰り広げます。最後となった2000年秋の来日公演では、ワーグナーの《トリスタンとイゾルデ》が東京文化会館で上演され、ベルリン・フィルが日本で初めてオーケストラピットに入りました。アバドは闘病の最中でしたが、出演者が一丸となって音楽に献身した演奏は、今なお日本のファンの間で語り草となっています。アバドの後任のサー・サイモン・ラトルは、2004年から2017年まで計7回の来日公演を指揮しました。ハイドン、ベートーヴェン、ブラームスの交響曲、ラヴェルやストラヴィンスキーの作品などに加えて、トーマス・アデス、細川俊夫、チン・ウンスクといった同時代の作曲家の作品を日本公演でも積極的に紹介したのはラトル時代の特色です。

 

○ペトレンコとの初来日へ
 ベルリン・フィルの来日公演が日本で初めて生中継されてから66年、ベルリン・フィルの定期公演はデジタル・コンサートホールを通じて今や毎週のように配信されるようになりました。しかし、それでも生の音楽をコンサートホールで共有する演奏旅行は特別な機会です。さらに、ベルリン・フィルの名を冠した種々のアンサンブル、楽団のメンバーによるリサイタルやワークショップ、アマチュアオーケストラとの交流など、さまざまな形を通して日本とベルリン・フィルとの友情は育まれてきました。土屋邦雄、安永徹、町田琴和、清水直子、樫本大進、伊藤マレーネといった歴代のメンバー、また過去に200回近く共演し、「ベルリン・フィル名誉団員」の称号をもつ小澤征爾が文化交流の担い手として果たしてきた役割も見逃せません。現首席指揮者キリル・ペトレンコとの初来日となるこの11月の来日公演では、ベルリン・フィルの核となるドイツ=オーストリアのレパートリーの公演に加えて、アマチュア音楽家とベルリン・フィルのメンバーによる特別オーケストラ「Be Philオーケストラ」のプロジェクトが実現します。どんな熱気と興奮が待ち受けているでしょうか。