HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

東京交響楽団第712回定期演奏会


f:id:hukkats:20230716103314j:image

【日時】2023.7.16.(日)14:00~

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京交響楽団

【指揮】ジョナサン・ノット

【独奏】神尾真由子(ヴァイオリン)

【曲目】

①エルガー『ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 』

(曲について)

 フリッツ・クライスラーに献呈されたが、クライスラーはあまりこの作品を好まなかったのか、録音を残していない。歴史的名ヴァイオリニストのうちこの作品を好んだのは、ヤッシャ・ハイフェッツであろう。ユーディ・メニューインは、作曲者自身の指揮によって録音を残した。その後もなかなか実演や録音の機会に恵まれなかったが、イダ・ヘンデルの他、チョン・キョンファ 、イツァーク・パールマンやナイジェル・ケネディ、ヒラリー・ハーンらによって積極的に録音されるようになった。

 

②ブラームス『交響曲第2番 二長調』

(曲について)

 1877年6月、ブラームスは南オーストリアのケルンテン地方、ヴェルター湖畔にあるペルチャッハに避暑のため滞在、第2交響曲に着手し、9月にはほぼ完成した。10月にバーデン=バーデン近郊のリヒテンタールに移り、そこで全曲を書き上げている。4ヶ月間の作曲期間は、第1交響曲の推敲を重ねて20年あまりを要したのと対照的だが、第1交響曲の作曲中にも準備が進められていたという説もある。 ブラームスは、ペルチャッハから批評家エドゥアルト・ハンスリックに宛てた手紙に「ヴェルター湖畔の地にはメロディがたくさん飛び交っているので、それを踏みつぶしてしまわないよう、とあなたはいわれることでしょう。」と書き送っている。その後、ブラームスは2年間続けてペルチャッハで夏を過ごし、この地でヴァイオリン協奏曲ヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」などが生み出された。ブラームスの親友のひとりである外科医のテオドール・ビルロートは、第2交響曲に接して「ペルチャッハはどんなに美しいところなのだろう。」と語ったとされる。

 

【演奏の模様】

①エルガー『ヴァイオリン協奏曲』

 正直言って神尾さんのファンです。その演奏には、心酔しています。まだ「追っかけ」程にはなっていませんが。今年に入ってから、1月、3月、5月、7月と隔月ベースで、聴きに行ってます。あれは、たしかコロナが流行する何年も前だったと思います。森ビルで、ストラデヴァリウス展があって20挺もの名器が、一堂に会したことがありました。その時何人かのヴァイオリニストが、展示器を使って、時間を限ったミニ演奏会を行ったのです。展示品を見て回っていたら、離れた準備室から、演奏の準備をするヴァイオリンの音が聞こえて来ました。それが、余りに朗々と聞こえるので、準備室の扉付近まで近寄って聞いていたら、とても素晴らしい、つい何十分も聞いてしまいした。何か演奏会を一つ特した気持ちでした。後で係の人に尋ねたら、神尾さんが練習しているとのこと、ミニ演奏で使うストバリを使い慣らしていたのでしょう、きっと。❝名器は、名人を選ぶ ❞ と言われるぐらい、気難しいのがストバリです。何年もかかって、やっと名器の本領が発揮出来たと言う人もいますから。そして、そのあとで聴いた神尾さんのロビー演奏の音に心を奪われたと言っても良いでしょう。演奏会と言っても、展示室の少し広めの空間に神尾さんを中心に聴衆十数人が取り囲んで立って円陣を組み、確か「カルメン幻想曲」だったと思いますが、将に目の前で演奏されたのを聴いたのでした。演奏が終わって思わず、大ホールの演奏後のブラボーと同じ様な大声で、❝素晴らしい!!❞と叫んでしまった自分に気が付きました。恥ずかしいとか迷惑といった気持ちを越えて、心の叫びが外に出てしまった感じ。神尾さんも余りの大声だったせいか、びっくりした表情でした。❝こんなに鳴るヴァイオリンは聞いたことない、こんなに鳴らすヴァイオリニストは見たことない❞と思ったものでした。因みにその時のヴァイオリンは歴史的にも有名なストバリの「ルビノフ」だったと思います。

 さて①エルガーの演奏の方は全三楽章構成、楽器編成は、二管編成弦楽五部12型でした。
Ⅰ.Allegroアレグロ(ロ短調)
Ⅱ.Andante(変ロ長調)
Ⅲ.Allegro molt(ロ短調~ロ長調)

最初、オケの結構長い序奏部が続き、

暫くしてやおら神尾さんは弾き始めました。この曲は50分を超えることもある長編作品ですが、このオケによるイントロも長大ですね。これを待つソリストはイライラしないのでしょうか?せっかちな自分など、銀行ATMの前の人が1分も操作しているとイラつくことがあるのに。「ヴィルトゥオーソ」とも呼ばれる人たちは心の修練もされているのでしょう。

 第一楽章からバリバリと弾き出した神尾さんの演奏が、どうのこうのと言うのもおこがましい。いつもの変わらぬ神尾さんの好調ぶりを見て納得、ウン、ウンとうなずくだけでした。

 続く第二楽章の美しさは、これを聴いた人なら誰でも(ではないかな?世の中広いから、多くの人はとして置きましょう)心に清廉な感じを受けると思います。と同時に美しさの背景にあるエルガーの苦悩にも触れる思い。

第三楽章は、神尾さんの面目躍如たる活躍の場面でした。様々なヴァイオリン演奏の高等テクニックがさく裂し、聴く人は何が何だか分らなくて、唖然とするかもしれません。

またこの楽章では、世人口をそろえて「トレモロピツィカート、トレモロピツィカート」と姦しく言いますが、今回の東響の演奏を見ても(弦楽奏者は弓を置いて五本の指を少し丸めて弦をはじいていました)、多くの録画を見ても、ソリストの演奏、特に伴奏つきカデンツアを引き立たせる効果は無いのではと思われました。以下に譜例を示しましたが、何分 ppp で演奏される音は、奏者の大音量の超絶技巧音の叫びにほとんど影響がない、もしくは聞こえない程度、やっと聞こえる程度のものです。物珍しさに気を取られ過ぎではなかろうかと思われました。

<譜例>

 

 最後の楽章も神尾さんはノット東響の手練れたロマンティシズム表現の後押しを受け、一気に力強く弾き終わるのでした。確かにテツラフやパールマンなどの演奏と比べると女性的かも知れませんが、最近かなりごつごつした迫力もついて来ている神尾さんの男っぽい部分も今回の演奏でも感じられたと思いました。

 ただ神尾さんの演奏はさて置き、このエルガーの曲自体についての感想は、雑然感が残り、作曲家としても未整理状態のままになってしまった作品ではないかと聴いていて思うのです。音楽には多くの聴衆のための曲、聴衆に受ける曲と、演奏者のための曲の二種類があるのではなかろうかと時々思うのですが(実際には作曲家自身のための曲もあるかな?)、将にこの曲は後者の例でしょう。それが余り演奏されないレアな作品の一因になっているのでは?


f:id:hukkats:20230717171925j:image

 

 

②ブラームス『交響曲第2番』

ブラームスの交響曲は、昔から何十年も変わらず、第1番に凝っているので、どうしても4番にせよ他の交響曲にせよ見劣りしてしまって嫌いではないですが、余り好きという程のものでは有りませんでした。ところが結論的に言うと、今回の演奏を聴いて、この4番の良さがいや増しに分かって来たのです。詳細は時間の関係で割愛し別の機会にと思いますが、かなり好きになりつつある結果になったことには自分ながら驚きました。自分が年取ったせいかな?いやそうではなくノット東響の演奏がそれだけ良かったせいだろうと思うこの頃です。


f:id:hukkats:20230717172452j:image