HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

パレルモ・マッシモ劇場『ラ・ボエーム』初日鑑賞(詳細)

オペラの世界では良く知られた名作として世界中で度々上演されているプッチーニ作曲のオペラです。物語はアンリ・ミュルジェールの小説・戯曲『ボヘミアン生活(hukkats注)の情景』(1849年)からとられ、台本はジュゼッペ・ジャルコーザとルイージ・イッカリカのコンビによるものです。

ボヘミアン生活(hukkats注)

ボヘミアン生活(=『ボエームBohème))は、1800年代初期にアンリ・ミュルジェール1822年 - 1861年)の一連の雑誌記事で初めて登場し、たびたび翻案された物語。これらの記事は1849年に『ボヘミアン生活』として戯曲化、その後小説『ボヘミアン生活の情景』 (fr:Scènes de la vie de bohèmeとして1851年にパリで出版された。その意味は一般的には、「伝統的な暮らしや習慣にこだわらない自由奔放な生活をしている芸術家気質の若者」を指す言葉となった。そのニュアンスとしては、良い意味では「他人に使われることなく質素に暮らし、高尚な哲学を生活の主体とし、奔放で不可解」という含意、悪い意味では「定職がなく貧しい暮らしで、アルコールドラッグを生活の主体とし、異性関係や身だしなみにだらしない」という含意がある。

【主催者言】

グリゴーロ! ゲオルギュー!最高のキャストが実現した空前の舞台

 貧しいが希望に燃える若き芸術家たちの愛と死。青春特有の危うさと華やかさが描かれ、だれもが等身大で泣き笑いできるオペラの最右翼が《ラ・ボエーム》だ。
危なっかしいが可憐なミミと、情熱的な詩人のロドルフォの二人を軸に物語は展開し、肺病に侵されたミミの死で幕を閉じる。
 プッチーニの音楽がまた秀逸だ。二人の出会いはとびきり美しいアリアと重唱で飾られ、別れは切なすぎるほど美しい。 思い出が次々と蘇った後に訪れるミミの死は、痛いほど心に刺さる。ロマンティックな抒情性の極みというべき旋律が雄弁な管弦楽をまとい、次々と胸に迫るのだ。しかし、だからこそプッ チーニの渾身の音楽の力を十全に引き出す演奏、とりわけ声と音楽性が欠かせない。
その点、このキャストには驚かされる。
グリゴーロの比類ない歌唱力と感情表現、世界一のミミと呼ばれたゲオルギューに加え、もう一組のカップルも若手のホープ、ヌッチオをはじめ申し分ない。
ツボを押さえたカルミナーティの指揮と相まって、 空前のボエームにならないはずがない。(オペラ評論家 香原斗志)

 

【日時】2023.6.15.(木)16:30~

【会場】東京文化会館

【演目】プッチーニ作『ラ・ボエーム』全四幕(1幕40m.2幕20m.3幕30m.4幕35m.休憩20+15=35m.その他5m.)

【上演】パレルモ・マッシモ劇場

【管弦楽】パレルモ・マッシモ劇場管弦楽団

【指揮】フランチェスコ・イヴァン・チャンパ

【合唱】パレルモ・マッシモ劇場合唱団

【演出】マリオ・ポンティッジャ

【舞台】フランチェスコ・ジート  

【キャスト】

ミミ、お針子(ソプラノ)アンジェラ・ゲオルギー

 

〇ミミ、お針子(ソプラノ)

アンジェラ・ゲオルギュー

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〈Profile〉

 英国ロイヤル・オペラ《椿姫》で脚光を浴びて以来、ソプラノの指標であり続けている。確かなテクニックに裏打ちされ た抒情的で情熱的な歌唱は、圧倒的光彩を放つ。2017年、マッシモ劇場の日本公演《トスカ》も圧巻で、拍手がいつまでも鳴りやまなかったが、ミミは彼女のさらなる十八番だ。

 

〇ロドルフォ、詩人(テノール)ヴィットリオ・グリゴーロ、

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〈Profile〉

 パヴァロッティ亡き後のイタリアを代表 するテノールのカリスマとして、世界中で称賛がやまない。特にパヴァロッティから直接指導を受けたロドルフォ役は、 右に出る歌手がいない。旋律に緩急と強弱を自在につけ、生命力をみなぎらせるテクニックは比類なく、三大テノールさえ超えている。

〇ムゼッタ、歌手(ソプラノ)ジェッシカ・ヌッチェオ

〇マルチェッロ、画家(バリトン)フランチェスコ・ヴルタッジョ

〇ショナール、音楽家(バリトン)イタロ・プロフェリシュ

〇コッリーネ、哲学者(バス)ジョヴァンニ・アウジェッリ

〇ブノア、家主(バス)

〇パルピニョール、行商人(テノール)

〇その他

ブノア家主

アルチンドロ、参議員(バス)

軍曹(バス)

税関吏(バス)

合唱:学生、仕立屋見習い、市民、店主、行商人、兵士、給仕、子ども、等々

【粗筋】

《第一幕》

パリにある、ボヘミアン仲間が暮らす屋根裏部屋。クリスマス・イヴ

画家・マルチェッロと詩人・ロドルフォが火の気の無い部屋で仕事をしている。寒さに耐えかねてロドルフォが売れ残りの原稿を暖炉にくべる。「世界の損失だ」などと軽口をたたいていると哲学者コッリーネが帰ってきて、何も金になることがなかったとぼやく。そこへ音楽家ショナールが食料・薪・煙草などを運ぶ従者たちとともに意気揚々と入ってくる。ショナールはこれらをどうやって稼いだかを得意げに語るが、誰も耳を貸さず貪るように食料に飛び付く。しかし、ショナールはワイン以外は取り置いて、「今夜はクリスマス・イヴなのだから、皆でカフェ・モミュスに繰り出そう」と提案し、一同大賛成する。

そこへ家主のブノアが未払い家賃の催促にやってくる。ボヘミアンたちは家主にショナールの金を見せて安心させ、ワインをすすめておだてる。家主が酔った勢いで、妻があるにもかかわらず浮気をしていたことを語ると、一同憤慨したふりをして家主を部屋から追い出してしまう。

彼らは家賃になるはずの金をカフェ・モミュスでの飲食費として分けあう。皆出かけるが、ロドルフォは書きかけの原稿があるといって1人残って書きつづける。

そこに誰かがドアをノックする。お針子のミミがカンテラの火を借りに来たのだが、めまいを起こして床に倒れ込む。ロドルフォに介抱されて落ち着いたミミは火を借りて礼を言い、立ち去る。しかし、彼女は鍵を落としたといって戻ってくるが、戸口で風が火を吹き消してしまう。再度火を点けようと、近寄ったロドルフォの持つ火もまた風で消えてしまう(ロドルフォが、わざとローソクの火を吹き消す演出もある)。しかたなくふたりは暗闇で鍵を探す。ロドルフォが先に見つけるが、彼はそれを隠しミミに近寄る。そして彼女の手を取り、はっとするミミに自分のことを詩人らしく語って聞かせる(「冷たい手を」)。続いてミミも自己紹介をする(「私の名はミミ」)。一向に降りてこないロドルフォを待ちかねた仲間が「まだか」と声をかける。ロドルフォは「今ふたりでいる、直ぐに追いつくから席を2人分取っておいてくれ」と言う。仲間たちは気を利かせて先に行くことにする。まだ愛を確認したいロドルフォだが、ミミが仲間と一緒に行きたいと言うので後を追ってパリの街に出かけることにする。ふたりの愛情のこもった二重唱で幕がおりる。

第二幕カフェ・モミュス

クリスマスを祝う群衆で賑わう通りで、物売りが口々に声を張り上げている。ボヘミアン仲間はカフェに集まり食事を始める。ロドルフォはミミに帽子を贈る。そこにマルチェッロの元の恋人ムゼッタが金持ちのパトロンのアルチンドロとともにやってくる。

彼女は頻りにマルチェッロの気を引こうとする(「私が街をあるけば」)。マルチェッロはそれを意地でも無視しようとするのでムゼッタはさらに誘惑を続け、アルチンドロはうろたえる。ついにムゼッタは靴がきつくて足が痛いと騒ぎ出し、アルチンドロを靴屋へ修理に行かせる。さきほどからムゼッタへの想いを絶ちきれずにいたマルチェッロと邪魔者がいなくなったムゼッタは互いに抱きあう。彼らは勘定を済ませようとするが、手持ちの資金が底をついている。ムゼッタは自分と彼らの支払いをアルチンドロに払わせることにする。そこへ帰営する軍隊の列が通りかかり、その見物の喧騒に紛れて逃げることにする。マルチェッロとコッリーネは片足はだしで歩けないムゼッタを抱え列の後を追い、周りで見ていた人々はその意気揚々とした姿を見て喝采を送る。その他の人々も列の後を追う。全員が立ち去った後アルチンドロが靴を持って戻りムゼッタを探す。ギャルソンが彼に勘定書きを手渡すと、アルチンドロはその額に驚き、そしてその場に誰もいないのを知って、その場で椅子に座り込み第2幕を閉じる。

《第三幕》

アンフェール門(ダンフェール・ロシュロー広場)の市外との関税所前。翌年2月。

明け方。衣服行商人が市内にやってくる。他にも様々な商人の行き来がある。居酒屋でムゼッタの歌声が聞こえる。ミミが登場し激しく咳き込み、居酒屋にマルチェッロを訪ねる。彼はここで看板を描いているという。ミミはマルチェッロに、ロドルフォとの生活がうまくいかない悩みを打ち明ける。彼は嫉妬深く、自分に冷たいというのだ。ついにロドルフォは昨夜ミミを置いて家を出たという(「助けてマルチェッロ」)。マルチェッロは、ロドルフォは宿屋で眠っていると答える。そこへロドルフォが目を覚まし、マルチェッロを探しに出てくるのでミミは隠れる。ロドルフォはミミのことを問うマルチェッロに、彼女の病気が重く、自分と暮らしていては助からないので別れなくてはならないと打ち開ける。

マルチェッロは陰で聞いているミミのことを案じ、彼を黙らせようとするが彼女はすでにロドルフォの話をすっかり聞いてしまう。彼女が泣きながら咳き込むのでロドルフォも彼女に気付き、心配しておおげさに言っただけだから心配ないと彼女を慰める。

居酒屋のムゼッタの嬌声を聞いてマルチェッロが店に駆け込む。彼は彼でムゼッタの奔放な性格に手こずっていたのだ。

ふたりきりになると、彼の配慮を感じたミミはロドルフォに別れを告げる。以前住んでいた屋根裏部屋に戻ること、身の周りの細々したものを誰かに取りに行ってもらうことなどを淡々と語るが、「以前買ってもらったあの帽子だけは、良かったら私の思い出にとって置いて欲しい」と別れを言う(「あなたの愛の声に呼ばれて出た家に」)と、ロドルフォも彼女をいたわりつつ別れの言葉をかわす(「さらば甘い目覚めよ」)。ふたりの歌に並行して、居酒屋から出てきたムゼッタとマルチェッロが激しく言い争って喧嘩別れして行く。ロドルフォとミミが第1幕最後の愛の言葉を交わす二重唱の一節を繰り返して幕が下りる。

《第四幕》

再び屋根裏部屋。数か月後。

ロドルフォとマルチェッロが仕事をしているが、ふたりとも別れた恋人の事が思い出されて仕事にならない(「ああミミ、君はもう戻ってこない」)。ショナールとコッリーネが食料を持って帰り、4人はいかにも豪勢な食事であるかのように芝居をしながら食べる。演技に興じて決闘のまねごとをしているところに、ムゼッタが血相を変えて駆け込んでくる。

ミミと戸口までいっしょに来たが彼女は今そこで倒れた、というのでロドルフォは急いで助けに行く。ムゼッタは金持ちの所で世話になっていたミミが、死ぬ前にひと目ロドルフォに会いたいというので連れて来たことを3人の仲間に語る。ミミはロドルフォ、仲間たちとの再会を喜ぶ。彼女をベッドに寝かせると、ムゼッタはミミの手を温めるためのマフを取りに、マルチェッロはムゼッタのアクセサリを売って薬を買うために揃って出て行く。コッリーネは瀕死のミミのために自分の古着を質に入れようと、ショナールを誘って部屋を去る(「古い外套よ」)。

ふたりきりになると、ミミはロドルフォに話しかける(「みんな行ってしまったのね」)。ロドルフォが例の帽子を見せるとミミは喜び、2人の出会いと幸せな暮らしのことを語りあう(「ああ、僕のミミ」)。しかしミミは再び気を失い、ロドルフォが声を出すと外で様子をうかがっていたショナールたちが駆込んで来る。ミミは再び目覚め、ムゼッタが持ってきたマフで手が温まると喜ぶ。そのまま眠りにつくミミの傍らでムゼッタは聖母マリアに祈る(ムゼッタの祈り)。ショナールがふとミミを見ると彼女はすでに息絶えていた。そっと皆に知らせると、ロドルフォは周りのただならぬ様子に事態を察し、ミミの亡骸にすがりついて泣き臥す。さきほどのミミが歌ったモティーフをオーケストラが強奏で繰り返して幕となる。

 

《第三幕》

【上演の模様】

 1800年代のとあるパリの下町、お針子ミミと詩人のロドルフォ、この貧しい二人が知り合い、愛し合う様になったそもそもの切っ掛けは、ミミが蝋燭の火だねを貰うために、ロドルフォ達の部屋のドアをノックした事(偶然2)でした。しかも同居している男性三人は留守にしていて、ロドルフォ1人だけが部屋に残っていたことも偶然です(偶然3)。火種はいつも消えることを考えれば、再点火する火種は必需ですがミミは、貧しくて火種も切れていたのでしょう。(マッチは当時は普及していない)(偶然1)。

 これらの偶然が重なったオペラの冒頭部のやり取りです。四人同居している男性4人がクリスマスイヴなので外出しようとするのですが、詩人のロドルフォだけは詩を書き上げてから遅れて行く積もりでした。

 

《第一幕》

ロドルフォ
(書くのを止め、ペンを投げ出して)うまく書けぬ。(おずおずとノックする音が聞える)誰?

 

ミミ(外から)あの。

 

ロドルフォ(立つ)女の人だ。

 

ミミ すみません。灯が消え(まし)たので。

 

ロドルフォ(走って行って扉を開け)さあ(どうぞ)。

 

ミミ (消えた蝋燭と鍵を持ってもじもじと)でも。

 

ロドルフォ どうぞこちらへ。

 

ミミ(恥じらいながら) 私(わたくし)!

 

ロドルフォ (言い張る)どうぞお入(はい)り。(ミミ入る。突然激しく咳込む)

 

ロドルフォ (気遣いして) どうしたの?

 

ミミ いえ、別に。

 

ロドルフォ 顔色が。

 

ミミ (ますます咳く) 階段で疲れたの。(気絶して蝋燭と鍵を落す)

 

(ロドルフォ、助けて椅子にかけさせる)

 

ロドルフォ (当惑して)これはどうしよう。そうだ。(水を取って来て、ミミの顔にふりかける。じっと顔を見て) 何てきれいな人だ。

(ミミ気がつく)

いかがです?

 

ミミ えゝ。

 

ロドルフォ こゝは寒い。どうぞこちらへ。


(ミミ拒む)


あ、そうだ。(葡萄酒をとり)これを少し。

 

ミミ 有難う。

 

ロドルフォ(盃を渡し、注いでやる)どうぞ。

 

ミミ 少しだけ。

 

ロドルフォ この位?

 

ミミ えゝ(どうも)。(飲む)

 

 

ロドルフォ (傍白) 何ってきれいな人だ。

 

 これがオペラ冒頭でミミとロドルフォが顔合わせた場面で歌うやり取りです。

以上の三つの偶然が重なったことは、私見ではどうもこの偶然は、キリスト教に於いては、神に依る導きだったのではなかろうかと思えるのです。自分はキリスト教とは一切関係なく、どちらかというと科学的に物事を考えるたちがあるのですが、論理的に考えても、ミミの病状は悪化しているし、そう長くは生きられない予感がミミにはあったのかも知れない。そして彼女はロドルフォ達男四人が同居していることは以前から近くで見て知っていた筈です。気の良さそうな三人だと思っていたのでしょう。当時はまだマッチが普及していなかったので(マッチの発明はフランスではフランスの化学者C.ソーリアが1831年に黄りんマッチを発明)火種として火付け石の火花で点火し、薪等が炭火化したものを灰の中に取っておいて、蝋燭などに点火したのでしょう(或いは直接火打石で?)けれど貧しくて体も悪くてそれも出来ない、四人の男がいる部屋に行けば、危険性は少ないしその内の誰かは蝋燭に点火して呉れるとミミ思った可能性がある。ところが、三人は留守中でロドルフォ一人でした。この日がクリスマスイヴであることも考え合わせれば、将に神が長い命でない信心深い(教会には行けないけれど、いつもお祈りしているとミミは後で歌います)かわいそうなミミを天に召す直前に、ミミに与えた至福の機会だったのでしょう、きっと。

 

ここでロドルフォがアリア「冷たい手を」"Che gelida manina"を歌いました。
テノーレ・リリコの定番アリアです。詩人ロドルフォは自己紹介もかねて「貧しいながらも詩作を通じて夢を求めている」と歌い、ミミに早くも心を奪われたと恋心を打ち明けたのでした。ロドルフォ役のグリゴーロは、それはそれは、これ程見事にこの歌を歌えるテノールは世界広しと謂えどもそうはいないだろうと思われる程の素晴らしく伸びのある声でしかも強弱の微妙な変化を付けて朗々と、高か高かと歌い上げました。会場は瞬時の沈黙の後、爆発的な拍手と歓声が上がりました。グリゴーロ初っ端からやって呉れました。自分も手が痛くなる程拍手していた。
 これに応じてミミが自分の紹介等を歌うこのオペラ随一の聴き処、「私の名はミミ」"Sì, mi chiamano Mimì"を歌うのです。このアリアは往年の名歌手達、ティバルディ、カラス、フレーニ他オペラの名花プリマドンナ達が、歴史的な覇を競う如く歌ってきたソプラノ・リリコの代表的な名歌中の名歌です。
「皆は私のことをミミと呼ぶけれど、本名はルチア。お針子をしていて、教会には余り行かないがいつも神様に祈っています。私の部屋は(屋根裏部屋なので)春の太陽を最初に見られるの」と歌う今日のミミ役ゲオルギューの歌い振りは、上手で完璧な歌声なのですが、何か物足りなさを感じます。勢いというか、まー声量も少し足りなかったかも知れない?いったい往年の強さはどうしたのでしょう?下り坂とは思いたくないです、一幕最初の歌だからまだ本調子が出ないのでは?とも思いました。拍手も相当あったが、グリゴーロには遠く及びませんでした。
 その後のロドルフォとミミの二重唱「愛らしい乙女よ」"O soave fanciulla"は、やはりグリゴーロがゲオルギューに合わせて声を抑制的に歌っていましたが、どうしてもグリゴーロが時々強い歌をさしはさむので、男女丁々発止の愛の歌の取り交わしには不均衡感を抱きました。

 

《第二幕》

ムゼッタのワルツ「私が街をあるけば」 "Quando me'n vo soletta per la via"
ソプラノのコケティッシュな唄で、この歌は『カルメン』が歌う「ハバネラ」と同性格の歌だとよく言われますが、今日のムゼッタ役ヌッチオはコケティッシュのコの字も感じない清純なソプラノの歌声で、歌っていました。それがそれ程変ではない処にこのソプラノのうまさがあったのでしょう。最初だからなのか少し上がっていたかも知れません。その後の脚を見せる場面でも、全然いやらしさは感じなかった。余程清純派か?

 

《第三幕》

3か月ののち、ミミはロドルフォとの2人のことについてマルチェッロに相談しにきたとき、自分が重い結核に侵されていることを知ってしまい ました。愛するロドルフォのために身を引こうと決心しました。(この動機と行動は、「椿姫」に似ていなくもないですね。)

そこでミミとマルチェッロの二重唱「助けてマルチェッロ」 "O buon Marcello, aiuto!"をミミはマルチェッロ役のヴルタッジョと一緒に歌うのですが、ヴルタッジョの歌声が声量もあり、中々渋いバリトンを響かせていて、例えがピッタリではないかも知れませんが、「いぶし銀」の感が有りました。ところがミミ役のゲオルギーの歌い振りは何時しか往年の力強い安定した歌声を取りもどし、文句のない魅力的なミミの悲しみ苦しみを表現していたのには目を見張りました。相当頑張って歌っていた感じです。素晴らしい二重唱でした。このゲオルギーのアリアはミミのアリア「あなたの愛の呼ぶ声に」"Donde lieta uscì al tuo grido d'amoreで最高潮に達し、歌い終わった後は大きな拍手と共にブラボーの声もかかっていました。

4重唱(ロドルフォとミミ、マルチェッロとムゼッタによる「さらば甘い目覚めよ」 "Addio, dolce svegliare alla mattina!")ではそれぞれが、今日の最高の歌声で歌ったと思いますが、何分四人の歌自体が別々の思いをそれぞれ勝手に主張しているきらいが有り、かなりの轟音の重唱といった印象しか残っていません。

 

《第4幕》

屋根裏部屋へ帰ったロドルフォはミミとの生活を懐かしんでいます。瀕死のミミを連れたムゼッタがやってきます。ミミは最後をロドルフォの もとで過ごすことを望んだのだのでした。
 気を利かせてみんなが部屋を出てゆき、ミミはロドルフォの腕の中で静かに息を引きとりました。

コリーネ役のアウジェッリの独り言「さようなら、古びた外套よ」のアリアはしみじみと心に響き、又ミミトロドルフォ2人の2重唱「みんないってしまったのね」この辺りはミミの瀕死の力ない表現力がゲオルギーは完璧でした。

 
 この歌の後奏は最後に再び登場してこのオペラ全体を締めくくるのでした。
 

ここでオペラを振り返って、その時代の社会背景を少し考察して見ますと、

重要な点は四人の男性は同居していて、何れも画家や詩人や音楽家、哲学者など知識人、芸術家であるという事です。しかも定職は無い貧しい生活、しかし自由に生きていることです。巻頭にも記した様に、『ボヘミアン生活の情景』(1849年)から取られた題材なので、当時のパリ市民の底辺層の生活の一面を垣間見ることが出来ます。 この時代のパリは、18世紀末のフランス大革命の流れが様々な変転の末ひっくり返されて王政復古となり、それもルイ8世、シャルル10世の二代で終了、再三の革命、七月革命により瓦解、ルイ・フィリップ(1830~1848)が政権を握った時期を反映しているのです。

 ルイ・フィリップの名はオペラの第一幕に出てきます。音楽家のショナールがイギリス人の郷士に新たに採用されて、その報酬として蒔や食料を買って帰り、部屋のドアを入るや否や、コインをこれ見よがしに幾つかばら撒いたのでした。その銀貨がルイ・フィリップの肖像を刻印した以下の様なコインなのです。その辺りのやり取りはhukkats注2に記しました

 

  


  

hukkats注2 ルイ・フィリップに関連する第一幕の歌のやり取り

 

ショナール(勝ち誇った様子で真ん中のドアから入ってきて、何枚かのコインを放り投げる)フランス銀行はきみたちのために破産だぜ

コルリーネ (ロドルフォ、マルチェッロとコインを拾う)拾え、拾え!

マルチェッロ (疑わしそうに)ただのブリキのかけらさ!...

ショナール (コインを見せて)聞こえんか? 見えんか?このお方をどなたと心得る?

ロドルフォ (おじぎして)ルイ·フィリップ!われらが王に一礼を!

全員 ルイ·フィリップ王が俺たちの足元に❞

ここで最後の全員の歌詞が当時の世相を反映している。要するにそれまでの絶対王朝では、君主は神の様な存在なので一礼をする場合、臣民は一段下から仰ぎ見なければならないものが、オペラの登場人物たちは、ルイ・フィリップを見下した言動をしている。

 

 1789年のフランス大革命の後は、君主、王の神聖性は崩れ去り、国民が上に立つ革命の世になった訳ですが、ルイ・フィリップは王政復古が崩れた後の王党派と革命派との妥協の産物でしかなくこの体制は必然的に短命である運命を持ったのです。事実、オペラ『ラ・ボエーム』のもととなった小説『ボヘミアン生活の情景』が刊行された1851年の3年前の1848年には、パリ市民の二月革命によってルイ・フィリップ政権は斃れたのでした。

暴動に次ぐ暴動、反動政治などによる弾圧等々、社会は安定しておらず、市民(周辺国からの流民も多数有)の生活は貧困のどん底にあえぐものが多かったのでした。「ラ・ボエーム」が初演されたのは、ルイ・フィリップの政治が1848年の二月革命により終焉し今度はナポレオンの甥のナポレオン三世の時代(1848~1870、4年の第二共和政を含む)第二帝政時代になってしまい、このオペラの初演は何とトスカニーニの指揮で1896年になされたというのですから、第二帝政どころかそれが瓦解した後の第三共和政後四半世紀も経った後だったという事は、驚きと共に、当時この様な内容を許容する素地と余裕がフランスには無かったことを示しているのではなかろうかと思うのです。

このオペラは20世紀近くになってから上演されて好評を博しましたが、そこで描かれたボヘミアンたちの流れが1900年台に入ってさらに拡大し、エコール・ド・パリÉcole de Paris)なる言葉さえ作り出されました。これは、「パリ派」位の意味で、20世紀前半、各地からパリのモンマルトルやモmmパルナスに集まり、ボヘミアン的な生活をしていた藝術家たちを指します。厳密な定義ではないのですが、1900年代初頭を中心にパリで活動し、出身国もその画風等もさまざまな人達の総称でもあるのです。一例として次にその名を上げれば有名な名前が目白押しです。

マリー・ローランサン(1883-1956)フランス

モーリス・ユトリロ(1883 - 1955)フランス[1]

アメデオ・モディリアーニ(1884 - 1920)イタリア - ユダヤ人[1]

レオナール・フジタ(藤田嗣治)(1886 - 1968)日本[1]

ディエゴ・リベラ(1886 - 1957)メキシコ - フリーダ・カーロの夫。パリに住み、エコール・ド・パリのメンバーと交流。ユダヤ人を祖先に持つと言われる。

モイズ・キスリング(1891 - 1953)ポーランド - 「モンパルナスの帝王」。ユダヤ人。

ジャック・リプシッツ英語版)(1891‐1973)リトアニア - 彫刻家。ディエゴ・リベラの紹介で、エコール・ド・パリのメンバーと交流。ユダヤ人。

シャイム・スーティン(ハイム・スーチン)(1893 - 1943)ロシア(ベラルーシ) - ユダヤ人。

ガブリエル・フルニエ(1893–1963)フランス - 画家。

ベラ・シャガール英語版)(ベラ・ローゼンフェルド)(1895-1944)ロシア(ベラルーシ) - Bella Rosenfeld Chagall、シャガールの妻。

佐伯祐三(1898-1928)日本

ジャンヌ・エビュテルヌ(1898-1920)フランス - モディリアーニの恋人。画学生。

アリス・プラン (1901 - 1953)フランス - モンパルナスのキキとして知られる歌手、画家。多くの画家のモデルをつとめた。

周辺の作家

アンリ・ルソー(1844 - 1910)フランス - 素朴派の代表であるルソーの自由な作風は、エコール・ド・パリ的だとされる。しかし、活躍した時代が異なるので、通常はエコール・ド・パリには含まれない(ロートレックやゴーギャンと親しかったように、世代的にはポスト印象派の世代。ただし有名になったのはアポリネールやピカソと交流していた最晩年)。

シュザンヌ・ヴァラドン(1865 - 1938)フランス - ユトリロの母。絵画モデル、画家。ロートレックの恋人。ドガの弟子。

アンリ・マティス(1869 - 1954)フランス - フォーヴィスムの画家。

ジョルジュ・ルオー(1871 - 1958)フランス - フォーヴィスムの画家。

ピエト・モンドリアン(1872 - 1944)オランダ

モーリス・ド・ヴラマンク(1876-1958)フランス - フォーヴィスムの画家。佐伯祐三に影響を与えた。

アンドレ・ドラン(1880-1954)フランス - フォーヴィスムの画家。

ギヨーム・アポリネール(1880 - 1918)イタリア - 詩人・小説家・美術批評家。ローランサンの恋人として知られるほか、キュビスムなど美術の革新運動を支持した。

パブロ・ピカソ(1881 - 1973)スペイン - ほぼ同時期にパリで活躍した同世代の画家。ローランサンと親しく、エコール・ド・パリと交流もあったが、その後の業績が華々しいために、狭義のエコール・ド・パリには含まれない。

フェルナン・レジェ(1881 - 1955)フランス - ピカソやブラックとともにキュビスムの画家として知られる。ピュトー・グループの一員。モンパルナスの共同住宅兼アトリエ「ラ・リューシュ」に住んでいたときに、そこに住んでいたマルク・シャガールらの画家と知り合った。

ジョルジュ・ブラック(1882-1963)フランス - ピカソとともにキュビスムの創始者として知られる。ピュトー・グループに所属。

ブレーズ・サンドラール(1887 - 1961)スイス - 詩人、小説家。パリでエコール・ド・パリのメンバーと交流。

ジョルジョ・デ・キリコ(1888 - 1978)イタリア - シュルレアリスムの画家。

ジャン・コクトー(1889 - 1963)フランス - 詩人、画家。ピカソと親しい。

マックス・エルンスト(1891 - 1976)ドイツ - 画家。

ジョアン・ミロ(1893‐1983)スペイン - パリでシュルレアリスム運動に参加。

 

こうした時代背景と素地ができて『ラ・ボエーム』が人々に受け入れられたのでしょう。

 

 尚、ロドルフオたちは、クリスマス・イヴを祝う人々で溢れるパリのカルチェ・ラタンを通り、カフェ、モミュスに繰り出して飲み食いするのですが、この店は実在した模様で、店のスケッチ絵画が残っています。大きく「CAFE MOMUS」の看板字が見えます。


いずれにせよ素晴らしかった今日のオペラに ❝ブラボー!!❞