【日時】2023年3月11日(土) 14:00~(終演予定)16:00
【会場】東京文化会館 小ホール Tokyo Bunka Kaikan Recital Hall
【出演】漆原啓子 Keiko Urushihara (ヴァイオリン, Violin)、野平一郎 Ichiro Nodaira (作曲・ピアノ, Composition / Piano)
【曲目】
①ドビュッシー『ヴァイオリン・ソナタ』
②プーランク『ヴァイオリン・ソナタ FP.119』
* * *
③野平一郎『「一息で」ヴァイオリンとピアノのための』委嘱作品(新作世界初演)
④フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 Op.13』
【出演者言(Message)】
デビュー40周年シリーズも第3回目を迎える事となりました。最終回「フランス編」は、私が最も尊敬する音楽家の一人 野平一郎先生をお迎えしての演奏です。
長年フランスでご活躍されていらっしゃいました野平先生と共に「いつかフランス音楽を演奏したい」と、ずっと願っておりました。
更に今回、先生には委嘱作品をお願いしています。この日の為に書き下ろして下さった特別な曲に心躍る気持ちでおります。
野平先生との演奏はいつもより大きな道しるべを示して下さいます。私も大船に乗った気持ちで、デビューから40周年を応援して下さった皆様へのお礼と、私の演奏活動のこれからの第一歩を、どうぞこの演奏会でご堪能頂けると幸いです。
漆原 啓子
【演奏の模様】
今回のプログラムを見ると、全体的に重々しく悲壮感さえ感じさせる曲が多く選曲されていて、これも東日本大震災の12周年記念日に当たる今日3月11日への追悼の意もあるのかなと思いました。
①ドビュッシー『ヴァイオリン・ソナタ』
第1楽章 Allegro vivo
第2楽章 Intermède. Fantasque et léger
第3楽章Finale. Très animé
配布されたプログラムノートに依れば、ドビュッシーは第一次大戦のさ中、1916年にこの曲を書き始め、1917年には完成、同年の初演後、一年と経たないうちに、彼はガンで亡くなったのでした。謂わば遺作の曲ですね。病いとの戦いは、愛国心の強いドビュシーにとっては戦争で亡くなった死者へのオマージュの意味もあって作曲したのかも知れません。
最初Vnはゆったりとスタート、冒頭の太い低音のややうねりの有るテーマがとてもい感じ。速い小刻みの旋律から高音にのびる音を出し、低音に戻ります。小刻みな音は続き低音域と高音域を行き来しするのですが、低音の響きやこの辺りの響きが何故かブラームスを想起させるます。これまで知らないドビュッシーの感じ。一方Pf.は大体Vn.の旋律に合わせていますが、いかにもドビュッシーらしさを感じる響き。後半の野平さんの太い指から繰り出される繊細なキラキラする旋律は何処かで聴いたドビュッシーの作品を思い起こさせます。楽器によって斯くも違った印象になるのですね。低音から高音⇒下行旋律と結構目まぐるしい変化のある曲です。最後の高音のVn.の叫びなどは、悲痛ささえ感じられるものです。ロマン派的雰囲気も持った楽章でした。
次楽章は軽快な現代的響きを有する曲で、ハーモニックス音あり、pizzicatoの多用や猛然と疾走するテンポの調べあり、幻想性や諧謔性をも感じる調べもありと、一楽章の深刻で重みの有る曲想から一転、一時の気晴らしの意図があったのかも知れません。Vn.Pf.ともに快調に飛ばしていました。
最終楽章も活発な速いパッセッジが、Pf.Vn.ともに競い合う様に繰り出され、ドビュッシーが何か気持ちの上で吹っ切れたのか、将来に一縷の光を見据えたかの様な生き生きした様子を漆原さんも野平さんも表現していた様に思いました。以前漆原(啓)さんの演奏を聴いた時もそうでしたが、流石40年の演奏巧者、完璧な表現力と出音でエネルギッシュに弾き切りました。野平さんとのDuoとは言え、Vn.主流の流れの曲を、野平さんの伴奏で弾くとは物凄く贅沢な組合せです。
尚、この曲の演奏に関してはオイストラフの映像を見て置きましたが、三つの楽章を全体的に纏める統一性が素晴らしかったです。
②プーランク『ヴァイオリン・ソナタ FP.119』
プーランク自身が折りに触れて言及しているように、彼は弦楽器よりも木管楽器を好んでいました。弦楽器のための室内楽作品は、主要なものはFP119 ヴァイオリン・ソナタとFP143 チェロ・ソナタ、FP80cチェロとピアノのためのフランス組曲のみです。今回の演奏会では、そのプーランクのレアな曲が選曲されています。
この曲は、フランコ政権によって銃殺されたスペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカを偲んで作曲された追悼の曲です。楽譜には 「a la memoire de Federico Garcia Lorca 1899-1936」との献辞が書かれていました。ロルカは所謂スペイン内戦(1936年7月~1939年4月)の時、フランコ反乱軍に捕まって処刑された詩人なのです。プーランクは第2次大戦のさ中パリがドイツヒットラー軍によって陥落した時レジスタンスに参加したことも有る位ですから、軍政、圧政に反対だったのでしょう。従ってこの曲は冒頭から激しい猛烈な勢いでスタートします。
第1楽章Allegro con fuoco
第2楽章Intermezzo
第3楽章Presto tragico
1楽章の最初からジャジャジャジャンと速い激しい旋律を漆原さんは弓の根元を多く使って力を込めて弾いています。速い旋律にはpizzicatoを交えながらの演奏、野平さんのピアノも同様なテンポで併奏し、少し長いpizzicato演奏時にPf.の合いの手音が浮き出て来ます。暫くすると比較的ゆるやかな旋律が綺麗に流れ出し、干天の慈雨の様なほっとした気持ちになりました。 この辺りはプーランクの曲の特徴である瀟洒な感じが良く出ています。pizzicatoがはじけるとその後曲風も変わり強い表現になり重音も交えた重々しい雰囲気でPf.ともどもかなりの強奏を演じました。一呼吸置いて再開、一旦厳粛なゆっくりした旋律を奏でる漆原さん、高音がとても美しい。再三Pf.の軽やかな音の合図でテンポを速め重音を掻き鳴らすVn.、突然野平さんは上行する旋律音をやや強く立てると、Vn.が弦を一発掻き鳴らし終了でした。
この曲にはピアニストでもあったプーランク自身が自分の弾き方を演奏者に求めて楽譜に色々記載しているそうですが(楽譜が無いので分かりません)、ペダルの使用についても多くの指示を出していると聞きます。野平さんがペダルをどの様に使っていたかまでは見えなくて音からは判別出来ませんでした。
第二楽章は、プーランクがロルカの詩にヒントを得て、最初に作曲した楽章とも謂われます。ピアノの静かな高音に合わせて弦をpizzi.で撥する漆原さん、ギターをイメージしているとも。Pf.のアルペジョの合図とともにVn.は低音の深い緩やかな旋律をスタート。Pf.はあたかも遠くの鐘の音の様にポンポンポンと打ち鳴らされVn.はやはりpizzi.で応じています。再度太い音で弦が合の手を入れ、高音も交えた美しい旋律を続く重音演奏でも引継ぎ、かなりの静けさの中厳粛な雰囲気を醸し出している。このパッセッジを聴きながら頭では「ミレーの晩鐘」の風景を思い出していました。
晩鐘(ミレー・パリ/オルセー美術館所蔵)
時代も場所も意味合いも違いますが、夕暮れに佇む人が、遠くで鳴る鐘の音を聞きながら祈っている。祈りの先は絵画とは異なるでしょう。しかし畢竟、神に向かってこの世の安寧と死者の魂が安らぎます様にと祈る気持ちには変わりないでしょう。
このソナタでは、プーランクはギターの開放弦のハーモニーやギターを連想させるヴァイオリンのピッチカートのアルペジオ奏法を度々使っていますが、これもスペイン音楽を意識したためと謂われます。
最終楽章も最初から激しく速い演奏の連続で、チャカチャカチャカチャカには気が休まらない興奮する旋律ですね。次のチャーララ・チャーラララッラタッタのリズムと旋律は何処かで聞いた事がある様な?Vn.はpizzi.も激しく速く掻き鳴らしている。一旦ジャーンと終わりかなと思った処で、又静かな遅い調べが流れ出し終わらなかった、管楽器の様なジャラジャラジャランと速い音を出したVn.ピアノもパーンと一発乾いた音を噛まして今度は真に終了でした。
プーランクの曲に関してはコンサートで聴いたことは少ないのですが、昔吉田秀和さんがNHKラジヲの『名曲の楽しみ』を40年間も続けた中で、プーランクの特集を放送していた様な気がします。というのも記憶が大分薄れてしまっているので。はっきりとは覚えていないのですが、プーランクの曲は洒脱なものが多くて、パリ風だなと思った記憶があるのです。それに比し、今回のソナタは最初から激しいまるで戦いの中に入る様な落ち着かない気がして、えー、これがプーランク?と思いました。恐らくそれだけ、死に対する哀悼の意だけでなくプーランクの気持ちの中には、悲しみ、苦しさ、無念さ、憎しみ等々、様々なやるせない感情が沸き起こって来たのでしょう。今は亡きプーランクにも哀悼の慰めの言葉を投じたい気もします。
《20分の休憩》
後半の最初は、今回デヴュー40周年記念となる漆原さんのために、野平さんが作曲した作品
④『「一息で」ヴァイオリンとピアノのための』が演奏されました。
ピアノがポーンと第一声を上げると、Vn.はくねくねくねと低音で演奏、Pf.も低音部の音を出して、Vn.は重音演奏に入りました。これ等を聞くと何故か仏教寺院を連想します。それもチベットの様な高山にある大伽藍が幾つもある寺院です。Vn.はあたかも鳥が鳴き叫ぶ様な不思議な音を立てます。この辺り演奏は難しそう。さらに重音が響き、Vn.のトレモロ的調べが続き、何か坊さんたちがせわしなく伽藍を出入りし準備に忙がしい朝餉の風景に思い至ります。さらに漆原さんは連続下行旋律を無調的に響かせますが変化が多くて非常に難しそうな箇所です。恐らく漆原さんのことですから、野平さん自身の曲を作曲者のピアノ演奏と共に、無謬的に演奏しているのでしょう。小刻みに様々な技法を短く繰り出して、モザイク的に曲の全体の姿を描き出そうとしている感じ。Vn.の連続的高音の変化が面白い風味を出しています。さらにVn.は弓の根元で小さく強く弦を擦り、強い音を立てている。やがて美しい調べを奏でますが、長くは続きません。演奏前のトークで野平さんは、美しい音を立てる漆原さんのための箇所も作曲の時考慮して入れたと語っていました。うっとりする位綺麗な旋律をもっと長く入れてもらいたいような気もしました。
④フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ第一番イ長調Op.13』
フォーレ31才の若かりし日の作品です。フォーレは長生きで、79歳まで生きました。(それに対しドビュッシーは56歳、プーランクは64歳でした)マドレーヌ寺院のオルガニストに就任した翌年に着手して1年程度で完成しました。将に脂の乗っている青年期の曲です。同寺院の先任のオルガニスト、サン=サーンスの影響を受けた様です。パリを訪れたロシアの作曲家タネーエフが、この作品を見て、チャイコフスキーに、「驚嘆すべき美しさの曲」と手紙を書いたそうです。確かにこの曲は冒頭から美しさの旋律の連続でした。四楽章構成。
第1楽章Allegro molt
前半でVn.が低音から高音まで上行する旋律も美しいし、中後半で上下するVn.の旋律も大変美しいものがありました。Pf.の合いの手も綺麗に楽器が鳴っていて、ハットする様な箇所も多かった(特に高音)。Pf.はこの間ずーと力を込めて弾いていて最後は両者のかなりの強奏となりました。
第2楽章 Andante
ゆっくりとしたPf.の調べが先行、Vn.も慎重に低音から入り高音まで伸びる旋律が美しく甘い調べ、伴奏のPf.は丹念に伴奏に徹し、時々上げる高音の響きがとても良い。自分のメモを見ると、◎美しい、◎美しい の連続です。これは映画音楽か何かに使える美しさです。
第3楽章 Allegro vivo
非常に速いテンポでややピアノが先かな?Vn.がそれに続き両者が一つのパッセッジの前半と後半を分かち合って弾く形です。Pf.の高速演奏に時々Vn.はpizzicato で応じ、旋律で合いの手も入れていました。途中で曲風画変わり、Vn.は滔々とした調べを弾き始めました。Pf.は伴奏に徹していますが、Vn.が休止になりPf.ソロになると、とても良い音を出していました。ピアノのソロ演奏の旋律を、Vn.がpizzicto で同じ旋律を繰返すのも聴いていて面白さがありました。この楽章最後までVn.がPf,の合いの手に旋律だけでなくpizzicato を多用して終了です。
第4楽章 Allegro quasi presto
冒頭からVn.の滔々とした旋律とPf.の合いの手と伴奏的調べは極上の美しさです。Pf.を弾く野平さんの手からは手品の様に玉となって旋律が転がり落ちました。漆原さんの絹糸の様な高音旋律は、珠を受け止め糸で纏め上げ素晴らしい宝冠の様な輝く気を呈しました。演奏が終わると大きな拍手が観客が多く入った小ホールに鳴り響いたのでした。
鳴り止まぬ拍手に答えてアンコール演奏がありました。アンコールは三曲演奏されました。
《アンコール曲》①フォーレ『子守歌』
②ドビュッシー『美しい夕暮れ』
③プーランク『愛の小径』
何れも美しい小品ばかり、特にプーランクの愛の小径は、これぞお洒落なパリ風、昔からのプーランクのイメージが取り戻せました。
今日の演奏会は3.11に設定され、言葉では明確に話はありませんでしたが、演奏者の意図は、3.11の大災害に遭った方々及び何らかの関連がある方々へのオマージュとしての曲目の演奏であったことは明らかです。改めて亡くなられた方々には心からお悔やみを申し上げますし、復興未だならず、その途上にある方々にも国民の一人として何も出来なく申し訳なくお詫び申し上げますし、今後ともこの様な日本に住む人々に大災難が降りかかりませんように、特に戦争被害が二度と起きませんようにと祈るばかりです。