HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『旧古河庭園のばら園』散策

  6月21日(火)は24節季のうちの夏至でした。日中の時間が一番長く、東京では日の入りが19時近くでした。午後13時から19時まで6時間も明るいのです。そこで旧い友人(男性)と事前に示し合わせ、互いに昼食早飯をして午後は都合を付け、13時に都内で待ちあわせすることにしました。場所は、北区にある旧古河庭園。昔1回見たことがあり、立派な洋館が建っていた記憶があります。今回は、建物よりも庭園がお目当てでした。バラの花が随分と咲いている様なのです。何故月曜日から遊びに行ったかというと、夕方まで庭園をじっくり見て、その後そう遠くない処にある有名レストランで、フレンチ・ディナーを特別割引き価格で食せるという情報を、その友人が教えて呉れて、予約してくれたからでした。近々では月曜日しか予約が取れなかった様です。

 簡単に古河庭園の沿革を書きますと、

1914年(大正3年)、古河財閥3代当主の虎之介(市兵衛の実子)が周囲の土地を購入し、9,470坪を古河家の本宅用として、整備を開始したのが始まり。

1917年イギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計した西洋館洋風庭園が竣工、1919年には日本庭園も竣工しました。

 三代当主の虎之介が足尾銅山を中心とした事業を拡大、銀行まで設立し、第一次大戦による好況の波に乗って急成長、「古河財閥」の基礎を築きました。

 1917年(大正6年)の関東大震災の際には本館を「滝の川救療所」として本館建物を開放、治療に当たらせ、園内にバラック住宅86戸を建造し、多くの避難民を助けました。

第二次大戦後、1952年まで連合軍に接収され、所有権は財産税の物納で、1947年に国有財産になっていました。1955年地元や東京都の公園化の要望が大蔵省に認められ、1956年、都市公園として東京都に貸し付けられました。その後建物の回収や庭園の整備が進み現在の様な名勝に至っています。

地下鉄西ケ原駅

 最寄り駅の一つ地下鉄南北線、西ヶ原で下車して歩きました。庭園まで5分位だったでしょうか?随分青々とした街路樹が多く、また立派なマンションも多い街でした。途中大きな神社も目にしました。

平塚神社

 奥州遠征をした源義家を祀っている神社とのこと。また街路樹下の歩道にも花々が植えられていました。

 

 庭園に着くと平日のためなのか、見学客はそう多くはなく、三々五々チラホラ来園者が入って来るといった感じでした。 少し進むと、大きな洋館と綺麗な花々が目に入って来ました。ばら園です。

古河本館とばらの花

 係の人の話では。5月中旬に咲き誇っていた花は終わり、今は剪定後花をつけた二番花が咲いてしているとのことでした。確かに良く見るとかなり広いバラ園びっしりに咲いてるのではなく、良く咲いているところもあれば、花をつけていない処も散見します。ばらの花は少なく見ても100種を超える薔薇があるそうです。大きな花の前には小さな立て札様にして花の名前、由来などを書いた説明板がありました。

 主なばらを以下に記録します。

レディ・メイアン

チェリー・ボニカ

ビッグ・ドリーム

 一個一個写真に収めて行ったのですが、多すぎるので、①音楽に関係ありそうな名前の薔薇。②映画俳優の名等有名人の名をつけたもの ③王室関係者の名前等に分けた花 のみ取り敢えずリストアップしました。


①音楽関係の名

ニュー・アベマリア

ブルー・ムーン

ローラ

ソニア

これは音楽に因んだ名ではないかも知れませんが、見た時、来月初め来日するオペラの名花「ソニア・ヨンチェバ」を連想したのでリストアップしました。熟れた花の感じがピッタリだと思います。

マリア・カラス

アンジェラ

熱情

ハーモニー

ホワイト・クリスマス

琴音

リオ・サンバ

白鳥

クレオパトラ

②俳優など

スーパースター

イングリット・バーグマン

カトリーヌ・ドゥヌーヴ

俳優以外にも、ローマ法王、政治家、有名建築家などの名を付した花が多く在りますが割愛します。

 

③王室関係等

クイーン・エリザベス

プリンセス・オブ・ウェールズ

プリンセス・ミチコ

ロイヤル・プリンセス

その他もろもろ和名、漢字の花もありました。今度見に来るときは、5月の一番花の盛りに来てみたいものです。

 薔薇園を見てまだ時間的に余裕があったので、庭園の方も見ました。
様式と和式の両方があります。特に和式庭園は、前記の古河虎之介の全盛期にお金に糸目を付けないで造成したらしく、まるで大名屋敷の庭園の様に凄いものでした。

 

池には相当の鯉が生息している模様。時々浮かびあがり口をパクパクしていました。写真にはうまく納められなかったのですが、水面近くを蜻蛉が二匹飛び回っていました。

クチナシの花

クチナシの花が満開で、大きな蜂が4~5匹飛んでいて、蜜を吸っていました。外見はスズメバチにそっくりなのですが、色が真っ黒で不気味、こわそう、スズメバチの別種なのかも知れない。

また何という名かは知りませんが、小さい竜胆の様な青い草花が一輪咲いていました。湿度が高いムシムシした日なので一瞬の清涼感を感じました。
こうしている間もなく17時になろうとしていたので、友人が予約したレストランに向かうことにしました。  

 友人は隣接区に生まれた時から住んでいて周辺の地理には詳しく、この庭園の前には本郷通りが通っているので、レストランまで歩いて行こうかというのです。

 でも今日は随分、庭園内をあちこち上り下りしたりして草臥れていたので、地下鉄駅まで戻り、西ヶ原駅から電車で行くことにしました。下車するのは三つ目の駅、「東大前」です。予約したレストランは、赤門のそばにある様なのです。目白にある椿山荘が、赤門のすぐ内側にある建物の1階に10年ほど前にフレンチの店をオープンしたらしい。大学構内に高級レストランを開いて、商売になるのですかね?大学人が毎日利用する値段ではないでしょうし、きっと観光客でも多いのでしょうか?駅を降りて大通りを車道沿いに歩くのも味気ないので、すぐ近くの農学部正門から大学構内に入り入りました。構内を通り抜けして見学気分で通り抜けしました。さすが農学という名が付くので、大きな温室風の設備や、いろいろな植物が植えられている、多分実験設備なのでしょうね、そういったものを遠目に見ながら東方向に歩いたら、大きな通りに出ました。スマホで見たら「言問通り」でした。架道橋で通りを跨いで別のキャンパスになっている「本郷キャンパス」に渡りました。大学構内は、古河庭園の建物と同様な随分古そうな建築物がごろごろしていました。

安田講堂

 来たついでに安田講堂周りを見て、それからグランド方向に行ったら、多くの若者(学生なのでしょうか?)ラグビーの練習をしていました。

ラグビーの強い大学は、明治や早稲田は有名ですが、東大ラグビー部って聞いたこと無いですね。ホーこんなに沢山の部員がいるんだなーと思う位何十人も練習していました。

グランドからうっそうとした森の崖を登るとすぐ赤門の裏に出ました。件のレストランは比較的新しく見える建築物の中にありました。「伊藤国際学術研究センター」と書いてある。その一階です。

「伊藤国際学術研究センター」

レストラン入口

中はそれ程広くなかったのですが、30人は座れそうな長テーブルと10人位の長テーブル、そして案内された席は4人は座れるくらいの大きさのテーブルに二人掛けでした。

 ディナーコースの料理は上、中、下の三種類あって、中クラスのものを予約してあります。

メニューは次の様です。

料理の前にシャンパンがグラス一杯サービスで付きました。

料理の写真は出た順に次の通りです。

アミューズ

前菜

魚料理

肉料理

デザート

 お酒は予約とは別で、ワイン、ビールをなど頼みましたが、専ら友人が飲んでいて、自分としては最近検診の数値が気になっているので、抑制して飲みました。友人は昔話し、例えば奥さんと一緒にヒースロー空港でトランジットして、マドリッドに行った時、荷物受け場でいくら待ってもスーツケースが出て来なくて、結局紛失してしまった事、電話や問い合わせで大変な目にあった事等懐かしそうに話していて、自分はヴァンドーム広場近くのレストランで、少し遠くで音楽演奏している数人のバンドがいたので、ギャルソンに「呼んでもらえないか?」と訊いたら「彼らはジプシーなので」とやんわり断られたこと、またブタペストのレストランで、ジプシー風の曲をヴァイオリンで演奏していた奏者から、「何かリクエストありますか?」と訊かれてどうしようか迷っていたら、すかさず家内が「ブラームスのハンガリー舞曲」と言ったのには驚いたこと、何語で言ったかは忘れましたが、奏者にはそれが伝わって知っていた曲だったのでしょう、ちゃんと演奏してくれた事等思い出話しに花を咲かせたのでした。楽しかった。いつも音楽ばかりを聴きに行っていると、少しづつ疲れがたまってしまっていたので、今回はそのいい骨休みになりました。