次に目指すは『ベーリックホール」。ホールと言っても立派な館(やかた)です。
途中に教会がありました。『カトリック山手教会』です。
先に見た『ブラフ18番館』はこの教会の司祭館として、1991年まで実際に使われていました。その時寄贈を受けた横浜市が解体調査をしたところ、関東大震災時の倒壊・火災を免れた建物の部材が再利用されていることが分かりました。昔の建築は柱の太さも太いですし(例えば江戸時代の蔵に使用された柱は30cm角のヒノキ材、梁には30×60cmの物も普通に使われていました。)、現在通常使われている外材と違って強度も強く耐久性もありますから、再利用出来るのです。古民家などの再利用も一つの例ですね。
さてさらに横浜山手通りを進むと道路沿いに、以下の様な記念碑がある建物がありました。
近づいて銘板を読んでみると、1900年初めに来日した4人の宣教師の功績を讃え又、
❝日本各地の忠実な教会員による一世紀にわたる献身を記念するものであり、イエス・キリストの福音がこの偉大な国の人々に今後も祝福をもたらし続けるという希望の灯としてここに立つ❞と書いてありました。別にキリスト教徒ではないですが、仲々いい事が書いてあると思いました。
近くには大学や日本の大企業の保養施設も見かけます。
そうしているうちに『ベーリックホール』が見えてきました。
南欧風のリゾート感のある建物です。由来について書いてありました。
べーリック氏はイギリス人の貿易商で、日本から絹や紙などを輸出し、また外国商品を輸入して財を成した様です。
建物の部屋配置図もありました。
一階が食堂、居間等、二階が寝室などになっていました。
ここには小型ながらもグランドピアノが置いてあったので、近づいて見てみたら右下に自動演奏の装置が付いていてYAMAHAと書いてありました。
子供部屋にはベッドや机や書棚があり、本棚にはフクロウの置物がありました。フクロウは今でも幸福を呼ぶ縁起物とされていますが、当時の外国でも同じだったのかな?と思うと近親感が湧きます。
古そうな歌の本もありました。残念ながら、展示物には触れることが出来ないので、本の中身までは見ることが出来ません。
民間の一貿易商でこれだけの館に住んでいたという事は。相当な財を築き上げないと不可能でしょう。先日三田映画の「セリーヌ・ディオン」も成功後は、部屋が何十もある大邸宅に引っ越したと言っていましたし、アマゾンやマイクロソフトの創業者もすごい処に住んでいる様です。また外国のみならず昨今の日本でも宇宙に行った財界人などは千葉に大邸宅を作ったそうですし、我々庶民の目から見ると貧富の格差が今も明治時代も相変わらず大きいとため息が出てしまいますね。それはそうと歴史的遺物を万民が見れるようにすることは大変意義のある重要なことだと思いました。