昨日の続きです。
休憩の後は、オーケストラの演奏でした。指揮バッティストーニの東京フィルハーモニー管弦楽団、③ベルリオーズ作曲『幻想交響曲』の演奏開始前に、オケ編成が増強され、見た限りでは、コントラバス、ビオラ、ヴァイオリン、ハープ(Hp.)、ティンパニー(Timp)等、その他もあるかも知れません。この曲は定期演奏会などに行くとよく演奏される人気の高い曲です。ベルリオーズの代表的表題音楽とも言えるでしょう。五つの楽章から成るかなりの大曲です。そもそも“幻想”は欧米では“Fantasy Fantasie Fantaisie Illusione”などであり、「夢見つつ、架空の素晴らしい体験」などと肯定的な意味合いが強い。ベルリオーズは(麻薬を吸って)ある種の「High」な高揚した精神状態で作曲したという説もあります。ベルリオーズ自らこの曲に曲想としての解説を付けており、『失恋した若い芸術家が、アヘンを飲んで自殺を図ったが、死にきれず奇妙な幻夢をみる』というのです。
第1楽章「夢…情熱」は冒頭弦楽の綺麗なメロディが流れ次第にせりあがって行く。このメロディは他の楽章にも変形して出現し「固定楽想」と呼ばれています。『恋人に出会うまで倦怠感や魂の渇き、憂鬱、当てどもない喜びを感じる』という幻想を、作曲者はイメージしている。東フィルはそつなくムラなくいい感じのハーモニーを響かせていました。
第2楽章「舞踏会」は、ポロポロポロンというHp.で始まり、続いて弦の良く知られたメロディが、幻想的なワルツの踊りに合わせて演奏しているのだろうか?流れる様に響き、このテーマ曲を何回か繰り返えします。Ftは固定楽想を奏でている。バッティストーニは、下肢はほとんど曲げたり動かしたりせず、想像していたより小締んまりとした指揮でオケを仕切っている。最後は速く強いテーマの弦演奏で、あくまで流麗に終了。6分程度の短い楽章でした。曲想は、『舞踏会で再び恋人を発見』ということらしいです。
第3楽章「野の情景」は珍しくObのバンダ演奏がある楽章で、楽章の演奏開始前に二人のうち1人のOb奏者が、袖からステージの外へと移動して行きました。イングリッシュホルン(En.Hr.)がバンダのObと掛け合い、場面は夏、二人の羊飼いが互いに角笛で呼び合っていることをイメージしているという。弦が非常にスローなテンポで固定楽想を奏で始め、弦のアンサンブルが大変綺麗な演奏でした。中間部を除き全体的にスローな展開で若干眠気を誘われ、いい気持ちになりました。ここではObが固定楽想を演奏。作曲者の解説は、『恋人が心の中に再び現れ心が乱れ不吉な予感がする』云々。
En.Hr.に呼応して、4人に増えたティンパニーが、二人づつ小さい音を立てる。遠雷をイメージしている様です。ダンダン音は大きく4人で叩き、再び小さくなり、弦が静かに音を消して行き終了しました。
第4楽章「断頭台への行進」はTimpの音で始まり、Hrがそのリズムに合わせ行進する。次第にTimpは音を強め最大の力で叩かれる。呼応したコルネット、トランペットの後、主題の繰返しは金管総出に近いフルスィングとなりTimpは3人がかりで打ち鳴らしています。猛スピードの演奏になりました。曲想によると『恋人を殺した夢を見る。死刑を宣告され、断頭台への行進を命じられる』とあり、最後クラリネットの引導の後Timp.とシンバルが大きい音でバン、ジャンと鳴りました。これでギロチンが落ちたことを示唆したのでしょう、きっと。トランペットのファンファーレが何となくさっぱり聞こえました。
終曲第5楽章「サバトの夜の夢」です。サバトは“魔女の夜会(ヴァルプルギスの宴会)”くらいの意味でしょうか?ヴァルプルギスはキリスト教普及のズーット以前のケルト人の信仰・行事でしたが、キリスト教に支配された近・現代では、「魔女、悪霊、魑魅魍魎」等々、余りいい意味では使われていませんね。昨年9月に観た英国ロイヤルオペラ『ファウスト』の5幕1場にも出て来ました。
この楽章は、無茶苦茶に不気味な混沌としたメロディとリズムの連続。特にクラリネットの固定楽想の調べは不気味な響き、指揮者も右、左、奥、手前とせわしくタクトを移動して指示し、腕と上半身の動きは最後まで全力投球の様相でした。それにしてもバッティストーニの指揮している後ろ姿は、実際より随分と若く見えますね。二十歳代かなとも。それだけエネルギーが溢れていたのでしょう。
今回の『幻想交響曲』は昨年4月に大野和士指揮の都響の演奏で聴いて以来でしたが、その時と同じような印象を持ちました。それはベルリオーズが曲想とし解説を付け「表題音楽」とされているのですが、私見によれば、むしろ聴く者に何も予見を与えない方が良かったのではなかろうかと思います。「幻想」交響曲というタイトルを付けただけで。そうすれば聴いた聴衆は百人が百人、千人が千人、一人一人異なった幻想に浸りながら、曲を楽しめたと思うのですが。ベルリオーズはもともと医者の家系ですから、薬は患者の求めに依るのでなく、医者の主導で出すということでしょうか?実は12月に風邪でクリニックにかかったのですが、初めて行った医院で「先生・・・の風邪薬がこれまで飲み慣れているので、それを出してもらえませんか?」と言ったら「薬は医者の考えで出します」と言われてしまった。求めに応じてくれる処もあるのですがね。余り良い例えではなかったかな?
もう一つ気になったのは、Hr.が一瞬ガタツイタ金属音を発したことが何回かあったことと、もう一点、Timp奏者が始まりから終わりまで、演奏の合間はずーと屈み込んで、耳を太鼓に当てて調節していたこと。それは合間に何回か調節することはよくある事で、当たり前でしょう。でも今回の様に、ずーとやっているのを見たのは初めて。そんなに音が簡単にずれてしまうのかな?と不安に思ってしまいます。そう言えばTimpのあの時の音が少し変だったかな?などと邪推してしまいます。でも総じて東フィルの奏者の皆さん良く出来た演奏をされていました。聴いていて楽しかったです。