HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

『フローレス テノール コンサート』

    昨日土曜日、ファン・ディエゴ・フローレス(以下FLと略記)の歌を聴いてきました(2019.12/14.19h~@サントリーホール)。申すまでもないですが、FLは南米ペルーの首都リマの生まれのテノール歌手で、地元で音楽を学んだ後米国カーティス音楽院に進み、歌の道を歩み始めました。そして若手のベルカントテノールとして成長、米国はじめ欧州で大活躍し、こんにちを築いて来ました。四十歳台半ばの男盛りの今、世界のオペラ劇場やホールから引っ張りだこの人気歌手です。録音、録画でしか聴いたことがなかったのですが、FLのヴィブラートを利かせた声は伸びもあり、高い音も軽々と出しているのだけれど、どういう訳か私の耳には、ほんの僅かですが音程が上擦って聞こえる時があるのでした。パヴァロッティやドミンゴ、カウフマンの録音を同じ曲で聴いてみても、彼らとは何かが違う、何なのだろう?パヴァロッティは朗々と安定した発声で、天衣無縫に歌い、ドミンゴはこれ以上の美声は無いだろうと思われる流麗な調べを奏なでる。カウフマンはドミンゴの様な美しい声ではないが、やや乾いた声で力強く歌います。録音の差異もあるかもしれない。私の耳のせいかな?気のせいかも知れない。今回は、直かにFLの歌を聴いて、その辺りも確認しようと思ったのでした。
 さてプログラムの全体構成は、先ず前半は、1人の作曲家の作品の序曲を最初にオーケストラで演奏、その後同じ作曲家の歌を二つ歌いました。オケはクリストファー・フランクリン指揮「Tokyo 21c Philharmonic」です。あまり聞いたことのないオケですね。恐らく、日本のどこかのオケを中核として、足りないパートをかき集めて編成したのでしょう、きっと。オーケストラの規模は、二管と三管編成のあいだの変則12型かな?
 後半のプログラムでは、最初同じ作曲家の歌3曲が続き。その後はオケ1曲、同じ作曲家の歌が2曲ですから、前半の構成に準じていました。次もオケでバッカナール(バッカスの宴)を演奏、その後の歌は作曲家は異なりますがやはり2曲でした。最終のオケのみの演奏は、オペラの間奏曲、そして最後の歌は1曲でした。全体的によく錬られたプログラムと言えます。
 次に個別の曲を演奏順に記します。
① ロッシーニ作曲、オペラ《ラ・チェネレントラ》より『 序曲』。この序曲の演奏は、全体的に厚み不足の感がありました。元気がない。指揮者は大柄の米国人男性で時折髪を振り乱しながら、結構大きい身振りで指揮していました。恐らく来日後短期間でオケを仕上げたのでしょうから、力量のある人と推測されます。次はFLの最初の歌②ロッシーニ作曲、歌曲『さらばウィーンの人々“AddioaiViennesi” 』。登場したFLは、思っていたより小柄というか中肉中背でスリムな体躯、年より若く見える好青年の様でした。ウィーンと聞くと、明るい華やかなイメージの曲を想像しますが、以外と歌い回しが難しいしっとりした歌でした。FLは前半をやや抑え気味に歌い、高音部になると力強さを発揮、観客も冷静に拍手していました。続いて③ロッシーニ作曲《老いの過まち》より『ボレロ(黙って嘆こう)“Bolero(Mi lagnerò tacendo)”』コロラテューラの箇所が難かしそう。②の曲も③の曲も、ffの高音で歌う箇所があり、③では拍手と歓声が大きくなってきました。
 続いてオケ演奏、④ドニゼッティ作曲オペラ《ドン・パスクワーレ》より『序曲”Sinfonia from Don Pasquale ”』Vcのsoloで始まるこの曲は、メロディがFtに引き継がれ、この曲から加わったTimpや大太鼓、シンバル等の打楽器の活躍で、音に厚みが出てきた感じです。次のドニゼッティ作曲、オペラ《愛の妙薬》より⑤『人知れぬ涙“Una furtiva lagrima” from L’elisir d’amore』 は広く知られた曲で、クラリネットの哀愁を帯びたsoloや、ハープの伴奏で歌ったFLは、曲の表情を良く表現しながら見事に歌い上げました。完璧!大きな歓声と拍手が怒涛の如く湧き上がりました。これまでで最高の出来。 続くドニゼッティ作曲オペラ《ランメルモールのルチア》より『わが祖先の墓よ……やがてこの世に別れを告げよう“Tombe degli avi miei… Fra poco a me ricovero” from Lucia di Lammermoor』ではオケが暫く前奏的に演奏した後でFLが登場これも見事な歌い振りでした。最後の箇所の伴奏なしのFLの独唱は素晴らしいものでした。エンジン全開になって来た様です。
 続いて・ヴェルディ:オペラ《ルイーザ・ミラー》より 『序曲 ”Ouverture ”from Louisa Miller』この曲は5分ほどの曲ですが、クラリネットの独奏部が有りそれからメロディがFtそれからObに受け継がれ、オケの方もアンサンブルが当初よりグーンと良くなってきました。
 次の歌は、ヴェルディ作曲オペラ《第一次十字軍のロンバルディア人》より
『私の喜びで彼女を包みたい“La mia letizia infondere” from I Lombardi alla crociata』3分ほどの短い曲ですが、ヴェルディらしさが分かるFLの演奏でした。
次のヴェルディ作曲オペラ《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》より『あの人から遠く離れて…燃える心を…おお、なんたる恥辱“Lunge da lei… De’miei bollenti spiriti… O mio rimorso” , from La traviata 』 この歌は私ももう何回となく聴いて細部が良く頭に入っているのですが、最後の音をハイCで歌う状況を良く聴いて他の歌手と比較したいなと思っていました。FLの録音を聴きますと、彼独特と思われる歌いまわしで昨年の12月に.METでアルフレッド役を演じ、このアリア Cabalettaを歌っているので非常に興味深く待ち構えて聴いていました。そしたら、最後高音で歌い終わったことは終わったのですが、それ程会場をビリビリと震わす音ではなく、むしろその前までの歌の高音部よりも、何かくすんで伸びが無く、短く声を上げて終了したのでした。心に突き刺さる様な最後の音であれば、“ブラボー”と叫ぼうと思っていたのにあっけなく終わってしまって、叫ぶに叫べませんでした。残念。この曲の途中で切れが良い箇所までは出来が良くて、途中での拍手と歓声が沸き起こり、しばしFLは鳴りやむのを待って再び歌い出したこともあって猶更残念。これで前半が終わり、15分の休憩です。15分とは随分短いなと思って急いで、軽食とトイレを済まして席に戻りました。
後半はレハールの歌三曲。レハールは初めて聴きますが、19世紀後半から20世紀前半にかけて活躍したドイツの作曲家の様です。従って歌は独語です。
⑩レハール作曲オペレッタ《微笑みの国》より『君はわが心のすべて“Dein ist mein ganzes Herz”, from Das Land des Lächelns 』続いて⑪オペレッタ《パガニーニ》より『女性へのキスは喜んで“Gern hab’ich die Frau’n geküsst”, from Paganini 』
そして三つ目⑫オペレッタ《ジュディッタ》より『友よ、人生は活きる価値がある“Freunde, das Leben ist Lebenswert”, from Giuditta 』
 これらは何れもオケの音が優勢で、FLの歌声がオケに隠れて明瞭に聴こえない箇所が多かったと思います。ドイツ語の発音のせいかな?それとも疲れて来たからなのかな? 小さいトライアングルの金属音が明瞭に響いていましたけれど。
 次はオケ演奏、⑬サンサーンス作曲オペラ《サムソンとデリラ》より『 バッカナール“Orchestral Bacchanale ”from Samson and Delilah 』この曲では異国風(イスラム系?)の調べがあちこちに散りばめられ、それがObやFtで奏でられて、ここでもTriやCastの音が盛んに響き渡りました。踊りの雰囲気が十分。オケの調子も前半より上がって来た様です。
 続いての歌はフランス語の歌2曲。先ず⑭マスネ作曲、オペラ《マノン》より『消え去れ、やさしい面影よ“Ah fuyez, douce image” from Manon』。FLの歌い振りは迫力があった。電子オルガンの演奏でパイプオルガンの音を模していました。
 もう一つは、⑮グノー作曲オペラ《ファウスト》第3幕より『この清らかな住まい“Salut! demeure chaste et pure”, from Faust 』この曲は9月に英国ロイヤルオペラの来日公演で、グリゴーロが歌った曲です。FLは心を込めて歌っているのが伝わって来るほど素晴らしい表現力でした。もちろん声の伸びもすごい。これを聴いて、やはり3大テノールの後継は、この二人の可能性が高いかなという気がしました。
最後のオケ演奏は⑯マスカーニ作曲オペラ《カヴァッレリア・ルスティカーナ》より『 間奏曲“Intermezzo”, from Cavalleria Rusticana』。これも良く世に知られた曲で、演奏される機会も多いと思います。弦の流麗な調べが静かにしみじみと心に流れ込み、満たされた気分になります。良く知っている曲を聴くと何かホットしますね。
 本演奏最後の歌は、⑯プッチーニ作曲、オペラ《ラ・ボエーム》より『冷たい手を“Che gelida manina”, from Labohéme』締めの歌として選曲しただけあって、FLの歌はそれはそれは、自信を持った堂々とした演奏でした。歌い終わった後の会場は、拍手と歓声とブラボーの叫びに満ち満ちました。冒頭に書いた私の懸念など本物の歌を聴けば、気のせいだったということがはっきりしました。
FLは何回も出ては戻り挨拶を繰返した後、会場の担当者が椅子を一つ指揮台の傍に
運んで来て、暫し時間をおいてから、アンコール演奏のために登場したのです。しかもギターを携えながら。会場は一瞬静まりかえり、椅子に座ったFLはやおらギターで伴奏しながら、歌い出したのです。どうも故郷南米の歌の様です。これが又素晴らしかった。本演のクラシック曲とは違って、しみじみと心に語り掛け来る歌、味わいの深い歌、ギターの腕前も大したものです。FLのお父さんは、ペルー民族音楽の世界的歌手だったそうではないですか。まさにサラブレッドですね。こうした曲を3曲アンコルで歌いました。あとの二つでは裏声で非常に高い音を長く伸ばすように歌うテクニックも披露、三つとも、まさに心で歌うということのお手本を聴く思いでした(曲目はⅠ.コンスエロ・ベラスケス作曲『ベサメ・ムーチョ』Ⅱ.キリノ・メンドーサ・イ・コルテス作曲『シェリト・リンド』Ⅲ.トマス・メンデス作曲『ククルクク・パロマ』)。ところがアンコールはこれで終わりではなかったのです。会場の割れんばかりの歓声のもと、赤い花を一輪指に挟みながら再度現れたFLは有名な『グラナダ』を歌いました。もう観客は興奮の渦、スタンディング・オーベーションで帰ろうとしません。アンコール曲はまだ続く、5曲目(トウーランドットより『誰も寝てはならぬ』)、6曲目(チャプカー・グランダ作曲『シナモンの花』)と。こんなにアンコール曲を多く歌った歌手は、昔、カティア・レッチャレッリのリサイタルを聴いた時以来2度目の出来事でした。兎に角聞きしに勝るテノール歌手です。
 非常に満たされた気持ちで帰路につきました。通路で話しながら歩く超高齢とおぼしきご婦人が連れの婦人に「長生きして良かった!」と話していたのが印象的でした。
 尚、今回のコンサートで特記しておきたいことは、FLは歌だけでなく礼儀正しく、心から聴衆に感謝している様子が窺えたことです。満遍なく正面、両側面,P席に向かって何回となく挨拶を繰返していました。それから写真や録画で見た限りではやや暗い印象も受けていたのですが、どうしてどうして、なかなか茶目っ気もある好青年(40代ですが)の様な良い人柄が伝わってきた気がしました。