今年の正月に、年末年始読書(Ⅲ)として、藤原翔太著『ナポレオン時代の国家と社会』(第一部)』を読みました。(『2025-01-05付HUKKATS Roc.藤原翔太著『ナポレオン時代の国家と社会』(第一部)』参照)それに続く藤原氏(※Profile参照)のナポレオン論説の第二段『ブリュメール18日』(慶應義塾大学出版会2024年初版)をその後少しづつ読み続け、今日読み終えました。言いふるされたテーマを、著者独自の新たな観点から分析、論じたもので、非常に問題の多い現代の諸国情勢に鑑みて、時節判断をする際に、こうした観点から考えることは、非常に参考になると思いました。内容は、第一章〜第五章から成り、その要点を、参考まで文末に掲載して置きます。
(※Profile)
藤原翔太(ふじはら しょうた)
1986年生まれ、島根県出身。2016年トゥールーズ・ジャン・ジョレス大学博士課程修了(フランス政府給費留学)、博士(歴史学)。現在、広島大学大学院人間社会科学研究科准教授。 著作に、『ナポレオン時代の国家と社会──辺境からのまなざし』(刀水書房、2021年)、『東アジアから見たフランス革命』(共著、風間書房、2021年)、訳書に『女性たちのフランス革命』(慶應義塾大学出版会、2022年) など。2024年12月第24回『大佛次郎論壇賞(朝日新聞社)』を受賞。
1789年、 欧州諸国を震撼させたあのフランス大革命以降、フランス国内は、幾多の革命勢力のせめぎ合いで混乱は一層深刻化し、テルミドールの反動によりジャコバン派から権力を奪取した総裁政府は、その後様々な試みにもかかわらず成果を十分あげる事ができず、結局ナポレオンを含む総統勢力のブリュメール18日の決起により瓦解してしまいます。それからナポレオンが帝政を敷くまでのフランス国内及び国外情勢を、主として'選挙制度の❛改革❜(❛改革❜という語は相応しいかどうか疑問ですが)を通して分析した著者の論理は、非常に独創的で説得力があると思います。著者が力説する様に、ナポレオンの帝政に窓を開いたのは、決して軍事力やナポレオンの野心ばかりでなく、革命を推進して来て総統派を形成した諸勢力が、己の革命成果の消失を恐れて、保身的になったことが大きい要因だ、という分析は鋭くさすがと思われました。個人的にはそれに加えるに、ナポレオンの兄弟の存在と、いざという時のナポレオンの決断力も大きく寄与したと考えたい。軍功を上げパリに帰還したナポレオンが、中央政界に顔を出した時、弟リュシュアンは、総裁政府期の下院に相当する五百人会の議員であったし、後には議長に選出されています。兄ジョセフも首都社交界において、独自のネットワークを形成していて、二人共既に政界に於いてはかなりの存在感のある位置にいたのです。兄弟二人はナポレオンが、新たなクーデターを計画している総裁シィエスと手を結ぶ様に仲介し、実現させました。これがブリュメール18日の決起を、成功に導いた大きな要因の一つです。またナポレオンは、ぎりぎりまで、軍の強制力を使わない、合法的な総裁政府の消滅(シェイス総裁の辞任)と臨時政府の樹立に拘ったのですが、五百人委員会の抵抗勢力の反撃(新たな総裁を選ぶ動きと、「ナポレオンを法の保護の外に置く動議」の提出など)が大きく、弟リシュアン議長が職権で五百人会を休会として、クーデター計画が失敗に終わる可能性が大きくなって来た状況を、急ぎ軍隊に戻ったナポレオンに知らせに来ると、遂に彼は軍事力を行使する決断をするのでした。
又ナポレオンの決断は一旦決めたらガンとして動かず、翻さなかった例として、クーデター成功後、三人の統領の一人となったナポレオンを、シィエスの新憲法草案では、執行権力(政府)の頂点に立つ「大選任者」の新ポストに就任させようとするシィエスの考えを、絶対引き受けようとしなかった決断力・意思の強さは、次の言葉に現れています。
❝「何だと!」とボナパルトは反論した。「あなたは、敵国がフランスに侵攻することを望むのか。私よりも能力がなく、運もなく、兵士の信頼もない将軍たちに戦争を任せ、逆に、ヨーロッパ全土から恐れられた私には、大選任者の椅子で腕組みしていろとでも言うのか!ありえない。憲法が何度言おうとも、国民はそれを受け入れないだろう。私がこんな馬鹿げた役割を担う気はない。私は統領であること以外、何も望まない。そんな馬鹿げた地位に就くくらいなら、何もしない方がいい。❞
こうして、その後の新たな選挙制度の大改革と、選出制から任命制への変質を経て、ナポレオンは強大な権力を手にし、新たな専制君主へと変貌していくのでした。これは何もナポレオンに限ったことではなく、こうしたことは、現代の国家でもあり得ないことでは無いという、歴史の警鐘が耳に聞こえる気がします。
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《要点》
第一章 ブリュメール派の形成――恐怖政治のトラウマを抱える集団
革命前期の展開/1795年憲法/総裁政府体制の発足/フリュクティドール18日のクーデタ/ナポレオンと軍人たち/フロレアル22日とプレリアル30日のクーデタ/改憲派勢力の結集/ブリュメール派
第二章 新体制の設立――クーデタの実行と担ぎ上げられたナポレオン
ブリュメール18日の展開/ブリュメール18日の正当化/シィエスの憲法草案/主導権を握るナポレオン/1799年憲法/人民投票の実施/ポストを得るブリュメール派/ブリュメール・エリート
第三章 地方行政システムの再編――強化された中央集権
中央集権的な統治へ/革命期の地方行政システム/地方行政に関するブリュメール派の歴史認識/プリュヴィオーズ法の概要/執行の単一性/行政裁判/地方利益の代表/三層構造の地方行政/地方行政官の任命制/ブリュメール派と地方統治
第四章 選挙制度の改革――安定的な統治を求めて
世論に基づく統治へ/制度のしくみ/郡単位の選挙/直接選挙と相対多数/不在者の取り扱い/革命期の選挙制度/制度の理念と思惑/革新的な投票様式/議会での応酬/名士の選出/選挙の実態/ブリュメール派と選挙制度
第五章 安全保障国家の形成――国内外の危機と世襲帝政の樹立
クーデタ翌日の首都/クーデタ翌日の地方/匪賊行為の鎮圧/ブリュメール派の軍事作戦/国際情勢の変化/憲兵隊改革/司法改革/特別裁判所の創設とブリュメール派の分裂/世襲帝政への道