HUKKATS hyoro Roc

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『オッカ・フォン・デア・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)&ソフィー・レノー(ピアノ)』を聴く

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【日時】2024.4.15.(月)19:00~
【会場】東京文化会館 小ホール
【出演】
〇オッカ・フォン・デア・ダメラウ(Mezzo Sop.)

<Profile>

ハンブルク出身。同世代を代表するメゾ・ソプラノの一人。リヒャルト・ワーグナーやジュゼッペ・ヴェルディのオペラでも、グスタフ・マーラーやアルノルト・シェーンベルクの歌曲でも、パワフルでニュアンス豊かなメゾ・ソプラノと明瞭で自然なディクションで、あらゆるキャラクターに本物の音色を感じ取り、聴衆と心を通わせる。
バルセロナ・リセウ大劇場での《仮面舞踏会》ウルリカ、ウィーン国立歌劇場の《ルサルカ》魔女、バイエルン国立歌劇場の《タンホイザー》ヴェーヌス等、様々なオペラ出演に加えて、2023/24 年シーズンは、様々なオーケストラ・コンサートにも出演する。例えばミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団のドイツ国内外におけるコンサート・プロジェクトにいくつか参加したり、キリル・ペトレンコ音楽監督のもとバイエルン国立管弦楽団とマーラーの交響曲第 8 番を歌ったりする。
長年にわたってバイエルン国立歌劇場のアンサンブル・メンバーとして活動し、キリル・ペトレンコのもとで《神々の黄昏》ヴァルトラウテ、《ラインの黄金》及び《ジークフリー
ト》エルダ、アロイス・ツィンマーマン《兵士たち》シャルロッテ等を演じた他、《イル・トロヴァトーレ》アズチェーナでも名声を博した。
ミュンヘンから彼女の国際的なキャリアはスタートしている。2015 年にデビューした後、23 年夏にはミラノ・スカラ座でエマ・ダンテ演出の新制作《ルサルカ》の舞台に立ってい
た。さらに、パリ国立オペラ、ウィーン国立歌劇場、ナポリのサン・カルロ劇場、マドリードのテアトロ・レアル、ドレスデンのゼンパーオーパー、そしてバイロイト音楽祭等、世界的にも重要なオペラの舞台に定期的に出演している。
2022/23 年シーズンにデビューした役は、高い評価を得た。2 つの興味深い役によってレパートリーが広がった。すなわち、コルネリウス・マイスター音楽監督のもとシュトゥッ
トガルト州立歌劇場で初めて歌った《ワルキューレ》ブリュンヒルデと、バイエルン国立歌劇場で大成功を収めてデビューした《ナクソス島のアリアドネ》タイトルロールである。
彼女の広範なレパートリーにおけるもう一つの重要な役は、《トリスタンとイゾルデ》ブランゲーネである。17 年にシモーネ・ヤング指揮バイエルン国立歌劇場でデビューした際に
は聴衆と報道陣から絶賛された。新制作において、同役で再び舞台に立ったのは 21 年ミュンヘンであり、この時はキリル・ペトレンコが音楽監督だった。同役は、パリ・オペラ座ではグスターボ・ドゥダメルによる指揮、またロサンゼルス・フィルハーモニックとは演奏会形式で共演している。
オペラでの様々な活動に加え、コンサートも彼女の芸術活動にとって大切な構成要素であり、これまでにシカゴ交響楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、バイエルン放送交響楽団、シュターツカペレ・ベルリン、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団と共演している。18 年には、フランツ・ウェルザー=メスト指揮の《トリスタンとイゾルデ》ブランゲーネでクリーヴランド管弦楽団にデビューした。
その他の重要なコンサート活動としては、アムステルダム・コンセルトヘボウでエドワード・ガードナー指揮によるリリ・ブーランジェ《詩篇 第 130 番》、ザルツブルク音楽祭でダニエル・バレンボイム指揮によるマーラー《亡き子をしのぶ歌》等が挙げられる。
リート歌唱にも大きな情熱を注いでおり、17 年にファビオ・ルイージ指揮フィルハーモニア・チューリッヒと共演したフランク・マルタンの歌曲集《旗手クリストフ・リルケの愛と死の歌》の録音は高く評価された。
ヴェネツィアで開催されたワーグナー声楽作品のための国際声楽コンクールで、06 年に特別審査員賞を受賞、13 年にはミュンヘン・オペラ・フェスティバルでフェスティバル賞を受賞した。

出演公演
2024 年 4 月 13 日[土]14:00 東京文化会館 大ホール
東京春祭 合唱の芸術シリーズ vol.11 ブルックナー《ミサ曲第 3 番》
2024 年 4 月 15 日[月]19:00 東京文化会館 小ホール東京春祭 歌曲シリーズ vol.40


〇ソフィー・レノー(Pf.)
〈Profile〉 

 

【曲目】

①ブラームス

 −1 わが恋は緑 op.63-5

    −2調べのように私を通り抜ける op.105-1』

 −3永遠の愛について op.43-1 

 −4失望 op.72-4 

 

(曲について)

  「わが恋は緑」は《リートと歌》作品 63 の第 5 曲。作品 63 の他の曲は 1874年に書かれたが、本曲だけは(師シューマンの末⼦フェリクスの書いた詩に付曲し、クリスマスプレゼントとして贈られたため)前年の 12 ⽉ 24 ⽇に完成している。

「調べのように私を通り抜ける」は、1886〜88 年にかけて作曲された《5 つの歌》作品 105 の第 1 曲。詩はブラームスと同時代の詩⼈クラウス・グロートで、調べ(メロディ)のとらえがたい儚さを歌う。

 チェコの詩⼈、ヨーゼフ・ヴェンツィの詩をもととする  「永遠の愛について」は、1864 年に書かれた《4 つの歌曲》所収。ブラームスの歌曲のなかでも規模が⼤きく、⻘年が娘を家に送っていく道中の対話を描いている。

「失望」は、1877 年に完成した《5つの歌》作品 72 の第 4 曲で、安らぎを求める失意の⼼を歌う。

 

②ベルク『私の両眼を閉じてください(1907)』 

(曲について)

 「私の両眼を閉じてください」は、19 世紀ドイツの作家テオドール・シュトルムの詩による。ベルクは同じ詩を⽤いて 1907 年と 1925 年に作曲しているが、本⽇の曲は前者で、のちに妻となるヘレーネに捧げられている。


③ベルク《4つの歌》op.2 より
 ー1眠ること、眠ること、ただ眠ること 
 ー2今私は一番強い巨人を倒した 
 ー3眠っている私を運ぶ 

(曲について)

 《4 つの歌》作品 2 から抜粋で 3 曲をお届けする。深い眠りに落ちていくような「眠ること、眠ること、ただ眠ること」は 19 世紀ドイツ詩⼈・作家フリードリヒ・ヘッベルの詩による。続く 2 曲はベルクと同時代の詩⼈アルフレート・モンベルトの連作詩から採られており、「今私は⼀番強い巨⼈を倒した」は夢の中をよろめきつつ歩くリアルな感覚を、「眠っている私を運ぶ」は夢うつつのうちに運ばれるような感覚を、それぞれ歌っている。


④マーラー《リュッケルトの詩による5つの歌曲》 

(曲について)

 《リュッケルトの詩による 5 つの歌曲》は、1901〜02 年に作曲された連作歌曲集。詩⼈リュッケルトは40以上の⾔葉に精通した⾔語学者でもあり、東洋的要素をふんだんに含んだテキストがマーラー独特の死⽣観と融合した。それは 5 ⾳⾳階で形成される旋律など、本作を貫く作曲技法にも反映されている。この⽅向性はのちに、畢⽣の⼤作《⼤地の歌》に結実する。


⑤マーラー《若き日の歌》より
  −1思い出 
  −2別離 

(曲について)

歌曲集《若き⽇の歌》は全14曲からなり、1880〜89 年にかけて作曲され。3 集に分けられて1892 年に出版された。その中から、ドイツの⾼名な外科医リヒャルト・レアンダーの詩による「思い出」と、⺠謡詩集《少年の魔法の⾓笛》の詩にも
とづく「別離」の 2 曲が演奏される。

 

⑥ワーグナー=リスト『イゾルデの愛の死 』

(曲について)

原曲は、1865 年初演の楽劇《トリスタンとイゾルデ》の最後を飾るイゾルデの有名な独唱。リストによるピアノ編曲は 1867 年に⾏なわれており、愛の法悦を奏でるオーケストラの響きが⾒事に表現されている

 

⑦ワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』

(曲について)

スイス亡命時代、ワーグナーと、当時のパトロンであった富豪ヴェーゼンドンクの夫⼈マティルデとの道ならぬ恋は、楽劇《トリスタンとイゾルデ》へと昇華された。そのマティルデから贈られた詩に付曲したのが、全 5 曲からなる《ヴェーゼンドンク歌曲集》。いずれの曲も叶わぬ愛をせめてこの世ならぬ夢へと託す内容となっているが、《トリスタンとイゾルデ》と同時期に作曲されたため、共通の楽想を聴くことができる。

 

【演奏の模樣】

 ダメラウが舞台に登場、彼女は先日の土曜日(4/13)に春祭『ブルックナーミサ曲3番』でのソリストとしてメゾを歌ったのを聴きましたが、歌う場面も短くて少なく、ソロ歌唱の場合を除き、オケや合唱の轟音に歌声が飲み込まれていた様な気がして、今回は他の音が一切ないリサイタル方式なので、その声質、発声、歌いまわし等が裸で聴けるいい機会と思って聴きました。

 先の大ホールでの遠目で見聞きした様子とは小ホールの身近な距離で見た印象はかなり異なっていて、先ずそのしっかりとした、どちらかと言うと発声に有利と思える恰幅の良い体形に見て取れました。

①ブラームス

 −1 わが恋は緑 op.63-5

    −2調べのように私を通り抜ける op.105-1

 −3永遠の愛について op.43-1 

 −4失望 op.72-4 

第一声からして、長年鍛え上げた本物の声の響きが広がりました。安定した歌唱法、それでいて変化に富む箇所も耳にスムーズに聞こえる声のコントロール、その歌声は会場の隅々まで響き渡ると思われる強さも有していました。

 ①-1でこそ、伴奏ピアノがやや音が大きく(うるさく)聞こえましたが、①-2、①-3と進むにつれ両者の息が合って来て、①-2では少ししとやかさも感じるブラームス味のする演奏でした。

 このブラームスの選曲は、一つの曲集から選ばれたのでなく、多様な作品番号から「恋」とか「愛」とかをキーワードとして、甘い心躍る曲を選び、最後に「失望」させる処は、ロマンティストでなく現実主義で生きて来た所以からなのでしょうか?

②ベルク『私の両眼を閉じてください(1907) 
③ベルク《4つの歌》op.2 より
 ー1眠ること、眠ること、ただ眠ること 
 ー2眠っている私を運ぶ 
 ー3今私は一番強い巨人を倒した 
 ー4森の日差し 

②も③もブラームスとは打って変わって、不協的響きも度々聞こえる、それでいて不思議と纏まり、統一性が失われない、要するに変な響きのしない歌が多かった様に思います。正直言ってこの様な類いは自分のタイプではないですが、不安な感情や元気無い表現や、ピアノ伴奏の激しさもあり、こうした表現の曲も卒なくこれまた安定的にこなせる歌手なのだなと感心しました。

④マーラー《リュッケルトの詩による5つの歌曲》 

④-1わたしの歌曲を覗かないで 

④-2優しい香りを吸い込んで

④-3美しさがゆえに愛するなら

④-4私はこの世から忘れられた

④-5真夜中に

 全体を通してもこの曲集からの歌が美しさと言い、気品と言い自分としては一番楽しめる歌でした。ダメラウはこの辺りでも全然疲れは見えず、最初から一貫した安定さの歌い振りを保ち、この歌手はもう既に自分の歌唱法を確立しているメッゾだと思いました。

 

《20分の休憩》 以上まででまだ一時間にかなり満たず、次のマーラーの二曲も続いて歌われるのかと思っていましたが、休憩になりました。⑤を聴いていて気付いたのですが、⑥はピアノ独奏ですから、⑤を前半で歌って〜休憩となると、後半のトップにピアノ演奏が入ってしまい、この演奏会の立ち位置、即ち「歌曲シリーズ」にそぐわないからではなかろうかと思いました。さらにもう一つとして、二曲を前半で歌ってしまうと、後半が前半に比べて、かなり少ない歌数になってしまいバランスが良くないし、さらに勘ぐれば、後半、アンコール演奏曲を多く歌わなければなくなってしまう恐れがあったのでは?と思いました。全然まと外れの推測かも知れませんが。

 

そして後半次の二曲をマーラーの追加の様に歌った後、バトンをピアニストのレノーに渡したダメラウでした。

⑤マーラー《若き日の歌》より
  −1思い出 
  −2別離 

⑥ワーグナー=リスト『イゾルデの愛の死 』

 ソフィー・レノーによるピアノ独奏でした。楽劇『トリスタンとイゾルデ』の第三幕の最後、瀕死のトリスタンの最後に間に合って駆けつけたイゾルデが歌う有名なアリアがもとになっています。
 今年の東京春祭では、3月27日にソプラノのビルギッテ・クリステンセンが歌うその長いアリアを聴きました。往年の名ソプラノ歌手達が競って歌ったその名曲を、今回はリストがピアノ独奏用に編曲したものの演奏でした。リストらしい修飾で飾り付けた華やかな調べを細やかな指使いで表現、歌のモチフも良く表現出来ていましたが、やはりこれはダメラウの歌で聴きたかった気がします。でも今回は、毎年続けられている「歌曲シリーズ」の一環としてのプログラムですから、オペラアリアは歌えないのでしょう。それでピアノ編曲版の演奏として、伴奏者にも独奏の花を持たせた形だと思います。

 このピアノ版は初めて聴きましたが、レノーのピアノ演奏はかのオペラの最後のお涙頂戴の場面を思い起こしながら聴いていたら、リストのピアニスト兼作曲家(編曲者)の最たる優れモノの表現、特にその歌のテーマと言うかモチーフをうまく取り入れた表現に、驚愕と畏敬の念まで感じる程でした。レノーさんは、恐らく何回も何回もオペラを聴きながら(恐らくダメラウが歌うアリアを聴きながら)ピアノ版を練習したのだろうと推測したのです。

⑦ワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』

上記(曲について)にある様に作曲の動機は不純なものだったかも知れませんが、ワーグナーの作った曲は、歌を聴いてみると、将に相手に対して純粋な気持ちの発露であることが理解出来ました。

  1. 天使 Der Engel
  2. とまれ Stehe still!
  3. 温室にて Im Treibhaus
  4. 悩み(心痛) Schmerzen
  5. 夢 Träume

 から成り、低音域から高音気への変化に富んだ、かなりの厳しさを伴奏共々表現したり、後半は緩やかな流れとなり、3.温室では半音奏も交えたしみじみとした表現で昼と夜のコントラストが良く表されていました。特に5.夢では、ゆっくりと心を込めて❝春の太陽が雪の中から咲いた花に口づける様な夢❞等と歌うダメラウは将に夢うつつにうっとりと歌っていい歌だと思いました。

全体を、非常に纏まりの有る歌にダメラウは仕上げていました。

全曲歌い終わってつかの間の静寂後、会場は大きな拍手で二人の奏者の健闘振りを静かに讃えていました。

その後アンコール曲の演奏が二曲ありました。何れもマーラーでした。

《アンコール曲 》

①マーラー『若き日の歌 第1集 』より <第3曲 ハンスとグレーテ>


②マーラー『子供の魔法の角笛』 より< 第4曲 この歌を作ったのは誰?>

何れの歌でもリズムに乗った高音の跳躍音が印象的。

 今日のダメラウの歌を聴いて、先日抱いた若干の疑念は払拭され、彼女はこれまでで聞いたメゾ・ソプラノ歌手の中でも一抹の瑕疵も無い、自分の型を完成している、超一流の世界に通用する歌い手であることが判明しました。只彼女には、オペラを歌う場合、その役柄に 最適、大適、中適 のものがあるのかな?等と空想が広がるのでした。