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大野・都響『ブルックナー3番』&藤村『アルマ歌曲』を聴く

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ブルックナー生誕200年記念/アルマ・マーラー没後60年記 念/東京都交響楽団第996回定期演奏会

【日時】2024年4月3日(水) 19:00〜

【会場】サントリーホール
【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】大野和士

【出演】藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)

【曲目】
①アルマ・マーラー(D. マシューズ & C. マシューズ編)『7つの歌 』(日本初演)

(曲について)

 都響の昨年度(2023年度)楽季は、グスタフ・マーラー(1860~1911)の交響曲第10番で締めくくられた。彼自身が完成させることができなかったこの作品の自筆譜には、建築家ヴァルター・グロピウス(1883~1969)と不倫していた妻アルマ・マーラー(1879~1964)へ向けたのであろう、生々しいメッセージが書き込まれている。奇しくも2024年度楽季は、アルマの《7つの歌》が開幕を飾る。しかも7曲中4曲は、アルマの不倫を知ったグスタフが、妻の機嫌をとろうとして出版をもちかけた作品だ。

 一旦時を戻そう―。後にマーラーの妻となるアルマ・シンドラーはウィーンで、風景画家の父エミールと芸術サロンを主宰する歌手であった母アンナとのあいだに生まれた。アルマが13歳の時に実父が急逝すると、母は浮気相手だったエミールの弟子カール・モル(1861~1945)と再婚。その養父カールを通じて、17歳のアルマは18歳年上の画家グスタフ・クリムト(1862~1918)と出会い、初めて本格的な恋愛に発展する。クリムトは結婚こそしていなかったが女性関係が奔放すぎたこともあり、養父カールに露見したことでふたりの恋愛は清算された。だが、こうしてアルマは「ファム・ファタール(運命の女)」としての一歩を踏み出してゆく。
 次の男は、作曲家アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871~1942)だ。実父の死後から音楽を本格的に学んでいたアルマは1900年秋から彼に作曲を師事。丁寧な指導を受けながら、アルマは歌曲を何曲も書き上げ、ふたりの関係は恋愛に発展してゆく。
 ところがおよそ1年後、1901年11月7日にアルマは新たな男と出会う。そう、グスタフ・マーラーだ。あるサロンでグスタフがアルマに話しかけたところ、教養とウィットに富んだ答えを返してくれる彼女に一目惚れ。わずか3週間後の11月28日にグスタフはアルマの実家を訪れて求婚、12月7日には婚約へ至っている。
 しかしながら燃え上がっていたのはグスタフだけのようで、アルマはそれまでの生活を変えず、ツェムリンスキーに作曲を習い続けていた。業を煮やしたグスタフは12月19日、アルマに宛てて送った20頁にもわたる長文の手紙の中で、僕を幸せにする仕事に専念して欲しい……つまり作曲は君の仕事ではない、と断言。アルマ自身の回想によれば、一晩中泣き明かし、結婚を認めていた実母も別れるように勧めたというが、彼女は冷静になって彼のいう通りにするという旨の返事を書いた。
 ふたりは1902年3月9日に結婚。同年11月には長女、1904年6月には次女に恵まれたが、1907年7月に長女が病気で早逝したことなど、様々な理由の重なりで夫婦仲は悪化。こうして冒頭で触れたようにアルマはヴァルター・グロピウスとの不倫に至る。グスタフが亡くなる11ヶ月前、1910年6月のことである。
 翌7月にグロピウスからアルマに宛てた手紙を目にしたグスタフは、慌てて妻との関係修復を開始。そのひとつが、作曲家としてのアルマを認めることだった。こうして彼女は作曲を再開。加えてツェムリンスキーに習っていた時代の歌曲を《5つの歌》としてまとめ、夫の作品を出版していたウニフェルザール社から楽譜を発表したのだ。
 その後、グスタフは1911年5月18日に死去。寡婦となったアルマは画家オスカー・ココシュカ(1886~1980)との恋愛を経て、1915年8月にグロピウスと再婚するが、その2ヶ月前に再び《4つの歌》という歌曲集を出版している。1924年、およびアルマが1964年に亡くなった後にも作品は出版されたが、彼女の創作活動は1915年で終わりを迎えていた。

 本日歌われる《7つの歌》は、《5つの歌》と《4つの歌》からマシューズ兄弟が1995年に抜粋して並べ直し、ピアノ・パートを管弦楽に編曲したものである。デイヴィッド・マシューズ(1943~)とコリン・マシューズ(1946~)は英国の作曲家。マーラーの交響曲第10番に興味をもったことから、補筆していたデリック・クック(1919~76)と連絡をとるようになり、オーケストレーションの改訂に携わった。兄弟ともに数多くの作品を手掛けているが、おそらく彼らの作品のなかで最も有名なのはホルストの《惑星》にコリンが書き足した「冥王星-再生の神」であろう。
 アルマの歌曲はこれまで様々な人物によって管弦楽化されているが、マシューズ兄弟による編曲は、歌詞の内容や曲想にあわせて積極的に管弦楽のサウンドを変化させ、伴奏が原曲以上に情景を雄弁に物語っている。その結果、マーラーの管弦楽伴奏付き歌曲に近づいているのが特徴だ。ただし詩人の選択はマーラーの好みと異なり、シェーンベルクに近い。

 以下の1から7の曲から成る

 

1. Die stille Stadt( 静かな街)(詩:Richard Dehmel)

「静かな街」の詩は、シェーンベルクが《浄められた夜》を生み出したリヒャルト・デーメル(1863~1920)の詩集『女と世界』からとられたもので、シベリウスも同じ詩で歌曲を書いている。街が霧に包まれてからの情景が、管弦楽によって見事に描写される。


2. Laue Sommernacht( 暖かい夏の夜)(Otto Julius Bierbaum)

「暖かい夏の夜」は楽器群の音色を対比するオーケストレーションによって、原曲よりも陰影が深まった。


3. Licht in der Nacht( 夜の光)(Otto Julius Bierbaum)

 「夜の光」も重苦しさと透明感のコントラストが際立てられている。


4. Waldseligkeit(森の至福 )(Richard Dehmel)

「森の至福」は、R. シュトラウスも同じ詩に音楽をつけているが、彼がタイトルの「至福」を前面にだしているのに対し、アルマは詩の「森のざわめき」を音で描写する。


5. In meines Vaters Garten(父さんの庭)(Otto Erich Hartleben)

「父さんの庭」には、アルマが生涯慕い続けたという若くして亡くなった実父への思いが反映されていると思われる。


6. Bei dir ist es traut( 君といると心地よい)(Rainer Maria Rilke)

「君といると心地よい」では、オーボエによって繰り返されるフレーズが時を刻んでゆく。


7. Erntelied(収穫の歌)(Gustav Falke)

 「収穫の歌」は、見事なオーケストレーションによってR. シュトラウスの《4つの最後の歌》を先取りしたかのような雰囲気を湛えている。

 


②ブルックナー『交響曲第3番 ニ短調 WAB 103』(ノヴァーク版1877年第2稿)

 

(曲について)

1872年に着手し、1873年に初稿(第1稿または1873年稿)が完成した。

初稿執筆の最中の1873年、ブルックナーはリヒャルト・ワーグナーに面会し、この第3交響曲の初稿(終楽章が未完成の状態の草稿)と、前作交響曲第2番の両方の総譜を見せ、どちらかを献呈したいと申し出た。ワーグナーは第3交響曲の方に興味を示し、献呈を受け入れた。

この初稿により1875年ヘルベック指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演が計画されたが、リハーサルオーケストラが「演奏不可能」と判断し、初演は見送られた。

1876年交響曲第5番作曲の時期)、ブルックナーはこの曲の大幅改訂を試み、1877年に完成した(第2稿、または1877年稿)。

同じ1877年、ブルックナー自身がウィーン・フィルを指揮して、この曲は初演された。もっともこの初演は、オーケストラ奏者も聴衆もこの曲に理解を示さず、ブルックナーが指揮に不慣れであったことも手伝い、演奏会終了時にほとんど客が残っていなかったという逸話を残している。とはいえ、残っていた数少ない客の中には、曲の初演準備のために2台ピアノへの編曲作業を手伝った、若き日のグスタフ・マーラーもあった。この初演の失敗により、ブルックナーはその後約1年間、作曲活動から遠ざかった。

1878年、この曲が出版されることとなり、それにあわせて一部修正を行った。

1888年、再度この曲は大幅改訂され、1889年に完成した(第3稿、または1889年稿)。交響曲第8番の改訂と同じ時期である。この稿は1890年に、ハンス・リヒター指揮ウィーン・フィルによって初演された。この第3稿での初演は成功を収めた。

 

【演奏の模様】

①アルマ・マーラー(D. マシューズ & C. マシューズ編)『7つの歌 』

大野・都響の楽器編成は、二管編成弦楽五部14型(14-12-12-8-8)Hr.(4) Trmp.(3) Trmb.(3) 

 もともとピアノ伴奏の歌曲だったものを管弦楽伴奏に編曲されているので、歌のニュアンスがやや落差があるものも有ります。以下の七曲の概要は上記(曲について)に記した通りです。

①-1. Die stille Stadt

①-2. Laue Sommernacht

①-3. Licht in der Nacht

①-4. Waldseligkeit

①-5. In meines Vaters Garten

①-6. Bei dir ist es traut

①-7. Erntelied

 藤村さんの歌はつい最近(先月中頃)、新国劇オペラ『トリスタンとイゾルデ』を観に行った時、ブランゲーネ(主役の侍女)役で歌っていたのを聴きました。外国人の主役他のキャストにも引けを取らず、最初から最後までしっかりとした歌唱を披露していたので感心しました。今日は、アルマ・マーラーの歌曲でした。彼女の歌う歌曲は、一昨年12月に1971回N響定期演奏会で、ワーグナー『ウェーゼンドンクの5つの詩』を歌ったのを聴いた事が有ります。その時の記録では、全体として曲の雰囲気を出せていたのだけれど、独語の発音がやや曖昧(かく舌が良いとは思えない)、と書いていました。今回はしっかりとした発音で、摩擦子音の発音など意識して極端に強く発音されていた様です。

 7つの歌の内、①-1のスタート時は、先日のオペラのスタート時に感じた発声の強さは感じられず、弱含みに推移しました(それは当然かも知れません。オペラアリアと歌曲ではそもそも発声法が違うのですから)。曲の持つ静かな雰囲気を醸し出していたのだと思います。

 第二曲目は①-2「Laue Sommernacht」です。プログラムノートの歌詞の日本語訳では「Lau」と言う形容詞を「けだるい」と訳していて、そうした情感を出して歌っていましたが、確かに冒頭のクラリネットの調べからして少し沈んだ低音の響きです。しかしここの「Laue Sommernacht」は文字通り「暖かい夏の夜」というイメージで歌うのではないでしょうか?
 暗い夜の中やっと互いに会えて最後の歌詞、「War nicht unser ganzes Leben Nur ein Tappen,Nur ein Suchen,Da:in seine Finsternisse Libe.fiel Dein Licht.」で

❝我々の全人生が単なるよた足で単に探し求めるだけでは無かったので、そこの、かの暗闇に、愛が光を投射したのでした❞と喜び、天にも昇る気持ちで歌った方が、歌詞に合うと思いました。

①-4の「Waldseligkeit」では、オケのFl.がざわめき感を表現し、最後の「da bin ich ganz allein ,da bin ich ganz dein eigen,ganz nur dein」の箇所では、オケはかなりの強奏をしていて、歌手も❝ganz❞の語に相当力を込めて歌いました。

 全体としては①-5.「In meines Vaters Garten」のうちのDie dritteの歌が良かったし、それからやはり次のリルケの詩の歌が歌詞も歌唱も自分の好みにあっていたのか、とても良く聞こえました。

 一般的にオーケストラバックで歌う場合、オペラ歌手のオペラアリアのコンサートが多いものです。昨年聴いたネトレプコ、ヨンチェヴァのコンサートやフローレスのコンサートも然り。しかし一昨年のエリーナ・ガランチャの来日時には、ピアノ伴奏の「歌曲リサイタル」を行ったのでした。METその他でガンガンとオペラの声を張り上げていた彼女が歌う歌曲は、どの様に歌うのか興味深々で聴きに行きました。しかしそれはそれはまことに歌曲歌手の発声を完璧に身につけていた歌い振りだったのです。それもその筈、彼女は小さい頃から、合唱大国ラトビアの一流の声楽家でありまた教育者でもあった実母から、歌の基礎訓練をしっかりと受けていたのでした。勿論歌曲の訓練もしたでしょう。そうしたベースの上に立って、世界的なオペラ歌手になったのですから、歌曲も立派に歌える訳です。どんな分野でも両刀使いは、稀に出る天才しか出来ないのでしょうね。誰でもがなし得ることではありません。

 

②ブルックナー『交響曲第3番 ニ短調』

《楽器編成》

フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、ティンパニ、二管編弦五部16型(16-14-14-10-8)

通常、初稿が約70分、第2稿が約60分、第3稿が約55分で、今回は第2稿なのですが、やや速めの進行でした。

全四楽章構成

 配布されたプログラムノートに依れば、第1稿 第2稿 第3稿には様々な差異があり、例えば各楽章の表記号も次の通り同じでなく、さらに細かい特徴について比較していますが。しかし実際の処、各改訂稿の演奏をそれぞれこと細かく聴いて比較しなければ、文面からはおおよその事しか掴めません。そこで、演奏の模様は、今回の演奏を耳で聴いた事を中心に記していくことにします。

第一楽章 

適度に、神秘的に(第1稿)

適度により動きをもって神秘的に(Mäßig bewegt)(第2稿)

遅めに、神秘的に(第3稿)

第二楽章

アダージョ、荘重に(第1稿)

アンダンテ、動きをもって、荘重に、クワジ・アダージョ. (Adagio, quasi andante)(第2稿)

アダージョ、動きをもって、クワジ・アンダンテ(第3稿)

 第三楽章

 スケルツォかなり急速に (. Scherzo. Ziemlich schnel)ニ短調 トリオ同じテンポで イ長調   3/4拍子

第四楽章

 アレグロ (Finale. Allegro) ニ短調~ニ長調2/2拍子 自由なソナタ形式

 この3番の曲は第一楽章の冒頭からして、機関車の大車輪が周期的に回転し列車を力強く推進して行くような弦楽の調べに、Hrn.の叫びが上から降り注いだかと思うと特徴ある旋律をオケが大きく鳴り響かせ、もうブルックナーその物の音楽がバンバン繰り出すのは凄過ぎます。しびれるゼー!Hrn. Fl. Vn.アンサンブル が次々と入り交じり、総じて金管が大きな顔をして罷り通るのが小気味良い。特にこの楽章中間部での全金管の総力を挙げた大斉奏はワーグナーの前奏曲的響きを彷彿とさせるものがあり(次楽章でもワーグナー的技法が使われる)これまた恰好良過ぎ。この楽章では大野・都響はほとんどG.P.は無きが如く、あったとしても随分短時間で済ませ、従って長い一楽章の進み具合は大野部隊の張り切り振りもあったのか、随分早い進行、最後の繰り返し部も一気に駆け抜けました。

 第二楽章以降は、結構しっかりとしたG.P.を取っていたことは明白でした。二回目のG.P.のあと、Vn.アンサンにHrn.の合いの手が入り(ここの入りの音やや不安でした)さらに(Va.中心+Vn.)の合いの手を入れた低音域の旋律奏、この間管は停休しVn.+Vc.が伴奏的響きの中Vcが旋律奏、そして又三回目のG.P.が続いた、その後です。静かなVn.アンサンブルで再開し、徐々にクレッシエンドしてFl.に引き継ぐ辺りの演奏は大変繊細で美しく、自分のメモを見ると三重丸が付いていました。この楽章中間部でもpizzicato奏背景に弦や管の合いの手進行の内に金管が入ってかなりの喧騒な様子ですが纏まりが有ってここもいい感じでした。Fl.斉奏による“寝ームレ寝ームレ”に似た旋律が流れ、そしてHrn.弦楽奏の暫く静かな演奏で閉じるのでした。Va.の活躍も目立つものでした。

 第三楽章の冒頭のジャラララジャラララジャラララララ ジャラララと非常に特徴あるリズミカルな調べを大野さんの引っ張る都響は力一杯表現、強奏しながら下行したりし、非常に生き生きした演奏でした。短いのが残念な位。

 そしてついには終楽章。ここでのオケ全員の力一杯の速い繰り返し奏と対照的に後半現われる優雅で美しいPizzi.の伴奏を伴ったおっとりした旋律との対比はブルックナー音楽の金・木・打の強烈さと弦楽奏の繊細さを象徴・投影していたのではなかろうかと思えたのでした。

 それにしても改訂版が多いのは、いい事なのヤラどうなのヤラ?若しベートーヴェンの英雄や運命に改訂版が三つも四つもあったとしたならば、57歳没後約200年間でこれだけ世界中に広まり、人々に愛され続けることになったかどうか?いささか疑問です。

 それにしても(Ⅱ)は目を見張るものが有りますね。昨年や一昨年はコロナ禍のせいもあったと思うのですが、NNTTのオペラのタイトルロールの来日がたびたび取り消され、看板に偽りある演奏が何回もあって、責任者の大野監督にはきつい評判も有りました。しかしコロナが静かになり、ある程度安定した演奏会が開かれる様になって、都響でもNNTTでも実力を発揮し出した大野さん、今年からは任期も更新された様ですから、益々我々聴衆にいい音楽を聞かせて楽しませて下さいと期待し、お願いするものです。


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