HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

マエストロ・小澤征爾氏逝く

 小澤さんの訃報のニュースが、昨日流れました。誤報であって欲しいという気持ちとやはりそうかという気持ちが相半ばするなか、いろいろ思い出にふけりました。一番印象深いのは、5年前の2018年暮れのサントリーホールでの演奏会です。おそらく小澤さんが、このホールで自力で立って指揮した、最後の演奏ではないかと思われます。

 演奏者は、アンネ=ゾフィー ・ムター、カラヤンの秘蔵弟子です。曲目は、サン=サーンス『序奏とロンド・カプリッチオーソ』。この夜の演奏会は、『ドイツ・グラモフォン創立120周年記念演奏会』ということで、ホールのエントランスから会場の中まで、いつもと違う華やいだ特別な雰囲気が漂っていました。

 その時の小澤さんとムターの演奏の模様については、文末に、hukkats記録から抜粋して、再掲しておきました。



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 演奏が終って二人が退場する時、眼下を通り過ぎる処だったので(座席は二階席のLBブロックのLA側でした)、思わず「ブラボー」と叫んだら、小澤さんが、顔を見上げて「誰かな?」という表情をされたのを、今でもはっきり覚えています。

 尚この時の小澤さんの指揮に関しては、村上春樹氏が、エッセイを公表しているので、以下に引用掲載しておきます。

 生前の小澤さんについては毀誉褒貶あらゆることが言われました。しかし小澤さんの関係諸外国及び我が国音楽界における業績の金字塔は前人未踏のものであり、長くその栄誉は称えられるべきものです。ご冥福をお祈り致します。

 

「ドイツ・グラモフォン・ガラ・コンサートー慶賀すべき一夜」(2018年12月7日 村上春樹)

 2018年12月5日、その夜の東京サントリーホールは、いつものサントリーホールとは雰囲気がずいぶん 違って見えた。おそらくは、会場の至るところに飾られた黄色い花のせいだったと思う。それはドイツ・グ ラモフォン・レコード創立120周年記念のガラ・コンサートで、黄色いチューリップはグラモフォンのシンボ ルであるから、会場にはチューリップを始めとする15種類の黄色い花が、全部で30000本近く飾られてい たわけだ。見慣れたホールの広いステージも、その夜に限っては、まるでどこかの花畑のように見えた。 たった一晩の演奏会のために・・・と思うと、なんだかため息が出てしまいそうだが。

「こんなに花だらけで、花粉症は出ないんですか?」と尋ねると、「大丈夫です。花粉症が出ない種類の 花だけを、注意して選んでありますから」ということだった。それはまあそうだろう、いくら風景的に美しく ても、演奏者が途中でくしゃみをしたり、鼻をかんだりしていては、とても音楽にならないだろうから。しか しそういうアレンジメントは想像を絶するような作業だったでしょうね。

ドイツ・グラモフォンの黄色いチューリップには、僕もいくつか懐かしい個人的思い出がある。クラシッ ク音楽を本格的に聴くようになった高校時代の始めの頃、何枚かのドイツ・グラモフォンのレコードを愛 聴していたからだ。そのうちの2枚、スヴャトスラフ・リヒテルの「イタリア楽旅」と、マルグリット・ウェー バーとフェレンツ・フリッチャイの演奏するラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」は、とにか <レコードがすり切れるほど聴いた(実際にかなりすり切れた)。とくにリヒテルの演奏するドビュッシー の「版画」とショパンの「バラード第4番」は、その曲を聴くと今でも、小さなチューリップの模様のついた、 黄色い丸いラベルが頭に浮かんでくるくらい、鮮明に脳裏に焼き付いている。ウェーバーの弾くラフマニ ノフも、今聴いても色褪せない、地力ある素晴らしい演奏だと思う。

そんなことを一もう半世紀以上も前の出来事だが一つらつらと思い出しながら、アンネ=ゾフィー・ ムターとサイトウ・キネン・オーケストラのチャーミングな演奏に耳を傾けた(ムターさんが身にまとった エメラルド・グリーンのあでやかなドレスは、その日ステージを包んだ祝祭的な花々に、見事なばかりに 美しく溶け込んでいた)。そしてまた、この日のコンサートの最後に用意された、彼女と小澤さんとの豪華 な共演を心から楽しむことができた。このサン=サーンスは本当に素晴らしかったな。

小澤征爾さんのか細い身体から湧き出るようなダイナミックな、そして温かい滋味に満ちた伴奏指揮 はいったいどこからこんな力が出てくるのだろう)、それだけでひとつのクライマックスをつくりあげて いたと思う。いわゆる「あわせもの」で一それもヴァイオリンの超絶技巧を示すことを主要な目的とした このような種類の音楽でーこんなにも静かな、そして揺るぎない統率力を発揮することができるんだ と、小澤征爾という人の指揮者としての実力に、あらためて深く感心させられた。何を今更と言われるか もしれないが、この人はどんな細部をもおろそかにすることなく、また音楽全体の大きな流れを寸時も手 放すことがない。そしてそこに生まれる感動を「運任せ」にすることがない。

とにかく征爾さんがひとたび指揮台に立つと、すべてがびしりと引き締まってくるのだ。オーケスト ラの人々の顔つきから、それぞれの楽器の音から、会場全体に漂う空気に至るまで、何もかもが。まるで 魔術にでもかけられたように。

小澤さんは、8年前の癌の手術以来、残念ながらあちこちの部分で体調を崩し、思うように演奏活動が できない期間がしばしば生じたが、そのあいだも決してめげることなく、黙々とリハビリに励んでおら れた。疲労や痛みに苛まれていたこともあったはずだが、そんなことはほとんど顔に出さず、口にもせ ず、会うと常に楽しそうに音楽の話をしてくれた。

「とにかく音楽を少しでも長く続けたい」という強い気持ちが、小澤さんを休むことなく前に駆り立て ていたのだろう。面と向かって話をしていてよく思うのだが、この人が音楽を愛する気持ちはまるで子 供のそれのように、どこまでもピュアで率直なものだ。こんな風に自分の仕事を無条件に愛せるという のはどれほど素晴らしいことだろうと、いつも感心せずにはいられない。僕も小説家として文章を書く ことをもちろん愛してはいるけれど、そこまで純粋に、手放しに身を捧げることはできないかもしれな い。小澤さんは常日頃、僕をいろんな側面で感心させてくれるが、それもその素敵な例のひとつだ。

小澤さんはここのところ何ヶ月か、「アンネ=ゾフィー・ムターとサントリーホールでこんど共演する んだよ」ととても嬉しそうに話しておられた。「僕がカラヤン先生に紹介されて彼女に初めて会ったの は、まだ彼女が15歳くらいのときのことでね・・・」と。彼女との久しぶりの再会をずいぶん楽しみにしてお られるんだという気持ちが、ひしひしとこちらに伝わってきた。そのために体調もしっかり注意深く整 えておられたようだった。

東京での2人の再会はそのように無事に、また感動的に終了した。2人が1984年にラロの「スペイン交 響曲」を録音して以来一それが2人の初めての共演レコードだった一既に35年ばかりが経過したわけ だが、今回のサン=サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を聴いて、またその古いLPレコードをあ らためて聴き直してみて、つくづく思ったのは、「2人ともちっとも枯れないなあ・・・」ということだった。 もちろんその長い歳月のあいだに、2人のつくりあげる音楽の幅はより広さを増し、その深度は目覚まし いものになった。それでも当時の2人の若々しさと艶やかさは、そして音楽に対する健やかな献身ぶり は、微塵たりとも失われていない。それは実に得がたいことであり、驚嘆すべきことだと思うし、その事実を自分の目ではっきり確かめられたことを、僕は心から喜ばしく思っている。 何はともあれそれは、黄色い花にまわりを囲まれた素晴らしい、そして慶賀すべき初冬の一夜だったのだ。

 

 ついでながら、ベルリンフィルハーモニー交響楽団が、小澤さんへの追悼記事(英文)を発表したので、以下に転載します。最後のセンテンスにある様に、過去の小澤さんとベルリンフィルとの演奏を、現在「ベルリンフィルデジタルコンサートホール」で配信しており、無料で聴けるとのことです。

Mourning for Seiji Ozawa
The honorary member of the Berliner Philharmoniker has died at the age of 88


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Seiji Ozawa(Photo: Holger Kettner)

The Berliner Philharmoniker mourns the death of honorary member Seiji Ozawa, who died on 6 February 2024, at the age of 88. Eva-Maria Tomasi and Stefan Dohr, orchestra board members of the Berliner Philharmoniker, said: “For us as an orchestra, Seiji Ozawa was more than a highly-esteemed conductor. His great technical skill, his perfect knowledge of the score and his friendly, modest, honest and humorous manner made him a close friend and companion to the orchestra since his debut in 1966. We are very grateful that we were able to make music with him once again in April 2016, and we bow our heads in respect for this great conductor and wonderful person. Our thoughts are with his family.”

In 1966, Seiji Ozawa made his debut with the Berliner Philharmoniker – at around the same time as Claudio Abbado. Both conductors were “discovered” by Herbert von Karajan; the press was full of praise for the maestro’s unerring instinct for talent. Seiji Ozawa, winner of the conducting competition in Besançon, winner of the Koussevitzky Prize, and former assistant to Karajan and Leonard Bernstein, had only been Music Director of the Toronto Symphony Orchestra for a year at the time, and had recently made his acclaimed debut in Salzburg. His “creative energy” – according to the press after his Berlin debut – was remarkable, and he was celebrated as a “conducting Paganini”. He conducted Beethoven’s Symphony No. 1, Schumann’s Piano Concerto and Hindemith’s Symphony Mathis der Maler – a programme that was to become typical of future concerts

Classical, romantic, modern
Whenever Ozawa stepped onto the podium of the Berliner Philharmoniker – as he did regularly from then on – the programme was always both classical and romantic, often spiced up with a pinch of modernism. Over the years, he has also introduced Berlin audiences to works by his Japanese compatriots: Takemitsu’s November Steps and Requiem as well as Ishii’s Polarities for orchestra; but also Messiaen’s opera Saint François d’Assise, which the conductor premiered in Paris in 1983, presenting excerpts from the work with the Berliner Philharmoniker three years later. Seiji Ozawa was the first Japanese conductor to achieve world fame. He gained a profound understanding of Western classical music from his teacher and mentor Hideo Saitō, who taught him at the Tōhō Academy of Music in Tokyo. According to Ozawa in an interview for the Digital Concert Hall, he owed a great deal to Hideo Saitō. At a time when there was virtually no knowledge of Western music culture in Japan, Saitō, who had studied in Germany, taught his pupil the essentials of classical music. More than anyone else, Herbert von Karajan helped him in the development of a representative repertoire.

Permanent guest conductor
Ozawa was head of the Boston Symphony Orchestra for 29 years, and music director of the Vienna State Opera from 2002 to 2010. Despite his many international commitments, he always found time for guest appearances with the Berliner Philharmoniker. Before cancer forced him to cancel his planned concerts in 2009, and caused him to largely withdraw from musical life, he often came to the Berliner Philharmoniker twice per concert season. Of the many concerts that Ozawa conducted, a few events stand out as musical beacons: the commemorative concerts to mark the 100th anniversary of the Berliner Philharmoniker in 1982 and Herbert von Karajan’s 100th birthday in 2008; the Philharmoniker’s first concert in the newly-opened Suntory Hall in Tokyo; the New Year’s Eve concert in 1989; and the Waldbühne concerts in 1993 and 2003.

Seiji Ozawa gave his last concerts after a seven-year break in April 2016. Weakened by his illness, but still full of passion, he conducted a half-concert programme with Beethoven’s Egmont Overture and the Choral Fantasy [after a performance by a chamber music ensemble]. It was a moving event for the conductor and the orchestra, which Ozawa made an honorary member during this performance. What made the Berliner Philharmoniker so special for Seiji Ozawa? “Every member plays like a chamber musician. That is very important. I think that's what makes up the tradition of the orchestra.”

To mark the occasion, the Digital Concert Hall is making the concert with Seiji Ozawa from 17 May 2009 available free of charge.

 

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2018.12.8.HUKKATS Roc.(抜粋再掲)

 

・・・ムターさんはバッハのコンチェルト、ベートーヴェンのロマンス(一番有名な2番でなくて)1番、及びサンサーンスの序奏とロンド・カプリッチオーソの三曲。バッハはややくぐもった音が感じられた。1番のロマンスも綺麗な素敵な曲ですね。十分すぎる表現力でした。サンサーンスで初めて小澤さんが登場、病状に伏して一時回復後腰痛等で演奏をキャンセルと聞いていましたが、それ以来の再登板。ムターさんと手を取り合って登場し、かなり痩せられて気のせいか顔色が若干悪く感じられたのですが、ムターの、小澤さんの方を見ながら曲を奉げるが如き演奏の要所、要所は、力をふり絞ってタクトを振っていた。この日最高の演奏と思われました。演奏後は顔色も良くなり器楽奏者におどけた仕草をしたり、音楽に力を貰うお手本を見る思いでした。観客は総立ち、客席からは割れんばかりの大拍手と大きな歓声が上がり、小澤さんは何回も何回も退席してはまた舞台に戻り、観客の声援に答えて挨拶を繰り返しておられました。これまでの大業績を考えると本当に涙が出る程の感激でした。お疲れ様、有難う御座いました。さらに元気を回復され素晴らしい演奏をされることを祈ります。
なお、演奏会の休憩後の後半、天皇・皇后両陛下(hukkats注、今の上皇様と美智子様)がお見えになられ、最後の観客のスタンディングオベーションの時は両陛下もずっとお立ちになって拍手されておられました。・・・