HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

サントリH『サマーフェスティバル2023』オルガ・ノイヴィルト(委嘱新作世界初演)他演奏会

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国際作曲委嘱シリーズNo. 45 

テーマ作曲家 オルガ・ノイヴィルト(委嘱新作初演演奏会)他


【主催者言】
世界の第一線で注目される作曲家に焦点を当て、作品を紹介します。サントリーホール開館当時に武満徹(1930〜96)が提唱した「ホールが創造空間となる」ことを目指し、毎年管弦楽作品を委嘱し、世界初演も行います。2019年、ウィーン国立歌劇場の長い歴史の中で女性作曲家として初めて、同劇場からの委嘱オペラ『オルランド』が上演され、世界の音楽界で話題となったオルガ・ノイヴィルト。今回の委嘱オーケストラ作品はこのオペラを基にした『オルランド・ワールド』です。

〈オルガ・ノイヴィルトについて〉

1968年8月4日、オーストリアのグラーツに生まれる。ウィーン 音楽大学でエーリッヒ・ウルバンナーに作曲、ディーター・カウフマン、ヴィルヘルム・ツォーブルに電子音楽を学ぶ(1987~1993)。個人的にアドリアーナ・ヘルツキー(1988~1989)、ルイジ・ノーノにも師事。パリのIRCAMではトリスタン・ミュライユに学んだ(1993~1994)。1999年、ロンドン交響楽団の委嘱作“クリナメン/ノードゥス”がピエール・ブーレーズの指揮で初演され国際的名声を獲得、以後現代音楽界の第一線で活動を続けている。

今や、ヨーロッパの現代音楽シーンで欠かせないノイヴィルトは、オーストリアでジャズピアニストの父のもと、ジャズを聴きながら育ち、トランペットとドラムを習った。しかし、事故でジャズトランペッターになる夢をあきらめることになり、サンフランシスコで、作曲、音楽理論、映画・映像アートを学ぶ。音色、エレクトロニクスにも興味を持ち、パリでは、1990年代にトリスタン・ミュライユの講義を取り、IRCAM(フランス国立音響音楽研究所)のワークショップにも参加した。多才多芸で多方面とつながる彼女の舞台作品は、ノーベル賞作家エルフリーデ・イェリネクがよく台本を担当していることでも知られる。音楽で、既成のシステムへの反骨精神や政治的な視点を表現するという面では、ルイジ・ノーノと出会い、共鳴したことも。

 音楽的にも、エリザベス朝、ルネサンス期から現代、クラシックから童謡・ポップまでジャンルを超えた引用・フェイク引用が散りばめられ、オーケストラにドラムやエレクトリック・ギターのロック・バンドと、差別や序列を排除し、ヒエラルキーや男性支配社会からの解放を歌う。ノイヴィルトの今までの集大成として、その世界観が凝縮されているとも言えよう。音楽やパフォーマンスはもちろん、舞台セットに代わる縦長の複数のLEDスクリーンに映される映像(ウィル・デューク)や、ノイヴィルトが直接依頼したコム・デ・ギャルソン(川久保玲)の衣装も見応えがある。現代音楽の枠組みにおさまらない作曲家。

 指揮は、初演の指揮も務めたほか、自身が音楽監督を務める*アンサンブル・アンテルコンタンポランなどでもよくノイヴィルトの作品を演奏してきたマティアス・ピンチャーです。

 

【日時】2023.8.24.(木)19:00~

【会場】サントリーホール大ホール
【管弦楽】東京交響楽団

【指揮】マティアス・ピンチャー

【出演】ヴィルピ・ライサネン(メゾソプラノ)

【曲目】

①ヤコブ・ミュールラッド(1991~ )
『REMS〈(短縮版)オーケストラのための(2021/23)〉』世界初演
 Jacob Mühlrad: REMS (short version) for  Orchestra [World Premiere]


②オルガ・ノイヴィルト(1968~ )
『オルランド・ワールド(2023)』サントリーホール委嘱世界初演*
 Olga Neuwirth: Orlando’s World [World  Premiere, commissioned by Suntory Hall]

③オルガ・ノイヴィルト『旅/針のない時計〈オーケストラのための〉』(2013)
 Olga Neuwirth: Masaot / Clocks without  Hands for Orchestra


④アレクサンドル・スクリャービン(1872~1915)『交響曲第4番 作品54〈法悦の詩〉(1905~08)』
 Alexander Scriabin: Symphony No. 4, Op.  54, “Le poème de l’extase”

 

【演奏の模様】

 このサマーフェスティバルはサントリーホールで35年間も毎夏に開かれている現代音楽の祭典です。この音楽祭では、注目の現代作曲家の作品や委嘱作品他を紹介している様です。年によってその趣向はまちまちで、今年はテーマ作曲家ノイヴィルトの曲の演奏の日や、三輪眞弘による「ありえるかもしれない、ガムラン」というプロジェクト型演奏会の日他が用意されていましたが、今年は上記の曲目のみを聴きました。参考まで昨年の趣向は文末に《再掲》した記録に記しました。

 

①ヤコブ・ミュールラッド『REMS〈(短縮版)オーケストラのための(2021/23)〉』
 会場に入って驚いたことには、ステージ一杯に並べられた打楽器席に並べられた様々な打楽器です。

 

プログラムノートによれば、4Perc(Tam-Tam / 2Bass Drums / 2 Tom-Toms / Tri /Vib / 2 Crotales / Chinese Gong / Tubular Bells / Waterphone / Mar / Thai Gongs)等でその他Fl / Picc / A-Fl / 2 Ob / E-Hrn / Es-Cl / 2 Cl / 2 Fg / C-Fg - 4 Hrn / 3 Trp / 2 Trb / Bs-Trb / Tub -Timp 等の管楽器、弦楽五部は12型(min. 12-10-8-8-5)だそうです。

これを作曲したヤコブ・ミュールラッド(1991 ~ )は スウェーデン出身、デ ビューからわずか10年後にドイツ・グラモフォンから作品集が リリースされるなど、近年著しい活躍をみせている彼は、音楽祭やコンクールといったア カデミックな舞台には立たず、北欧・バルト 3国で盛んな合唱 音楽で頭角を現した。その荘重で内省的な音楽は、「ホー リー・ミニマリズム」とかつて商業的に括られたペルト、タヴ ナー、グレツキを 嚆 こうし矢とする、1970年代以降の宗教的音楽 と相通ずるものがある。 2021年に初演された、ストックホルム・コンサートホールと ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団の共同 委嘱作『 REMS』で、ミュールラッドは初めてフル・オーケスト ラに対峙した。タイトルは、人間が夢を見る睡眠の状態である「レム睡眠(rapid eye movement sleep)」を意味する。ここでミュールラッドは、夢と睡眠のもつ「謎めいた、心震わせる ような側面」を探究すべく、自身の見る夢と睡眠を音に置き 換え、さまざまな文化の子守歌、インドの夜のラーガなどを 参照、約26分におよぶ音のタペストリーを織りあげた。  今回初演される短縮版は、原曲のほぼ 4分の 1に相当する。約 7分。

何とも不思議な音の連続でした。冒頭ガムラン音楽的かな?と思ったのもつかの間、Fl.が不可思議な高音を鳴らし、その旋律遷移も通常の古典やロマン派の曲とは全く異なって聞こえます。まるで篳篥か笙の笛の様な感じ、するとVn.群も細い弱音の高音で、管と相唱和してくる。日本の雅楽に倣っているみたい。終盤突然と気がふれるた様に全管弦が強奏的に膨らみそれがしぼむと再度最初の静寂な不思議な調べを立てるのでした。しかし決して違和感がなくかなり居心地良さを感じる現代音楽でした。オーケストラもこの様なアンサンブルの発音が出来るのだと初めて聴いた不思議な響きに感心しました。約7分の短い演奏(原曲の縮小版らしい)終了後指揮者のピンチャーさんは、会場で聴いていた作曲家ミュールラッドをステージに呼び寄せ挨拶すると大きな拍手が鳴り響きました。曲が短くてもそんなステージ風景に時間がかかり、もともと開演ベル後が10分〜13分も遅れてスタートした(原因不明、放送も有りませんでした)ので、この段階で19:30近くになっていました。

次の曲は今回のコンサートの目玉と思しき、

②オルガ・ノイヴィルト『オルランド・ワールド(2023)』です。

①の時には空席になっていた演奏席に多くの奏者が入り楽器編成も多くの打楽器を使う模様。

M-S-2 Fl(Picc / Lotus Fl)/ 2 Ob / Es-Cl / Cl / Bs-Cl / A-Sax / 2 Fg(C-Fg)-3 Hrn / 3 Trp(Picc-Trp)/ 2 Trb / Tub - 3 Perc(Ⅰ=Vib / 3 Thai Gongs / 7 Crotales / 3 Cowbells / Tam-Tam / Suspended Cym / Timp / Snare Drum / Tom-Tom / Wood Block / Tri / Thunder Sheet / Metal Block / Anvil / 2 Auto-Brake Drums / 2 Mechanical Car Horn / Sleigh Bells / Guiro / Chinese Opera Gong / Ratchet Ⅱ=Tubular Bells / 4 Thai Gongs / 6 Crotales / 5 Cowbells / Tam-Tam / Tri / Suspended Cym / Bass Drum / Tom-Tom / 2 Temple Blocks / Metal Block / 2 Auto-Brake Drums / Guiro / Sand Blocks / Mechanical Car Horn / Anvil / Reception Bell / Rolmo Cym / Metal Plates Ⅲ=Glock / 3 Thai Gongs / Tam-Tam / 7 Crotales / Timp / Tom-Tom / Snare Drum / Suspended Cym / 5 Cowbells / Tri / Wood Block / Metal Block / 2 Auto-Brake Drums / Anvil / Thunder Sheet / 2 Mechanical Car Horns / Sleigh Bells / Guiro / Chinese Opera Gong)- Electric Guit-Prepared Pf-Harpsichord-Strings(12-12-8-6-4)

サントリーホールが作曲家に委嘱した曲で、世界初演だそうです。世界初演と言っても、原曲は既に存在し、何とオペラ曲だそうです。今回はそのオケ版組曲を作って発表したのでした。オペラ版は既に、ウィーン国立歌劇場が、150年の歴史上初めて女性作曲家ノイヴィルトに新作を委嘱して2019年に世界初演していて、このノイヴィルトのオペラ『オルランド』は両性具備を題材としている全19景から成るオペラの模様。

今回のオケ版にはソプラノ(?)歌手が一人のみ登壇しました。メゾソプラノのヴィルピ・ライサネンです。先ずオーケストラですが、Vn.アンサンのかすれるような弓法があるかと思えば、金菅の高鳴りも有れば全オケの強奏の急襲もあり、あちこちで、オーケストラが咆哮する大迫力の曲でした。それに合わせて途中から歌い始めた歌手は最初低音域をバリトン域とも違うテノールとも言えない低い音域で歌っているのですが、オーケストラの大きな音にかき消されて歌声がさっぱり聞こえて来ません。もっとしっかりとした声量の歌手はいなかったのかな?と思って聞いていると、後半は、何と結構高い音域の歌をソプラノで歌い始めたではないですか。しっかりとしたヴィブラートをかけた本格的な発声のソプラノです。プログラムノートを見るとこのオペラはそもそも男性と女性の役を兼務する処に、最近よくニュースで語られるトランスジェンダーの問題を扱っている様なのです。オーケストラ演奏だけを聴いても、その音からしかイメージが掴めません。矢張りオペラを見ないとオケ演奏もきちんと理解出来ないと思う。(いつも記していますが、バレエ組曲だけを聴いても、バレエ自体を見ない事には正しい理解が出来ないのと同じです。)

曲の部分部分には、オケもこの様な調べを立てることが出来るんだと感心する処も有れば、全オケの轟音が溶け合わないでテンデンばらばらにただ姦しく響く箇所もあり、何んとも言い難い想いを抱きました。

 

《20分の休憩》

 

③オルガ・ノイヴィルト『旅/針のない時計〈オーケストラのための〉』(2013)

この曲はノイヴィルトが2010年にウィーンフィルからマーラー没後100周年記念曲として作曲を委嘱されたものですが一旦断った後2015年まで期間延長となったため、作曲した作品の模様。タイトルにせよ、何が‘旅’で何が‘針のない時計’なのかは、曲を聴いても、プログラムノートに記載された作曲家の断片的な言葉を読んでも、さっぱりその意図が分からずじまいでした。‘針が無い’と言ってもオケ演奏では前半と後半にはっきりと「チックタック、チックタック」と時を刻む音が表現されていて、針の動きを連想してしまいましたが、針がアルト何がいけないのかも分かりません。結構姦しい音を立てる時が有り、連日の暑さのせいもあってか、演奏途中睡魔が何回か襲ってきました。

この曲の演奏が終了したあとも、指揮者は会場席から作曲者のオルガ・ノイヴィルトを呼び寄せての挨拶が有りました。

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                   演壇に上がるオルガ・ノイヴィルト

 

 

④アレクサンドル・スクリャービン『交響曲第4番 作品54〈法悦の詩〉(1905~08)』

3 Fl / Picc / 3 Ob / E-Hrn / 3 Cl / Bs-Cl / 3 Fg / C-Fg - 8 Hrn / 5 Trp / 3 Trb / Tub - Timp - Bass Drum / Cym / Tam-Tam / Tri / Glock / Bells-Cel-Org(or Harmonium)-2 Hrp-Strings 初演 1908年12月10日 ニューヨーク、カーネギーホール モデスト・アルトシュラー(指揮)、ロシア交響楽協会

 スクリャービン(1872-1915)の名を聞くと、これまでピアノ曲は聴いて来たので、ラフマニノフと同世代の比較的クラシカルな作曲家というイメージが強かったのです。それが何故、現代音楽作品の祭典「サマーフェス」で取り上げるのかな?選曲の意図は?と思ってプログラムノートを見ると最晩年は、独自の無調的和声音楽に辿り着き、ロシアのモダニズム音楽の寵児となったそうなのですが、この曲自体が110年以上前の作品で、スクリャービンが亡くなってからも108年経っているので、自分としては、多くのピアノ曲の様に伝統的な響きを背景に感じられる作曲家と思って聞き始めました。聴いてみると確かに主要動機群が絡み合いながら複雑な構造を構築しているかに見えても、その響きは断絶や捻じ曲げが少ない連続的な一貫性を持ち、今日聴いた②、③の曲の様に聴いていてうざったい、うるささ加減がほとんどなく、聞いていていいアンサンブルだなと思う響きを有していました。今日の選曲は指揮者か楽団かは分かりませんが、プログラム最後の締め括りとしては、現代モダン音楽もスクリャービンの曲の様な聞いていて、いいなと思われる響きをもっと表現して貰いたいという意図があったのではなかろうか、と勝手に解釈したりしました。

 終演は21時半をゆうに過ぎ、横浜に着いた時には最終電車で午前様になってしまいました。

 結構草臥れました。でも得した様な気になったことが一つありました。それは毎日盛夏の日照りで涼風一つ感じられなかったものが、どういうことか駅に着いて帰宅する道すがら、ふっと❝アレ風が違うワイ、これぞ秋風のハシリではないか?❞という涼しい空気の流れを感じたのです。一瞬、二瞬程でしたが。そしてその道すがらもう一つ気が付いた事、それは、随分と路傍の草叢から激しく主張するさまざまな虫の鳴き声が聞こえます。耳を傾けると、うるさい程に大きく、力強くなっていたことでした。

 

 ❝秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 虫の音にぞ 驚かれぬる (Hukkats)❞

                            

 

 

 

 

//////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////《再掲》HUKKATS Roc.2022.8.23.

◉サントリーH・サマーフェスティバル2022『ザ・プロデューサー・シリーズ/クラングフォルム・ウィーン』が開く大アンサンブル・プログラム<時代の開拓者たち>

      

 表記のサントリーホール、サマーフェスティバルは1987年より20~21世紀の音楽や最新の作品を紹介するシリーズ・コンサートを開催していたものを、2018年から「サントリーH・サマーフェスティバル」と名称を変更したものです。今回は海外から「クラングフォルム・ウィーン」他を招聘して8日間の日程で開催される音楽祭です。

【日時】2022.8.22.(月) 19:00~

【会場】サントリーH大ホール

【管弦楽】クラングフォルム・ウィーン他

【指揮】エミリオ・ポマリコ

【主催】サントリーホール

【後援】オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム東京

【助成】文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)

独立行政法人日本芸術文化振興会

【制作協力】東京コンサーツ

 

【曲目】

①ヨハネス・マリア・シュタウト『革命よ、聴くんだ(ほら、仲間だろ)』 アンサンブルのための(2021)[日本初演]

 

②ミレラ・イヴィチェヴィチ『サブソニカリー・ユアーズ』 アンサンブルのための(2021)[日本初演]

 

③塚本瑛子『輪策赤紅、車輪(ラート ラート ロート レッド、レーダー)』 大アンサンブルのための(2017)[日本初演]

 

④武満徹『トゥリー・ライン』 室内オーケストラのための(1988)

 

⑤ゲオルク・フリードリヒ・ハース『ああ、たとえ私が叫ぼうとも、誰が聞いてくれよう…』 打楽器とアンサンブルのための(1999)[日本初演]

【管弦楽団の概要】

《クラングフォルム・ウィーン》

クラングフォールム・ヴィーン(Klangforum Wien)は、作曲家ベアト・フラーが結成した、オーストリアを拠点とする現代音楽専門の室内オーケストラである。

初期は非常にマイナーな存在だったが、クラウディオ・アバドウィーン・モデルン音楽祭を始めたころから注目され始めた。24人のメンバーから構成され、20世紀の演奏機会が少ない作品の復活を目指している。欧米や日本のコンサートホール、オペラハウスでの2000を超える初演や、70以上のCDリリースは音楽界に新風を吹き込んでいる。ハンス・ツェンダーなどの現代音楽専門の客演指揮者を招聘し、ヘルムート・ラッヘンマンラ・モンテ・ヤングジェイムス・テニーなどの非オーストリア系の世界的に評価の高い作品も頻繁に取り上げている。シルヴァン・カンブルランフリードリヒ・チェルハベアト・フラーの3人が名誉会員となっている。

 

【Program Note】 

①ヨハネス・マリア・シュタウト(1974~ ) 『革命よ、聴くんだ(ほら、仲間だろ) 』

 アンサンブルのための(2021)

 音楽において革命とは何だろうか? それは政治におけ る革命とは完全に異なるのか、それともたんに政治的変動 を反映するだけなのか?どのようにそれは姿を現すのか? 音を立ててこれみよがしに、落ち着いてほとんど勝ち誇っ たかのように現れるのか、それとも静かにほとんど人目に つくことなく、裏口から入るかのように現れるのか?そもそ も芸術における革命を進歩と同一視できるのか? 疑問は 尽きない……  私の作品は17パートのアンサンブルのために書かれて おり、いくつかの短いセクションを含んでいる。形式におけ る緊張を生じさせる断片的なセクションは、しだいに複雑 なものになってゆく。そこからは、つねに安定することのな い混合体が立ち現れる。セクションは明瞭な輪郭をもつ身 ぶりから組み立てられていながら、たえず互いに影響し合 い、作品が進むなかでみずからのアイデンティティを変え もする。このように混ざり合った状態は、いつ何時でも予 期せぬ仕方で「転倒」し、革命を誘発し「煽動」する可能 性があるのだが、それらの革命によって、音楽の状況は 根本的また永続的に変化してゆく。 2021 年 5 月 [ヨハネス・マリア・シュタウト/平野貴俊 訳]

 Fl (Picc / A-Fl ) / Ob (E-Hrn / Tri ) / Cl (Bs-Cl ) / Fg - Hrn / Trp / Trb - 2 Perc ( Ⅰ = 3 Crotales / Vib / 2 Finger Cym / 3 Chinese Opera Gongs / Hi-Hat / Tam-Tam / Thunder Sheet / 2 Djembes / Bass Drum Ⅱ =Marimbaphone / 6 Gongs / 2 Finger Cym / Tri / 3 Chinese Cym / Tam-Tam / Thunder Sheet / Snare Drum / 2 Timbales / Bass Drum / Sand Block ) - Cel (Chinese Opera Gong / Thunder Sheet / 2 Maracas ) - Prepared Pf ― Vn Ⅰ (Maracas ) / Vn Ⅱ (Maracas ) / Va / Vc Ⅰ / Vc Ⅱ / Cb

初演 2021年11月15日 ウィーン・コンツェルトハウス ウィーン・モデルン ペーター・ブルヴィーク指揮、20世紀アンサンブル 委嘱 20世紀アンサンブル

 

②ミレラ・イヴィチェヴィチ(1980~ ) 『サブソニカリー・ユアーズ』 アンサンブルのための(2021)

 そう、ほとんど サブソニック(音速以下)で。厚い壁の背後で起こる爆発の 音。束縛の多い現実にあって自分自身であること。ビッグバンのた めの小さな空間。暗闇、いく筋かの光。極小のひび、宇宙。 [ミレラ・イヴィチェヴィチ/平野貴俊 訳]

 Bs-Fl / Cl -Trp -Perc(Crotales / 2 Cym / Chinese Cym /Snare Drum / 2 Tom-Toms /Bass Drum) -Pf - Acc -Vn /Vc

 初演 (放送) 2021年4月25日 ティトゥス・エンゲル(指揮)ほか 委嘱 ヴィッテン現代室内楽音楽祭(ドイツ) 献呈 クラングフォルム・ウィーン

 

③塚本瑛子(1986~ ) 『輪 ラート ラート ロート レッド 策赤紅 、 車 レーダー 輪 』 大アンサンブルのための(2017)  

 このタイトルが例示しているのは、個々の要素を結びつける唯一 の規則が存在するのではなく、要素同士はそれぞれ異なる関係性 によって多義的に、しかし何らかの連続性を伴って繋がっていると いう状況であり、それが私がこの曲で具体的に表現しようとしたこ とである。 [塚本瑛子]

Fl (Picc ) / Ob / Cl (Es-Cl / Bs-Cl ) / Fg - Hrn / Trp / Trb - Hrp - Pf - 2 Perc ( Ⅰ =Vib / Hi-Hat / Suspended Cym / Ratchet / Bass Drum Ⅱ =Xyl / Metal Sheet / Ratchet / 3 Wood Blocks / Snare Drum / 2 Metal Blocks / Slapstick / Bass Drum ) - Vn Ⅰ / Vn Ⅱ / Va / Vc / Cb

初演 2017年8月26日 ロワイヨモン修道院(フランス) ジャン =フィリップ・ウルツ(指揮)、アンサンブル・ユリシーズ 委嘱 ロワイヨモン修道院

 

④武満 徹(1930~96) 『トゥリー・ライン』 室内オーケストラのための(1988)

 ロンドン・シンフォニエッタの創設20周年を記念して委嘱され、 1988年に完成された室内オーケストラ曲。『樹の曲』(61)以降タイ トルに木をしばしば用い、「私は樹が好きだ。それも、灌木の茂み よりは 喬 きょうぼく 木の林を、寧ろそれよりは天空へ向って 聳 そびえ立つ一本の巨 樹に魅せられる」(『音楽の余白から』)と語った武満は、仕事場としていた長野県御代田町の山荘近くに佇む並木に着目した。「その、 小高い坂道に沿って立ち並ぶ、長いアカシアの並木の下を歩くと き、私の疲れた心は、いつもきまって、癒される。[…]この曲は、 優美で気丈な、その樹々へのオマージュとして作曲された」。  聴く人を並木路へと誘うかのような序奏を経て、樹木を思わせる 清冽な音を発する管楽器のあいだで掛け合いが行われるが、上行し たのち下行する終始反復される音型は、のちに『ハウ・スロー・ザ・ ウィンド』(91)、『そして、それが風であることを知った』(92)など、 風をテーマとする作品で多用された。中盤、「 Æ エオリアン・ラスリング olia n rustling(風の そよぎ)」と記されたハープの伴奏、コントラバスのハーモニクスとピ アノの上行音型を背景として、フルートが指定された 7音による 「 b バーズ・コーリング ird ʼ s calling(鳥のさえずり)」を即興する箇所では、散歩者が歩み を緩めあるいは立ち止まって、鳥の声に耳を傾ける様を彷彿とさせる。 最後は、舞台を去ったオーボエ奏者が「 S スロウリー・アズ・フロム・ファー・ビヨンド lowl y a s fro m fa r beyond (ゆっくりと遠くからのように)」音を届ける。[平野貴俊] Fl (A-Fl ) / Ob / 2 Cl (Bs-Cl ) / Fg (C-Fg ) - 2 Hrn / Trp / Trb - 2 Perc ( Ⅰ =Vib / Crotales Ⅱ =Tubular Bells / Glock / 2 Cym on Pedal Timp / Crotales )-Pf (Cel )-Hrp -Vn Ⅰ / Vn Ⅱ / Va / Vc / Cb  初演 1988年5月20日 クイーン・エリザベス・ホール(ロンドン) オリヴァー・ナッセン(指揮)、ロンドン・シンフォニエッタ 委嘱 ロンドン・シンフォニエッタ20周年記念 (ヨーロッパ日興証券の援助による) 献呈 池藤なな子、サリー・グローヴズ

 

⑤ゲオルク・フリードリヒ・ハース(1953~ ) 『ああ、たとえ私が叫ぼうとも、 誰が聞いてくれよう…』 打楽器とアンサンブルのための(1999)

 ザルツブルク音楽祭のコンサート・ディレクター ハンス・ランデス マン(1932 ~2013)が、同音楽祭で行われる演奏会「ネクスト・ジェ ネレーション」のために委嘱した作品。 1999年のイースター休暇中、本作を仕上げるためクロアチアに 滞在していたハースは、妻との朝食中にNATOの戦闘機が上空を 通過する際の音を聞き、その恐ろしさに戦慄する。当時はコソボ紛 争の只中であり、戦闘機はベオグラードに向かっていた。タイトルを ライナー・マリア・リルケ(1875 ~1926)の『ドゥイノの悲歌』冒頭「あ あ、たとえどのように叫ぼうとも、誰が天使らの序列から耳傾けてく れようか」(高安国世訳)から借用したハースはしかし、本作は政治 的プロテストではなく、あくまで戦争を前にした自身の絶望、無力感 の表現であると語っている。ハースは以後自作をたびたび政治と関 係づけているが、それは2016年に『ディー・ツァイト』紙で告白され た、ナチスを支持する家族から虐待に近い躾を受けていたという自 身の生い立ちと無縁ではないのかもしれない。  打楽器とアンサンブルのための作品だが、この編成から予想さ れる独奏の鮮やかな名人技は皆無。微分音を含みながら徐々に推 移する平面的な音響の上で、これとはほとんど無関係なかたちで、 サスペンデッド・シンバルを主とする種々の金属打楽器が、さまざま な緩急で連打される。後半では長三和音の響きから 5度の音程が 浮かびあがり、カデンツァを経て、独奏とアンサンブルが同期しなが ら跳躍の多い音型を反復する。[平野貴俊]

 Solo Perc (Crotales / Suspended Cym / Tuned Gongs / Tam-Tam / Metal Instruments ) -Fl (Picc ) / Ob (E-Hrn ) / Cl (Es-Cl ) / Bs-Cl (Es-Cl ) / S-Sax (T-Sax ) / Fg -Hrn / 2 Trp (Picc-Trp / Flügelhorn ) / 2 Trb / Tub -Perc (Crotales / Vib / 4 Tuned Gongs / Temple Block / 2 Suspended Cym / Tam-Tam / Lion’s Roar ) -Acc - 3 Vn / 2 Va / 2 Vc / 2 Cb 初演 1999年7月28日 ザルツブルク シルヴァン・カンブルラン(指揮)、ロビン・シュルコフスキー(打楽器)、 クラングフォルム・ウィーン 委嘱 ザルツブルク音楽祭

 

【演奏の模様】

 座席について少し意外だったことは客席がガラガラだったこと、休憩後でも増えた観客はそう多くはありませんでした。全体で半分も入っていたかどうだか? それから「大アンサンブル」とタイトルに謳っている割には規模の小さい管弦楽で、曲によって減増しましたが、多くても20人程度ではなかろうかということでした。弦奏者はほんとに少ない。これでは室内楽かな?いやそれより小さい。でも打楽器の種類が多い事と管楽器奏者の席には普通のオケでは見かけない大型の楽器が置いてあることには興味を惹かれました。例えば、②や④の曲では、大きなバスークラリネットが使われ、④では初めてバスフルートなる楽器を見ました。かなり大きいし吹きづらそう。又④では多きチューバに大きな弱音器を差し込んで吹いていたり、他の金管も床に複数の弱音器を置いておいて取り替え引き換えして演奏していた。こうした演奏を見る楽しみが有りました。

 演奏の方は、アンサンブルが小さい編成(弦など数人規模)のため、というよりも曲自体がおとなしい、轟音を立てる様な曲でなかったので、現代音楽、しかもウィーンの大アンサンブル・プログラムという前宣伝を自分は、誤解していたことが分かりました。しかも①も②も③も旋律性とはかけ離れたところにあり、とぎれとぎれの弦の響きと管・打の響きの掛け合いに終始しました。①では、「Revolution」というタイトルを感じる箇所は皆無、せいぜい木枯らしが吹きすさぶ風と木立のざわめき程度を感じました。②になるともうこれは子守唄、静かな雰囲気の調べが心地よく、眠気を催してしまった。

  ③は若手日本人女性作曲家、塚本瑛子さんの作品です。❝大アンサンブルのための❞と称していても【Program note】記載の楽器群ですから決して大きくは有りません。比較的大きいという意味かな?この曲も管弦の旋律らしい旋律は姿を消し、ピッツィカートもない。アンサンブルのフレーズ、フレーズが途切れがちでした。それでも様々な異音の組合せ組み立てで、中には瞬裂する音も前後を結びつける役割を演じ、互いに連続性は担保していたのが不思議なくらい。塚本さんの意図はある程度表現出来ていたと思います。指揮者は演奏後客席の塚本さんを舞台に呼び挨拶させていました。

 ④の武満の曲になって初めて旋律らしい旋律が流れ、旋律が他楽器と美しく混じって静かな雰囲気が流れると、やっとホッとした気分になりました。こんなに武満の曲が良く聞こえるとは!曲もいいのでしょうが多分、その前の曲とはかなり異次元の世界を表現していたからではなかろうかと思います。

 最後の⑤の曲では打楽器奏者とアンサンブルの、普通のオーケストラに例えれば、オケ付き独奏だったのですが、最初それに気が付かず、曲を聴いていて半ば過ぎにそれと初めて分かりました。理由には二つあって、先ず現地で配布されたプログラムノートを演奏前までに良く読む時間がなかったこと。それから座席が楽器群が良く見える二階バルコニー席に取ったのは良かったのですが、死角が一つありました。二グループある打楽器群の位置は、演奏曲によりその位置が変化し、最後の曲の時にはバルコニの真下に置かれて自席からは良く見えない箇所になってしまったのです。演奏が始まり弦・管に合わせるパーカッション(主として鐘や金属板の使用が多かった)のリズムと響きを聴いていると、最初は、オケでの通常通り、打は管弦に合わせる伴奏的役割を演じていると思って聞いていました。ところがその内に、オヤツ、これは、伴奏の域を越えているな、管弦と打はその主・縦が逆ではないか?と感じたのでした。様々なパーカッションを駆使したそう大きくない打音は、それ程大音ではない管弦のアンサンブルをリードして、主役を演じているのです。シンバル、タムタム、ゴング等々をタイミング良く次々と乗り移り、細やかなリズムの変化、音の強弱を演出して、打楽器奏者は、かなり忙しく立ち回っているようです。でもバルコニーに隠れて姿は見えない。しかし、益々アンサンブルの主役に躍り出ています。演奏が終わって指揮者はこの打楽器奏者を舞台の前に呼び寄せ挨拶を指せると会場からは結構大きな拍手が鳴りました。配布資料を見ると、確かにこの曲は❝打楽器とアンサンブルのための❞と書いてありました。打楽器の相当な達人だと思われます。

 以上聴き終わって心に残ったのは迫力の少なさでした。この日だけの曲を聴いてこの種のアンサンブル全体を決めつけることは危険なことですが、期待したものとはかなり違っていた。でもマーラー以来の打楽器や管楽器の余り目立たない楽器群が俄然目立つのは伝統的なウィーン風の一つなのでしょうか?また今回の演奏の最初で、チェレスタ演奏者(日本人?)が途中で演奏を止め(たのか終わったのかは知りませんが)、フラッと指揮者の後ろを通り、夢遊病者の様に舞台を横切って反対側の袖に消えてしまい、暫くすると舞台裏を一巡したのでしょう、別な入り口から舞台に登場チェレスタに近づきました。ただその時両手にはタムタムを握り、チェレスタを演奏する代わりにその打楽器を玩具の様に鳴らしていました。これはどういう意味を持つか家に帰っても分かりませんでした。恐らく作曲者は、曲の「革命性」を無言の音楽で表現したかったのでは?正気を失った革命の被害者のことを表現したかったのでは?彼女が舞台をふらりと歩いている時は、何だろうかと聴衆の視線はその方を凝視し、結果的に演奏される曲の調べは違って聞えたかも知れません(比較は出来ないので確証はないのですが)。

 無言と言えば、ジョン・ケージのことを思い出します。彼は音楽に様々な新しいアイデアをつぎ込み、様々な発明までしています。ハーバード大での無音響室体験から、自分の体(頭脳)から音は常に出ているので無音という事は無いと結論づけました。確かに電車に乗っていても頭の中で音楽が鳴り響いていることは、実際体験として感じた人は多いと思います。色々考えさせるというか妄想たくましくさせるコンサートでした。