HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

NHKテレビ『9年振りの復帰公演ピアニストブーニン』今日(11/6日)夜放送

 表記の番組は、昨日(11/5土)同じBS3CH23:00から放映された『9年の空白を越えてピアニストブーニン』を補充編集したものを「完全版」として放送する模様です。昨日の放送はというと、10月21日(金)に同じくBS3CHで放送されたものの再放送でした。従って演奏会としては、6月25日の八ヶ岳音楽堂での演奏会の様子が中心となり、その後7月に東京・人見講堂で開催された演奏会の映像は写っていない模様です。(NHKに確認済)

そこで今年(2022年7月18日)人見講堂での演奏会を聴きに行った記録を参考まで文末に再掲1して置きました。

 又それ以前の演奏会(国技館や初来日公演)は聴きに行ったのですが、その頃(36年以上前)の hukkats Rocは残さなかったので、その時の記録は有りません。ただその後の記録で、ブーニンに触れたものがあったので、それも参考まで<再掲2>して置きました。

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<再掲1><hukkats Roc2022.7.18>

『スタニスラフ・ブーニン~再会~コンサート』

ブーニン復活の兆しか?

【日時】2022.7.18.(月祝)15:00~

【会場】昭和女子大学人見記念講堂

【出演】スタニスラフ・ブーニン

    朝岡 聡(司会)

【プロクラム】

 〈1部〉トークショー

    朝岡 聡(司会)、ブーニン、(通訳)

 

 〈2部〉ピアノ演奏 ブーニン

【主催者言】

 待ち望んだ伝説との再会。ピアノの巨匠ブーニン自身が語る今、そして、ショパンコンクール優勝から更に熟練を極めたピアノ。9年の時を経て、再び日本で響く。7/18(月・祝) 昭和女子大学 人見記念講堂にて開催!

 

【演奏曲目】

シューマン『色とりどりの小品作品99』より第1曲~第14曲(全14曲)

【演奏の模様】

 人見講堂に行ったのは、それこそ何十年振りでしょう、1986年だったでしょうか?コンクール優勝後の初来日公演が行われた時以来でした。最寄りの駅が三軒茶屋だということも忘れていて、検索する始末。

駅や途中の路上には人見講堂への案内板が書いてあり、迷うことは有りませんでした。

 狭い歩道をかなりの観客とおぼしき人々が講堂目指して歩いていました。

          

               

大学構内の講堂入り口付近には多くの人々が集まって入場の列をなしています。

講堂エントランス

 左に大きな彫像が立っていましたが、ダ・ヴィンチに見えたので訊いたらトルストイだそうです。像のそばに由来を書いた案内板が普通だったらあるのですが、何も無く訊いても知っている係員はいませんでした。

講堂ホワィエ

講堂内のホワイエはかなり広く、左右に大きな彫像が一対づつ。音楽に関するギリシャ神話関係でしょうか?何も説明は書いてありません。

   

それから左右に一対の大きな絵画も飾ってあります。一階と同様二階のホワイエもい急ぎ足で見て廻ったのですが、随分広く展示物は一階同様でした。その他右方横に大きな金属様の展示物がありましたが、時間が余り無いので、休憩時や終演後に見ることに。

2000人は入るという大講堂は七割方埋っていたでしょうか。

 時間が来てオープンするとブーニンはピアノの前に、朝岡さんが手に笛を持ってお辞儀をするやおもむろに縦笛を口に当て吹き始めました。『浜辺の歌』です。そう言えば7月18日は「海の日」で祝日なのですね。恐らく久し振りのコンサートで、緊張するブーニンと聴衆をリラックスさせようとする、朝岡さん流の司会術の一環だったのかも知れません。そいえば朝岡さんのProfileを見たら最近は、東京藝大の客員教授も務めている様ですね。音楽関係の司会としては他の追随を許さない抜きんでた才能を発揮している人ですから、音楽大学もその才能を生かしてもらおうという事なのかも知れません。

 

<第1部>

 過去のショパンコンクール優勝時などの写真やビデオを、舞台上のスクリーンに映し出し、当時の状況や思い出などに関し朝岡さんがインターヴュー、ブーニンがそれに答える形で進められました。通訳は男性ピアニストの浜野与志男さんが勤めました。ブーニンは1990年代から日本には結構長く住んでいる筈ですが、日本語はほとんど話さず、単語くらい。様々な事情はあるのでしょうが、想像するに多分奥様が日本人でしかもプロの外国語通訳者の様なので、日本語を覚えなくても何も不自由なく暮らせたためではないかと思います。

 インタヴュー、トークの中で明らかになったのは、ブーニンがここ10~20年程楽壇から音沙汰が無くなって、一節には行方不明説まで出る程でした。その原因は、病気、入院、治療、怪我、療養、リハビリにあったそうなのです。朝岡さんは細かいことは聞きませんでしたが、そのため9年間はピアノの練習さえ出来なかったのではなかろうかという事でした。確かに見た目にも56歳にしては老けて、もともと猫背の背中は一層丸まり、歩く時は左足をやや引きずった様な歩き方でした。一時は車椅子状態だったそうです。随分と回復してリハビリ効果があったのでしょう。今日は待望のピアノを弾くそうですから。

 ショパンコンクール以降は演奏会に引っ張りだこで世界を飛び回っていたそうです。2000年代後半から2010年にかけては日本各地の災害被災地域(十勝沖地震による津波被害他)を廻り、自前のチャリティーコンサートを開いたこと、主として子供たちに音楽の夢を与える「足長が演奏会」を中心に、学校へピアノを寄進したこと等色々試みたことを話していました。ピアノ演奏に関しては、その間自分の内面を深めることが出来て、ピアノ演奏に反映したと思う旨のことも言っていました。そして体を壊したという事は、約十年前ですから、あの東北太平洋沖大地震があった翌年ぐらいからでしょうか?その話は出ていませんでしたが、大地震が影響なかったはずは有りません、きっと。ひょっとしたら心理面も含めて大地震の被害者? 朝岡さんに、「今後ブーニンさんはどのような音楽行動を考えられていますか?以前の様にバリバリと演奏活動をする気はありますか?」と畳み掛けられて、一瞬言葉に窮しましたが、前みたく毎日の演奏スケジュールに追われるのはどうかな?と言った趣旨の事を答えて言葉を濁していました。

 

《20分の休憩》を挟んで、

 

<第2部>開始です。

 演奏は若い時から親しんできたシューマンの曲から選曲したそうです。家でも自分が音楽の心に触れたい時弾いていたそうです。

 確かにシューマンは素晴らしくロマンティックな曲も有り、力強い大曲もありますが、悩みが尽きない憂鬱な心の影を反映する曲も多いですね。それだけブーニンには心境の変化、深化があったのでしょう。

 第1曲から第3曲までを一つのグループに、第4曲から第8曲までを二つ目のグループとして括り、」第9曲から第14曲まではそれぞれ単独曲として弾きました。ちゃんと弾けるのか心配する気持ちも心の隅にはありましたが、何のそのさすが一流のピアニストの味わいある音楽性に優れた演奏だったので溜飲を下げた次第です。時には左手を弾き終わりに大きく上げる仕草さやブーニン節とも言えるテンポの急変で部分的に速度が速くしたりする箇所もありましたが、概ね心から音を紡いで旋律を編み上げていた感がしました。勿論暗譜で、けがをしたのは左脚の模様なので、左の弱音器を使う時は若干不自由かも知れませんが、右脚は全然何ともないのでしょう。演奏後大きな拍手が会場を埋め、一人禁止されている掛け声を思わずかけてしまった男性もいたようです。

 演奏後。アンコール演奏がありました。

ショパン『マズルカOp.67-1』でした。今回の多くの年配の観客は昔のブーニンのショパン演奏を思い出していたのではないでしょうか?

 あの時のブームはホントに凄かったですね。来日公演は、関東各地の会場はすべて売り切れ、それでも聴きたい音楽ファンのために、国技館を借り切って、それこそ何千人というロックコンサート並みの観客を集めて演奏会をやった時は、賛否両論が出ました。実際に聴きに行った自分としては、両論とも尤もだと思ったものですが、今となっては、クラシックピアノ演奏会の集客力として、日本のピアノ史に残る快挙だったと言えます。もう一例、数年前に清塚さんが武道館で行ったピアノコンサートも今となっては伝説の集客力ですね。あの時も聴きに行きました。次いでに記しますと、彼はその後テレビやマスコミでも大活躍ですが、それとは別に、地道な地方巡業にも力を入れ、基本的に自分の立ち位置をクラシックにしっかりと根を下ろして、活動範囲を広げていることは、偉いと思います。勿論健康面は何ら問題ない様で、いつも元気一杯にテレビに出ていますが。チャリティコンサートの方はどうなっているのでしょう?耳に入って来ませんが。

 ブーニンに戻ると、また演奏会が多分いつになるかは分かりませんが、あるでしょう。その時こそブーニンの本領が試される時です。ピアノ演奏は若い人がどんどん出てきていますからね。ブーニンには心で弾く演奏を求めたいと思います。

 尚配布されたプログラムの曲目解説などは、ブーニン自身で書いたものだそうでして、内容が高度で、ピアノ演奏を心の内に深く響かせているブーニンの、音楽に対する見識の高さの一端が分かる内容でした。

  演奏終了後、ホワイエの展示物を見たら 何と昔社会教科書に出て来た「銅鐸」でした。

銅鐸1

銅鐸2

銅鐸3

 起元前の古代中国ではそれを何枚も連ねて楽器として使用していたそうです。しかも大きな棒で突いて音を出して。そう仏閣にある鐘の様に。一体どんな音が出るのでしょう? 

 今回は15時からのコンサートで行き慣れない駅だったので早めに家を出ました。そしたら13時半頃には三軒茶屋に着き、昼食を食べなきゃと思い駅から地下階段を上がってふと前を見たら「銀座アスター」の看板が見えました。ビルの二階にあって玄関を入ったら、大広間の様な広い所に大きなクロスした丸テーブルが間隔を随分空けて置いてあり、ホテルのロビーにあるようなゆったりとしたソファーも置いてある。係員に、今日は貸し切りですか?結婚式の披露宴でも?と訊いたらそうでなく、どうぞ開いているテーブルにと言います。随分贅沢に広く使っているなと思いながら窓の外が見える箇所に座りました。丁度一家族4人が座って中華料理を食べれる様な広いテーブルに。真っ白なクロスが掛けてあります。アスターはここ何年も行ってないのですが、何十年も前に別な都市にいた時アスターの「チャーハン」が好物でよく食べていたので、チャーハンありますか?(当然ある筈ですね)と訊いたらメニューを持ってきました。四種類くらいありましたが一番安い税込み2000円位のものを注文しました。出てきたのは普通のありふれた外見のチャーハン、昔はエビやら何やらその他色々大粒で混じっていた思い出があるのですが、目立つものは何もなく。ただスープが非常においしく何か特殊な素材を使っているのかも知れない。それに茶が大きなポットに入って出て来たので、全体としてはチャーハンだけには余りコストをかけられないのかも知れない。

銀座アスターにて

 味は美味しかった。それよりも何よりも周りに他の客がいなくて、コロナ感染の恐れも少し和らぎ、ゆっくり食事出来て、その後長い時間中国茶を飲み、スマホやら雑誌やら見て随分休めたので、場所代も考えれば安い昼食でした。

 

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<再掲2><hukkats記録2018.11.4.>

一昨日(11.2)「Kissin Piano Recital」を聴いて来ました。それがホールが違っていたのです。勘違いしていました。「みなとみらいホール」小ホールかと思って行ったら大ホール(2020座席)でした。初めて入りましたが「囲み型シュ-ボックス形式」というタイプらしく、どちらかというと見た目は座席数も同程度のサントリーホール似ですかねー。(壁面はサントリーホールの方がゴージャスに見えますが)ほぼ満席でした。一つのクラシックリサイタルで2000人近くも集まるのはいかに人気があるかです。さてキーシンには昔の記憶をよみがえさせられます。初めて聴いたのは初来日コンサート(1986.10.15.at昭和女子大人見記念講堂)でした。驚いたのなんのって無いですね。小学生位の幼い子供が出てきて、ショパンのワルツ他を大人のピアニスト顔負けの見事さで弾いたのですから。当時の日本は19歳で’85年ショパンコンクールを制した「ブーニンフィ-バ」の真っただ中で、NHKの放送などで聴いていたので(確か国技館のブーニン演奏会にも行った様な気がします)当時音楽関係以外でお付き合いさせていただいていた旧陸士の方に「ブーニンはすごいですね」と話したら「ブーニンよりキーシンだよ」とのこと。キーシンWho? 全然知らなかったのですが、コンクールにこそ出なかったけれども知る人ぞ知るモスクワの神童ピアニストなのだそうです。その方は音楽は趣味程度でしたが、お兄さんがチェリストの故黒沼俊夫さんだった関係でいろいろと情報が入っていたのでしょうね。そういうこともあり、「キーシンが来る」と聞いて一家総出で人見講堂に駆け付けた訳です。さて回顧はこの位にして、今回のキーシンの演奏ですが、舞台に颯爽と現れたキーシンもよわい47歳、穏やかではあるが男盛りの力がみなぎる風貌でした。最初はChopinのノックターン15番と18番、事前鑑賞の音楽ソフト(演奏Leonskaja)では、地味な退屈な曲の印象でしたが、キーシンは強弱メリハリの利いた生き生きとした表現をしていた。特に18番は意外な程長く力演でした。夜想曲の5番7番8番20番(遺作)などをキーシンの演奏で夜更けに物思いながらしっとりと聴いてみたい気もします。

 次曲はシューマンのソナタ3番。約30分程の大曲です。SchiffのTonhalle (Zürich.)

でのライブ録音CDがあったので何回となく聴きました。キーシンはやや背中を丸めて時

としては天を仰ぎながら体をゆすって力を籠めるところはピアノを破壊するが如く、ピアニッシモからピアノに移るpassageは羽毛でなでるが如く弾き、特に三楽章の演奏が完璧と思われました。休憩の後はラフマニノフ前奏曲。ラフマニノフもバッハ、ショパンと同じく前奏曲を24曲作曲しており(「幻想的小品集中の前奏曲嬰ハ短調(以下A と略)」+「10の前奏曲(以下Bと略)」+「13の前奏曲(以下Cと略)」=24曲)、バッハが同主調、ショパンは平行調で作曲(ふくきち舞台日記、新国立劇場≪アイーダ≫(2018.4.23.)投稿コメントhukkats6.9.参照)したのに対、しラフマニノフの前奏曲配列はそれらと異なり、通し番号1番(A)は嬰ハ短調でスタートその調に一番近い同主調である変ニ長調の24番まで20年近くかけて作曲したものです。配列は曲の内容に関係しているとみなす向きもありますが今は論じません。Bの「5番ト短調」の曲に関して、キーシンは冒頭からの行進曲風部分を軽快にかなりの速さで弾き、中間部の un poco meno mosso記号のある間奏曲を綺麗にまとめ、最後に再び行進曲風の部分に戻るとかなりゆっくりとしたテンポで弾いたのです。手元にあるラフマニノフ自演のCDによると、作曲家自身は冒頭の出だし部分を非非常にゆっくりとしたテンポで丹念に弾いて次第にスピードを上げて行きました。どちらがいいとかでなく、当たり前のことですが、音楽は同じ楽譜、音符でも作曲家の手を離れれば、幾千幾万の新しい曲が演奏家により作り上げられる、それが如何に聴く人々の心を掴むかだと思います。総じて一番感心したのは、キーシンの高音部の音でした。鍵盤が良く見える前方左手の座席だったこともあり、シューマンのソナタにおいて主題メロディを奏でる右手の小指、薬指、中指の連携による高い音を出す動きが良く見えましたが、なかんずく小指による高音はまことに澄んだ水の様な綺麗な音でした。将に「黄金の小指」ですね。最後にアンコールは「トロイメライ」「キーシン自作のタンゴ」「英雄ポロネーズ」でしたが、会場はやんやの喝采と掛け声が飛び交っていました。終演後、サイン会があったので、購入したCD(今度内田光子さんが弾くシューベルトを選びました。)に書いて貰う際に“Wonderful! Excellent! Perfect!”と声をかけたら、顔を上げてにっこりと笑って呉れたのが印象的でした。