表記のサントリーホール、サマーフェスティバルは1987年より毎夏に、20~21世紀の音楽や最新の作品を紹介するシリーズ・コンサートを開催していたものを、2018年から「サントリーH・サマーフェスティバル」と名称を変更したものです。今回は海外から「クラングフォルム・ウィーン」他を招聘して8日間の日程で開催される音楽祭です。
【日時】2022.8.22.(月) 19:00~
【会場】サントリーH大ホール
【管弦楽】クラングフォルム・ウィーン他
【指揮】エミリオ・ポマリコ
【主催】サントリーホール
【後援】オーストリア大使館/オーストリア文化フォーラム東京
【助成】文化庁文化芸術振興費補助金(劇場・音楽堂等機能強化推進事業)
独立行政法人日本芸術文化振興会
【制作協力】東京コンサーツ
【曲目】
①ヨハネス・マリア・シュタウト『革命よ、聴くんだ(ほら、仲間だろ)』 アンサンブルのための(2021)[日本初演]
②ミレラ・イヴィチェヴィチ『サブソニカリー・ユアーズ』 アンサンブルのための(2021)[日本初演]
③塚本瑛子『輪策赤紅、車輪(ラート ラート ロート レッド、レーダー)』 大アンサンブルのための(2017)[日本初演]
④武満徹『トゥリー・ライン』 室内オーケストラのための(1988)
⑤ゲオルク・フリードリヒ・ハース『ああ、たとえ私が叫ぼうとも、誰が聞いてくれよう…』 打楽器とアンサンブルのための(1999)[日本初演]
【管弦楽団の概要】
《クラングフォルム・ウィーン》
クラングフォールム・ヴィーン(Klangforum Wien)は、作曲家のベアト・フラーが結成した、オーストリアを拠点とする現代音楽専門の室内オーケストラである。
初期は非常にマイナーな存在だったが、クラウディオ・アバドがウィーン・モデルン音楽祭を始めたころから注目され始めた。24人のメンバーから構成され、20世紀の演奏機会が少ない作品の復活を目指している。欧米や日本のコンサートホール、オペラハウスでの2000を超える初演や、70以上のCDリリースは音楽界に新風を吹き込んでいる。ハンス・ツェンダーなどの現代音楽専門の客演指揮者を招聘し、ヘルムート・ラッヘンマンやラ・モンテ・ヤング、ジェイムス・テニーなどの非オーストリア系の世界的に評価の高い作品も頻繁に取り上げている。シルヴァン・カンブルラン、フリードリヒ・チェルハ、ベアト・フラーの3人が名誉会員となっている。
【Program Note】
①ヨハネス・マリア・シュタウト(1974~ ) 『革命よ、聴くんだ(ほら、仲間だろ) 』
アンサンブルのための(2021)
音楽において革命とは何だろうか? それは政治におけ る革命とは完全に異なるのか、それともたんに政治的変動 を反映するだけなのか?どのようにそれは姿を現すのか? 音を立ててこれみよがしに、落ち着いてほとんど勝ち誇っ たかのように現れるのか、それとも静かにほとんど人目に つくことなく、裏口から入るかのように現れるのか?そもそ も芸術における革命を進歩と同一視できるのか? 疑問は 尽きない…… 私の作品は17パートのアンサンブルのために書かれて おり、いくつかの短いセクションを含んでいる。形式におけ る緊張を生じさせる断片的なセクションは、しだいに複雑 なものになってゆく。そこからは、つねに安定することのな い混合体が立ち現れる。セクションは明瞭な輪郭をもつ身 ぶりから組み立てられていながら、たえず互いに影響し合 い、作品が進むなかでみずからのアイデンティティを変え もする。このように混ざり合った状態は、いつ何時でも予 期せぬ仕方で「転倒」し、革命を誘発し「煽動」する可能 性があるのだが、それらの革命によって、音楽の状況は 根本的また永続的に変化してゆく。 2021 年 5 月 [ヨハネス・マリア・シュタウト/平野貴俊 訳]
Fl (Picc / A-Fl ) / Ob (E-Hrn / Tri ) / Cl (Bs-Cl ) / Fg - Hrn / Trp / Trb - 2 Perc ( Ⅰ = 3 Crotales / Vib / 2 Finger Cym / 3 Chinese Opera Gongs / Hi-Hat / Tam-Tam / Thunder Sheet / 2 Djembes / Bass Drum Ⅱ =Marimbaphone / 6 Gongs / 2 Finger Cym / Tri / 3 Chinese Cym / Tam-Tam / Thunder Sheet / Snare Drum / 2 Timbales / Bass Drum / Sand Block ) - Cel (Chinese Opera Gong / Thunder Sheet / 2 Maracas ) - Prepared Pf ― Vn Ⅰ (Maracas ) / Vn Ⅱ (Maracas ) / Va / Vc Ⅰ / Vc Ⅱ / Cb
初演 2021年11月15日 ウィーン・コンツェルトハウス ウィーン・モデルン ペーター・ブルヴィーク指揮、20世紀アンサンブル 委嘱 20世紀アンサンブル
②ミレラ・イヴィチェヴィチ(1980~ ) 『サブソニカリー・ユアーズ』 アンサンブルのための(2021)
そう、ほとんど サブソニック(音速以下)で。厚い壁の背後で起こる爆発の 音。束縛の多い現実にあって自分自身であること。ビッグバンのた めの小さな空間。暗闇、いく筋かの光。極小のひび、宇宙。 [ミレラ・イヴィチェヴィチ/平野貴俊 訳]
Bs-Fl / Cl -Trp -Perc(Crotales / 2 Cym / Chinese Cym /Snare Drum / 2 Tom-Toms /Bass Drum) -Pf - Acc -Vn /Vc
初演 (放送) 2021年4月25日 ティトゥス・エンゲル(指揮)ほか 委嘱 ヴィッテン現代室内楽音楽祭(ドイツ) 献呈 クラングフォルム・ウィーン
③塚本瑛子(1986~ ) 『輪 ラート ラート ロート レッド 策赤紅 、 車 レーダー 輪 』 大アンサンブルのための(2017)
このタイトルが例示しているのは、個々の要素を結びつける唯一 の規則が存在するのではなく、要素同士はそれぞれ異なる関係性 によって多義的に、しかし何らかの連続性を伴って繋がっていると いう状況であり、それが私がこの曲で具体的に表現しようとしたこ とである。 [塚本瑛子]
Fl (Picc ) / Ob / Cl (Es-Cl / Bs-Cl ) / Fg - Hrn / Trp / Trb - Hrp - Pf - 2 Perc ( Ⅰ =Vib / Hi-Hat / Suspended Cym / Ratchet / Bass Drum Ⅱ =Xyl / Metal Sheet / Ratchet / 3 Wood Blocks / Snare Drum / 2 Metal Blocks / Slapstick / Bass Drum ) - Vn Ⅰ / Vn Ⅱ / Va / Vc / Cb
初演 2017年8月26日 ロワイヨモン修道院(フランス) ジャン =フィリップ・ウルツ(指揮)、アンサンブル・ユリシーズ 委嘱 ロワイヨモン修道院
④武満 徹(1930~96) 『トゥリー・ライン』 室内オーケストラのための(1988)
ロンドン・シンフォニエッタの創設20周年を記念して委嘱され、 1988年に完成された室内オーケストラ曲。『樹の曲』(61)以降タイ トルに木をしばしば用い、「私は樹が好きだ。それも、灌木の茂み よりは 喬 きょうぼく 木の林を、寧ろそれよりは天空へ向って 聳 そびえ立つ一本の巨 樹に魅せられる」(『音楽の余白から』)と語った武満は、仕事場としていた長野県御代田町の山荘近くに佇む並木に着目した。「その、 小高い坂道に沿って立ち並ぶ、長いアカシアの並木の下を歩くと き、私の疲れた心は、いつもきまって、癒される。[…]この曲は、 優美で気丈な、その樹々へのオマージュとして作曲された」。 聴く人を並木路へと誘うかのような序奏を経て、樹木を思わせる 清冽な音を発する管楽器のあいだで掛け合いが行われるが、上行し たのち下行する終始反復される音型は、のちに『ハウ・スロー・ザ・ ウィンド』(91)、『そして、それが風であることを知った』(92)など、 風をテーマとする作品で多用された。中盤、「 Æ エオリアン・ラスリング olia n rustling(風の そよぎ)」と記されたハープの伴奏、コントラバスのハーモニクスとピ アノの上行音型を背景として、フルートが指定された 7音による 「 b バーズ・コーリング ird ʼ s calling(鳥のさえずり)」を即興する箇所では、散歩者が歩み を緩めあるいは立ち止まって、鳥の声に耳を傾ける様を彷彿とさせる。 最後は、舞台を去ったオーボエ奏者が「 S スロウリー・アズ・フロム・ファー・ビヨンド lowl y a s fro m fa r beyond (ゆっくりと遠くからのように)」音を届ける。[平野貴俊] Fl (A-Fl ) / Ob / 2 Cl (Bs-Cl ) / Fg (C-Fg ) - 2 Hrn / Trp / Trb - 2 Perc ( Ⅰ =Vib / Crotales Ⅱ =Tubular Bells / Glock / 2 Cym on Pedal Timp / Crotales )-Pf (Cel )-Hrp -Vn Ⅰ / Vn Ⅱ / Va / Vc / Cb 初演 1988年5月20日 クイーン・エリザベス・ホール(ロンドン) オリヴァー・ナッセン(指揮)、ロンドン・シンフォニエッタ 委嘱 ロンドン・シンフォニエッタ20周年記念 (ヨーロッパ日興証券の援助による) 献呈 池藤なな子、サリー・グローヴズ
⑤ゲオルク・フリードリヒ・ハース(1953~ ) 『ああ、たとえ私が叫ぼうとも、 誰が聞いてくれよう…』 打楽器とアンサンブルのための(1999)
ザルツブルク音楽祭のコンサート・ディレクター ハンス・ランデス マン(1932 ~2013)が、同音楽祭で行われる演奏会「ネクスト・ジェ ネレーション」のために委嘱した作品。 1999年のイースター休暇中、本作を仕上げるためクロアチアに 滞在していたハースは、妻との朝食中にNATOの戦闘機が上空を 通過する際の音を聞き、その恐ろしさに戦慄する。当時はコソボ紛 争の只中であり、戦闘機はベオグラードに向かっていた。タイトルを ライナー・マリア・リルケ(1875 ~1926)の『ドゥイノの悲歌』冒頭「あ あ、たとえどのように叫ぼうとも、誰が天使らの序列から耳傾けてく れようか」(高安国世訳)から借用したハースはしかし、本作は政治 的プロテストではなく、あくまで戦争を前にした自身の絶望、無力感 の表現であると語っている。ハースは以後自作をたびたび政治と関 係づけているが、それは2016年に『ディー・ツァイト』紙で告白され た、ナチスを支持する家族から虐待に近い躾を受けていたという自 身の生い立ちと無縁ではないのかもしれない。 打楽器とアンサンブルのための作品だが、この編成から予想さ れる独奏の鮮やかな名人技は皆無。微分音を含みながら徐々に推 移する平面的な音響の上で、これとはほとんど無関係なかたちで、 サスペンデッド・シンバルを主とする種々の金属打楽器が、さまざま な緩急で連打される。後半では長三和音の響きから 5度の音程が 浮かびあがり、カデンツァを経て、独奏とアンサンブルが同期しなが ら跳躍の多い音型を反復する。[平野貴俊]
Solo Perc (Crotales / Suspended Cym / Tuned Gongs / Tam-Tam / Metal Instruments ) -Fl (Picc ) / Ob (E-Hrn ) / Cl (Es-Cl ) / Bs-Cl (Es-Cl ) / S-Sax (T-Sax ) / Fg -Hrn / 2 Trp (Picc-Trp / Flügelhorn ) / 2 Trb / Tub -Perc (Crotales / Vib / 4 Tuned Gongs / Temple Block / 2 Suspended Cym / Tam-Tam / Lion’s Roar ) -Acc - 3 Vn / 2 Va / 2 Vc / 2 Cb 初演 1999年7月28日 ザルツブルク シルヴァン・カンブルラン(指揮)、ロビン・シュルコフスキー(打楽器)、 クラングフォルム・ウィーン 委嘱 ザルツブルク音楽祭
【演奏の模様】
座席について少し意外だったことは客席がガラガラだったこと、休憩後でも増えた観客はそう多くはありませんでした。全体で半分も入っていたかどうだか? それから「大アンサンブル」とタイトルに謳っている割には規模の小さい管弦楽で、曲によって減増しましたが、多くても20人程度ではなかろうかということでした。弦奏者はほんとに少ない。これでは室内楽かな?いやそれより小さい。でも打楽器の種類が多い事と管楽器奏者の席には普通のオケでは見かけない大型の楽器が置いてあることには興味を惹かれました。例えば、②や④の曲では、大きなバスークラリネットが使われ、④では初めてバスフルートなる楽器を見ました。かなり大きいし吹きづらそう。又④では多きチューバに大きな弱音器を差し込んで吹いていたり、他の金管も床に複数の弱音器を置いておいて取り替え引き換えして演奏していた。こうした演奏を見る楽しみが有りました。
演奏の方は、アンサンブルが小さい編成(弦など数人規模)のため、というよりも曲自体がおとなしい、轟音を立てる様な曲でなかったので、現代音楽、しかもウィーンの大アンサンブル・プログラムという前宣伝を自分は、誤解していたことが分かりました。しかも①も②も③も旋律性とはかけ離れたところにあり、とぎれとぎれの弦の響きと管・打の響きの掛け合いに終始しました。①では、「Revolution」というタイトルを感じる箇所は皆無、せいぜい木枯らしが吹きすさぶ風と木立のざわめき程度を感じました。②になるともうこれは子守唄、静かな雰囲気の調べが心地よく、眠気を催してしまった。
③は若手日本人女性作曲家、塚本瑛子さんの作品です。❝大アンサンブルのための❞と称していても【Program note】記載の楽器群ですから決して大きくは有りません。比較的大きいという意味かな?この曲も管弦の旋律らしい旋律は姿を消し、ピッツィカートもない。アンサンブルのフレーズ、フレーズが途切れがちでした。それでも様々な異音の組合せ組み立てで、中には瞬裂する音も前後を結びつける役割を演じ、互いに連続性は担保していたのが不思議なくらい。塚本さんの意図はある程度表現出来ていたと思います。指揮者は演奏後客席の塚本さんを舞台に呼び挨拶させていました。
④の武満の曲になって初めて旋律らしい旋律が流れ、旋律が他楽器と美しく混じって静かな雰囲気が流れると、やっとホッとした気分になりました。こんなに武満の曲が良く聞こえるとは!曲もいいのでしょうが多分、その前の曲とはかなり異次元の世界を表現していたからではなかろうかと思います。
最後の⑤の曲では打楽器奏者とアンサンブルの、普通のオーケストラに例えれば、オケ付き独奏だったのですが、最初それに気が付かず、曲を聴いていて半ば過ぎにそれと初めて分かりました。理由には二つあって、先ず現地で配布されたプログラムノートを演奏前までに良く読む時間がなかったこと。それから座席が楽器群が良く見える二階バルコニー席に取ったのは良かったのですが、死角が一つありました。二グループある打楽器群の位置は、演奏曲によりその位置が変化し、最後の曲の時にはバルコニの真下に置かれて自席からは良く見えない箇所になってしまったのです。演奏が始まり弦・管に合わせるパーカッション(主として鐘や金属板の使用が多かった)のリズムと響きを聴いていると、最初は、オケでの通常通り、打は管弦に合わせる伴奏的役割を演じていると思って聞いていました。ところがその内に、オヤツ、これは、伴奏の域を越えているな、管弦と打はその主・縦が逆ではないか?と感じたのでした。様々なパーカッションを駆使したそう大きくない打音は、それ程大音ではない管弦のアンサンブルをリードして、主役を演じているのです。シンバル、タムタム、ゴング等々をタイミング良く次々と乗り移り、細やかなリズムの変化、音の強弱を演出して、打楽器奏者は、かなり忙しく立ち回っているようです。でもバルコニーに隠れて姿は見えない。しかし、益々アンサンブルの主役に躍り出ています。演奏が終わって指揮者はこの打楽器奏者を舞台の前に呼び寄せ挨拶を指せると会場からは結構大きな拍手が鳴りました。配布資料を見ると、確かにこの曲は❝打楽器とアンサンブルのための❞と書いてありました。打楽器の相当な達人だと思われます。
以上聴き終わって心に残ったのは迫力の少なさでした。この日だけの曲を聴いてこの種のアンサンブル全体を決めつけることは危険なことですが、期待したものとはかなり違っていた。でもマーラー以来の打楽器や管楽器の余り目立たない楽器群が俄然目立つのは伝統的なウィーン風の一つなのでしょうか?また今回の演奏の最初で、チェレスタ演奏者(日本人?)が途中で演奏を止め(たのか終わったのかは知りませんが)、フラッと指揮者の後ろを通り、夢遊病者の様に舞台を横切って反対側の袖に消えてしまい、暫くすると舞台裏を一巡したのでしょう、別な入り口から舞台に登場チェレスタに近づきました。ただその時両手にはタムタムを握り、チェレスタを演奏する代わりにその打楽器を玩具の様に鳴らしていました。これはどういう意味を持つか家に帰っても分かりませんでした。恐らく作曲者は、曲の「革命性」を無言の音楽で表現したかったのでは?正気を失った革命の被害者のことを表現したかったのでは?彼女が舞台をふらりと歩いている時は、何だろうかと聴衆の視線はその方を凝視し、結果的に演奏される曲の調べは違って聞えたかも知れません(比較は出来ないので確証はないのですが)。
無言と言えば、ジョン・ケージのことを思い出します。彼は音楽に様々な新しいアイデアをつぎ込み、様々な発明までしています。ハーバード大での無音響室体験から、自分の体(頭脳)から音は常に出ているので無音という事は無いと結論づけました。確かに電車に乗っていても頭の中で音楽が鳴り響いていることは、実際体験として感じた人は多いと思います。色々考えさせるというか妄想たくましくさせるコンサートでした。