【日時】2024.3.3.(日)14:00〜
【会場】NNTT中劇場
【演目】フランシス・プーランク作曲
『カルメル会修道女の対話 Dialogues des Carmélites / Francis Poulenc』全3幕<フランス語上演/日本語字幕付>
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団
【指揮】:ジョナサン・ストックハマー
【台本】ジョルジュ・ベルナノス
【演出,演技指導】 シュテファン・グレーグラー
【照明】鈴木武人
【音響】青木駿平
【映像】鈴木大介
【衣装コーディネーター】 増田恵美
【欧州内衣裳コーディネーター】ヴェロニク・セマ
【舞台監督】飯田貴幸
【キャスト】
○ド・ラ・フォルス侯爵:佐藤克彦
○ブランシュ:富永春菜
○騎士:城宏憲(贊助)
○マダム・ド・クロワシー:前島眞奈美
○マダム・リドワーヌ:大高レナ
○マリー修道女長:大城みなみ
○コンスタンス修道女:渡邊美沙季
○ジャンヌ修道女:小林紗季子(賛助)
○マチルド修道女:一條翠葉(賛助)
○司祭:永尾溪一郎
○第一の人民委員:水野優(贊助)
○第二の人民委員/ティエリー:松浦宗梧
○ジャヴリノ/看守:中尾奎五
○役人:長富将士
○修道女たち
アンヌ修道女: 河田まりか (賛助)
ジェラール修道女:斉藤真歩(贊助)
【キャスト年次】
○第24期生(3年次):
大城みなみ 大高レナ 佐藤克彦
長富将士 前島真奈美
○第25期生(2年次):
大竹悠生 富永春菜 永尾溪一郎
野口真瑚 松浦宗梧
○第26期生(1年次):
後藤真菜美 谷菜々子
中尾奎五 渡邊美沙季
○賛助出演:
小林紗季子(第9期修了 メゾソプラノ)
城宏憲(第10期修了テノール)
岸浪愛学(第16期修了 テノール)
宮地江奈(第18期修了 ソプラノ)
水野優(第19期修了テノール)
一條翠葉(第20期修了 メゾソプラノ)
斉藤真歩(第20期修了 ソプラノ)
河田まりか (第23期修了 ソプラノ)
【アンサンブルソリスト】
磯貝珠弥 久我真由 管家璃音 長嶋穂乃香 江波戸惇加
齋藤菜々子 中山里咲 野中 杏 塙 梨華
【合唱】
今牛孝幸 小野寺礼奈 河原凜乃 齊藤結子 田中愛実
豊田琢真 堀江晶太 大石愛佳 角木タミエ 小出桃可
島敬祐 段正浩 平本真也 本間優歌 南山拓海
横山 颯
【助演(Actors)】
神野知紀 白川樹 諏訪太一
【プーランクについて】
フランシス・ジャン・マルセル・プーランク(Francis Jean Marcel Poulenc 、1899年1月7日 - 1963年1月30日)は、パリ生まれのフランスの作曲家、ピアニスト。
歌曲、ピアノ曲、室内楽曲、合唱曲、オペラ、バレエ、管弦楽曲に作品を残した。
とりわけ、ピアノ組曲『3つの無窮動』(1919年)、バレエ『牝鹿』(1923年)、チェンバロ協奏曲『田園のコンセール』(1928年)、『オルガン協奏曲』(1938年)、オペラ『カルメル会修道女の対話』(1957年)、ソプラノ、合唱と管弦楽のための『グローリア』が知られている。
その作風の広さは「修道僧と悪童が同居している」と形容される。
ひとり息子として製造業で成功を収めた父から、家業の跡取りとして期待をかけられ、音楽学校へ通うことを許されなかった。音楽は大部分を独学で身につけ、ピアニストのリカルド・ビニェスに師事した。ビニェスはプーランクの両親の死後、彼の指導者となった。また、エリック・サティとも面識を得て、彼の貢献の下で若き作曲家集団『6人組』のひとりとなった。初期の作品を通じて、プーランクはその高き精神と不遜さによって知られるようになる。1930年代には彼の性分により強く真剣みを帯びた側面が現れ、中でもそうした傾向が顕著な1936年以降に作曲された宗教音楽は、肩ひじ張らない作品と互い違いに発表されていった。
作曲家としての業績に加え、プーランクは熟達したピアニストでもあった。特にバリトンのピエール・ベルナック(プーランクが声楽作品を書くにあたり助言も与えた)やソプラノのドゥニーズ・デュヴァルとの共演ではその協力関係に称賛が贈られた。この両名を伴ってヨーロッパとアメリカで演奏旅行を行ったほか、ピアニストとして多数の録音を遺した。彼は蓄音機の重要性をいち早く認識した作曲家であり、1928年以降は幅広く録音を行っていた。
晩年、そして死後数十年にわたり、プーランクはとりわけ母国において軽妙洒脱な作曲家との名声を獲得する一方、その宗教音楽はしばしば見逃されてきた。21世紀に入って真剣さのある作品にもこれまで以上の注目が集まっており、世界中で『カルメル会修道女の対話』や『人間の声』の新たな演出が試みられ、演奏会や録音に歌曲、合唱曲が多数取り上げられている。
《「カルメル会修道女の対話」作曲への経緯》
プーランクは、1930年台に起こった 出来事により宗教的信仰心が再び呼び覚まされたプーランクの音楽は、新たな厳粛さの深みへと進んでいくのです。1936年8月17日に同僚でライバルでもあった作曲家のピエール=オクターヴ・フェルーが、自動車事故で死去との報が入る。首が切断されたという痛ましい死の報せに衝撃を受けたプーランクは、しばらく無頓着になっていた信仰心を取り戻したのです。彼はその直後の休暇中にロカマドゥールの聖所を訪ね、幼少期の信仰を取り戻したと後に語っています。このロカマドゥール訪問当夜、霊感を強く感じ、すぐに女声とオルガンのための『黒い聖母像への連祷』作曲に取り掛かかりました。
こうした下地が残っていて、第二次世界大戦後の1953年、映画台本の『カルメル会の修道女の対話』(映像化はされていなかった)をオペラ化することにし、作曲にとりかかったのです。完成は1955年、初演は1957年1月ミラ・スカラ座で行われ、この時はイタリア語版でした。
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【感想】
この上演を観ようと思った動機には三つあって、①プーランクという余り演奏会では演奏がされない作曲家の作品であること ②しかもそのオペラですから、益々レアーな上演であること ③題材がフランス革命期の出来事、しかも史実を基としているらしいこと、でした。 ①については、昔NHKラジオ放送で、吉田秀和さんが「名曲の楽しみ」という番組を長年担当していて、プーランクに関しても、毎回毎回結構長い期間放送していたのでした。しかし丁度その頃は大変忙しくて聴く時間が取れなかったので、録音して置き(当時はMDという音質は若干犠牲にしたコンパクトCDみたいな録音媒体が有りました)、後日聴こうと思って何枚もMDに保存していたのですが、その後ゆっくり音楽も聴く時間も取れない位多忙になってしまい、結局1枚も聴くこと無く何十年も経って(MDは小さいので)紛失してしまったのでした。従ってプーランクの曲は殆ど知りません。それがオペラも作曲していたとは驚きでした。
③のフランス革命に関しては若い時、結構その歴史については詳しく勉強し、流れの全体像は知っていたのですが、カルメル会修道院の詳細は知りませんでした。
今回の演奏は、NNTTオペラ研修所の修了公演という事です。しかしキャストを見ると、世間一般の『修了』という語は、そこを『卒業する』という意味ですが、研修期間の三年を終える24期生の歌手は、今回第24期生(三年生)の5名だけで、二年生、一年生を加えても14名しかいないので、既卒業生8名にも応援参加してもらい、計16名のキャストを確保した様です。
その5名は、大城さんがマリー修道女長役、大高さんがマダム・リドワーヌ役、佐藤さんが侯爵役、長冨さんが役人役、前島さんがマダム・クロワシー役を歌いましたが、出来たらこの中の誰かが、ブランシュ役を歌って欲しかった気もしました。でも皆さん音楽の最高学府で優秀な成績を収められている新進気鋭の歌手ばかりですから、その歌い振りは立派なもので、NNTT、二期会、藤原歌劇などの歌劇団でもすぐにでも適役が見つかるのではなかろうかと思われる程でした。
今回のオペラは、ソロの他に、合唱で歌われる割合が大きく、その主として女声の響き、特にアカペラ合唱はとても美しくもあり、悲しくもあり舞台を盛り上げる効果が大でした。
また配布された<プログラム・ノート>に、演出したグレーグラー氏が語っている様に、❝回り舞台を使うことで、あたかもさまざまな障害物が置かれた可動式のセットを通過する移動撮影のように、ブランシュの旅をたどることができます❞。確かに狭い舞台で回り舞台をフルに利用し、様々な場面を表現した演出は出色の出来でした。特に最後の場面、断頭台を連想させる高い橋げたの様なセットは、ある時は貴族的居間の風景、ある時は修道院の内部、また鉄格子の牢獄など連想させるに十分でした。
矢張り一番ショッキングで印象深いのは16人の修道女が断頭台の露と消える場面。最後に再度心変わりして、刑場に戻ったブランシュが断頭台に向かって進みますが、最初から最後まで修道女たちの歌う「サルヴェ・レジーナ」の女声合唱が響きます。
Salvē, Rēgīna, māter misericordiae; vīta, dulcēdō et spēs nostra, salvē. Ad tē clāmāmus, exsulēs fīliī Evae. Ad tē suspīrāmus, gementēs et flentēs in hāc lacrimārum valle. Ēia ergō, advocāta nostra, illōs tuōs misericordēs oculōs ad nōs converte. Et Iēsum, benedictum frūctum ventris tuī, nōbīs post hoc/hōc exsilium ostende. Ō clēmēns, ō pia, ō dulcis Virgō Marīa.
16人が結構長く歌い続けるのを聴いて、ふっと頭をよぎったのは、アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』。今回とは全く関係ないですが。ここオペラの最大場面で最大効果を上げる別な演出を探るならば、修道女が一人消えたら合唱も一人減り、二人、三人と断頭台の露と消える毎に合唱の歌声が弱まって、最後は、ブランシュのみが一人アカペラで「サルヴェ・レジーナ」を歌い進み、大きな音と共に、そして誰もいなくなった沈黙の瞬間が少し続き、遠く(バンダというか舞台外で)微かに聞こえる「ラ・マルゼーズ」でも流れれば、革命の冷酷な非人間性の側面が浮き彫りに出来るのかな?等と余計なことを考えてしまいました。
と同時に、仏大革命を推進し、ジロンド党、モンターニュ党、ジャコバン派と目まぐるしく入れ替わり権力を握った党派は、敵対派を次々とギロチン送りに処したのでしたが、ギロチンに送られ処刑された、ロラン夫人の辞世の言葉、❝ Ô Liberté, que de crimes on commet en ton nom !❞ をどうしても思い出してしまいました。