HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

2026年6月21日(日曜)は、夏至です。

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    6月21日(日曜)は、二十四節気の夏至です。暦書によれば、❝旧暦五月午の月の中気で、新暦六月二十一日ごろです。この日、北半球では昼が最も長くなり、反対に夜が最も短くなります。夏至は夏季のまんなかで、梅雨しきりといったところで、農家は田植えに繁忙を極める季節です。❞と有ります。将につゆ本番の今日この頃、季節は歩みを速め、暦の上ではいつの間にか真夏の到来なのでしょう。夏至は、日本においては1年のなかで昼間(日の出から日の入りまでの時間)が最も長くなる日のことを言い、「日長きこと至る(きわまる)」という意味が含まれています。 立夏と立秋のちょうど間である夏至は、読んで字のごとく、この頃から夏に至り、日照時間も長くなり、すなわち気温が上がり始めて夏らしくなっていく一つの境目の日なのです。天文学上の夏至は、「太陽の黄経(こうけい)が90度に達した瞬間」と定義され、暦法上の夏至は、季節を表すために太陽の動きを24等分した「二十四節気」の一つとして使われており、瞬間ではなくその瞬間を含む一日とされます。

 

❝夏がくれば 思い出す  はるかな尾瀬 遠い空、霧の中に 浮かびくる  やさしい影  野の小径、水芭蕉(みずばしょう)の花が  咲いている、夢みて咲いている 水のほとり 石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる はるかな尾瀬  遠い空・・・❞

     若い頃は、尾瀬に何回行ったことでしょう。鳩待峠からのルートは、割方楽でしたが、尾瀬沼経由で湿原に出るまでは、結構きつい登攀だった様な記憶がありますが、何十年も経つと「かすかな尾瀬遠い空」になってしまいました。至仏山や三条の滝方面にも行きました。でも夏の尾瀬は勿論いいのですが、これ迄で一番心に残っているのは、秋口に登った尾瀬です。その時の紅葉が素晴らしかった。赤一色でなく、黄色、紅、そして少しの緑色の混じった綾錦、例えれば、常緑樹の緑やカエデの赤、つつじの黄がモザイクのように、色鮮やかな中禅寺湖に飛び出た半島、八丁出島(はっちょうでじま)の紅葉がそれに近いかな?この世のものとは思えない程美しかった記憶があります。あれはまだ自分が大学生の時でした。気の合う友人(上さんではありません。男友達です)と二人で登った時でした。尾瀬の紅葉は、その年の気候に大いに左右されるので、最盛期の紅葉に巡り合うのは、神のみぞ知る、運次第だと後に知りました。そう言えば、その友人は、そこで運を使い果たしてしまったのか、学生卒業後すぐに大事故に遭ってしまい脊髄損傷、治療で一命はとりとめたものの車椅子生活になってしまいました。彼は、大学時代で唯一リスペクト出来る同級生でした。今でも思い出すのは、ある時公園のベンチに座って、あれこれ話している内に、ベンチから見えるそれ程太くない木々の間に、今は使われていない、不撤去の背の高い電信柱が立っていたので「何で取り払わないのかねー!景色の邪魔になるに」と自分が言ったら、彼がこう言ったのです。「其の儘にして置けば、その内、芽が出て葉も出て木が蘇るのかも知れない」と真顔で答えたのです、冗談やふざけた調子でなく。それまで彼の天才的な処を感じ取ってリスペクトしていたので、内心そんなこと絶対にないよと思いましたが、その真顔と口調を見て、いやあるかもしれないナ、とその発想に関心したことがありました。しかし同時に彼には、時々頓珍漢なところもあり、今考えると、その頓珍漢な性状が大事故を呼び込んでしまったのかも知れないと時々思います。しかしもともと優秀な彼は、事故後奮起しリハビリをやってある程度元気になると、車椅子用の自動車運転免許を取得、ハンドルの近くにあるアクセル・ブレーキレヴァーを手動で制御し、車で外を動き回わる様になりました。もともと札幌出身の人だったので、その後札幌の実家に戻ってしまいましたが。それから何年も経ったある時、突然葉書が来て、もう両親も亡くなってしまったので、身体障害者が一人暮らし出来る様に、家と設備を建て替えたので、一度会えればいいなといった趣旨のことが書いて有りました。その夏、丁度北海道出張があったので、土日を絡めて札幌に寄り、久し振りの邂逅となったのでした。彼の家はそれ程大きくはないのですが、真新しく小ざっぱりした洋風の建物で二重窓、お風呂には浴槽の脇に少し高くなっているベッド様のタイル張りの台座が備え付けられ、天上からは丈夫な吊り輪様のものやシャワーが下がりその台座の上に上がって体を洗い、壁には浴槽に移動する手摺が付けられていました。勿論廊下や寝室、居間、ダイニングキッチンの床は、車椅子仕様になっていて、車庫は、家の中からアクセス出来、車椅子のまま乗車出来るという、これ以上無い自己介護仕様になっていました。楽しかったのは、家を見せて呉れた後、車で市内をドライブしてくれて、色々見学したことです。北海道大学構内やそのそばのサッポロビールのビアホールで、料理、ビール(勿論運転者は飲みませんが)を堪能したこと等々。翌日の日曜日は自分は、旭川まで行く予定にしていたので、一日で、さよならしたのでした。

    あれからまた何十年も経ってしまった。その後、出していた賀状もここ数年は返事が来ず、どうしているのだろう?そう言えば十数年前に、褥瘡治療の為一時入院したという便りが来たことがあったので、また入院でもしているのかも知れません。このことも、夏が来ると思い出す事の一つです。