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オスモ・ヴァンスカ/都響『シベリウス1番&4番』を聴く

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【日時】2026.3.27.(金)19:00〜

【会場】サントリーホール

【管弦楽】東京都交響楽団

【指揮】オスモ・ヴァンスカ

〈Profile〉

 シベリウス・アカデミー(フィンランド)で指揮を学び、1982年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ラハティ響首席指揮者(現・桂冠指揮者)、アイスランド響首席指揮者(現・名誉指揮者)、ミネソタ管音楽監督&首席指揮者(現・桂冠指揮者)、ソウル・フィル音楽監督などを歴任。近年の共演オーケストラは、クリーヴランド管、シカゴ響、フィラデルフィア管、ロサンゼルス・フィル、サンフランシスコ響、モントリオール響、パリ管、バンベルク響、ベルリン・ドイツ響、ベルリン放送響、フィルハーモニア管、ロンドン・フィルなど。
都響とは2023年10月に初共演(シベリウスの交響曲第5・6・7番)、今回が2度目の登壇となる。
オーケストラ・ビルダーとして知られ、フィンランドの地方団体であったラハティ響を世界的なオーケストラに育て上げた。ヴァンスカとラハティ響は1999年に初来日、東京で行われたシベリウス交響曲ツィクルスは伝説的な名演として今なお語り草となっている。ミネソタ管もヴァンスカの音楽監督就任後に透明感のある音色と緻密なアンサンブルを獲得。
ヴァンスカ&ミネソタ管は2014年にグラミー賞を受賞、2021年に『グラモフォン』誌の「オーケストラ・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。

 

【曲目】

①シベリウス『交響曲第1番』

(曲について)

    シベリウスはパトロンであるカルペラン男爵からの勧めから、1901年に家族と共にイタリアのラパッロに旅に出ます。そこでシベリウスは音楽的にも多くのことを学びます。極寒なフィンランドで生活していたシベリウスにとって、イタリア(ラパッロ)は南国のとても過ごしやすい場所でした。
 シベリウスはラパッロを「魔法がかった国」と表現し、彼の筆は快調に進んだと言われています。
その後ローマにも訪れ作曲を続け、イタリアの地で「交響曲第2番」の大部分は作曲されました。これらをフィンランドに帰り完成させたのですが、年末には再び改訂を行なっています。
 初期のシベリウスにはブルックナーのような改訂癖があり、改訂がおこなわれることは珍しくはありませんでした。

 

②シベリウス『交響曲第4番』

(曲について)

『交響曲第4番』は、シベリウスが人生上の困難を抱えた時期に取り組まれた大作。第1次世界大戦前夜の1911年4月3日に初演された。
当時のシベリウスを悩ませていたのは、天文学的な額に達した借金と咽喉腫瘍の疾病に伴う健康の悪化だった。幸いなことに、借金は友人カルペランの尽力もあって1910年頃を境に少しずつ減りはじめ、病気の方も手術で回復に転じてはいる。それでもシベリウスは手術後、好物の酒とタバコを一切断たなければならず、数年間に渡り苦しい禁欲生活を送ることになる。内省的な『第4番』は、そうした彼の心境を反映しているのだろう。しかし、この作品におけるシベリウスの潜在意識は「作曲家の個人的な苦悩」よりも、「悲劇的な宿命を帯びた人間存在」そのものに向けられているように見える。
『第4番』の表現主義的な曲調は、後期マーラーや初期シェーンベルクのそれを思わせる。とはいえシベリウスの場合、たとえ自己の内面世界を強烈にえぐり出すような主観的表現であっても、決して端正な筆致を失わない。逆に、ぎりぎりまで研ぎ澄まされたその厳しいフォルム(形式)は、無限の空間に向けて力強く広がる巨大な造形美を生み出しているのである。
 この交響曲も伝統的な4楽章制に基づく一方、各楽章は従来の図式を下敷きにしながらも、独自の構成を示している。不気味なリディア旋法(「ハ─嬰ヘ」のように、増4度の音程が特徴)が曲全体の統一要素となっており、そのため部分的に調性感が希薄なきらいもある。

加療生活からシベリウスは死を身近に感じるようになり、この時期の作品には暗闇からかすかな光を探し求めるような感覚がつきまとっている。その最も完成された形がこの交響曲第4番である。病から癒えた1909年、シベリウスは義兄のエーロ・ヤルネフェルトと北カレリア地方のコリ山地へ旅行している。この旅について彼は「生涯で最もすばらしい経験の1つ」と記している。この後に書かれた作曲プランの中に「山」という言葉があり、コリ山地で強いインスピレーションを得たことが示唆されている。しかし、作曲者自身が「心理的交響曲」と呼んだことからも明らかなように、この作品は決して標題音楽ではない。長い闘病生活の不安とその生活を支えた希望、そして病を克服して得た充足感がこの交響曲の核をなしている。

 

 

【演奏の模様】

①シベリウス『交響曲第1番』

◯楽器編成:フルートピッコロ持ち替え)2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、チューバティンパニ大太鼓シンバルトライアングルハープ、二管編成弦楽五部16型

〇全四楽章構成

 第1楽章Andante, ma non troppo - Allegro energico

 第2楽章Andante (ma non troppo lento) - Un poco meno andante - Molto tranquillo

 第3楽章Scherzo. Allegro - Trio. Lento (ma non troppo) 

 第4楽章Finale(Quasi una Fantasia). Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo)

 

 冒頭、ティンパニのトレモロ弱音上でCl.(1=首席)が寂しげな序奏主題を奏で始めました。突然2Vn.(1∔2=首席∔副)が激しいキザミ速奏を始めると、これに重畳してVn.⇒Va.⇒Timp.とドラマティックな調べの力奏が変遷します。即ちAndanteの主部に入ると、残りの弦楽器が第1主題を提示、この主題はシベリウス独特の雄大な広がりを感じさせるものでした。第1主題の収束したところで、Hrp.の特徴的な伴奏を伴ったフルートの副主題の後、オーボエが第2主題を提示しました。流石この1番の曲によって世に認められる切掛けとなったものです、既にそれ以降のシベリウス節の端緒が感じられます。弦楽奏の行きつ、戻りつ次第に上行する旋律は、人の胸をギュと掴むかの様、金管群も交えて次第に盛り上がりを見せて、早くも最初の聴かせ処を醸成したのでした。木管群の鳴り交わしが次第にテンポを速め弦楽奏もこれに合わせて間歇的にff音を混じえながらテンポと強度を加速していくのでした。急激な曲相転換により、その後のお洒落な調べ(この辺りはチャイコ節を感じないでもない)に引き継がれ、幻想的で、交響曲と言うよりも交響詩を連想させます。再現部の終結部では、金管楽器の重々しい響きに続いてピツィカートで締めくくられたのでした。

次第に急速なテンポ進行のリズムと定期的な強音が印象的な楽章でした。

 

 第2楽章はHrn.の微弱音のゆっくりとした唸りに、Vc.アンサンブルの弱奏がそっと寄り添い第1主題が第1ヴァイオリンとチェロで演奏される穏やかなもの、まるで朝ぼらけの目覚めの様でした。第2主題はUn poco meno andante(幾分遅さを減じて)となり、Fg.⇒Cl.⇒Ob.⇒Fl.と木管群がフガート風に輪奏、さらに副主題で1楽章とパターンは異なりますが、弦楽奏と金管群も交え、テンポアップと強奏化で盛り上がった後、中間部のMoltotranquillo(とりわけ穏やかに)入りしました。ここではホルンが穏やかな主題を奏でました。今回のHrn.群は大きな傷は皆無で、特にHrn.(1)=首席の演奏はこの後も含めて安定していたと思います。

    この後、後半ではチャイコ節や異国風味を感じる調べを巧みに使い、弦楽奏やHrn.等の金管奏、特にその斉奏は迫力を感じ圧巻でした。最後は盛り上がりの最初の主題が回帰するのです。静かに了。ここまでオスモ・ヴァンスカは体をこまめに動かしながら、都響を誘導していましたが、勿論シベリウスの曲ですから、謂わば彼の専門分野、その指揮振りに応えて音を立てる都響の反応を聴くと、オーケストラの調べにヴァンスカのこれまでの経験と知恵とが結晶化していると思いました。

 

第3楽章はスケルツォ楽章です。冒頭、Timp.⇒弦⇒木管⇒Hrn.と、これまでの楽章でも見られた、調べを転がす輪廻転生型のアンサンブルで、剽軽以上の滑稽さまで表現されていました。その後の、東洋風の調べが流れたり、フーガから次のトリオ部分では、Hrn.のゆったりとした調べが落ち付きを与えていました。ここで指揮者は一瞬呼吸を置いて全演奏を空白化しブルックナーのG.P.か?と紛う程、このG.P.らしき空白は、多分楽譜には書いていない(楽譜が無いので確かめられませんが)指揮の一環なのでしょう、きっと。この楽章では途中後半にも、もう一箇所ありました。短いスケルツォ楽章でした。。

    アタッカで進んだ終楽章は、これぞシベリウスと思える流麗で個性的な調べが多く、この第1番の曲が世に認められシベリウスの名を一層高めた、これぞシベリウスと思われる美しくもシックなパッセッジ満載の楽章でした。

 

《20分の休憩》

 

 今回の演奏会の日は肌寒く、夜は雨混じりの天気のせいか、若しくは東京は桜が満開で花見に人を取られたのか、大ホールの上の階は見えませんが、1階やP席にはかなりの空席が見られました。

 

②シベリウス『交響曲第4番』

 配布されたプログラムノートに依れば、この曲は自国フィンランドでも理解出来る聴衆はほとんどいなかったそうですが。後にイギリスの評論家セシル・グレイは自著の中で「第4番のスコアには最初から最後まで余分な音符が一つもない」と述べ、同交響曲を高く評価したのは例外的な事であった。しかしこのグレイの評価にようやく自信を抱いたシベリウスは、彼の言葉にお墨付きを与えるように、「私はこの作品の将来を信じている。そこには一音たりとも変更すべき箇所はない」と強い口調で語ったそうです。

 確かに今回のバンスカ・都響の演奏を聴いてみると、第1楽章からスケルツォの第2楽章、そして第3楽章から終楽章まで、その音楽の底流には不気味な憂鬱さというか何か晴れ晴れしない雰囲気が漂っており、自分としても①の第1番の交響曲や以前何回も聴いている(自分では一番好きな)第2番とくらべれば、聞きたくなる時は自分もかなり落ち込んだ時であろうし、その時はまた違って聞こえる曲かも知れないと思いました。

 今年5月に二年振りで来日公演する米国のジョン・アダムズは、この4番の曲を自分の『ハルモニーレーレ』という作品に取り込んだことに関し、❝《ハルモニーレーレ》は、モデルとする原曲に対して「従属的な関係性」をもつという点でこれまでとは違った類のパロディとなっているが(ここではシェーンベルクの《グレの歌》やシベリウスの交響曲第4番といった世紀の変わり目を告げるいくつかの作品をモデルとした)、パロディにして嘲笑しようという意図はない。本作はオーケストラのために書かれた3つの楽章から成る大曲であり、ミニマリズムの発展的な技法と、世紀末の後期ロマン主義的な和声や表現とを結びつけようと構想した、一度限りの試みである。❞と述べています。

 シベリウスが好むと好まざるとに関わらず、上記の様に意図とは違った「世紀末の後期ロマン主義」と捉えられ、その和声や表現に注目する音楽家がいるのです。 

    またこの曲では、第二楽章がスケルツォ的存在になっていますが、伝統的なスケルツォよりも短く、どこか気まぐれで、不協和音を伴う寒々とした雰囲気を有していました。

〇楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンン3、ティンパニ、グロッケンシュピール、二管編成弦楽五部14型

〇曲構成:全四楽章構成

第1楽章 テンポ・モルト・モデラート、クワジ・アダージョ

第2楽章 アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ 

第3楽章 イル・テンポ・ラルゴ

第4楽章 アレグロ ロンド・ソナタ形式風の快活なフィナーレ。 

初演:1911年4月3日 作曲者指揮 ヘルシンキ・フィル

◯楽器編成:フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンン3、ティンパニ、グロッケンシュピール、弦楽五部

(参考)

1. 緩徐なテンポのソナタ形式。シベリウスによると、増4度の音程が織り込まれた曲冒頭の楽想は「運命のように過酷に」響かなければならない。続いて現れるチェロ独奏の主要主題は、 寒々とした寂寥感に満ちている。一方、金管楽器の決然とした楽句に続いて穏やかな副次主題が登場すると、曲は薄日の差し込む清らかな風景へと姿を変える。

2.フィンランドの清々しい風になびく第2オーボエの楽想が印象的なスケルツォ。「A-B-A-B」の構成を示し、A 部分は牧歌的、B部分は諧謔的な様相を呈する。最後に配置されたB'部分では既出の楽想がデモーニッシュな姿に変わり、不意打ちを食らわすような仕草で唐突に終結する。

3. 2つの微細なモティーフが少しずつ変化しながら、次第に壮大な音空間を形成していく緩徐楽章。二重変奏曲の応用とみなすこともできるが、楽想の多彩な変化だけでなく、その漸次的成長のプロセスにも大きな比重が置かれている。曲は徐々にエネルギーを増幅させていき、最後に巨大なクライマックスを迎えると直ちに収束。虚無感を漂わせながら静かに幕を閉じる。

4.軽やかなグローケンシュピールの導入が斬新だが、全体の曲調はいぶし銀のように深い。輝かい長調で幕を開けるものの、空虚な短調で疑問形のまま息絶えるという結末は交響曲の伝統とかけ離れている。シベリウスがここで描こうとしたのは、世界の一を目指すユートピアではなく、世界が無残に瓦解していくプロセスだったのだろう。

   詳細は割愛しますが、この曲を今回聴いて印象的な箇所としては、第1楽章でのVc.(1=首席)のソロ演奏、Vc.(2=副首席)との掛け合い奏、特にVc.(1)のズウシリとした低音奏が心に滲みました。同時にVa.アンサンブルもいつもに無く活躍していたし、また3楽章、4楽章でのグロッケンシュピールの独特の金属音が輝いていました。一体あの音はどういう意味なのでしょう?シベリウスは何を言いたかったのでしょう?そしてシベリウスも他の古典派やロマン派の大家と同様にフーガの技法を会得し駆使していた事、確かに

 

 演奏が終わりゆっくりとタクトを下ろす指揮者ヴァンスカ、数秒静寂に包まれた会場、ヴァンスカの動きから終わったと知った聴衆は、割れんばかりの拍手で讃えたのでした。

    何回か舞台⇔袖を行き来したマエストロは、立席した各パート毎に労い、 その度会場からは、大きな拍手が。舞台袖からは、花束をかかえた女性が現れ、指揮者へかな?と思ったら 、女性演奏者の一人に渡したのです。どうも定年退職される、第二ヴァイオリン奏者の山口さんの様です。お疲れ様でした。

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    矢張りこの年度末、こうした光景は、あちこちで見られのでしょうね。そう云う自分も、うん十年前、務め明けした時貰ったんでした(しかも2回)と過去を懐かしむ誰かさんでした。

      今回の演奏会は、1番と4番でしたが、年に何回かは必ず他の番号の演奏会を何処かの楽団が演奏するでしょうから、聴いたことない番号や評判良い2番がプログラムされる時は、出来るだけ聴きに行きたいと思っています。

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