HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

マーラー『交響曲第2番《復活》』を聴く

【日時】2026.3.22.(日)15:00~

【会場】新宿文化センター

【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【指揮】アンドレア・バッティストーニ

〈Profile〉

    1987年ヴェローナ生まれ。国際的に頭角を現す、同世代を代表する指揮者の一人。2013年~2019年ジェノヴァ・ カルロ・フェリーチェ歌劇場の最初の首席客演指揮者、 2016年10月より東京フィル首席指揮者。2025年1月よりトリノ王立歌劇場音楽監督、同年ワロン王立歌劇場コンポーザー・イン・レジデンス、2026年1月よりオペラ・ オーストラリア音楽監督。

 東京フィルとは『ナブッコ』『リゴレット』 『蝶々夫人』(二期会)、グランドオペラ共同制作『アイーダ』、ローマ三部作、 『展覧会の絵』『春の祭典』『カルミナ・ブラーナ』等数多く共演。コンサート形式オペラ『トゥーランドット』 (2015)、 『イリス(あやめ)』 (2016)、『メフィストーフェレ』 (2018) で批評家、聴衆の双方から音楽界を牽引するスターとしての評価を確立。同コンビで日本コロムビア株式会社よりCDを継続的にリリースしている。

 

【出演】

◯ソプラノ:佐藤康子

〈Profile〉

 東京藝術大首席卒業。同大学大学院修士課程、 博士課程修了。リクルートスカラシップ、文化庁新進芸術家海外留学制度、平成23年五島記念財団オペラ新人賞の助成を受けイタリアに留学。 モデナ市立音楽学校「オラツィオヴェッキ」にてイタリア学士取得。

 第77回日本音楽コンクール第1位、聴衆賞及び増沢賞受賞。08年Aragall国際声楽コンクール、11 年Toti Dal Monte|国際声楽コンクールなど最高位受賞多数。2005年イタリア、スポレート「オベルトサン・ボニファーチョ伯爵」にてイタリアデビューを果たして以来、海外での活動の場を広げる。レパートリーではとりわけプッチーニの蝶々夫人が当たり役となり、イタリア各地、ヨーロッパやアメリカ、 カナダなど世界各地での公演を続ける。藤原歌劇団には、14年「蝶々夫人」のタイトルロールでデビュー。「トスカ」「ドン・ジョヴァンニ」「道化師」 などで好評を博す。藤原歌劇団団員。

 

◯メゾソプラノ:脇園 彩

〈Profile〉

 東京藝術大学卒業、同大学大学院修了後、文化庁派遣芸術家在外研修員として渡伊。ロッシーニ・ オペラ・フェスティバルのアカデミー及びミラノ・ スカラ座アカデミー修了。

日本では、新国立劇場などで《ドン・ジョヴァンニ》 ドンナ・エルヴィーラ、《フィガロの結婚》ケルビーノ、 《ファルスタッフ》メグなどを演じているほか、 新国立劇場2021/22シーズン開幕公演《チェネレントラ》アンジェリーナでは、その圧倒的な存在感と卓越した歌唱で聴衆を魅了。23年ボローニャ歌劇場来日公演《ノルマ》アダルジーザ、25年新国立劇場《セビリアの理髪師》ロジーナ、ミラノ・ スカラ座《チェネレントラ》アンジェリーナでも絶賛された。今後は新国立劇場《ウェルテル》シャルロット、《ばらの騎士》オクタヴィアンなどで出演予定。現在、世界中から注目されるアーティストのひとり。23年、ファーストアルバム『アモーレAmore』 (BRAVO RECORDS)がリリース。第52回ENEOS 音楽賞洋楽部門奨励賞受賞。

 

◯オルガン :髙橋 博子

〈Profile〉

東京藝術大学オルガン科卒業、同大学大学院修了、ドイツ国立ハンブルク音楽演劇大学卒業、同大学国家演奏家試験を最優秀で合格。オルガンを今井奈緒子、W. ツェラー両氏に師事。1999年ドイツ・ツェレ・ニーダーザクセン国際オルガニストコンクール、2000年北ドイツ放送局(NDR)音楽賞国際コンクール共に優勝、審査員長であったG. レオンハルト氏より絶賛される。CD『シャルル・トゥルヌミール』(ALCD-9217)は「レコード芸術」で特選盤に選ばれた。 現在、新宿文化センター専属オルガニスト、学校法人聖路加国際大学オルガニスト、明治学院協力オルガニスト。 

 

【合唱】新宿文化センター合唱団  (合唱指導 山神 健志 )

 

【曲目】マーラー『交響曲第2番《復活》 ハ短調』

(曲について)

 グスタフ・マーラー(1860~1911)の第2交響曲《復活》を、「人がマーラーを好きになる最初の作品」であると同時に、「終楽章の単調さゆえにすぐに色褪せる」と述べたのはテオドール・アドルノ(哲学者、音楽評論家/1903~69)である。
 「すぐ色褪せる」かどうかはともかく、この第2交響曲が極めて効果的に作られていることは間違いない。例えば「死(第1楽章)から再生(第5楽章)へ」という構成。これがベートーヴェン(1770~1827)的な「闇から光へ」の交響曲作法を踏襲していることはいうまでもないが、ベートーヴェンのフィナーレにおける勝利(例えば「第5」や「第9」)がどちらかといえば社会的な熱狂を含意しているとすれば、マーラーはそこに個人の死生観の問題を重ね合わせる。つまり「第9」的な合唱交響曲がシンフォニーとミサの総合であるとするなら、マーラーはより後者の宗教的な法悦の比重を拡大する。巨大合唱とオルガンまで投入される終楽章は、神なき時代に神を希求する法悦の儀式となるのだ。
 実際この第2交響曲は、作曲者の存命中から大成功をおさめた、マーラーのほとんど唯一の交響曲であって、特に1907年11月24日、ニューヨークへ去ることになったマーラーのためにウィーン楽友協会が催した告別コンサートにおける演奏は記念碑的な反響を呼んだといわれる。

一つの演奏会を構成するメタ交響曲

 とはいえ第2交響曲《復活》は、作曲しているうちに構想がどんどん肥大していって、接木に接木を足すようなことになりがちなマーラーの性癖が、最も極端な形で出ている作品の一つでもある。そもそもマーラーは第1楽章を、《葬送》と題された単一楽章の交響詩として構想した(1888年)。だがやがてそれに飽き足らなくなり、1888年から93年にかけて第2楽章から第4楽章が、さらに1894年にハンブルクで行われた大指揮者ハンス・フォン・ビューロー(1830~94)の葬儀において、少年合唱団によって歌われたフリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック(詩人/1724~1803)の復活の賛歌に感銘を受けたことがきっかけとなり、第5楽章が書かれた。
 《復活》の各楽章(特に第1および第5楽章)は、一つの作品の中の「部分」というには、あまりにも大きい。この作品はまず1895年3月4日ベルリンで、リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)の指揮により、最初の3つの楽章だけが初演されている。そして同年12月13日に全曲が初演された後もマーラーは、翌1896年3月16日に第1楽章だけを単独で指揮した(いずれもベルリン)。
 極端に言えば《復活》は、各楽章が充分に一つの独立した「曲」として演奏できるような、尋常ではない規模を持っている。別の言い方をすれば、あまりにも大きな5つの楽章ブロックを積み重ねているせいで、全体がその陰になってよく見渡せない巨大建築のような作品が、マーラーの第2交響曲である。

 

【演奏の模様】

 マーラーの交響曲のうちで第2番『復活』は、HUKKATSを称している自分としては出来るだけ多く聴きに行きたいのですが、マーラーの別番の交響曲に比して演奏される機会が少なく、他の演奏会と重なったり、色々都合が付かないことも有り、最近は大体1年に一回聴ければいい方です。今回は、昨年3月にカーチュン・ウオン指揮の日フィルで聴きました。今回は丁度1年振りです。

演奏会場は「東京文化センター」。名前は知っていましたが、これまで一度も聴きに行く機会が無かったホールです。すぐ調べたら、新宿駅からかなり離れた距離にあり、地下鉄東新宿駅が最も近いと書いて有りました。東新宿駅では、ところが実際行ってみると、ホームの案内板から、一番近いと書いてあった出口を出てからの道順が分からなくて、出口で駅員に訊こうと思ったら、無人改札口だったし、スマホで調べながら、ばか長い地下通路を進んだ先から地上に出るらしいのです。地上に出てからがどう行ったらいいのか全く分からない、ゾロゾロ速足で同じ方向に歩いている人達の後について進んで行ったら、ホールらしいレンガ造りの建物が見えて来ました。  

 ホールの内部も綺麗さっぱりしていて、どうやら修復作業を行って昨年秋にリニュアルオープンしたばかりの様です。

〇楽器編成:フルート 4(ピッコロ持ち替え 4)、オーボエ 4(コーラングレ持ち替え 2)、小クラリネット 2、クラリネット 3(バスクラリネット持ち替え 1)、ファゴット 4(コントラファゴット持ち替え 2)、ホルン 10(そのうち舞台外に4)、トランペット 6 + 舞台外に4(しかし移動のための時間があればオーケストラ側から2人借りられる)、トロンボーン 4、チューバ1、ティンパニ 2人(8台) + 舞台外に1台(計3人)、シンバル 2 + 舞台外に1、タムタム 2、大太鼓 +舞台外に1、小太鼓 1以上の複数、グロッケンシュピール、鐘(音程の定まらないもの3種)、ルーテ(むち)、ハープ 2台、オルガン、四管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)、ソプラノ独唱、アルト独唱、混声合唱

 

◯ 全五楽章構成

第1楽章 Allegro maestoso まじめで荘厳な表現で一貫して

第2楽章Andante moderato きわめてくつろいで、急がずに

第3楽章 Scherzo 静かに流れるような動きで ハ短調 3/8拍子 三部形式

第4楽章「原光(Urlicht)」 きわめて荘重に、しかし素朴に 変ニ長調 4/4拍子 三部形式

第5楽章 Im Tempo des Scherzos 荒野を進むように ヘ短調 - 変ホ長調 4/4拍子 拡大されたソナタ形式

 

 

《マーラによる各楽章についての標題的な説明》

 

第1楽章 

 私の第1交響曲での英雄を墓に横たえ、その生涯を曇りのない鏡で、いわば高められた位置から映すのである。同時に、この楽章は、大きな問題を表明している。すなわち、いかなる目的のために汝は生まれてきたかということである。……この解答を私は終楽章で与える。


第2楽章 

 過去の回想……英雄の過ぎ去った生涯からの純粋で汚れのない太陽の光線。


第3楽章 前の楽章の物足りないような夢から覚め、再び生活の喧噪のなかに戻ると、人生の絶え間ない流れが恐ろしさをもって君たちに迫ってくることがよくある。それは、ちょうど君たちが外部の暗いところから音楽が聴き取れなくなるような距離で眺めたときの、明るく照らされた舞踏場の踊り手たちが揺れ動くのにも似ている。人生は無感覚で君たちの前に現れ、君たちが嫌悪の叫び声を上げて起きあがることのよくある悪夢にも似ている……。


第4楽章 

 単純な信仰の壮快な次のような歌が聞こえてくる。私は神のようになり、神の元へと戻ってゆくであろう。


第5楽章 

    荒野に次のような声が響いてくる。あらゆる人生の終末はきた。……最後の審判の日が近づいている。大地は震え、墓は開き、死者が立ち上がり、行進は永久に進んでゆく。この地上の権力者もつまらぬ者も-王も乞食も-進んでゆく。偉大なる声が響いてくる。啓示のトランペットが叫ぶ。そして恐ろしい静寂のまっただ中で、地上の生活の最後のおののく姿を示すかのように、夜鶯を遠くの方で聴く。柔らかに、聖者たちと天上の者たちの合唱が次のように歌う。「復活せよ。復活せよ。汝許されるであろう。」そして、神の栄光が現れる。不思議な柔和な光がわれわれの心の奥底に透徹してくる。……すべてが黙し、幸福である。そして、見よ。そこにはなんの裁判もなく、罪ある人も正しい人も、権力も卑屈もなく、罰も報いもない。……愛の万能の感情がわれわれを至福なものへと浄化する

 

 上記した様に、マーラーによればこの曲は、交響曲第一番《巨人》の続きだというのです。この第一楽章は第一交響曲での死を悼む葬送の曲風から開始されるのです。

 第1楽章開始は、1Vn.アンサンブルの激しいトレモロ奏、低音弦の不気味な響き、木管の合いの手等で、バッティ・東フィルが手堅くスタートしたかと見る間に、中盤ではかなりの迫力の強奏へと誘い、この辺りの変化も自然に指揮誘導、タクトの動きも良かった。後半、二つのTimp.の一つが、乱打すると全オケが音を立て、管がわびしい短調テーマを響かせました。Ob.等木管奏者は(Fl.も)、演奏している楽器の切っ先を上方に挙げて、音が少しでも遠くに響く様にしていたのは良いと思いました。Ob.の調べは結構なものでした。Hp.が弱音を立て、Vn.アンサンブルはslowな穏やかな調べをたて⇒Hrn.の音⇒Ob.の音⇒Fl.と推移する箇所はややたるんだ感じ、間延びした感じを受けました。その後のHrn. Timp.Trmb. Trmp.に加わえて、大太鼓、シンバルも加わった激しい調べは、長続きせず、急速に萎えました。結構長い第1楽章はさらに続き、再度全オケの大咆哮に至ると東フィルの演奏は迫力を増したのですが、各パートの音の塊が整然と重ね合わされたかと言えば、必ずしもそうではなく、若干喧騒感が強い印象を受けました。それにしても、マーラーの独創性は、この第1楽章から発揮されていますね。

 途中で二人のソリストが舞台上手に入場。オケはすぐ第2楽章に入りました。ここでは冒頭のTimp.の音が印象的、この楽章は彼方此方で美しい旋律美が流れ、Vn.、Va.、Vc.それぞれが腕を振るう場面が多かったのです。各パートとも他のオーケストラ、例えば、都響、読響の復活を聞いた時と遜色ない美音を放っていました。マーラーによれば、ここは過去の回想の場面で、夢うつつの幻想に浸る楽章とのことです。

 次の第3楽章では、全楽章の夢想から覚め、現実に戻ったことを表現、速い展開の調べで、不気味さと厳しさを良く表現していました。特にここは打楽器奏者の活躍の場夢から覚ませ、その他大太鼓奏者は、太鼓の縁でむちをバサッバサッと何回も打ち鳴らし、トライアングル奏者はチリリン、チリリン、チリチリリン、とかん高い金属音を振りまき、特に全楽全奏の金管が鳴り響くテーマ奏は、如何にもマーラーらしい響きです。弦はPizzicato奏で管に応じ、最後は激しいテーマ奏の繰り返し、又Timp.やVn.アンサンブルの後、テーマ奏のリズムに不気味な調べが混じり不気味なまま音は消え入りました。

 この後、2番の交響曲の白眉であるソリストの歌が入る4楽章及び歌と合唱が入る5楽章に進みます。交響曲にソロの歌や合唱が入る曲と謂えばベートーヴェンの第九がすぐ思い起こされますが、第九の歌の第一声は「この様な音楽でない・・・」とそれまでの管弦楽の曲を否定する様な歌詞です。対するマーラーの歌の歌詞は、次の四楽章でメッゾに「原光」という、希望の光、1から3楽章までの現世での死、哀悼、それを振り払う夢、妄想の世界、生活の喧騒、人生の恐ろしさ等々を経由して、神の声に導かれる一筋の光の道を進む高らかな歌声なのです。(この2番の後、マーラーは3番、4番の交響曲でも「魔法の角笛」から歌を引用するというユニーク振りを発揮しています。)

 前楽章からアッタカで入った第4楽章は、メゾソプラノの脇園さんのソロの歌声から入りました。はっきり申し上げて、流石と思える歌い振り、聞いていて会場に朗々と響く渋さを有する美しい歌声には溜飲を下げました。

 

原光(hukkats注)

 原光という日本語の当て字は独語では「Urlicht」もともと日本語には無い概念。「人類に神から与えられた原始の光」の意味です。これもキリスト教から出て来ている言葉。現代の科学的に考えると、何百億光年の昔、ダークエネルギーの他は何も存在しなかった暗黒宇宙に、コンマ何秒の間に急激なインフレーションが起こって光と物質(素粒子)が満ち満ちた、その光に例えることが出来るかも知れない。それは神が与えて呉れたと宗教的に考えれば。尚以下に「原光」に関する詩を引用して置きます。

 

ALT SOLO

O Röschen rot!
Der Mensch liegt in größter Not!
Der Mensch liegt in größter Pein!
Je lieber möcht' ich im Himmel sein,
Je lieber möcht' ich im Himmel sein!

Da kam ich auf einen breiten Weg;
da kam ein Engelein und wollt' mich abweisen!
Ach nein! Ich ließ mich nicht abweisen!
Ach nein! Ich ließ mich nicht abweisen:
Ich bin von Gott und will wieder zu Gott!
Der liebe Gott, 
Der liebe Gott wird mir ein Lichtchen geben,
wird leuchten mir bis in das ewig selig Leben!

 Aus(Das Knaben Wunderhorn)

 

第4楽章 原光

おお紅き小ばらの花よ

きわびとは苦しみの極みにある

きわひとは辛さの極みにある

あかなうものなら天国に在りたい

みずからが辿った広き道

天使が来て私を追い返そうとした

いや追い返されるわけにはいかなかった

いこの身は神から出で神へと戻る

ともしび愛しき神は 灯明の一筋も与えてくれよう

永遠の祝福されし生へと この身を照らすはず

―『子供の不思議な角笛』より

 

 この「Urlicht 光」が日本語で「原光」と訳されたのです。短い楽章でした。そしてまたまたアッタカで最後の第5楽章に進みました。いよいよ最後の「Auferstehung (復活)」です。

この「復活」の概念を、マーラーは、最後の審判に結び付けて説明しています。即ち

❝キリストの復活を初穂として、世界の終末に全人類(死人をも)が肉体を復活させ、神の最後の審判を受けて、永遠の運命(天国行きか地獄行きか)が決まる❞と言う信仰です。

 

4、5楽章共、この曲の最後のクライマックスの雰囲気を大いに盛り上げていました。合唱団は雛壇に第1楽章から待機していて、中央に男声70人程、両サイドに女声(下手80人程)、(上手60人程)、都合200人越の大合唱団でした。

Chor:

Mit Flügeln, die ich mir errungen, Werde ich entschweben!

Sterben werd' ich, um zu leben! Mein Herz, in einem Nu!

Aufersteh'n, ja aufersteh'n wirst du,

Was du geschlagen, Zu Gott wird es dich tragen!

合唱

手に入れたこの翼で

いまこそ飛び立とう

私は生きるために死ぬ

そう おまえは甦るのだ

この心 このひととき

脈打ってきたもの

おまえを神のもとへ

導くだろう

 

 やはり合唱の力は甚大なものが有ります。両声部の大合唱になると、その轟音の中にオケの音もソリストも飲み込まれて、小さく縮みこんでしまう程の威力を発揮します。

 今回の合唱の出番は、ベートーヴェンの第九よりははるかに少なく、アカペラの箇所を堪能出来る箇所も無く、又俄か造りの合唱団の為なのか、練習不足の為なのか、いつもの二期会合唱団や、新国立劇場合唱団、オペラシンガーズ程の完成度は無くて、やや不満が残りました。又特筆すべきは、最終場面では、パイプオルガンもオーケストラ、合唱団、ソリストの歌唱に参画して、轟音を響かせたのも迫力アップに貢献していました、(オルガンの位置は舞台奥正面では無くて、NHKホールの様に右サイドの階上に備え付けられていました。 

    あと一点書き漏らした事を追記しますと、今回の演奏の中では、バンダ演奏した金管奏者達も大活躍でした。Hrn.Trmp.等、曲の広がりに奥行きがでました。Hrn.奏者など、舞台奏者も含めると10人位いたのでは?

 

f:id:hukkats:20260324231632j:image

 

f:id:hukkats:20260322195241j:image

 

f:id:hukkats:20260322195301j:image