
(N響定期公演Aプログラム)
【日時】2026年2月7日(土)18:30〜
【会場 】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】フィリップ・ジョルダン

〈Profile〉
フィリップ・ジョルダンは現在では数少ない劇場叩(たた)き上げの指揮者だ。世界的名指揮者アルミン・ジョルダンのもと、スイスのチューリヒに生まれ、ウルム市立歌劇場とベルリン国立歌劇場のカペルマイスターを出発点に、グラーツ歌劇場およびグラーツ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者、パリ・オペラ座音楽監督、ウィーン交響楽団首席指揮者、ウィーン国立歌劇場音楽監督を歴任。ベルリンではダニエル・バレンボイムのアシスタントを務め、多くを学んだという。2025年のウィーン国立歌劇場日本公演では《ばらの騎士》を指揮して好評を博した。
メトロポリタン歌劇場、コヴェント・ガーデン王立歌劇場、ミラノ・スカラ座など世界の主要歌劇場に客演するほか、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など、コンサートでもトップレベルの楽団から招かれている。2027年からはフランス国立管弦楽団音楽監督に就任する。
ドイツ音楽はジョルダンのレパートリーの中核をなす。とりわけワーグナーを得意としており、《楽劇「ニーベルングの指環」》をこれまでにパリ・オペラ座、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場で指揮している。作品の隅々まで知り尽くしたマエストロが、初共演のN響と、この大作の最終章である《楽劇「神々のたそがれ」》のエッセンスに迫る。
【出演】タマラ・ウィルソン(Sop.)
〈Profile〉
当代にあって貴重なリリック・ドラマティック・ソプラノの逸材。強靭(きょうじん)さとしなやかさを兼ね備えたドラマティックな美声はクリアでありながら熱気もはらみ、フレージングは雄大で、テキストの感情を伝える才にも恵まれる。消え入るように繊細な弱音から高音域でのブリリアントな爆発まで、声のポテンシャルは絶大だ。
アメリカ、アリゾナ生まれ。2004年、メトロポリタン・オペラの全米オーディションのファイナリストに選ばれ、ヒューストン・グランド・オペラのヤング・アーティスト・プログラムに参加。2007年、同オペラでヴェルディの《仮面舞踏会》アメーリア役でオペラ・デビューを果たして絶賛され、以来国際的にキャリアを重ねている。ヴェルディ歌手として名声を確立したが、近年はワーグナーのレパートリーにも積極的に取り組んでおり、2025年の夏にはサンタフェ・オペラの《ワルキューレ》でブリュンヒルデ役にデビュー、「サンタフェ・オペラのワーグナー史に新たな章を刻んだ」と絶賛された。ワーグナー・オペラで評価が高いフィリップ・ジョルダンとの共演は、上り坂の2人による旬のワーグナーになるに違いない。
【主催者言】
シューマンとワーグナーは、いわば水と油。かたやピアノ曲や歌曲で、かたや長大な楽劇で有名だ。しかしフィリップ・ジョルダンは、この2人の交差点を突いてきた。ライン川である。両者がこの大河川に注目したのは、偶然ではなかろう。19世紀なかばのドイツは、いまだ政治的に統一された国ではなかった。だからこそ「自然」に、言語や文化とならんで、アイデンティティを求めたのだ。時代状況が芸術を生む。だがその芸術は多様である。
【曲目】
(1)シューマン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
(曲について)
初期ドイツ・ロマン派の代表格、ローベルト・シューマン (1810~1856)の創作期は、大きくライプツィヒ時代、ドレスデン時代、デュッセルドルフ時代に分けられるが、東部から西のライン地方、デュッセルドルフに移住したのは、1850年9月のこと。同市の音楽監督に就任したのだ。
彼はかの地に着いてすぐに、妻でピアニストのクララとともにライン川をケルン方面に上って旅をする(下記【演奏の模様】記載のhukkats注参照)。 本作はそこで得た印象をもとに書かれたというが、「音による風景画」として聴く必要はないだろう。「ライン」の呼称は、デュッセルドルフの楽団のコンサートマスターが言い出したものだった。完成はポスト着任後3か月が経った12月。その速筆ぶりにクララも驚いたという。なお、こんにち《第4番》とされているニ短調交響曲(1851年改訂稿)は、その初稿(1841年)が《第1番》の次に書かれているので、実際はこの「ライン」こそが、彼にとって4番目の、すなわち最後の交響曲ということになる。
1851年に同地でシューマンが指揮した初演は好評だったが、そうした反応は長くは続かなかった。幻覚症状や鬱状態に苦しめられ、指揮者業にも支障をきたすようになったのだ。1854年2月27日、シューマンはついにライン川に身を投げ、自死をはかる。その後は精神療養所に収容され、1856年7月29日に46歳で永眠した。
(2)ワーグナー《楽劇「神々のたそがれ」》からの名曲集(P.ジョルダン編曲版)
(曲について)
神々の黄昏』(かみがみのたそがれ、ドイツ語: Götterdämmerung)は、リヒャルト・ワーグナーが1869年から1874年までかけて作曲し1876年に初演した楽劇。ワーグナーの代表作である舞台祝祭劇『ニーベルングの指環』四部作の四作目に当たる。
『ニーベルングの指環』四部作は、ひとつのプロローグと3日を要する舞台上演と見なすことができ、本作『神々の黄昏』はその「第3日」(Dritter Tag)に当たるとともに、四部作の最後を締めくくる作品である。
「指環」四部作はそれぞれ独立した性格を持ち、単独上演が可能である。『神々の黄昏』は序幕を含む全3幕からなり、上演時間は約4時間20分(序幕および第1幕110分、第2幕70分、第3幕80分)。四部作中もっとも長大であり、劇的変化に富む。 この四部作の最終作品的序幕と第1幕の間奏曲「夜明け - ジークフリートのラインへの旅」や第3幕の間奏曲「ジークフリートの葬送行進曲」及び「ブリュンヒルデの自己犠牲」の音楽は演奏効果が高く、しばしば管弦楽のみで独立して演奏される(ロリン・マゼル編曲版は有名)。
今回は、その膨大な楽曲の中から、ジョルダン選りすぐりの以下の三場面の曲が演奏される。
①「ジークフリートのラインの旅」
本日はまず序幕から〈ジークフリートのラインの旅〉を聴く。ある日の夜明け。ジークフリートが武勇をおさめるべく、ブリュンヒルデと暮らす岩屋から旅立とうとしている。2人が高らかに別れの言葉を交わすと(本日は歌われない)、いざ出発、そうしてライン川への旅が始まる。
②「ジークフリートの葬送行進曲」
さて、指環を狙う人物に、地底族アルベリヒの息子にあたるハーゲンがいた。指環を持つジークフリートは、彼の仕組んだ陰謀に巻き込まれ、第3幕で突き殺されてしまう。 その直後に演奏されるのが間奏曲〈ジークフリートの葬送行進曲〉だ。この英雄にまつわる数々の示導動機(ライトモティーフ)が去来する。そこには、彼を生んですぐに世を去った母、ジークリンデの、悲哀に満ちた動機もある。
③「ブリュンヒルデの自己犠牲」
この曲は第3幕の終わり、4部作のフィナーレにあたる。ブリュンヒルデが歌うのは、まず死んだ夫への苦々しい追慕。彼女自身も陰謀に巻き込まれ、第 2幕で一度は夫を恨み、彼の急所をハーゲンに教えてしまったのだった。だが、告発されるべきは、すべての結果を招いた主神ウォータンである。「もうやめるのです、憩え、神よ!」。
ブリュンヒルデは夫の亡き骸から指環を取り、自らも死におもむく。夫とともに火葬されるべく彼女が投じた炎は、2人ばかりか、神々の居城ワルハラをも焼きつくすだろう。ライン川が氾濫し、ラインの娘たちが指環を取り戻す。〈愛による救済の動機〉が高らかに鳴りわたり、幕となる。
【演奏の模様】
N響の配布資料に依れば、今回の大きな特色は、ワーグナーのスコア指定通り、ハープ六台を含む大編成による演奏になる模様。
加えて待望の初登場となったジョルダンは、2027-28シーズンからフランス国立管弦楽団の音楽監督に就任予定であり、今回二回限りの演奏会の一つを東京で聴けるのは、貴重な機会です。
ワーグナーのスペシャリストとして、ウィーン国立歌劇場などで活躍したジョルダンによる、劇的かつ色彩感豊かなワーグナー演奏が期待されます。
一方、今回の演奏会で演奏されたもう一つの曲は、ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」です。
ワーグナーの「指輪」もライン川関係、そうジョルダンの選曲は、「ライン」という一本の糸で、結び付けられていたのです。
演奏会の初日当日は、前日までの大雪予報(東京としてはですが)が全く空振りに終わり、NHKホールへの行き来の時間に、全然降ることが無かったので助かりました。
(1)シューマン/交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」
先ず上記(曲について)の注意書を説明します。
ライン川をケルン方面に上って旅をする(hukkats注)
ロベルト・シューマンとクララ・シューマンが「ライン旅行」として知られる旅路を辿ったのは、主に1850年秋のことです。この旅は、ロベルトがデュッセルドルフの音楽監督に就任するためにドレスデンから移住した直後に行われました。
この旅行での体験やライン川の情景は、彼の代表作の一つである**交響曲第3番『ライン』**のインスピレーションの源となりました。
1850年の主なルートと立ち寄り先
デュッセルドルフ (Düsseldorf):
1850年9月に一家で移住し、ここが拠点となりました。ライン川沿いの散策が、後に交響曲の第2楽章(ラインの朝の航行をイメージしたとされる)などの着想につながりました。
ケルン (Köln):
1850年9月末に夫婦で訪れました。当時まだ建設中だった**ケルン大聖堂(ケルン・ドーム)**の圧倒的な威容に深く感銘を受けました。
特に、大聖堂で行われた大司教の枢機卿昇進式(儀式)を目撃した体験が、交響曲『ライン』の重厚な第4楽章(通称「大聖堂の楽章」)に反映されています。
ボン (Bonn):
1851年以降にも度々訪れています。ロベルトが尊敬するベートーヴェンの生家や、ミュンスター広場にあるベートーヴェン記念碑を訪ねるのが目的の一つでした。
その後のライン川に関連する旅
1850年の「ライン旅行」以外にも、シューマン夫妻はライン川沿いでいくつかの旅をしています。
1851年7月:デュッセルドルフからライン川を遡り、スイスへ向かう旅に出ています。この際、ボンも経由地となりました。
1852年夏:健康維持のためにバート・ゴーデスベルク(ボンの近郊)に滞在しました。
補足:ライン川とシューマンの運命
シューマンにとってライン川は「喜びの象徴」から、後に「悲劇の舞台」へと変わりました。1850年の幸福な旅行からわずか4年後の1854年2月、精神を病んだロベルトはデュッセルドルフのライン川に身を投じました。救出されましたが、その後ボン近郊のエんでニッヒの療養所に送られ、そこで生涯を終えました。
このように、1850年の「ルート」は、デュッセルドルフからケルン、そしてボンへとライン川を南下(川上へ遡る)する旅であり、彼の音楽人生の最後を飾る輝かしい瞬間の記録でもありました。
さて、ジョルダン・N響の演奏について記します。
〇楽器編成:Fl.(2) Ob.(2) Cl.(2) Fg.(2) Hrn.(4) Trmp.(2) Trmb.(3) Timp. 二管編成弦楽五部14型(14-12-10-8-6)
〇全五楽章構成[30分程度]
第1楽章 生き生きと
第2楽章 スケルツォ:適切な動きとともに
第3楽章 速くなく
第4楽章 荘重に
第5楽章 生き生きと
一説によると、ライン川散策を愛したシューマンの作曲上のイメージを、各楽章に込められたと謂われます。第1楽章(ローレライ)、第2楽章(コブレンツからボン)、第3楽章(ボンからケルン)、第4楽章(ケルンの大聖堂)、第5楽章(デュッセルドルフのカーニヴァル)
第1楽章は確かに、ローレライの妖精伝説に纏わる歌や美しい姿を想起させないでもない、美しい良く知られた旋律の主題が、冒頭から全楽全奏で流れ出し、修飾・変奏を交えた旋律が何回か繰り返されました。ジョルダンの指揮振りは、どちらかと言うと静の構え、体を殆ど動かさず、たまに脚を折る程度で腕やタクトを穏やかに、小振りに振り、知的に指揮の方向性を奏者に示していると見えました。勿論練習時に自分の意図は、言葉、仕草を混じえてN響メンバーと意思疎通済みなのでしょう。金管の鳴りに厚みが有ります。第2主題⇒第1主題へ回帰し、ジョルダンは高音弦群から低音弦群に向き直り指示しました。Hrn.の合いの手の高音は揃っていたし、Ob,(首席)の音も相変わらず美しい。木管主導の調べに弦楽がトレモロ奏で合わせ中盤に再度第1主題が繰り返されたのでした。そしてHrn,(4)の斉奏がこれまた清々しいラインの流れを想起させます。最後まで、弦楽中心の第1テーマが主導する楽章でした。
実際の「ローレライ」の場所は、現代では余り情緒性が大きくない、ラインの流れに少しだけはみ出た変哲もない岩礁で、草木も生え少し屈曲した流域なのですが。(だから流れがかなり速いラインの大雨時や、嵐の時には、大昔の船は岩礁にぶつかったり転覆し易く、伝説が生まれたのかも知れない)
第2楽章、Vc.アンサンブル中心(+Va.+Cb.)の❛将に適切な動き(多分これはラインの流れのことでしょう)❜で、ゆったりと含めた主題音で開始です。続いて同旋律で高音弦が入り、木管(Fg.)や金管(Trmp.)の合の手、弦楽奏も合の手を指し延べ、アンサンブルは再度Vc.アンサンの主題⇒Trmp.⇒木管+Hrn.の合いの手へと遷移です。全体として少し曖昧模糊とした楽章でした。スケルツォだから?
次楽章はCl.中心の静かな調べ、素朴な田園風景を想起してしまう様な響きに、ここは何処?と思ってしまう(ホボンからケルンの流域ですって?ホントかな?)。低音弦に向き合うジョルダン、Ob.∔Fg.+Cl.が静かな調べを立てていました。弦楽奏も静かに慎重にツツツツツーツ、ツーツと管に合わせる様に音をキザミ、再度Cl.のソロ音が聞こえました。この静かに木管と弦楽が掛け合う楽章は非常に素朴で気に入りました。ジョルダンの指揮も管弦楽を抑制的に誘導、オケの勢いをため込んでいるかのようでした。
第4楽章ではTrmb.(3)の斉奏にHrn.+Fg.が合わせ(すぐCl.も参加)、何か人の死とか葬送を思い浮かべる調べで、やはりこれは宗教的なイメージ、即ちケルンの大聖堂を想起させると言って過言でないでしょう。基本的に緩やかな弦楽奏の動き、その後一見(いや一聴かな)各楽器群のフーガ的動きも感じ、やはりこれは宗教的雰囲気に満ちたもの、ゆっくりゆっくりと曲は進行するのでした。
4楽章が終わるやいなやアッタカ的に最終楽章に入ったジョルダン。軽やかでも強さのある管弦の調べが迸り出ました。Hrn.(4)の力強い斉奏とTrmp.(2)の躍動する調べはとても良かった。でもどこかで聞いた事のある様な旋律、将にロマンを含めた古典的調べでした。次第にジョルダンもN響も力が入り、各楽器間の掛け合いも次第にテンポアップ、一旦スピードを調節するが如く緩めてすぐにゴール目掛けて一気に駆け込むジョルダン・N響でした。タクトが止まり、静まり返えったNHKホール、タクトが下りるとすぐに館内は拍手喝采、歓声の怒号の渦と化しました。これまで多くのN響の演奏を聴いて来ましたが、今回の様な相当な力強いアンサンブルと繊細に管弦楽が謳う演奏は久し振りの物でした。総じてシューマンの「ライン」は、部分部分では単純ではないけれども、理解し易い響きを有しており、ロマンティックな仲々いい曲だと思いました。それもジョルダンの細に入ったN響の指揮指導が、きめ細かい表現を現出させ、しかもオケの有する力を目一杯引き出すことに成功していたからだと思います。いつものN響では聞かれない風景がかいま見られました。次の休憩後のワーグナーの演奏も期待が持てそうです。
《休憩(20分)》
楽器編成:Fl.(3) Picc(1)Ob.(3) Bas-Cl.(1) Cl.(3) En-Hrn.(1)Fg.(3) Hrn.(8.内W-Tub.4) Trmp.(3) Trmb.(3) Bas-Trmb.(1) Cnt-Trmb.(1)Tub.(1) Timp.(2)三管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
休憩から戻ると、舞台一杯に多くの楽器が、特に金管楽器が多く補充されていました。
(2)ワーグナー《楽劇「神々のたそがれ」》からの名曲集
①「ジークフリートのラインの旅」
ゆっくりした管弦の低音域奏が静かに流れ、Hrn.が次いでCl.のソロ音が同テンポで、そして弦楽アンサンブルがゆっくりせり上がる美しい調べを鳴らすと急速に別のテーマがスタスタと歩み始めました。バンダのHrn.のファンファーレが鳴り、管弦楽を引っ張る誘因を与えました(Hrn,奏者ハすぐに舞台の自分の位置に戻りました)。弦楽奏が速いテンポのキザミ奏で力強く、次いで金管群が同テーマをホール一杯に鳴り響かせました。この最初の如何にもワーグナーッポイ調べの美しさと分厚さは、これまでN響では聞いた事の無い様なアンサンブルでした。素晴らしい。
②「ジークフリートの葬送行進曲」
彼、ジークフリートのアキレス腱(大弱点)を、ブリュンヒルデは暗殺者のハーゲンに漏らしてしまったため、ハーゲンにより槍で突かれて落命したジークフリート、その彼の葬送の場面の管弦楽曲です。
冒頭、低音弦とFg.の位調べがゆっくりと鳴り出し、Vc.の低音域アンサンブルで、クネクネクネクネ奏⇒ジャジャンの合いの手、と言った具合に、この場面では4本のHrn.と4本のWagner Tuba(W.T.と略記)が相次いで演奏され、壮観そのもの、更にはTrmp.(3)によるファンファーレが鳴り響くといった金管群の大活躍が印象的でした。曲調としては、葬送ですからやはり壮観と言っても、不気味な不穏な金管や弦楽等の響きが重なっていました。全オケのジャッジャン ジャッジャンという合の手に金管が掛け合うことで、ドラマティックな雰囲気を盛り上げました。ジョルダンは殆ど体を左右に振ったり曲げたりせず腕トタクトだけで淡々と振っている。ショルティの全身一杯で渾身の力を振り絞る様な動きは見せません。中盤からは全管弦が盛り上がり、ジャジャン、ジャジャンにはシンバルまで叩かれ、これ等の動きをジョルダンは不思議な位冷静な振りで、N響から迫力ある響きを弾き出していました。リハーサルで十分細部に渡って指示した事が、優秀なN響の奏者によって実現されていたのでしょう、きっと。
③「ブリュンヒルデの自己犠牲」
ブリュンヒルデの歌を歌った、タマラ・ウィルソンのドラマティック・ソプラノは確かに声に強さが有り、オケの総奏の音に飲み込まれることない強靱さがありましたが、上記<Profile>に記載がある❝ドラマティックな美声はクリアでありながら熱気もはらみ、❞と言うには程遠い声質でした。特に立ち上がりから、愛するジークフリートの死によりウォータンに対する恨みつらみを歌う辺りまでの歌唱は絶叫調を含め高い音も良く出ていましたが、❝Wie Sonne lauter strahlt mir sein Licht・・・(お日様の様に清らかにこの人から差し込む光・・・)❞以下の情景では、もっと清透な優しさをたたえた声を出して静かに歌って貰いたかった気がします。喉の調子が悪かったのでしょうか?
そのキャリアを見ると、ドイツ圏で活躍し始めたのはここ10年来のようで、それ以前は殆ど米国の地方オペラに於いて活躍、最後はMET出演に辿り着いた様ですが、ワーグナーの役はほんのここ数年の経験の模様に思えます。ワーグナーソプラノとしては、発展途上にあるのではなかろうかと思いました。それでも終盤 ❝Fliegt heim, ihr Raben! Raunt es eurem Herren,was hier am Rhein ihr gehört!(飛び帰れ!カラスたちよ!飼い主に知らせるのよ。このライン河のほとりで聞いたことを!)❞からの箇所の絶叫調では、ここまで歌って喉が潤ってきたせいなのか、随分と聞き易い滑らかさを備えた張り切った声で歌っていました。
上記で比較した他のヘルデンソプラノの例としては、例えば、アイリーン・ファレルの録音(シャルル・ミュンシ・ボストン響)での円熟した声質(強さの中のまろやかな声)等々。このブリュンヒルデの歌を、2023年にミューザでノットと共演したガーキーで聴いてみたい気もしました。
管弦楽版では、この場面を良く知っていて、オペラの場面での配役の動き、意味合いを頭に浮かべられる聴衆であれば、音を聞いただけで、歌劇をヴァーチャルに疑似体験出来るかも知れませんが、実際は相当難しい注文です。例えば、このカラス云々の歌う場面の直前では、ブリュンヒルデは「指輪をはめると、ジークフリートの遺体が置かれた薪の山に向き直る。男たちの一人の手から松明を奪うと、それを振りかざし、舞台後方を指し示す」ことをしているのです。これからその松明を持って薪の上の愛するジークフリートを荼毘に付し、自分も焼身しようと考えている緊迫の場面なのです。「」の動きは台本には歌の合間の注意書きとして書かれています。さらにブリュンヒルデが‘指輪をはめた’のは、ジークフリートの遺体から抜き取った呪いの指輪を自分が填めたのです。こうしてみると、配布の資料に歌詞とその日本語訳を掲載するのは予習でもするのならばその際有用ですが、もっと有用な方法は歌手が歌う時に字幕を流した方が理解が一層深まると思いました。
こうして、ブリュンヒルデの「自己犠牲」の歌は終わり、オケは最後の盛り上がりを強奏で見せ、ジョルダン・N響は美しい「愛による救済のライトモチーフ」等を回顧しながら、終焉の管弦楽の鳴りを分厚く堂々と響かせたのでした。



尚、先に記した様にHp.が6台、舞台下手に陣取っているのは初めて観る光景でした。しかし音楽演奏としては、それ程見栄え聴き映えのする箇所は余り無く、管弦楽の強靱なワーグナー節の中で突出する場面は見られませんでした。しかし管弦楽のスパイスとしては、①などで存在感を示していました。
