二月に入ると直ぐに、二十四節気などの歴事が続きます。表記の通り、初午(2/1日)、満月(2/2月)、節分(2/3火)、立春(2/4) です。初午は、暦法上はハツウシと読まず、「午」は、ウマと発音するのです(因みにウシは、暦法上「丑」という漢字です)。
暦書に依れば "「初午」は毎年2月の最初の「午(うま)の日」を指し、この日に五穀豊穣や商売繁盛、家内安全などを祈願する稲荷神社のお祭り(初午祭)の日です。奈良時代に伏見稲荷大社に稲荷大神が祀られたことに由来し、「稲荷(いなり)」が「稲生り」に通じることから、農耕の神様として信仰され、お使いの狐の好物である油揚げや、それに因んだいなり寿司などが供えられました。"とあります。稲荷神社は、お稲荷さんと親しみを籠めて呼ばれ、日本全国に数多くありますが、京浜地区で初午祭で有名なのは、例えば、
◯王子稲荷神社(北区)「凧市」開催日:2026年2月1日(日)・2月13日(金)
特徴:江戸時代から続く「火防の凧」を授与する名物行事。
◯馬橋稲荷神社(杉並区)
開催日:2026年2月1日(日)特徴:10時〜餅つき、15時〜祭典・紅白餅と甘酒の振る舞い。
◯市谷亀岡八幡宮(新宿区)初午祭のご案内あり(2026年1月29日時点)。
その他銀座地区にも、例えば「宝珠稲荷神社」他多くのお稲荷さんがあるので、銀ブラがてら立ち寄るのもいいかも知れません。
神奈川・横浜地域では、例えば、
◯本牧神社(本牧天神社)(中区本牧和田)2月に宇氣の稲荷社初午祭を開催。
◯横浜魚市場卸協同組合(場内稲荷の祠)(神奈川区)
初午の日にあわせて初午祭が開催される。
◯中山杉山神社(緑区中山)
2月上旬頃に初午祭が開催される。
◯白笹稲荷神社(秦野市今泉)
横浜市内ではないが、関東三大稲荷として2月の初午の日には約200軒の露店が並び、周辺が交通規制されるほど賑わう。
※各神社の開催時間などの詳細は、変わることもあるので、公式ホームページ等で最新情報を確認することをお勧めします。
その他日本はさすがに広く、初午の日に稲荷神社でなく、仏教の「毘沙門天(びしゃもんてん)」を参拝する処もある様です。本来「毘沙門天」は、仏教の守護神である「四天王」の北方を守る多聞天(たもんてん)が独立した姿で、七福神の一柱としても信仰される武神なのです。そして、その大祭は、元来「初寅の日」なのですが、何故「初午の日」に行なわれているのかは不明です。その際、お札は勿論のこと、お守などの縁起物も購入出来、中でも非常に珍しい縁起物として、「マサル 」と呼ばれる物が有ります。これは、手前勝手な解釈だと「勝る」に通じ、毘沙門天の戦いの構えから、勝運、商売繁盛、合格祈願、厄除け、健康長寿などの御利益があるとの考えから編み出された物なのでしょう。どういう物なのかは、写真を見れば一目瞭然なので、色々検索してたのですが、Googleのデータベースには無い様なのです。言葉では、正確に表現出来ませんが、概略記しますと、外形状は球体の一部をゆびで挟んで押し潰した様な形、その中にさらに小さい球体が入っています。言い換えれば、丁度狛犬の口内にある球体の様。材料は、粘土で形造り、その球体は、丁度狛犬の口の様に中が空洞になっていて、中に将に狛犬の口内の球体と同様な丸い素焼きの小球が入っているのです。そしてその押しつぶされた様な部分に小さな穴が開いていて、一方細い竹の両端に糸を張って竹を弓の様にそらせ、その糸を上記の穴に通した物が「マサル」なのです。これがどの様な作用をするかと言うと、縦にした弓状の竹糸の上部に球体をズリ上げて手を離すと、重力の作用により、球体が糸を伝って弓の下部に落ちるのですが、糸と素焼きの摩擦が、球体を一気に落下するのを妨ぎ、少しづつ揺動しながら下に落ちるのです。そのため球体は揺らされながら落ちるので、球体の中にある小球が中でコロコロ素朴な音を立てて、参拝帰りの人の心に安寧の念まで、催すのではなかろうか?と勝手に思うのです。しかし、伝統とは言えこれを発明した先人(おそらく何百年も前のことかも知れない)の知恵には、感服した次第です。
初午の記事が長くなってしまいましたが、次は「満月」です。新暦2月2日(月)は、旧暦で12月小の月の15日、即ちこの日の月は、もちげつ(望の月)なのです。西洋的には、スノームーンと呼ばれます。北米のネイティブアメリカンが季節の目安としてこの極寒の満月に名を付けていたことに由来する様です。この満月が満ちるのは、2月2日(月)午前7時10分頃。そのため、最も真円に近い月を楽しめるのは、前夜の2月1日(日)の日没後から2日の明け方にかけてだそうで、東京では、2月1日の月の出は16時37分頃です。天気が良ければ、住宅街でも十分に観測できるでしょう。
次の2/3(火)は「節分」です。節分に関しては、これまで何度も記録を書いていますので例えば、以下の昨年の記事を参考にして下さい(年により日付が異なることに注意)。
2025-02-02HUKKATS Hyoro Roc.
2月2日 日曜日は節分です
先を急ぎます。2月4日(水)は、立春です。暦書によれば、「立春は旧暦正月寅の月の正節で、新暦二月四日頃、節分の翌日になります。暦の上では旧冬と新春の境目に当たり、この日から春になります。"春たつ"
"春くる"などの言葉と共に、春の季語にもなっています。」とあります。
1年を通じた気温の変化は場所や時代によって異なるため、現代の日本の気候に合う表現であるとは限らないのですが、
そう、寒い寒いと言っている内に春の兆しは、確実に忍び寄って来ているのです。

梅の蕾もかなり、膨らんで来ました。日なたの、風が当たらない陽の良く当たる処では、既に蕾が開いた処も有るでしょう。

茂みや路傍の草花も春を待ちきれない様子。可憐に咲いています。
もう少しで、各地の梅林の名所にも、多くの見物客が押し寄せるでしょう。この立春の日には、古来様々な行事が行なわれてきました。
立春は、古代の中国北方の地で成立した概念です。例えば、中国北宋の時代(西暦960〜1279)の記録(1100年頃の様子)に依れば、
「立春の一日前に、開封府(注、現在の河南省開封市にあった首都)では春牛を造って禁中(注、宮中のこと)に献上し、鞭春の儀が行われる。開封と祥符の両県では、春牛を府の役所の前に据え、その当日早朝に、府の役人たちが打春の儀を行うが、地方の州の作法どおりである。府の役所の前の左右には、庶民が小さな春牛を売っているが、飾り立てた御輿の上に、色々な芸をやっている人形や、春幡・雪柳を飾りつけているのが多く、これをめいめい贈り物に使う。立春の日には、宰相・執政・親王・百官みな金銀の幡勝を賜わるので、参賀がすむと、それを頭につけて私邸に帰る。」とあり、この時代にも、立春を季節の特別な日として祝う風習があったことを事実として後世に伝えています。
現代の我が国にも、大陸の影響が色濃く残されていて、形態は変わっても様々な風習が残されています。
一例として、
◯「立春大吉」のお札を貼る。
左右対称の「立春大吉」の漢字は、裏から見ても同じ。玄関に貼ることで、家に入った鬼が振り返って出口を見て「まだ入っていない」と勘違いし、外へ出ていく(=戻っていく)という厄除けの伝承です。半紙に筆で書き、目より高い位置の玄関や入口に貼ります。
◯立春朝搾り(お酒)
立春の朝に搾られた日本酒。無病息災・家内安全・商売繁盛を祈願して行われます。
◯立春大吉豆腐
白い豆腐は邪気を払うとされ、立春に豆腐を食べることで寒さで溜まった邪気を払い、幸福を呼び込むとされています。
◯ひな人形を飾る
立春を過ぎたら、ひな人形を飾るのが良い時期とされています。
以上の他に地域によって、様々な風習が行われていることでしょう。
最後に「立春」を1年の最初の日、即ち「元日」とすることに関してですが、確かにその様な暦法の考えがあったのですが、現代では、余り使われなくなりました。
以上、仲々実際に行なうことは、難しいことが多いですが、様々なことがあるという事を知るだけでも、何かの足しになるかも知れません。
《追記》
国指定名勝の「横浜三渓園」の観梅会のお知らせが、[公式]横浜市観光サイトに掲載されました。参考まで以下に転載します。
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三溪園「観梅会」
三溪園では、2026年2月7日(土)から3月3日(火)まで、梅の香りとともに往時の風情を楽しめるイベント「観梅会」を開催します。
同イベントは、園の創設者・原三溪が、江戸時代から名の知られた東京・蒲田、川崎・小向(御幸)、磯子・杉田の梅林から古木1,500本余を集め、1908年に梅林の完成を祝って開催したことにはじまります。途中戦争などでいつからか途絶えてしまいましたが、1975年に内容をあらため、「三溪園観梅会」として再スタートし、現在に至ります。
現在500本ほどがある梅のなかには、三溪による移植当時から遺る臥竜梅(遅咲き)のほか、1977年に中国・上海市から贈られた緑萼梅(早咲き)といった珍しい種類の梅もあり、時期をずらして観賞することができます。
かつて芥川龍之介が立ち寄った休憩所「初音茶屋」では、期間中の土・日・祝日限定で、囲炉裏に古釜を吊るして、温かい麦茶を無料で振舞うほか、園内では梅の盆栽展や俳句大会、猿まわしなどが楽しめます。
様々なイベントを通して春の訪れを感じてみてはいかがでしょうか。