今日、新暦10月6日(月曜)は、『中秋の名月』の日です。これは、暦書の二十四節気にも雑節にも規定されていない、単に年に12回ある「望の月(満月)」の中で、旧暦では、旧くから秋の季節と見做されていた、旧暦八月、九月、十月の3ヶ月の中をとって「中秋」と称していました。従って旧暦九月(新暦十月)の満月をもって『中秋の名月』と呼称するのです。満月とは、地球の影とならない月の光り具合で、特に明るく美しい月見の日として、古来から人々のあいだに言い伝えられて来たものです。厳密に言えば、限りなく満月に近い月(どの位満月に近いかを数字化したものがあり、詳細は割愛しますが、「月齢」といいます。今日の月齢は、14.8で、15の満月には僅かに至っていません。満月になるのは明日明け方)
この中秋の名月を愛でる風習も、例に違わず大陸文化が起源です。
中国では唐代(618年-907年)の頃から中秋節が盛んになり、文献が現存している宋代の『東京夢華録』には、身分に関わらず街を挙げて夜通し騒ぐ様子を以下の様に記しています。
❝中秋節の前に、もろもろの酒店はみな新酒を売る。店のおもてに綵楼を新しく組み立て、色を塗った竿の先に花飾りを付け、酔仙の絵を描いた錦の酒ばやしを立てる。町の人は争って飲みにゆく。昼過ぎごろになって、どの店も酒がなくなると、看板を下ろす。
このころ蟹の初物が出る。石榴・橿勃・梨・棗・栗・葡萄や色づき始めた橙橘もみな初物が出る。 中秋の夜には、高貴の家ではあずまやを飾り立て、庶民は争って酒楼に席を設けて月見をやり、管弦の音が沸きたつ。宮城の近辺の住民は、夜が更けると、遥かに笛の音が聞こえてきて、天上にいるような気分になる。町々の子供たちは夜っぴて遊びふけり、夜の町の賑わいは夜明けまで続く。(『東京夢華録』(1147年巻八「中秋」より引用)❞
お団子を供えることも中国の風習にならったもので、我が国では江戸時代に普及した模様です。
今夜の関東地方の天気は、生憎雨や曇りで、残念ながら名月は拝めませんが、ひょっとしたら明日明け方には、所によって雲間が切れて月が顔を出す地域もあるかもしれません。
横浜も同様、雨が降ったり厚い雲に覆われていますが、家の上さんが、月見団子を午前中に買ったらしくて、折角だから飾るだけでも飾りましょうと、家の庭にあったススキを取って来て、月見の飾りらしきものを坪庭の前にセットしました。

こんな天気の日には、やはり「月より団子」ですね。一応飾りの前で手を合わせ終わると、直ぐに食べました。一つ一つは小粒だけれど餅も餡も美味しかったです。