HUKKATS hyoro Roc

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ルイージ・N響&ブロンフマン(Pf.)『ベトコン5番+シュミット交響曲4番』を聴く

〇第2042回 N響定期公演 Aプログラム

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 【日時】2025年9月13日(土) 18:00〜

【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】ファビオ・ルイージ  

【独奏】イェフィム・ブロンフマン(Pf.)
             〈Profile〉

    ウズベク・ソビエト社会主義共和国の首都タシュケントでユダヤ系の両親の下に生まれる。母はヴァイオリニスト、父はピアニストであった[1]。1973年、15歳でイスラエルに移住。現在は米国籍を取得している。1975年に、ズービン・メータが指揮するモントリオール交響楽団と共演して、国際的にデビューを果たした。カーネギー・ホールへのデビューは1989年であり、1991年にアイザック・スターンと一連の演奏会を行なった。1997年には、エサ=ペッカ・サロネン指揮のロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団との共演による、バルトークのピアノ協奏曲集の録音によって、グラミー賞を獲得。室内楽演奏でも活躍している。

 


 【曲目】
①ベートーヴェン/ ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」

(曲について)

    いわゆる「傑作の森」と評される時期に生み出された作品の一つであり、ナポレオン率いるフランス軍によってウィーンが占領される前後に手がけられている。ベートーヴェンが生涯に完成させたオリジナルのピアノ協奏曲全5曲の中では最後となる作品であり[6]、かつ初演に於いて他のピアニストに独奏ピアノを委ねた唯一の作品でもある。

1809年の4月頃までにスケッチを完了させ、同年夏頃までに総譜スケッチを書き上げたものとみられるが、出版に漕ぎ着けるには更に1年程度の期間を要している。

折しも、当楽曲のスケッチおよび作曲に取り組んでいる最中にあった1809年、ナポレオン率いるフランス軍がベートーヴェンが居を構えていたウィーンを完全包囲し、その挙げ句にシェーンブルン宮殿を占拠した。これに対しカール大公率いるオーストリア軍は奮戦するもフランス軍の勢いを止める事は出来ず、遂にウィーン中心部を砲撃され、フランス軍によるウィーン入城を許してしまった。その後フランス・オーストリア両軍の間で休戦協定が結ばれるも、当時のオーストリア皇帝フランツを初め、ベートーヴェンを支援してきたルドルフ大公を初めとする貴族たちもこぞって疎開、ウィーンに於ける音楽活動は途絶えてしまう。

ちなみにこの頃のベートーヴェンはというと、彼の住居近くにも砲弾が落ちたことから弟カール宅の地下室に避難、不自由な生活の下でも作曲を続けていたものの、たまりかねてウィーンの街中を我が物顔で歩くフランス軍将校とすれ違った際に将校に向かって拳を上げながら「もし対位法と同じぐらい戦術に精通していたら、目に物を見せてくれように」と叫ぶこともあったといわれている。

当楽曲は、前記総譜スケッチを終えてから1年余りを経て、1810年11月に先ずロンドンのクレメンティ社から、更に翌1811年3月から4月にかけてはドイツのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社から、それぞれ出版されている。

 

 

②フランツ・シュミット『交響曲 第4番 ハ長調』

(曲について)

    交響曲第4番ハ長調は、フランツ・シュミットが一人娘の追悼のために1932年から翌1933年にかけて作曲した交響曲である。この曲は1934年1月10日にウィーンのウィーン楽友協会演奏会にてウィーン交響楽団により初演された。

 

【聴き処】
    フランツ・シュミットはベートーヴェンの曾(ひ)孫弟子にあたる。シュミットがピアノを師事したテオドル・レシェティツキは、カール・チェルニーの弟子であり、チェルニーはベートーヴェンの弟子のひとりであった。シュミットはまた、ウィーンの音楽アカデミー(現ウィーン国立音楽大学)の教授あるいは学長として、後身の育成に邁進(まいしん)した。今日まで受け継がれるウィーン古典派の伝統とその系譜を語るうえで欠かすことのできない2人のプログラムである。(中村伸子)


※二つの曲の演奏時間は、20分の休憩を含めて約2時間の公演となります。

 

【演奏の模様】
①ベートーヴェン/ ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73「皇帝」

〇楽器編成:二管編成弦楽五部 12型(12-10-8-8-6)

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〇全三楽章構成
第1楽章 Allegro 変ホ長調 

第2楽章Adagio un poco mosso ロ長調

第3楽章Rondo Allegro - Piu allgero 変ホ長調

    この曲は、ベートーヴェン最後のピアノ協奏曲で、現在では、五つのピアノ協奏曲のうちで、最も人気のある曲と言って良いでしょう。

〈皇帝〉という副題に関しては、その時代背景や命名の経緯は別として、曲を聞いてみて、実に堂々とした曲で、将に「皇帝」の名にふさわしい曲だといつも思います。   今回は、N響と対峙したピアニストは、イェフィム・ブロンフマン、この人の演奏は、昨年11月にネルソンス指揮ウィーンフィルの演奏で聴きました。ベトコン5番でなく3番でしたが。その時の感想に❝名人芸でした。要するに、力でバリバリと迫力ある推進力のエネルギーを漲らせる演奏ではなく、見かけの通り、老成した仙人の様な人間離れした神がかりの素晴らしい演奏だったのです。❞と記しました。今回の5番の演奏も、将にその時と同様な印象を受けました。時として、もう少し迫力ある打鍵が欲しいなと思う箇所が散見されました。(決してピアノの音がオケの大音に飲まれて隠れてしまった訳ではないのですが)。しかし弱奏箇所では、三楽章の後半など、コロコロと玉を転がす様な非常に心地良いものがあり、木管との掛け合いも合い性良く、ルイージ・N響のレスボンスの良い反応が、ピアニストの呼吸を良く見極めていた査証だと思いました。(ソリストアンコール無し)

 

②フランツ・シュミット『交響曲 第4番 ハ長調』

    この作曲家の曲は何処かで聴いたことがある様な気がして、自分の過去のブログ記録を検索したら、シュミットはシュミットでも、フローラン・シュミットとの違いでした。AIで調べると次の回答が出ました。

❛フランツ・シュミット(Franz Schmidt、1874年12月22日 – 1939年2月2日)はオーストリアの作曲家・チェリストであり、フローラン・シュミット(Florent Schmitt、1870年10月28日 – 1958年8月17日)はフランスの作曲家です。この二者は同じ姓を持つものの異なる国籍の作曲家であり、それぞれが独自の音楽スタイルで活動していました。❜

 即ちシュミットさん違いでした。従って、フランツ・シュミットの曲は初めて聴くことが判明。

〇楽器編成:フルート3、オーボエ2、イングリッシュホルン、クラリネット2、バスクラリネット、ファゴット2、コントラファゴット、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、バスチューバ、ティンパニ、ハープ2、三管編成弦五部14型(14-12-10-8-6)

 

〇単一楽章ですが、内容的には以下の4つのパートから構成、それぞれは3ないし4に区分出来ます。

 

 第1部 Allegro molto moderato
 第2部 Adagio
 第3部 Molto vivace
 第4部 Allegro molto moderato

 

    冒頭の独奏Trmp.の演奏がずいぶん長く続きました。この主題は次第に発展しながら絶頂に至りました。このTrmp.は、最後の4部でも活躍、またホルン首席も安定的な演奏、オーボエも活躍し、ヴァイオリンやクラリネットに受け継がれるのでした。コンマス(郷古さん)のソロ音が聞こえたのですが、やや弱含み。それに比し、第2部でのVc.首席(藤森さん)のソロには、耳目を奪われました。シックで哀愁を帯びたこれまた長い独奏。曲を作ったシュミットが、ウィーンフィルのチェリストの経験があったからでしょうか?プログラムノートに依れば、チェロ独奏は葬送行進曲に続くのだそうですが、子を失ったばかりのシュミットの葬送の気持ちの現れなのでしょう。

    第4部でも、Trmp.のソロ音が響き、静かに演奏は閉じられましたが、こうしたソロなどの主題の登用は、第1部〜第4部までに、対象的に登場する循環形式を取っていました。

    全演奏が終わり、ルイージは、割りと早く指揮の手を降ろすと、会場からは、大きな拍手が、会場に鳴り響きました。指揮者は何回も舞台と袖を行き来し、演奏者をパート毎にたたえましたが、アンコール演奏は有りませんでした。

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    今回のシュミットの演奏を聞いて振り返ってみれば、全体的に、心地よい旋律性が低く、各部切れ目もなく分かりづらく、連綿と続く決して耳当たりが良いとは言えない、余り好みでないこうした交響曲は、はっきり言って、また聴きに来たいとは思えませんでした。