【日時】2026.6.21.(土)14:00〜
【会場】NHKホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】タルモ・ペルトコスキ
〈Profile〉
「2000年生まれの指揮者」という存在を想像できるだろうか。しかも各地の楽団でいくつもポストを持つ若い指揮者だ。フィンランド出身のタルモ・ペルトコスキは、14歳でヨルマ・パヌラに学び、シベリウス音楽院でサカリ・オラモに師事。ハンヌ・リントゥ、ユッカ・ペッカ・サラステ、エサ・ペッカ・サロネンらの指導も受ける。2022年1月、ドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者に抜擢されて脚光を浴びると、 同年5月にラトヴィア国立交響楽団の音楽監督兼芸術監督、9月にロッテルダム・フィルハーモニ管弦楽団の首席客演指揮者、12月にトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督への任が発表された。これほどの短期間で国際的なキャリアを築いた指揮者は前代未聞だろう。さくらに2026-27シーズンからは香港フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に就任する。エウラヨキ・ベカント音楽祭でワーグナーの楽劇〈ニーベルングの指環)全作を指揮するなど、オペラの経験も積む。名門レーベルからはドイツ・カンマーフィルを指揮したモーツァルトの交響曲集をリリース済み。大 胆かつ斬新な解釈に加え、配信では曲間に自らのピアノによる即興演奏をはさんで話題を呼んだ。 ベルトコスキはマーラーにも積極的に取り組んでいる。N響からどんなサウンドを引き出してくるのか、大いに注目したい。
【独奏】ダニエル・ロザコヴィッチ(Vn.)
〈Profile〉
2001年ストックホルム生まれのダニエル・ロザコヴィッチは6歳からヴァイオリンを習い始め、早くも、その2年後にはウラディーミル・スピヴァコフ指揮モスクワ・ヴィルトゥオーゾ室内管弦楽団との共演で協奏曲デビューを果たした。彼の演奏会はフランスのフィガロ紙で「完璧な技巧。たぐいまれな才能」と絶賛されるなど、常に高い評価を獲得している。巨匠イヴリー・ギトリスもその才能に感銘を受けて、テルアヴィブの音楽祭に招き、 バッハの〈 2つのヴァイオリンのための協奏曲)を共演したほどである。
ロザコヴィッチはウィーン国立音楽大学でドラ・シュヴァルツベルク教授に、カールスルーエ音楽大学ではヨーゼフ・リシン教授に学んだ。すでに世界各地の主要なオーケストラと共演を重ねており、 2016年にドイツの老舗レーベルと専属契約を結び、同社の最年少専属契約アーティストとなった。 NHK交響楽団とは初共演となるが、アメリカで活躍した天才作曲家コルンゴルトの傑作〈ヴァイオリン協奏曲》で、その美音と素晴らしいテクニックを披露してくれるに違いない。
【曲目】
①コルンゴルト『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品35』
(曲について)
亡命者仲間でヴァイオリニストのブロニスラフ・フーベルマンの説得によって作曲された。1947年2月15日にヤッシャ・ハイフェッツの独奏と、ウラディミール・ゴルシュマン指揮セントルイス交響楽団の演奏によって初演が行われた。初演の際、批評家から「時代錯誤」のそしりを受けたが、その後もハイフェッツが演奏と録音を続けたことにより、コルンゴルトの最も有名な作品となった。
コルンゴルトは映画音楽の作曲家として成功したが、コルンゴルトのヨーロッパ時代と渡米後の芸術音楽活動についての評価は芳しくなく、この協奏曲も低い評価に甘んじてきた。しかし、ハイフェッツ生誕百周年を記念した音源の復刻や評伝の出版などを通じて、この作品の存在が浮き彫りにされ、またそれに前後して、ギル・シャハムやヒラリー・ハーンらの若手による積極的な録音やコンサート演奏により、この作品の魅力が再発見された。こうして現在では、サミュエル・バーバーの作品と共に、20世紀の新ロマン主義音楽の代表的なヴァイオリン協奏曲に数えられるようになった。
②マーラー『交響曲 第1番 ニ長調〈巨人〉』
(曲について)
マーラーの交響曲のなかでは、演奏時間が比較的短いこと、声楽を伴わないこと、曲想が若々しく親しみやすいことなどから、演奏機会や録音がもっとも多い。
1884年から1888年にかけて作曲され、マーラー自身は当初からその書簡などに記しているように交響曲として構想、作曲していたが、初演時には「交響詩」として発表され、交響曲として演奏されるようになったのは1896年の改訂による。「巨人」という副題が知られるが、これは1893年「交響詩」の上演に際して付けられたものの、後にマーラー自身により削除されている。この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(Titan)に由来する。この曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出されており、同歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が交響曲の主題に直接用いられているなど、両者は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。演奏時間約55分
〇2025年6月Cプログラム聴き処(主催者言)
1906年、9歳になるかならないかのエーリヒ・ウォルフガング・コルンゴルト(1897〜1957)は父に連れられ、当時ウィーン宮廷歌劇場の音楽監督を務めていたグスタフ・マーラー(1860~1911)を訪ねた。作曲したばかりのカンタータをピアノで弾いて聴かせると、マーラーは「天才だ!」と叫んだという。マーラーの提案で、コルンゴルトはツェムリンスキーに師事することとなり、ウィーンから世界を席巻する作曲家へと育っていった。(中村伸子)
【演奏の模様】
①コルンゴルト『ヴァイオリン協奏曲 』
〇楽器編成:Picc.コーラングレ、Bas-Cl.、Con-Fg.(2番奏者が持ち替え)、Fl.Ob.Cl.Fg.(各2)、Hrn.4、Trmp.2、Trmb.Hrp.ヴィブラフォン、シロフォン、チェレスタ 独奏Vn. 二管編成 弦楽五部16型(16 -14 -12 -10 -8 )
〇全三楽章構成
第1楽章 Moderato nobile
第2楽章 Romanze Andante
第3楽章Allegro assai vivace
もともとコルンゴルドは、映画音楽の作曲を主としていた事もあって、第1楽章始めから映画音楽を原型としたテーマ旋律を並べ、中間部でも別な映画(革命児Juarez)の中からそのままに近い形で引用、演奏者のロザコヴィッチは、これらの美しい曲を、高々とかなり繊細な音を立てて謳い上げました。Hrn.(Top)の合いの手も、Hrn.(3)背景としたソロVn.の強い演奏もOKです。管弦楽は多くの場合、ソリストとの掛け合いと、たまに盛り上がるアンサンブルもソリストの次の誘導的役割に甘んじているかの様で、ペトコスキ・N響の自己主張の影は、薄かった様に思います。
確かに第2楽章の冒頭からの優美なソロ演奏は、映画の場面を切り抜いたかの感もあり、このヴァイオリ二ストの演奏が、最初から第2楽章までのみならず、かなりヴィヴィドな力仕事の3楽章においても男性的演奏というよりか、むしろ線が細く、女性的演奏に終始したのは、少し期待外れで残念でした。しかし総じてその演奏は、完璧性を備え、技術的にも非常に高度なものを持っているヴァイオリニストであり、まだ20代半ばの若さでもあるので、今後、様々な表現力を身につけ筋肉質の体質も付けていけば、どれだけ凄い演奏者になるか、その将来性は計り知れないという感じはしました。
尚ソリストアンコールが有りました。
《アンコール曲》イザイ『無伴奏ヴァイオリンソナ
タ第2番イ短調Op.27』より第4楽章<復讐の女神
たち>
力強い重音奏が続き、Pizzicatoも入れてPPPの極弱高音と低音域重音奏を交互に続け、そしてまた極弱奏とかなり難しい技術を駆使し弾いていました。誰の曲かな?と思っていたら、張出し掲示板に「イザイ」と有ったので❝さもありなん❞と納得しました。
②マーラー『交響曲 第1番 〈巨人〉』
〇楽器編成:Fl.4 (2、3、4はピッコロ持ち替えあり) Ob.4(3はEn-Hrn.イングリッシュホルン持ち替えあり)
Fg.3 (3はコントラファゴット持ち替えあり)
Cl.4(B♭、A、C管) (3はバスクラリネットと小クラリネット、4は小クラリネット持ち替えあり。)
Hrn.7 Trmp.4(5は任意 ホルンの補強)Tub.1(バスチューバ)Timp.2 他
バスドラム1、シンバル、トライアングル、タムタム
四管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
〇全五楽章構成(?)
本来マーラーの原典では、全五楽章構成だったものを、その後改訂に際し「花の章」を削除して手を入れ、全四楽章構成としたものです。
〇全四楽章構成(改訂版)
第1楽章 Langsam, schleppend. Im Anfang sehr gemächlich (ゆっくりと、引きずるように。最初は非常にゆっくりと)
第2楽章 Kräftig bewegt, doch nicht zu schnell (力強く動き、しかし速すぎない)
第3楽章 eierlich und gemessen, ohne zu schleppen (荘重に、そして落ち着いて、引きずらずに)
第4楽章 Stürmisch bewegt (嵐のように激しく)
3名のTrmp.奏者が静かにバンダ演奏の為舞台上手のドアーから消え、初盤の演奏で、バンダ演奏を数回鳴らして、再度舞台上の定位置に戻りました。そしてこの楽章を彩るキツツキの鳴き声を模した木管(Cl.やOb.)が鳴らされました。バンダの音はHrn.(2)と掛け合い、Hrn.(4)の弱音斉奏も決まり、やや高音の弱音でVc.アンサンブルと掛け合いました。Trmp.でもキツツキ音が鳴らされました。第1楽章では様々な木管と弦楽アンサンブルのやり取りをペルトコスキ・N響は細目に着実にこなしている感じが有りました。特にHrn.は下手上2段目に八挺横一列に並び、一斉に鳴らされるのは瑕疵も無くて見事でした(ついでに、シュテファン・ドール部隊だと斉奏する時に、一斉にHrn.を同じ角度で上の方に持ち上げて吹くパフォーマンスは見た目にも一層壮観です)。
第二楽章は前半、軽快なリズムに乗った管と弦の対峙又は協調によるスケルツォ楽章で、非常に面白みを感じるN響の演奏した。テンポアップも指揮者は「喜ぶべきは中なり」の精神からなのか?急速発進はせず、程々でした。後半、流れは一時頓挫するも再度テーマが繰返えされ、今度のテンポアップはかなりの速度で突き抜けた感がしました。
第三楽章はいつかどこかで聞いた事のある旋律が流れて来て、元を正せば、フランス民謡だというのですから・・・世界にどの様な経緯で広がったかは分からない。それをマーラーはどのような切っ掛けで引用したのでしたっけ?
Cb.のソロ演奏から始まり、Fg.のユーモラスな音が引き継ぎ、そこにOb.のかん高い音が割り入って来ます。これも鳴き声なのでしょうね。それにしてもいつも感心するのは、N響のOb.奏者がいい音を鳴らす事です。今回は首席奏者でなく、男性でしたがかなり太いいい音で鳴らしていました。またFl.(Top)はこれ又いつもいい音を聞かせて呉れる首席の神田さん。良く見ると、使用している楽器は黒一色の木管でなく、金色の金属フルートでもなく、金色と黒が入り混じった楽器でした。歌口が木製でそれに挿入している切っ先は金属製なのでしょうか?En-Hrn.の厚みのある柔らかい鳴き声もした様な気がしました。Fg.もいつもの様なユーモラスな音を立てていました。(先日のパリ管弦のFg.の音には驚きましたが、あれは異例な音なのでしょう?きっと。)Cl.の鳴き声を立てるのは普通のCl.でなく、きっと音が高い小Cl.ではないかな?と思いました。最後は幾分かテンポアップした木管のアンサンに、木管のゆっくりした調べが何とも郷愁を帯びていて、終わりにはFg.で〆となりました。
アタッカでは無いですが、一呼吸置いてすぐさまペルトコスキはシンバル等打楽器群に合図、ジャーンと一撃、二台並んだTimp.もかなりの強打で最終4楽章に突入しました。第4楽章は「Sturm」ですから、猛烈な大音とスピード感でそれを表現する箇所です。そう言えば、18世紀後半のドイツでは「シュトゥルム・ウント・ドラング」と言う文学運動(例えば代表的例として、ゲーテの小説『若きウェルテルの悩み』(1774年)やシラーの戯曲『群盗』(1781年)など。)が有りましたっけ。「疾風怒涛」と訳されました。将にこの4楽章は、暴風が吹き荒び、「波乗り舟の音の良きかな」はどこかに消えてしまい、舟が飲まれてしまいそうな大波、うねりの様相を、ペルトコスキ・N響は、この日一番の力仕事をしている様子で混沌の極みを演出したのでした。
《参考1》改訂版について
第3改訂稿(1896年3月)
ベルリンでの演奏に当たって、マーラーは「花の章」を削除して全4楽章の「交響曲」とした。二部構成や各楽章に付けられていた標題もすべて取り払われた。楽器編成は四管に増強され、とくにホルンが4本から7本に増やされたのが特徴的である。
この前年、1895年にはベルリンで交響曲第2番の全楽章が初演された。「交響曲」というタイトルでは、1番より2番の方が早く初演されたことになる。
このベルリン稿に基づく楽譜は、1899年にヴァインベルガー社より「交響曲第1番」として出版された。その後、1906年にウニヴェルザール出版社より出版されたものでは、第1楽章の呈示部と第2楽章にリピートが付加された。その後もマーラーは演奏のたびに細かい修正を加え、最終的にそれらを取り入れたものが、エルヴィン・ラッツ校訂によって1967年に刊行されたマーラー協会の「全集版」(ウニヴェルザール出版社)であり、これが現在もっぱら演奏される。しかし、第3稿に限ってもそれまでにも出版された楽譜が複数あるため、実際の演奏では、指揮者のスコアとオーケストラのパート譜が必ずしも同一でないなど一部に混乱があり、第3稿の古い版を用いたと思われる録音も多く存在する。1992年にはカール・ハインツ・フュッスル監修の「新全集版」が出版された。旧全集版との比較では、第3楽章冒頭のコントラバス・ソロがユニゾンに変更されていることが大きな違いとして挙げられる。
《参考2》花の章について
当初第2楽章として構想され、のちに削除された曲は、「花の章」(Blumine) と呼ばれる。この曲は、カッセル歌劇場で朗読上演されたシェッフェルの『ゼッキンゲンのラッパ手』のために書かれた付随音楽が原型とされる。マーラーは作曲当時、カッセルでヨハンナ・リヒターへの失恋を味わい、その後のライプツィヒ時代にはマリオン・ウェーバーと駆け落ちまで考える関係となっている。「花の章」の音楽は、これらの恋愛感情が影響を与えた作品と考えられている。こうした推定に加えて、上記したように恋愛事件が直接の作曲の動機であったとするなら、この「花の章」こそが、交響曲第1番の最初のきっかけであったということになる。
音楽はアンダンテ アレグレット、ハ長調、三部形式。主部はトランペットの穏やかな旋律にヴァイオリンが甘美に寄り添う。中間部はイ短調となり、木管、とくにオーボエが儚げに歌う。(余談だが、主部から中間部への移り方は、シューベルトの未完成交響曲第2楽章の、第1主題から第2主題への移り方にそっくりである。)この楽章は紛失したと思われていた。しかし、マーラーの弟子であったペリン家に楽譜が所蔵されていたことが第二次世界大戦後に発見され、1967年に単独で復活初演、1968年に出版された。その後、この楽章は単独に演奏されるほか、第3稿全集版の4つの楽章に挿入されて演奏される場合もある。しかし、「花の章」削除後も改訂され続けた全集版にそのままこれを組み込むことは、様式上の不統一の問題があるため、近年では第2稿である「ハンブルク稿」や「ヴァイマル稿」に基づく5楽章版の復活演奏も見られるようになっている。