今回の演奏会のチケットも、完売売り切れです、人気の程が知れます。今回は、吉田秀和さんも、その著書で素晴らしさを記載している第14番が入っていたのですが、体調が今一つなこともあり、また前回聴いたこのカルテットの演奏が素晴らしく感動的だったこともあり、自分の代わりに、家の上さんに勧めた処、行ってもいいとのことだったので、そうして貰いました。
【日時】2025.6.15.(日)14:00〜
【会場】サントリーホール、ブルーローズ
【演奏】シューマン・クァルテット
〈Profile〉
シューマン四重奏団は、2007年にケルンで結成されたドイツの弦楽四重奏団で、エリック・シューマン(ヴァイオリン)、ケン・シューマン(ヴァイオリン)、マーク・シューマン(チェロ)の三兄弟と、ヴィオラ奏者のファイト・ヘルテンシュタインで構成されています。四重奏団の名称は作曲家のロベルト・シューマンにちなんで名付けられたのではなく、シューマン兄弟三人にちなんで名付けられました。
〈メンバー〉
1Vn.:エリック・シューマン
2Vn.:ケン・シューマン
Va.:ファイト・ヘルテンシュタイン
Vc.:マーク・シューマン
【曲目】ベートーヴェン:
①弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 作品18-4
(曲について)
ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第4番(げんがくしじゅうそうきょくだいよんばん)ハ短調op.18-4は1800年ごろ、6曲からなるop.18の弦楽四重奏曲の1つとして書かれた。特にこの曲はベートーヴェンにとって運命の調性であるハ短調で書かれており、曲集の中で、興味深いものである。
②弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調 作品95「セリオ
ーソ」
(曲について)
ベートーヴェンが1810年に作曲した弦楽四重奏曲である。副題は『厳粛』と表記される場合もある。
自筆譜には「1810年10月」と記されているが、五線紙がこの時期のものと一致しないことから、実際に完成したのは数か月後と推測されている。初演は1814年、出版は1816年であり、知人のニコラウス・ツメスカルに献呈された。 作曲者自身による原題は "Quartetto serioso" であり、この『セリオーソ』の名は作曲者自身によって付けられたものである。
その名前の通り「真剣」な曲であり、作曲者のカンタービレ期特有の短く、集約された形式を持つ。しかし、歌謡的な要素は少なく、あくまでも純器楽的に音楽は進行する。音楽は短く、きわめて有機的に無駄を省いた構成をとるが、時に無意味ともいえる断片が挿入されたりして、それがかえって曲の真剣さを高めており、そこに他の要素を挿入したり、緊張感の弛緩する余地を与えない。事実、ベートーヴェンはジョージ・スマートへの書簡において、この曲は少数の玄人のための曲であり、公開演奏されることはない、と述べている。 なお、ベートーヴェンはこの曲の後に、1825年に第12番(作品127)を作曲するまで約14年間、弦楽四重奏曲の作曲に着手する事はなかった。
③弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調 作品131
(曲について)
ベートーヴェンが1826年に完成させた弦楽四重奏曲。第13番、第15番と並ぶベートーヴェン最晩年の弦楽四重奏曲の傑作。出版順によって14番とされているが、15番目に作曲された。
依頼によって書かれた第12番、第13番、第15番の直後、この第14番は自発的に作曲された。そのためか、内側からの欲求によって作られたより芸術性の高い作品に仕上がっている。
ベートーヴェン自身会心の作であり、この曲を作ったとき「ありがたいことに、創造力は昔よりもそんなに衰えてはいないよ」と友人に語ったという。シューベルトはこの作品を聴いて、「この後でわれわれに何が書けるというのだ?」と述べたと伝えられている。甥カールの属していた連隊の中将ヨーゼフ・フォン・シュトゥッターハイム男爵に献呈されている。
【演奏の模様】
演奏会が終わったと思われる16時半頃、上さんから電話が入り、前回と同様、本演奏の後、次回演奏予定曲の 「ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第5番 イ長調 作品18-5」 から第 2楽章が、アンコール演奏されたとのことでした。演奏はどうだった?と訊いたところ、「アンサンブルはさすがだけれど、少し若さの勢いで力まかせの処が気になった」とのことでした。「アンコール曲の奏者事前説明でも、"疲れた"と言っていたし、確かにあの演奏でベートーヴェンの全曲を毎回演奏したら、若者でもヘロヘロになるでしょう」とも言っていました。
上さんは、カルテットの曲を聴くことは、最近は余り無い筈なのですが、自分がアルバン・ベルク/カルテットのCDなど古い演奏の録音を聞いているので、そうした古色蒼然とした、枯れた演奏が好きなのかも知れません。
でも帰宅した時は、いつになくスッキリした顔をしていたので、行って貰って良かったと安心しました。