〇C.M.G.シューマンカルテット・ベートーヴェンサイクル Ⅰ.
【日時】2025.6.11.(水)19:00〜
【会場】サントリーホール、ブルーローズ
【演奏】シューマン・クァルテット
〈Profile〉
シューマン四重奏団は、2007年にケルンで結成されたドイツの弦楽四重奏団で、エリック・シューマン(ヴァイオリン)、ケン・シューマン(ヴァイオリン)、マーク・シューマン(チェロ)の三兄弟と、ヴィオラ奏者のファイト・ヘルテンシュタインで構成されています。四重奏団の名称は作曲家のロベルト・シューマンにちなんで名付けられたのではなく、シューマン兄弟三人にちなんで名付けられました。
〈メンバー〉
1Vn.:エリック・シューマン
2Vn.:ケン・シューマン
Va.:ファイト・ヘルテンシュタイン
Vc.:マーク・シューマン
【曲目】ベートーヴェン:
①弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 作品18-1
(曲について)
この曲は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンによって1798年から1800年にかけて作曲され、1801年に出版された弦楽四重奏曲である。まとめて出版されたop.18全6曲の中の1曲目であり第1番とされている。ただしこれは必ずしも作曲順を意味せず、この第1番がベートーヴェンの作曲した最初の弦楽四重奏曲ではない。
作曲:1798年 - 1800年
出版:1801年
献呈:フランツ・ヨーゼフ・フォン・ロプコヴィツ伯(1772年 - 1816年)音楽家の有名なパトロンで、ベートーヴェンが初期に多くの曲を献呈したほか、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが「ロプコヴィツ四重奏曲(弦楽四重奏曲第81番、第82番)」を献呈していることでも知られる。
②弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」
(曲について)
この曲は、ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが1806年に作曲した弦楽四重奏曲。ベートーヴェンはロシアのウィーン大使だったアンドレイ・ラズモフスキー伯爵から弦楽四重奏曲の依頼を受けた。そのようにして作曲された3曲の弦楽四重奏曲はラズモフスキー伯爵に献呈されたため、ラズモフスキー四重奏曲という名前で親しまれるようになった。これはその1曲目に当たるのでラズモフスキー第1番と呼ばれる。
ベートーヴェンの中期の弦楽四重奏曲は、作品59の3曲にはじまり、作品74と95の合計5曲からなっている。作品59は、初期の作品18以来5年ぶりの作曲であり、先輩のハイドン、モーツァルト、そしてベートーヴェン自身の初期の弦楽四重奏曲とは一線を隔し、規模、構成、各楽器の表現などが充実している。特にこの第7番は一番規模が大きいものとなっており、全楽章がソナタ形式で書かれている。
だが初演当時は上記の点が理解されず、特に第2楽章については「悪い冗談だ」という声まで上がったという。
③弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 作品135
(曲について)
ベートーヴェンが1826年に作曲した弦楽四重奏曲。死の5か月前に完成した。ベートーヴェンが完成させた最後の弦楽四重奏曲であり、ベートーヴェンのまとまった作品としても生涯最後の作品である。1828年3月にシュパウンツィヒ四重奏団によって初演された。ちなみに本作の後、最後に完成された弦楽四重奏曲の楽章は、『大フーガ』の代わりに作曲された、第13番の終楽章であった。
『大フーガ』を除いた後期の四重奏曲の中では最も小規模であり、ハイドン以来の古典的な4楽章形式に戻っている。自筆譜においてベートーヴェンは、終楽章の緩やかな導入部の和音の下に "Muss es sein?"(かくあらねばならぬか?)と記入しており、より速い第1主題には "Es muss sein!"(かくあるべし)と書き添えている。この謎めいた文については深遠な哲理を示すものとの見方もあれば、軽いやり取り(友人から借りた金を返さねばならないか否かなど)に過ぎないという説もある。抒情的で穏やかな旋律の第3楽章は、後のマーラーの交響曲第3番に影響を与えたともいわれる。
【演奏の模様】
このカルテットの演奏は初めて聴きました。知らないと、「シューマン」と言うカルテット名は、大作曲家に因んだものだと思うのが普通でしょう。ところが何と(団子、おっと失礼)三兄弟が創立から加わっているメンバーなので、実名が起源だというのですから、少なからず驚きです。よくも兄弟三人、揃って世界的な一流の弦楽奏者に育ったものです。我国だと数年前、三兄弟が東大理3に入り医者になる話題が、マスコミに騒がれましたっけ。また歴史を紐とけば、清朝が滅んだ後の孫文革命時に 、宋家三姉妹(宋靄齢、宋慶齢、宋美齢)が指導的役割を果たしたことは有名ですし、時代を遡れば、北周、随時代の独孤三姉妹も有名です。三人とも皇后に登りつめました(追尊を含む)。しかし、この三人の兄弟の様に世界的な弦楽奏者になってカルテットを組んだ例など聞いたことが有りません。非常に珍しい事と考えて良いのでしょうね。
ベートーヴェン:
①弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 作品18-1
〇全四楽章構成
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Adagio affettuoso ed appassionato
第3楽章 Scherzo: Allegro molto
第4楽章 Finale: Allegro
第1楽章冒頭、いかにもベートーヴェンらしい調べが、四者の斉奏で迸り出て、すぐに分散された重奏アンサンブルに変化しました。この曲はベートーヴェンが世に売り出そうとする初期(1798~1800)に作曲されました。ベートーヴェンの初々しさと勢いを感じる曲で、それをシューマンカルテットは1Vn.を牽引役として生き生きとした弓捌きと発音によって、見事に表現していました。普段聴く若い奏者やオケ団員のプレコンのカルテットと比し、勢いが違っている。生ビールと瓶ビールの違いでしょうか?キレ味が違うのです。いや村正と竹刀の違いくらいあるかも知れません。
また四楽章のフガート(異楽器間の小フーガ的遁走パッセッジ)は、弦楽四重奏曲のみならずベートーヴェンが広範囲な曲にその技法の奥義を駆使した一つの現れとみると、聞いていて何か懐かしい、ベートーヴェンらしさをより近くに感ずるものがありました。とみにフーガを一大テーマとした、四重奏曲まであるのですから。
②弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調 作品59-1「ラズモフスキー第1番」
〇全四楽章構成
第1楽章Allegro
第2楽章 Allegretto vivace e sempre scherzando
第3楽章 Adagio molto e mesto - att
第4楽章
ラズモフスキー伯からの依頼で1806年に作曲した3曲のうちの最初の弦楽四重奏曲で、すべてソナタ形式で書かれ、この時期(中期)のベートーヴェンの弦楽四重奏曲達は、初期のものと比して長大な曲になっていますが、特にこの曲は、大がかりなものとなり、40分程もかかりました。後半の16番を聴いたあと、この7番を考え合わせますと、シューマンカルテットの今日の演奏は、このラズモフスキー1番(=カルテット7番)が、最も光り輝き心に残る演奏でした。何と言っても1Vn.の高度な演奏技術と優れた表現力が皆を牽引し、他のメンバーの1Vn.に対する応答、掛け合いも寸部の隙のない見事なもので、アンサンブルの響きの溶融は、まるで、そうした響きの音を立てる一つの楽器かと錯覚する程の溶け具合でした。ラズモフスキー1番は、相当な強奏の箇所が多く、シューマンカルテットの四人ともかりの場面で有りんたけの力奏をしていました。それに比し、次の16番では、重要な弱奏場面もあって、そうした場面での1Vn.の表現は、今一つという感がしました。何れにせよ、これまで聴いたラズモフスキー1番の多くの生演奏の中で、トップレベルのものでした。何分ベートーヴェンがラズモフスキー伯の要請に応えてるべく、全力で作曲した証しをシューマンカルテットの演奏は、えぐり出して魅せた秀越なものと言えるでしょう。
《20分の休憩》
③弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 作品135
〇全四楽章構成
第1楽章Allegretto
第2楽章 Vivace
第3楽章 Lento assai, cantante e tranquillo
第4楽章 "Der schwer gefaßte Entschluß" Grave — Allegro — Grave ma non troppo tratto — Allegro
第1楽章、1vn.は相変わらず、非常にうまい演奏で、弾いている力をフッと抜いて間を取る呼吸がタイミング良く、アンサンブルは憂いの響きの中にも安穏とした穏やかさが秘められていました。終わり方が、やや尻切れトンボの感の曲です。
第2楽章では、比較的高い軽やかなキザミ奏のアンサンブルに、突然低音の強音が入って進行を遮ることが度々あり、これは何を意味しているのかな?等と考えながら聴いていました。
第3楽章冒頭からしっとりした調べ、が四者の斉奏に近いアンサンブルで流れ出しましたが、1Vn.が①、②の時の様な積極的な演奏ではなく、牽引役のように目立った演奏は影を潜めていて、Vc.の下支えが良く効いていました。
最終第4楽章の始まりでは、Va.の二つの音に続き1Vn.の地味な調べが流れました。その後の四者斉奏がジャジャジャと鳴らされた後、空白(四奏者をオケに例えれば一種のGeneral Pauseに相当か?)が度々出て来ましたが、これも一体何なんだろう?どういう意味があるのだろう、又途中から脱兎のごとく速いテンポに変わるのも何を意味するのか?と疑問が浮かぶも、後でじっくり考査することにし、やり過ごすことに。
この曲はベートーヴェンの死の年に書かれた四重奏曲の最後の作品なのです。今回のシューマンカルテットの演奏は、①、②、特に②のラズモフスキー1番の力の籠った、しかも驚嘆する程の陰影がある、掘りの濃いアンサンブルに比して、何か物足りなさを感じました。どうしてかはいくら考えても明確な回答は出て来ないのですが、多分①、②の演奏が、思っていた以上と言うか期待を越える素晴らしいもので、自分の気持ちに大きなインパクトを与えたことが関係あるかも知れません。
この曲は最後の最後のベートーヴェンの遺書ではないかと自分としては思っていた程で、最重要な曲にランク付けしていたものが、今回の演奏を聴いてみると、何か肩透かしをかけられた様な脱力感が有りました。これまでこの曲を聴いて、今回の様な印象を受けたのは初めてでした。
例えば三年前のC.M.G.の『ベートーヴェンサイクル』でこの曲を弾いたロシアの奏団「アトリウム・カルテット」の演奏を聞いた記録には、次の様に記しました。
❝最終楽章の楽譜には、イタリア語の速度記号の前に、独語で「つらい覚悟している決心」といった趣旨の語句があり、またこの章の緩やかな導入部の和音の下に、「Muss es sein?(かくあらねばならぬか?)」との記入、またより速い第1主題には、「Es muss sein!(かくあるべし)」等の書きこみもあり、死の5か月前、死を予感しながら曲を作っていた状況が目に浮かびます。
アトリウム奏団はこの楽章の冒頭は短い非常に悲しげなアンサンブルの前奏を奏でますが、すぐに急展開して華やかな速いテンポの調べとなりました。どこまでも明るく幸福そうな調べと、時として現れる打ち沈む箇所が錯綜し、残り少ない人生を惜しみながらも、孤独感を打ち消すかのように、ピチカートで諧謔的な調子で終曲しました。この辺りの表現は良かった。❞
その他の四重奏団の「ベト・カル16番」も色々聴いていますが、少なくとも聴いた後で物足りなさを感じることはこれまで有りませんでした。これではベートーヴェンさん!、最高の曲とは言えません。いやベートーヴェンさんでは無くて、シューマンさん!でした。
こうして演奏を聞き終わってみると三曲とも典型的な四楽章構成の曲を集めた演奏会でした。
予定された曲の演奏が終わり、大きな拍手で迎えられた四者は、アンコール演奏の為、再度席につき、(多分長兄の)シューマンが、上手な日本語で、「今回は、アンコールとして、ベートーヴェン・サイクルの曲しか用意してないので、これから次回演奏する弦楽四重奏曲第 番から楽章を演奏します」と説明、演奏に入りました。
《アンコール曲》
ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第2番』より第3楽章〈スケルツォ〉
この曲は、ベートーヴェン・サイクルⅡで演奏されるものです。