第1022回定期演奏会Bシリーズ
【日時】2025.6.5.(木) 19:00〜
【会場】サントリーホール
【管弦楽】東京都交響楽団
【指揮】小泉和裕
<Profile>
東京藝術大学を経てベルリン芸術大学に学ぶ。1973年カラヤン国際指揮者コンクール第1位。これまでにベルリン・フィル、ウィーン・フィル、バイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、フランス放送フィル、ロイヤル・フィル、シカゴ響、ボストン響、デトロイト響、シンシナティ響、トロント響、モントリオール響などへ客演。新日本フィル音楽監督(1975~79)、ウィニペグ響音楽監督(1983~89)、都響指揮者(1986~89)/首席指揮者(1995~98)/首席客演指揮者(1998~2008)/レジデント・コンダクター(2008~13)、九響首席指揮者(1989~96)/音楽監督(2013~24)、日本センチュリー響首席客演指揮者(1992~95)/首席指揮者(2003~08)/音楽監督(2008~13)、仙台フィル首席客演指揮者(2006~18)、名古屋フィル音楽監督(2016~23)などを歴任。2021年12月、自身の半生をつづった『邂逅の紡ぐハーモニー』(中経マイウェイ新書)が出版された。
現在、都響終身名誉指揮者、九響終身名誉音楽監督、名古屋フィル名誉音楽監督、神奈川フィル特別客演指揮者を務めている。
【独奏】大木麻理(オルガン)
<Profile>
静岡市出身。東京藝術大学卒業、同大学院修了。
DAAD、ポセール財団の奨学金を得てドイツに留学し、リューベック国立音楽大学にてアルフィート・ガスト氏、デトモルト国立音楽大学にてマーティン・サンダー氏に師事する。満場一致の最優等で国家演奏家資格を得て卒業。
第3回ブクステフーデ国際オルガンコンクールでは日本人初の優勝。マインツ国際オルガンコンクール第2位、第65回「プラハの春」国際音楽コンクールオルガン部門第3位、併せてチェコ音楽財団特別賞受賞。
CDでは「エリンネルング」、ポジティフ・オルガンに新たな可能性を吹き込む「51鍵のラビリンス」をリリース、いずれもレコード芸術特選盤など高い評価を得る。
国内外の主要オーケストラ、アンサンブルと共演多数。NHK「リサイタル・ノヴァ」をはじめラジオやTV出演などオルガン音楽の普及に努めている。(一社)日本オルガニスト協会会員。東洋英和女学院大学非常勤講師。
2018年よりミューザ川崎シンフォニーホールオルガニスト。
【曲 目】
①モーツァルト『交響曲第31番 ニ長調 K.297 (300a)《パリ》』
(曲について)
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~91)は1777年9月に故郷ザルツブルクからマンハイムとパリへ向けて旅立った。1779年初めまでの長期にわたるこの大旅行は、自由な音楽活動がままならないザルツブルクでの宮仕えに嫌気がさしていた彼が、音楽家としての新しいポストを求めることを目的としていた。結局はその目的が果たせなかったばかりか、同行していた母親がパリで死去したり、失恋をしたりなど、この旅行は散々な結果に終わることになるのだが、しかし当時の音楽の先進地だったマンハイムやパリで様々な音楽に触れたことは、モーツァルトの作風をさらに豊かなものにすることとなった。
1778年にパリで作曲されたこのニ長調交響曲もそうした旅行の成果が如実に表れた作品だ。パリのコンセール・スピリチュエルという公開の演奏会シリーズの音楽監督だったジョゼフ・ルグロ(1739~93)の依頼で書かれたこの交響曲は、大きな編成を有していた当時のパリのオーケストラに合わせてクラリネットを含む完全な2管編成をとっており、マンハイムやパリで触れた華麗かつドラマティックな表現法を盛り込んだ明朗でエネルギッシュな運びのうちに、きわめて充実した内容を持つ傑作となっている。モーツァルト自身パリの聴衆の好みを意識して書いたことを述べており、実際初演では大喝采を博した。モーツァルトとしては異例なまでに推敲したあとがみられるというが、そうした点に彼がパリでの成功をめざしていたことが窺い知れよう。
②芥川也寸志:オルガンとオーケストラのための《響》(1986)【芥川也寸志生誕100年記念】
(曲について)
オルガンと管弦楽のための《響》は1986年、サントリーホール落成記念の委嘱作品として書かれ、落成式典で林佑子(1929~2018)のオルガンとヴォルフガング・サヴァリッシュ(1923~2013)指揮のN響によって初演されている。1967年の《オスティナータ・シンフォニカ》(1970年改訂)を流用しつつ、オスティナート書法を軸にクラスターなどの先鋭な音響を取り入れた作品である。
曲はアンティークシンバルの微かな音(その狭い音程の3音動機〔ラ・シ♭・ラ♭〕は曲全体の重要な要素)で始まり、弦の不気味な響きを挟んで、トゥッティの刺激的なクラスターが最強音で炸裂する。これが減衰すると低弦の蠢きの上で管に和音群が示されるが、これも以後重要な役割を担う。
ここでオルガンが登場し、この和音群とプレストのトッカータ風パッセージが交替するカデンツァをひとしきり披露、やがてオーケストラが加わりオルガンと激しく応酬する。
続いてコンガのリズムに先導されて、前述の旧作《オスティナータ・シンフォニカ》に基づく部分に入る。狭い音域の6音(ド、レ♭、レ、ミ♭、ミ、ファ)を用いて構成されたオスティナート音型が、その拡大形とも組み合わされて、曲頭の3音動機や先の和音群を背景に執拗に反復され、音高と音量を変化させつつオーケストラ全体(オルガンは沈黙)に膨れ上がり高潮していく。
やがて急に力を失ったところでオルガンが静かに再登場、続いてフルート(最初は1本で順次数が増える)とハープのみによる瞑想的な場面(この部分も《オスティナータ・シンフォニカ》に基づく)となる。次第に他の楽器も加わり、金管が緊張を高めるが、やがて弦の神秘的な響きのうちに収まっていく。
ここでまたオルガンのカデンツァを短く挟んだ後、金管の和音群が続き、さらにティンパニとタムタムの強打が導く緊迫した響きを経て、オスティナートが力強く回帰する。これは終わり近くで一度勢いを緩めるも再び力を取り戻し、最後はオルガンも加わった全合奏の圧倒的なハ長調の大音響のうちに終結する。
(作曲者について)
芥川龍之介(1892~1927)の三男にあたる芥川也寸志(1925~89)は東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)で橋本國彦(1904~49)と伊福部昭(1914~2006)に師事し、《交響三章》(1948)や《交響管弦楽のための音楽》(1950)などで名声を確立、以後生涯通して日本の音楽界の発展に大きく貢献した。
師の伊福部の影響によるオスティナート書法を重要な手法とし、初期にはソ連の作曲家たちを範とした明快な作風を追求、その後1957年頃から半音階手法を多用した作風に転じて様々な前衛的手法の実験も行ったが、1967年以降再び明快な作風を志向しつつ、そこに前衛的な実験期に得た書法を取り込んでいった。
③R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》op.30
(曲について)
ドイツの大哲学者フリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)の思想が19世紀末のヨーロッパ文化に与えた影響の大きさは計り知れない。とりわけキリスト教の世界観に基づく既成の価値観や概念に縛られず、主体的に新しい価値基準を自らの手で築くといった超人思想は、多くの知識人の心を捉えたものだった。『ツァラトゥストラはかく語りき』はその超人思想を示した彼の著作で、山に籠もり“永劫回帰”の思想を悟った予言者ツァラトゥストラ(ゾロアスター)を超人の象徴としている。
このニーチェの著作に大きな感銘を受けていたドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)は、1896年にこの著作に基づく交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》を作曲する。といっても哲学思想そのものを音楽化するという無理な試みに挑戦したわけではなく、シュトラウス自ら述べているように「ニーチェという天才に捧げるオマージュ」として書かれたものである。もちろん象徴的な音表現は随所に用いられており、また各部分には原著の章題が掲げられているが、その配列も扱いも自由で、ニーチェの著作から得た霊感をもとにイマジネーションを働かせながら、シュトラウスらしい壮麗な色彩で彩られた交響詩となっている。
4管の大編成(オルガンも含む)を駆使した巧みな管弦楽法による響き、ソナタ形式を応用しつつ単一楽章の中に交響曲の諸楽章の要素を盛り込んだリスト風の構造、ライトモティーフ的な動機の用法、ハ調とロ調という近いようで遠い2つの調で自然と人間を対比させる象徴的表現など、様々な手法によって、標題内容と音楽作品としての構成とを巧妙に結び付けている点に、交響詩作家としてシュトラウスの手腕がいかんなく発揮されている。
【演奏の模様】
①モーツァルト:交響曲第31番《パリ》
〇楽器編成:Fl.(2) Ob.(2) Cl.(2) Fg.(2) Hrn.(2) Trmp.(2) Timp. 二管編成弦楽五部14型(14-12-10-8-6)
〇全三楽章構成
第1楽章 Allegero asai
第2楽章 Andante
第3楽章 Allegero
モーツァルトの交響曲には、彼自身の作である可能性の高い曲として、番号付きの1番~41番までありますが、その中で、<名称>付きの作品は、31番『パリ』、32番『序曲』、35番『ハフナー』、36番『リンツ』、38番『プラハ』、そして41番『ジュピター』です。今回演奏された『パリ』は1778年モーツァルトが22歳の時の作品です。因みに最後の作品で、最高峰の呼び声高い『ジュピター』は1788年、32歳の時の交響曲で、約十年の開きが有りますが、決して「パリ」に遜色あることはないです。全体的なしっかりした構成も、強弱のコントラストを付けた曲の起伏に富んだ表現も、むしろジュピターの原型を見る思いがします。この辺りのコントラストは小泉・都響はくっきりと表現出来ていたと思います。第三楽章の初盤や中盤で、各パートが次々と同じパッセッジをリレーするフガートが明確に聞き取れた時は、フーガで有名な「ジュピター」の第三楽章を思い起こし、少し嬉しくなりました。
②芥川也寸志:オルガンとオーケストラのための《響》(1986)【芥川也寸志生誕100年記念】
〇楽器編成:Fl.(4)(第1~4はPicc.持替)、Ob.(2)、Eng-Hrn. Cl.(2) Bas-Cl. Fg.(2) Cont-Fg. Hrn.(6) Trmp.(3) Trmb.(3) Tub. Timp. 大太鼓、コンガ、鐘、シンバル、アンティークシンバル、タムタム、Hrp. Pf. Org. 三管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
冒頭、金属的な微音が響き(恐らくアンティークシンバルか?)、突然ジャーンと大きな音が立てられました。 低音弦の蠢き、Tub.の地鳴りの上をTrmb.がかすかになり出し、静かに静かに進行、するとP席の上に陣取った大木オルガニストが、大きな音を立てて、轟音が館内に轟きました。ここからは暫くは、オルガンの大きな和音の連なりと、軽やかな速いパッセッジが交互に変化を交えてソロ演奏(カデンツァ)となり、その轟音たるや、館内に響くどころの音量ではなく、腹にズッシリと響く地響きをも、もよおすものでした。この轟音に輪をかけて、管弦の強奏が入り、重奏又は掛け合いと、オルガン一人でオケにがっぷり四つに組み、一歩も引けを取りませんでした。たった一人のオルガン奏者が90人程のオケ奏者に戦いを挑んでいるが如し。暫し大音が止んで、Timp.がリズムを刻み、大太鼓も参加、それにFg.がユーモラスにアンサンブルを組んで演奏された箇所は面白いものでした。次第にオケの他群が参加し始めて、同じリズムを執拗に繰り返し、かなり盛り上がって再度静まると、Vn.アンサンブルの細い高音奏が合図となったのか、暫し沈黙していたオルガンがFl.の様な音を静かにゆっくりと鳴らし、これに誘われたかFl.も弱音で鳴り出して続く静謐な雰囲気、それに金管が時々安定を乱すかの様なチョッカイをかけるも轟音化はしないで、弦楽も含めて静かに音を閉じて行きました。
その後オルガンのソロや金管群の激しさや打楽器群の緊張感があっても何れも短命に終わり静まるかなと思いきや再度盛り返して、最終的にはオルガンも加わった全楽全奏の物凄い大音響のうちに曲は終結したのでした。
兎に角初めて聴く曲だったので、オーケストラを指揮する小泉さんも都響の演奏も、オルガン奏者の演奏もいいのやらどうなのやら、皆目見当が尽きませんでしたが、何れにせよその迫力ある演奏は、並みの演奏ではないことを伺えさせられました。何れにせよ芥川という作曲家の並々ならない才能(天才性と言っても良いかも知れません)には驚かされました。
③R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはかく語りき》Op.30
〇楽器編成:Fl.(3)(第3はPicc.持替)、Ob.(3)、Eng-Hrn. Cl.(2) Bas-Cl. 小Cl. Fg.(3) Cont-Fg. Hrn.(6) Trmp.(4) Trmb.(3) Tub(2). Timp. 大太鼓、Symb.Tria.Hrp.(2) Pip-Org. 三管編成弦楽五部16型
〇曲の構成
全体は序奏と、題の記された以下の8つの部分から成ります。
序奏
背後世界の人々について
大いなる憧れについて
歓喜と情熱について
歓喜と情熱について
墓の歌
学問について
快癒しつつある者
舞踏の歌
夜にさすらう者の歌
これ等の標題は、シュトラウスの他の交響詩他の作品、例えば『アルプス交響曲』の標題の様に、一つ一つ音楽を聴くと、アルプスの山をあたかも登山しているが如きイメージ(景色)が思い浮かべることが比較的容易な作品とは違って、ニーチェの思想的輪郭をすぐイメージ出来ることは出来ません。この標題は、リヒャルト・シュトラウスがニーチェの思想に触れ、それをシュトラウスの解釈で咀嚼し、湧いたイメージを音楽で表現したもので、謂わば、ニーチェの思想を切っ掛けとした、シュトラウスの思想的表現だと言えるでしょう。従って各標題は、それら間の関連性よりもニーチェを動機とした個々独立したテーマの音楽的解釈だと自分としては思っています。
この曲については、結構色んなオーケストラが演奏する機会があって、これまでも聴いて来ましたが、近年の印象深かった演奏は、2023年11月に来日したウィーンフィルが、メストの代役となった、ソヒエフの指揮で演奏した時でした。その時の記録を参考まで文末に(抜粋再掲)して置きます。
また配布されたプログラムの解説が、ニーチェと関連付けて良く説明がなされているので参考まで、以下に引用して置きます。
1.序奏 オルガンのペダル音とコントラファゴット、および大太鼓とコントラバスのトレモロ上にトランペットが自然を示す動機(ド→ソ→ドと上行)を吹いて開始される。自然(ハ長調で象徴)の生成と日の出を壮大に表現したこの序奏は、スタンリー・キューブリック(1928~99)監督の映画『2001年宇宙の旅』(1968年)に用いられてすっかり有名になった。
2.背後世界の人々について 世界の背後に神や原理を想定して現実逃避する人々を描く。低弦にピッツィカートで示されるのがロ短調の憧憬動機。信仰を示すクレド動機がホルンに現れた後、弦合奏とオルガンが敬虔なコラール風の旋律を示し、これが大きな広がりを見せていく。
3.大いなる憧れについて 憧憬動機に由来するロ長調の流麗な主題に始まるが、イングリッシュホルンとオーボエのハ長調の自然動機がそれを遮り、“マニフィカト”と記されたオルガンの動機とホルンのクレド動機が続く。そして弦の湧き上がるような動きが出て激しい高揚をみせる。
4.歓喜と情熱について 新しい主題を中心に激しく情熱的な発展が繰り広げられるが、その頂点でトロンボーンに倦怠動機と呼ばれている動機が現れ、音楽は勢いを失う。
5.墓の歌 原著では青春の様々な理想が死んでいくことが述べられる。前の部分の素材を用いているが、性格的には沈んだ雰囲気を持っている。作品全体をソナタ形式と見立てた場合は提示部の結尾に当たる。
6.学問について 自然の動機から発展した12音の主題によるペダンティックなフーガが展開する。やがて憧憬動機が現れると音楽は活気づく。
7.快癒しつつある者 永劫回帰の思想に達したところで倒れて7日間床に伏した後、回復に向かい、深淵なる思想を歌おうとするツァラトゥストラ。先のフーガ主題と倦怠動機による闘争的な二重フーガが展開、その頂点で突如として序奏冒頭の再現のように自然動機が輝かしく現れる。その後いったん気分は静まるが、再び勢いづくと哄笑風の動機が現れ、さらに精神が解放されたかのように舞踏的な躍動感をどんどん加えていきながら、次の部分へとつながっていく。
8.舞踏の歌 ヴァイオリン独奏も加わった官能的なワルツによって生が謳歌される。独奏群による室内楽的な書法を取り入れ、これまで出た多くの主題を織り込みながら、長大な発展を繰り広げる。途中いったん勢いが収まったところで出るホルンの夜の動機は、以後大きく取り扱われていく。
9.夜にさすらう者の歌 ニーチェの原著の頂点である「酔歌」の章に相当し、夜の12時を告げる鐘(ホ音)とともに永劫回帰の深奥が語られる部分。曲は次第に静まりながら内的な深まりを強めていく。最後、相容れないハ調とロ調の併置によって解決感のないまま終わるのが示唆的である。(寺西基之)
これ等の中には特に有名になった標題の曲も有りますし、純粋に音楽として見れば、例えば、冒頭1.の劇的な金管のファンファーレとTimp.の牽引打撃は一度聞いただけでも印象が強いですし、2Von den Hinterweltlern. Weniger breit の美しいVn.の調べ、4.Von den Freuden und Leidenschaften. Bewegtの激しい管弦の繰返される強奏アンサンブル、.7.Der Genesende. Energisch前半のフガート、そして何と言ってもウインナーワルツの華やかさを披露したVIII. Das Tanzliedでのコンマスの二重ソロ演奏、矢部さんと水谷さんの様です。終盤での力強い管弦の力奏、IX. Das Nachtwandlerliedの後・終盤での再びtwo topの二重奏、そして静かに静かに消入る様に閉じられる演奏。
今回の小泉・都響の演奏は、このシュトラウストと最初のモーツァルトに限って言えば、Vn.アンサンブルは力強いし、特に弱音奏では相変わらず都響Vn.の美音を披露していましたが、どういう訳か低音弦がかなり弱い感じがしました。自分の座席(二階中央より左寄り)のせいかな?とも思ったのですが、オケ全体の強奏になるとしっかり低音域弦楽奏も高音弦部隊に拮抗していたので、理由は分かりません。
それからもう一点、今回の演奏では、管も含め弱・中奏、ソロ演奏では、かなりいいと思われる箇所が多かったのですが、全楽全強奏のオケが吠える演奏になると、何かオケ全体の統合性、融合性、音の溶け具合がスッキリ感じられない箇所が多かった。これは文末に(抜粋再掲)したウィーンフィル(今回の曲とは関係ないですが、2022年のパリ管弦楽団、昨年のベルリンフィルなどではそうした事は有りませんでしたので、管弦楽の演奏に未だ到達されない何かがあるのではなかろうかと首をひねるばかりです。
演奏が終わると、大入りの会場からは、大きな拍手喝采が沸き起こりました。
/////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// HUKKATS Roc.(抜粋再掲)
2023ウィーンフィル東京演奏会初日鑑賞
【日時】2023.11.12.16:00~
【会場】サントリーホール
【管弦楽】ウィーンフィルハーモニー管弦楽団
【指揮】トゥガン・ソヒエフ
〈Profile〉
1977年、北オセチアのウラジカフカスにて、技師と教師を両親として生まれる。7歳でピアノを始める。1996年にゲルギエフ記念ウラジカフカス芸術学校を卒業し、サンクトペテルブルク音楽院で1999年までイリヤ・ムーシン、その後2001年に卒業するまでユーリ・テミルカーノフに師事する。
2001年12月にマリインスキー劇場アカデミーの若手歌手との共同作業による『ランスへの旅』を指揮して、マリインスキー劇場にデビューし、以降も同劇場とは密接な関係を保つ。
2001年2月にアイスランド・オペラで『ラ・ボエーム』の新演出を指揮したのに続いて、9月にウェールズ・ナショナル・オペラでも同作品を演奏し、12月には2003年から同劇場の音楽監督に就任することが発表された。ただし、このポストは2004年に任期途中で突然辞任している。
2005年のシーズンからトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の首席客演指揮者並びに音楽アドヴァイザーに就任し、2008年からは同楽団の音楽監督に就任した。
客演実績としては、フィルハーモニア管弦楽団、スウェーデン放送交響楽団、フランクフルト放送交響楽団、フランス国立管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団など。2009年にズービン・メータの代役としてウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の定期にデビューし、2010年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の定期に登場した。
日本では、2008年10月11日(土)に、サントリーホールでNHK交響楽団を指揮し、ヴァイオリン独奏に神尾真由子を迎えて、リャードフの交響詩「魔法をかけられた湖」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番、ショスタコーヴィチの交響曲第5番を演奏した。また、2016年10月に、サントリーホールで行われたNHK交響楽団第1846回定期公演に登場し、同公演のプログラム中ではベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番ハ短調 作品37でエリザーベト・レオンスカヤと共演した。
2022年のロシアのウクライナ侵攻を受け、「ヨーロッパでロシア音楽・芸術家が "キャンセル文化" の犠牲になっていること」「愛するロシアの音楽家たちと愛するフランスの音楽家たちのどちらかを選ぶという不可能な選択を迫られたこと」を理由として、ボリショイ劇場とトゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団の音楽監督を辞任した。
【曲目】
①R.シュトラウス『ツァラストライクかく語りき』
(曲について)
全体は9部からなり、切れ目なしに演奏される。基本的には自由な形式をとるが、主題の対立や展開、再現などの図式を含むことからソナタ形式の名残を見ることもできる。演奏時間は約33分である。
1 inleitung(導入部)
2 Von den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)
3 Von der großen Sehnsucht(大いなる憧れについて)
4 Von den Freuden Leidenschaften(喜びと情熱について)
5 Das Grablied(墓場の歌)
6 Von der Wissenschaft(学問について)
7 Der Genesende(病より癒え行く者)
8 Das Tanzlied(舞踏の歌)
9 Nachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)
②ブラームス『交響曲第1番』
(曲について)
《割愛》
【演奏の模様】
①R.シュトラウス『ツァラストライクかく語りき』
この曲は、R.シュトラウスが、哲学者で思想家でもあるニーチェの同名の作品に触発されて作曲したと言われます。ニーチェはワーグナーとも親交があり、ワーグナーの音楽も聴いています。シュトラウスは一世代前のニーチェに惹かれてその作品も読んでいたそうです。この曲もシュトラウスの「アルプス交響曲」がそうであるように、曲に関して標題音楽的側面を持ち、上記した様に1部から9部までの副題を有するパーツから成り立っています。「アルプス交響曲」の標題は音楽に密接に関係しており、音楽を聴けば、標題の意味するところが如実に明らかになります。ところがこの曲「ツアラ・・・」は標題から曲をイメージするのは仲々大変、困難と言っても過言ではないでしょう。R.シュトラウスは文学作品としての「ツアラ・・・」を良く理解してから作曲に取り掛かったかも知れません。従って我々聴衆もある程度ニーチェのこの文学作品を理解して音楽を聴けばオペラの時の様に、より一層理解が深まる筈なのですが、処が問題が一つ大きく立ちはだかっていました。それはニーチェのこの作品が、難解極まりないものだったのです。自分も一度岩波だったかどこかの文庫本で読み始めたのですが、用語も聞き慣れない単語を多用しているし、抽象的な例示的表現が次から次へと出て来て、哲学的文節の意味すら不明、思考停止、立往生する箇所が多々あり、結局途中で積読状態になってしまっていて、未だかって再読していないのです。ですから例えばこの作品の第3部の箇所を聴いて、何 故この旋律が、「3部大いなる憧れについて」に関しているのだろうか?即ちそれは「どの様な情景を思い浮べたら良いのか」不明なのです。従ってその感想も的外れもいい所になるかも知れないので(参考)としてその部で演奏される音楽模様を一般論として引用して置きます。
《器楽編成》
オルガンを含む4管編成。100名必要。弦パートは細かく分割され、プルト毎に分かれている箇所が多いのが特徴。
木管 | 金管 | 打 | 弦 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
Fl. | 3 (kl.Fl.1), kl.Fl.1 | Hr. | 6 | Timp. | ● | Vn.1 | 16 |
Ob. | 3, e-H.1 | Trp. | 4 | 他 | gr.Tr., Beck., Tgl., Glsp., Glck.(低E音) | Vn.2 | 16 |
Cl. | 2, Es-Kl.1, Bkl. | Trb. | 3 | Va. | 12 | ||
Fg. | 3, Kfg.1 | Tub. | 2 | Vc. | 12 | ||
他 | 他 | Cb. | 8 | ||||
その他 | Org., Hf. |
本来四管編成なのですが、ウィーンフィルの今回の日本ツアー奏者は、Fl部門などでは、一人はPicc.担当なので、大部分は三管編成的です。Trmp,は4人でしたが。Trmb.は3人でした。
冒頭のTrmp.(4)+Trmb.(3)のファンファーレは相当大きい音、二回席(舞台右翼の側)の奏者の近い席で聴いたせいなのかも知れない、)一番最初から僅かに鳴らされる不気味な唸りの様な背景音(多分大太鼓か??)は気になる程ではないのですが何故か印象に残った。続くTimp.の連打はかっこいいですね。これから戦いが始まるぞ!みたいな音。
全体を振り返るとやはり、8の箇所で、コンマスが弾くソロの切れ味の良いVn.の音が相当強い印象を与えました。この部の中でかなりの長時間弾いていた。冒頭の重音混じりの弾き始め、キラリと光る刀の切っ先を大上段から振り下ろしたような鋭さが有りました。逆の見方、聴き方からは、優雅な潤いのあるワルツの対極にある音質だとも言えます。
その後ソロVn.はFl.(top)やCl.(top)との掛け合いやその他の楽器やアンサンブルとの組合せで、合の手を入れていたので、随分一人芝居の様な奮闘振りでした。Vn.アンサンブルとの掛け合いも、Vn.奏者が、少人数の多くのグループに手分けられていて複雑に管との掛け合いやコンマスのソロ演奏との掛け合いをおこなっていました。
又他のシュトラウスの曲と同じ様に彼方此方にシュトラウスらしい独特の響き(これがシュトラウスの特徴だと言える節回し、これを個人的にはシュトラウス節と名付けています)が多く出て来て、中には不協的響きも有りますが、違和感を感じるどころか、その前後の旋律に挟まれて独特のスパイスが効く結果となっているのは、流石シュトラウスだともいますし、ソヒエフ・ウィーンフィルはそれをある時は重厚にある時は軽妙に手品師の様な自由自在の身軽さで表現していたのにも流石と驚嘆しました。一曲で演奏会前半を担う大曲でした。
(参考)
1Einleitung(導入部)
"Sonnenaufgang"(日の出)とも。C音の保持音の上に、トランペットによって “自然の動機” が奏される。非常に有名な場面である。
2Von den Hinterweltlern(世界の背後を説く者について)
「自然」を象徴する導入部のハ長調に対し、「人間」を象徴するロ長調に転じ、低弦のピッツィカートに上行分散和音を基本とした “憧憬の動機” が提示される。ホルンによってグレゴリオ聖歌「クレド」の断片が提示され、キリスト教者が暗示されると、ハ長調とロ長調のどちらからも遠い変イ長調によって、20以上の声部に分かれた弦楽を中心に陶酔的なコラールが奏される。
3Von der großen Sehnsucht(大いなる憧れについて)
既出の動機や聖歌「マニフィカト」の断片が並列される短い経過句に続き、「世界の背後を説く者」のコラールと、“憧憬の動機” から派生した低弦の激しい動機が拮抗しながら高まっていく。
4Von den Freuden und Leidenschaften(喜びと情熱について)
2つの新しい動機、比較的狭い音域を動くものと十度音程の跳躍を含むものが提示され、活発に展開されていく。展開の頂点においてトロンボーンに減五度音程が印象的な “懈怠の動機” が提示されると、徐々に音楽は静まっていく。
5Das Grablied(墓場の歌)
「喜びと情熱について」と共通の動機を扱うが、そちらとは異なりしめやかな雰囲気を持つ。弦楽パートの各首席奏者がソロで扱われる書法が試みられている。
6Von der Wissenschaft(学問について)
“自然の動機” をもとにした12音全てを含む主題による、低音でうごめくようなフーガ。それが次第に盛り上がると、高音を中心とした響きになり “舞踏の動機” が提示される。“自然の動機” と “懈怠の動機” による経過句が高まり、次の部分に移行する。
7Der Genesende(病より癒え行く者)
「学問について」と共通の主題によるフーガがエネルギッシュに展開される。徐々に “懈怠の動機” が支配的になると、“自然の動機” が総奏で屹立し、ゲネラルパウゼとなる。
“懈怠の動機” “憧憬の動機” による経過句を経て、トランペットによる哄笑や、小クラリネットによる “懈怠の動機” などが交錯する諧謔的な部分に入る。“舞踏の動機” や “憧憬の動機” を中心にクライマックスが形成されると、フルート・クラリネットによる鈴の音が残り、次の部分に移行する。
8Das Tanzlied(舞踏の歌)
全曲の約3分の1を占める部分であり、ワルツのリズムを基調に、全曲における再現部の役割も果たす。独奏ヴァイオリンが非常に活躍する場面でもある。弦楽(ここでも執拗に分割される)を中心にしたワルツに始まり、“自然の動機”、「世界の背後を説く者」のコラール、“舞踏の動機”、「喜びと情熱について」の諸動機が次々と再現される。その後は、既出の動機が複雑に交錯する展開部となり、壮麗なクライマックスを築く。
9Nachtwandlerlied(夜の流離い人の歌)
真夜中(12時)を告げる鐘が鳴り響くなか、「舞踏の歌」のクライマックスが “懈怠の動機” を中心に解体されていく。音楽がロ長調に落ち着くと、「大いなる憧れについて」や「学問について」で提示された旋律が極めて遅いテンポで再現される。終結では、高音のロ長調の和音(「人間」)と低音のハ音(「自然」)が対置され、両者が決して交わらないことを象徴する。
《20分間の休憩》
後半も一曲のみです。従ってこれも間違いなく大曲です。
②ブラームス『交響曲第1番』
《割愛》