
【日時】(演奏会二日目)2025.5.31.(土)14:00〜
【会場】NHKホール
【主催者言】
どこまでも転調できるのは、調性があるからだ。本日のメインはシュトラウスとドホナーニ。前衛の旗手たちが無調に向かった1910年代、2人はそれぞれ調性の世界にとどまり、既存の技法の可能性を追求した。面白いことに、シューベルトの序曲を含め、本日の曲目はいずれもどこかでモーツァルトの作品世界と関係している。そしてどれもハ長調で終わるので(見事な選曲!)、ここは腰をすえて、美しい響きと転調の妙を堪能してみてはいかがだろうか。
【管弦楽】NHK交響楽団
【指 揮】ギエドレ・シュレキーテ
〈Profile〉
今回が、NHK交響楽団と初共演となるギエドレ・シュレキーテは、リトアニアのビリニュス生まれ。母国の作曲家チュルリョニスの名を冠した芸術大学で学んだ彼女は、グラーツ国立音楽大学やチューリヒ芸術大学などで指揮法の研鑽(けんさん)を重ね、いくつもの国際指揮者コンクールで入賞。2016年から2018年までクラーゲンフルト市立劇場の第1カペルマイスターを務め、2021年にリンツ・ブルックナー管弦楽団の首席客演指揮者に就任したという経歴の持ち主だ。
すでにフランクフルト歌劇場やバイエルン国立歌劇場などで新演出の歌劇の指揮をまかされ、2024-25年楽季にはウィーン国立歌劇場へのデビューやベルリン国立歌劇場への再登場など、オペラの分野で活躍しながら、コンサート指揮者としても積極的な活動を展開している。2021年に東京二期会のモーツァルト《歌劇「魔笛」》を指揮するために初来日し、2023年には読売日本交響楽団に客演。マルティナイティーテやシェルクシュニーテの作品をCDでリリースするなど、同時代の音楽も手がけている。
今回の定期公演には、R. シュトラウスの歌劇に基づく管弦楽曲、そしてピアノの名手であったドホナーニの佳作など、オーケストレーションの妙が愉しめる演目が並んでいる。機敏でしなやかな動きで的確にキューを出しながら、みずみずしく音楽を紡ぎ上げるシュレキーテの手腕に期待したい。
[満津岡信育/音楽評論家]
【独奏】藤田真央(Pf.)
【曲目】
①シューベルト/「ロザムンデ」序曲
(曲について)
未完のオラトリオ《ラザルス》、同じく未完のオペラ《サクンタラー》など、1820年のフランツ・シューベルト(1797〜1828)はじつに多くの劇音楽に取り組んだ。ゲオルク・フォン・ホフマンの魔法劇『魔法の竪琴』(1820年8月初演)のための音楽もそのひとつで、この劇のために彼は序曲2曲、合唱6曲、メロドラマ(音楽つきの語り)6曲を書いている。
ウィーンの「魔法劇」は視覚的効果を伴う庶民的なジャンルで、過去にはモーツァルトが傑作《魔笛》(1791)を残している。《魔法の竪琴》も同じ伝統の延長線上にあったと考えられるが、同時代の評価は低かった。音楽や装置について好意的な意見はあったものの、筋が「退屈」で、8回の上演のあと、完全に忘れられてしまった。
ただ、シューベルト本人は第1幕への序曲の出来に満足していたらしく、3年後の1823年にヘルミーネ・フォン・シェジの劇《ロザムンデ》のための付随音楽を準備した際にこの曲を再利用している。それが連弾用に編曲されて1828年に世に出たことから、今日、本作は《「ロザムンデ」序曲》として親しまれている。
序奏はアンダンテ、4分の3拍子。冒頭の7つの和音は《魔法の竪琴》第1幕、女魔法使いを呼び出す場面のもの。のびやかな旋律が続き、ハ短調から変ホ長調、変ト長調へとつぎつぎに転調していく。主部はアレグロ・ヴィヴァーチェ、2分の2拍子、ハ長調。展開部を省略したソナタ形式で書かれており、最後はフォルティッシモ、8分の6拍子で華やかに閉じられる。
(太田峰夫、以下同氏、プログラムノートより)
②ドホナーニ/童謡(きらきら星)の主題による変奏曲 作品25*
(曲について)
「頭の中に大規模な変奏曲を書く構想があったので、それをもとに作曲できるような、なにか単純なモティーフを探しました。ロダンだって『考える人』をつくるとき、最初にモデルを選んだわけでは明らかになく、『考えること』をどう表現するかを熟考したでしょう。わたしはもちろんよろこんで、あの童謡のモティーフを選びました。この旋律がユーモアを活かす機会を与えてくれるからです。」とドナーニは語る。
童謡《きらきら星》と言えば、モーツァルトのピアノ曲《「ママ、聞いてちょうだい」による変奏曲》(K. 265)の主題として有名だ。ドホナーニのような、当時の人気ピアニストがそれをもとに曲を書いたとなれば、あの旋律からどんな霊感を受けたかが当然、話題になるわけだが、本人は最晩年の1960年のインタヴューで、主題が出発点にあったわけではなかったことをあっさり認めている。別の談話でも「芸術音楽の場合、創作は旋律の創案からはじまるとはかぎらない」と述べているので、これは彼の創作観でもあるのだろう。
伝記作者バーリント・ヴァージョニによれば、ドホナーニは主題を決める前からすでにワルツ、コラール、オルゴール、フーガの変奏を含めるつもりだったという(第7変奏、第11変奏、第5変奏、終曲)。このヴァラエティの豊かさからも、彼が遊び心を大事にしていたことがうかがえるだろう。ベルリンで活躍していたキャリア前期を代表する、じつに楽しい作品だ。
全体は序奏、主題、11の変奏、終曲からなる。リスト風の第1変奏に対して第3変奏はブラームス風。第2変奏ではホルンの勇壮な響きを聞ける。第4変奏から第6変奏にかけてはピアノといくつかの楽器とのアンサンブル。ワルツ、行進曲、スケルツォ(第7変奏から第9変奏)のあとにテンポを落とし、パッサカリア(第10変奏)を経てコラール(第11変奏)で頂点に至る。終曲は目まぐるしいフガートではじまり、主題を今一度示したあと、華やかに終わる。
③R. シュトラウス/歌劇「影のない女」による交響的幻想曲
(曲について)
「これはある魔法メルヘンで、2人の男性と2人の女性が対峙(たいじ)致します。[中略]色彩豊かなスペクタクルで、宮殿あり、みすぼらしい小屋あり、僧侶たちも、舟も、たいまつも、岩山の小道も、合唱も、子供たちも出てきます。[中略](それは)ちょうど《ばらの騎士》が《フィガロ》とある意味で関連しておりましたように、《魔笛》と関連しています。」(中島悠爾訳)
台本作者フーゴー・フォン・ホフマンスタールが《影のない女》の計画をリヒャルト・シュトラウス(1864〜1949)に打ち明けたのは1911年3月のことだった。テーマはおそらく不妊。霊界の大王カイコバードの娘は皇帝の妃になったが、影を持たない。しかし影を得られなければ、夫は石に変わり、自身も霊界に帰らなくてはならないため、彼女は影をもとめ、乳母とともに染物師の家に降りていく。シュトラウスは本作の作曲に3年近く取り組んだ。しかし観念的な台本と巨大な編成、社会情勢の影響で、このオペラはあまり成功にめぐまれなかったようだ。
《歌劇「影のない女」による交響的幻想曲》は1946年につくられた「編曲もの」である。敗戦で財産を失い、スイスに移住したシュトラウスが本作を書いた背景には、おそらく経済的な理由があった。終戦まもない当時、大規模オペラの上演は望めなかったが、管弦楽曲版ならば一定回数の演奏とそれに見合う収入が見込めたのだ。
編曲にあたり、シュトラウスは染物師夫妻を作品の主軸に据えた。冒頭でカイコバードの動機を3度示したあと、ニ長調の旋律が染色師バラクの善良な性格を描く。それからトリルのざわめきとともに、第1幕の終盤、乳母が「影を売れば贅沢(ぜいたく)ができる」とバラクの妻を誘惑する場面が続く。スケルツォ風の音楽は第2幕後半、妻が家出する場面からのもの。そのあとにトロンボーンが、バラクの愛の歌を歌う。「自分は影を売らなかった」という妻の告白を経て、さまざまな動機が多声的に展開、クライマックスとともに大団円の、皇帝、皇后、染物師夫妻による四重唱が再現される。
④R. シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲
(曲について)
「提示部としての第1幕、そしてあの内省的な幕切れは素晴らしいものです。ところが第2幕にはこの第1幕とのコントラストとしてぜひともなければならぬもの、そして高揚が欠けているのです。[中略]第2幕が冴(さ)えないと、それだけでもうオペラは失敗です。いくら見事な第3幕があとに控えていようと、もはや救うことはできません。」(中島悠爾訳)
1909年7月9日、台本作者ホフマンスタールにあてた手紙の中でシュトラウスは《ばらの騎士》の台本について、こう述べている。台本作者が別の手紙で書いているように、筋の主軸は「太っちょの中年の、思い上がった求婚者(オックス男爵)が、娘(ゾフィー)の父親の愛顧は得たものの、若い美青年(オクタヴィアン)に蹴落とされてしまう」ことにあったが、第2幕の当初の案では求婚者と若い恋人たちとの対立があまり舞台映えするかたちで描かれていなかった。その点を変更するようにシュトラウスはせまったのだ。調整の結果、オクタヴィアンと男爵との決闘シーンや、男爵が小間使い(変装したオクタヴィアン)から恋文を受け取って悦に入る幕切れが加えられ、男爵の口ずさむワルツに大きな音楽的役割が与えられることとなった。このオペラが空前のヒット作となったのは、作り手たちのこうした細かい工夫によるところが大きい。
1945年に出版された《歌劇「ばらの騎士」組曲》は、オペラのダイジェストといった趣の音楽だ(編曲者はおそらくアルトゥール・ロジンスキ)。5部からなり、とくに第2幕から多くの音楽が取り入れられている。冒頭は第1幕導入をほぼそのまま引用。そこから第2幕に移り、ゾフィーのもとにオクタヴィアンが現れ、恋が芽生え、それが発覚するまでが描かれる。次が第2幕幕切れのワルツだ。それから第3幕の元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィーによる有名な三重唱、後2者による二重唱が続き、最後にもう一度、男爵のワルツが演奏される。ただし、こちらは第3幕のスコアに基づくもので、響きがよりにぎやかだ。
【演奏の模様】
①シューベルト/「ロザムンデ」序曲
〇楽器編成:Fl.(2) Ob.(2) Cl.(2) Fg.(2) Hrn.(4) Trmp.(2) Trmb.(2)Timp. 二管編成弦楽五部12型(12-10-8-6-4)
アンダンテ(ハ短調)の序奏とアレグロ・ヴィヴァーチェ(ハ長調)の主部からなり、序奏は抒情的ロマン的な旋律の美しさが印象的である。主部はソナタ形式による単純な形をとっているが、親しみやすい楽想をもっている。これは序曲『魔法の竪琴』 D644からの転用であるが、コーダはイタリア風序曲ニ長調D590と同じである。演奏時間は約10分であり、演奏会にも独立して頻繁に演奏される。
元々はシューベルトが劇付随音楽の序曲として作ったのですが、その劇も関連する歌劇も演奏されることは殆どないので、現在では純粋に音楽としての味演奏され、鑑賞されているのです。しかもかなり彼方此方で演奏されて来たので、今では、有名な曲の一つです。何分、シューベルトらしさに溢れている処がいい、自分としても好きな曲です。
重厚な管弦楽のスタート、続くOb.のソロ音が何ともいい音、いつものN響の女性首席でした。次いでFl.の音も柔らかく美しい。首席の神田さん、木製フルートです。類似の曲進行が続き今度はジャーンと総奏の後の弦楽アンサンブルが美しい。引き続き管弦楽の軽快な力奏が速いテンポで繰り出されるのですが、シュレキーテ・N響は力を振り絞ったパワフルな演奏ではなく、あくまで美しい旋律を重んじて、ある程度の力の余地を残した余裕ある演奏と見ました。端正なシューベルトの美しさを誘い出す女性指揮者らしい気品ある指揮・牽引だったと思います。
「ロザムンデ」と題されるシューベルトの曲には、もう一つ『弦楽四重奏曲 第13番 イ短調 D.804「ロザムンデ」』が有りますが、これは同じ劇付随音楽の第三幕間奏曲からそのテーマソングが取られています。前奏曲、間奏曲が素晴らしいのだから、当時不人気だったという劇付随音楽を劇場で見てみたい気がしますが不可能でしょう。少なくともどこかに録音、録画が残っていないでしょうかね?
これ等の連想からついでに記しますと、『ピアノ五重奏曲「ます」』は、歌曲Op.32D550からの引用旋律(及びその変奏)を第4楽章に使用しています。こうした引用は別にシューベルトだけではないですが、シューベルトの自己引用(部分的パロディとでも言いましょうか)が非常にスムーズに新たな分野の曲に馴染んでいる大きな理由の一つには、彼の音楽の旋律が人間の感覚に馴染じみ易い謳う旋律(文字通りテーマソング)から出来ている場合が多々あるからではないでしょうか。
②ドホナーニ/童謡(きらきら星)の主題による変奏曲 作品25*
(ドホナーニについて)
ドホナーニ(1877〜1960)は、ハンガリー人のピアニスト、作曲家、指揮者。本人が生涯にわたって作品を発表する際に名乗っていたドイツ語名エルンスト・フォン・ドホナーニ(Ernst von Dohnányi)でも知られる。指揮者・ピアニスト・音楽教師・学校管理者として多忙の合間を縫って、数々の作品を残した作曲家。音楽学校ではバルトークと同窓生に当たるが、ドホナーニ自身はブラームスの流れを汲む、19世紀ロマン主義音楽の伝統に忠実であり続けた。
◎曲の構成
Introduction :Maestoso
Theme: Allegro
Variation 1: Poco più mosso
Variation 2: Risoluto
Variation 3: L'istesso tempo
Variation 4: Molto meno mosso (Allegretto moderato)
Variation 5: Più mosso
Variation 6: Ancora più mosso (Allegro)
Variation 7: Walzer: Tempo giusto
Variation 8: Alla marcia: Allegro moderato
Variation 9: Presto (Andante rubato)
Variation 10: Passacaglia: Adagio non troppo
Variation 11: Choral: Maestoso
Finale fugato: Allegro vivace
冒頭からのオケのIntroductionは、大音を立てたおどろおどろしいもの。特に金管群の不協的響きが不気味で、これまでのベートーヴェンやブラームスやラフマニノフのピアノ協奏曲ではあり得ないピアノとオケの協奏のアンバランスに、少しびっくりさせられました。しかもかなり長い(4分以上)オケ演奏でした。ようやくピアノを弾き始めた真央君は、いたって淡々と聞き慣れたメロディを弾き始め、そんな序奏のこと等全然意に介せず、自分の世界に入り込んでいる風で、ピアノに向き合っていました。最初のThemeは、きらきら星の原曲(これはモーツァルトも同意名の変奏曲を作曲した時に、同じく原曲)としたフランス民謡『ああ お母さん きいて』を使っています。日本人にとっても小さい時から聞き慣れた旋律が軽快に真央君の指間から繰り出されます(実際は響板の下からですが)
すぐにVariation 1が続き、Poco più mosso(今までより速い)テンポの変奏をクリサンドを交えて弾きました。
Variation 2はRisoluto、つまり決然と、真央君はHrn.の先導に導かれ多声部の和音を上下動の変化激しく弾きました。
続く第3変奏は、 L'istesso tempo(拍子が変化する場合に、前の拍子の1拍の長さを維持せよという指示)で、弦楽アンサンブルの流麗な調べに掛け合って、聞き耳ではかなりゆっくりとしたテンポで原曲の面影が薄い、ラフマニノフ的美しい旋律をピアノで表現。オケの独奏者に寄り添う演奏を牽引したシュレキーテの指揮は、オペラハウスの経験深さを垣間伺える場面だと思いました。
ここまで聞いても、「モーツァルトの変奏曲」とは、随分と異なった趣きの変奏曲を軽やかなタッチで弾いた真央君ですが、何かモツを弾く彼の姿が重なって見える様な気がしました。矢張り彼の体にはモーツァルトが滲みこんでいるのでしょうか?それでもドホナーニのより自由な発想の変奏曲と、オーケストラとの協奏曲的掛け合いの妙は、聞いていて目を見張るものが有りました。
次以降の変奏で、演奏が面白かったのは、まずVariation 5 Più mosso。配布されたプログラムノートにもある様にこれは「オルゴール」とも名付けられていて、それまでより速いテンポの打楽器の金属的調べに独奏ピアノが音を重ねて、確かにオルゴールの雰囲気が出ていました。
それからVariation 7の Walzer。ワルツはプログラム後半の「ばらの騎士」でも重要な役割を果たしており、R.シュトラウスと生存・活躍の時代がほぼ重なるドホナーニの後期ロマン派の流れの色がにじむ曲でした。真央君のややウィーン的ニュアンスは薄いものの、のりのいいリズミカルな演奏は、シュレキーテ・N響の管弦の繰り出すウィンナーワルツに支えられ、雰囲気は十分醸し出されていました。
Variation 8: Alla marciaでは、木管+Hrn.のアンサンブルと重畳する短いPf.の調べに、行進曲の力強さは無かったのですが、何かユーモラスな管の音と冴えるPf.やFl.の音の対比が面白ろかった。
Variation9は聞き洩らすくらい短い曲で、次のVariation 10: Passacaglia: Adagio non troppoでは、管弦楽に合わせたPf.奏がゆったりとした旋律奏を奏でて、映画音楽の様な美しい雰囲気を醸し出しました。間を置かず続けられたVariation 11: Choral: Maestosoでは、将にピアノ協奏曲の様相で、管弦楽のふくよかなアンサンブルに真央君の独奏ピアノが力一杯合わせて弾く華麗な演奏の醍醐味を味わえました。何故か終盤に「薔薇の騎士」のチェレスター的旋律も聞えたのは空耳だったでしょうか?
そして最後は、Finale fugato: Allegro vivace、猛烈なテンポのPf.奏で将に真央君の真骨頂が発揮され、Pf.のテーマが弦楽の変奏アンサンブル⇒様々な管楽器⇒弦楽変奏そしてオケへとリレーされるフガートは、目まぐるしくリレーされ、再gの最後ピアノはテーマの単旋律ソロ音を立てると、管弦楽の勢いは一気に終焉に走り抜けるのでした。
総じて思うのは、世の中は広くて深いという事です。きらきら星を使ったピアノ変奏曲に、この様な幅広い解釈と楽器使用で肉付けがされた曲が有るとは。探せば、もっと関連曲が見つかるかも知れませんね。
なお、ソリストアンコールが有りました。
《アンコール曲》
ワーグナー『アルバムの綴り ハ長調〈メッテルニヒ侯爵夫人のアルバムに〉(hukkats注)』
(hukkats注)1861 年に作曲されたピアノ曲「アルバムの綴り」の一曲で、曲集には、「メッテルニヒ侯爵夫⼈のアルバムに」という副題が付けられている。メッテルニヒ侯爵夫⼈は、ワーグナーとも親交があり、当時のウィーンやパリの社交界で花形だった。
初めて聞く曲でしたが、落ち着いたしっとりとしたいい曲でした。ワーグナーとは、以外でした。真央くんの演奏は、心を込めて丹念に気持ちを昇華しようとしている様子が伺え、この様な弾き方も出来るんだと感心しました。

(Xより転載)
③R. シュトラウス/歌劇「影のない女」による交響的幻想曲
〇楽器編成:Fl.(2) Picc.(2) Ob.(2)Eng.-Hrn.(1) Cl.(2) C-Cl.(1)Bas-Cl.(1) Basset-Hrn.(1)Fg.(3)Cont-Fg(1) Hrn.(4) Trmp.(4) Trmb.(3) Tub.(1) Timp.(1) Hrp(2) 大太鼓(1) Symb.(1) Tri.(1) タンブリン カスタネット グロッケンシュピール シロフォン チェレスタ オルガン 四管編成弦楽五部14型(14-10-8-6-4)
この曲は上記(曲について)にある様にR.シュトラウスが、自作の歌劇『影のない女』からの楽曲を抜粋して交響的幻想曲として再構築したものです。歌劇『影のない女』に関しては、2023年2月に東京二期会の『影の無い女』がコロナ禍で上演中止となり払い戻しを受けて以来、生演奏は聴いていないので(聴いたのは、ベルリンフィル・デジタル・コンサートホールでの演奏会形式の上演のみ)、殆ど知らないのも同然です。その後昨年11月に再度二期会公演として上演されました。しかしその時は、オペラの内容自体が「女性蔑視」が含まれているという批判が上がり、読み替え演出で有名な、コンヴィチュニーが蔑視とならない様に大幅に内容を変えて上演するという事だったのですが、彼の演出は、過去に別のオペラで二、三観ていて、賛同出来なかった経験が有り、その為、又見ることは控える事にしたのでした。従って、このオペラに関しては殆ど知らないのも同然で、あれこれ論評出来ません。ただ一言書けば、「今回聞いた印象では、シュトラウスらしい美しい響きが随分多い曲だな」「美しい調べが多いのは、この指揮者がR.シュトラウスのオペラの指揮経験が多いためなのかな?」と思ったことだけです。
④R. シュトラウス/歌劇「ばらの騎士」組曲
〇楽器編成:Fl.(3) Picc.(1) Ob.(2)Eng.-Hrn.(1) Cl.(3) Bas-Cl.(1)Bas-Cl.(1) Fg.(3) Cont-Fg(1) Hrn.(4) Trmp.(4) Trmb.(3) Tub.(1) Timp.(1) Hrp(2) 大太鼓(1) Symb.(1) Tri.(1) タンブリン カスタネット ラチェット グロッケンシュピール シロフォン チェレスタ オルガン 四管編成弦楽五部16型(16-14-12-10-8)
この曲は上記(曲について)にある様に、R.シュトラウス作曲の歌劇『ばらの騎士(全三幕)』の重要な場面の楽曲から抜粋して繋げ合わせた、謂わばメドレー曲から成っています。従って歌劇の粗筋と重要な場面トそのアリアを含めた楽曲が頭に入っていれば、良くその雰囲気を味わうことが出来ますが、これは我々一般の聴衆にとっては難しいことなので、参考まで、以下にこの【組曲の構成】と、 文末に昨年12月、ミューザでの「ばらの騎士(演奏会形式)」上演の時の記録を(再掲)して置きます。
【参考:組曲の構成】
「組曲」の冒頭は、オペラの冒頭の音楽をそのまま用いている。ホルンの男性的な力強い上行音形に対して、女性的なヴァイオリンの調べが優雅に包み込むが、これはそれぞれ若いオクタヴィアンと元帥夫人とを表している。オペラの幕が開くと、夫人の寝室で二人が優しい言葉で愛を囁き交わしてていることから、この冒頭の音楽はかなり性愛的な情景として聞くこともできる。音楽はそのまま第二幕冒頭のばらの騎士を待ち受けるファーニナル家の華やかな場面へと続いていく。オックス男爵の許嫁ゾフィーの不安と期待が頂点に達したまさにその瞬間、白と銀の華やかな衣装に包まれた「バラの騎士」オクタヴィアンが、輝く銀のバラを手にして登場する(シンバルとともに華やかな転調)。オクタヴィアンはバラの騎士の口上を述べて銀のバラをゾフィーに手渡し(オーボエのソロ、輝くようなフルートとチェレスタ)、ゾフィーも儀礼に従ってそれにこたえるが、ためらいがちに言葉を交わすうち、二人の心のうちには抑えようのないときめきと幸せな感情が湧き起ってくる(即ち一目惚れです)。
ここで突然けたたましい音楽となり、男爵の付き人のイタリア人二人が、この若い二人を取り押さえる場面が挿入される(叫ぶような木管)。そして低音弦とTrmb.などの鋭い音形とともに、オックス男爵がいかめしく二人の前に立つ。ここで音楽は突然、ヴァイオリンが旋律を奏でるきわめて優美なワルツにかわるのだが、実はこの魅惑的なワルツもオックス男爵のテーマである。オペラの中では、オクタヴィアンに切りつけられて動転しながらも、医者の介護を受けワインを供された男爵が、次第に上機嫌になり、女たらしの妄想にふけっているところに、「マリアンデル(偽物)」からの手紙を受け取り、浮かれた気持ちでさらに妄想を膨らませる場面にあたる。このオペラの中でオックス男爵は、低俗で野卑、田舎者まるだしでケチ、好色で若い女の子のことしか頭にないさえない見かけの中年男として描かれているが、男爵は、喜劇的人物としてなぜか憎めない愛嬌をさえ感じさせるとともに、あくまでも貴族としての対面や優雅さも身につけた人物として想定されている。オックス男爵のワルツはそのような優雅さを感じさせるとともに、一般にウィーン的特質としてとらえられているような「心地よさ・お気楽さ」を体現するものでもある。
この後、第二幕冒頭でのばらの騎士を待ち受ける音楽を部分的にはさみつつ、第三幕終盤、「茶番」が収束したのちに歌われる美しい三重唱(元帥夫人、オクタヴィアン、ゾフィー)の音楽へと移ってゆく。元帥夫人は、オクタヴィアンを彼の愛する別の女性にゆだねるときがこのように早く来るとにとまどいつつ、ゾフィーは伯爵夫人とオクタヴィアンの関係を察知し、夫人対する心の葛藤を抱いている。そして、オクタヴィアンはゾフィーへの後ろめたさを意識している。しかし、次第に若い二人の想いは「あなたを愛している!」という言葉に収束してゆき、音楽もここで壮大なクライマックスを迎える。元帥夫人は二人を残してそっと退場し、オクタヴィアンとゾフィーは優しい二重唱を歌う(ヴァイオリンとクラリネット)。
オペラではこの清純で静かな二重唱が二人の幸せを予感させながら全曲を閉じているのだが、「組曲」にはこのあと、スネアドラムの導入に続いて、華々しい終曲が用意されている。この音楽は、第三幕で「マリアンデル」との逢引どころか、ファーニナル家の娘ゾフィーとの結婚も破談に終わり、さんざんな目にあったオックス男爵が「帰るぞ!」という声とともにいかがわしい料亭をあとにする場面にあたる。ここにはそれまでオペラの各所に現れていた、好色なオックス男爵のいくつかのお気楽な鼻歌が、いわばパロディー的に戯画化され、乱暴な(それでも優雅な)旋律となって組み込まれている。オペラではこの楽しいワルツに重ねられて、4人の「隠し子」の「パパ、パパ!」という叫び声や、勘定を要求するさまざまな人々の声が入り乱れ、騒然とした雰囲気となっている。オペラの筋書きを知っていれば、おそらく小太りのオックス男爵が腹を立てて足をふみならしながら退場する喜劇的情景を想像できるだろうが、そもそもこの部分は「組曲」でたどるストーリーの流れからはずれている箇所でもあり、「組曲」の最後を華やかに飾る元気で壮麗なワルツとして、単純に楽しむべき所かも知れない。
兎に角、この曲は、上記した様にオペラの核心的場面をメドレー曲で繋ぎ、オペラ全体の雰囲気を味わってもらおうという意図のもとに作られたとは言え、もともと美しい歌唱やオケの曲満載のR.シュトラウスの傑作オペラをベースにしているが故に、組曲の7割方は、美しいシュトラウス節のオンパレードでした。しかも場面としては厳しく対立する感情よりも、互いに愛を謳歌する人間の優しさや、喜びの感情が表出する場面が多いので、このオペラを歌劇場で恐らく何回も指揮したことのあるシュレキーテの優美な指揮・指導が、都響との対話の中で、都響の美しさを最大限に引き出そうとした意図はかなり成功したと自分は考えます。


〖今回の演奏会は6月7日(土)16時からのNHKFM「N響演奏会」で放送の予定〗
尚、このオペラの演目は、今秋の『ウィーン国立歌劇場』の9年振りの引っ越し来日公演でも上演されますので、大いに期待している処です。
////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////// 2024-12-17 HUKKATS Roc.(再掲)

【日時】2024.12.15.(日)14:00~18:00(終演予定)
【演目】R.シュトラウス「ばらの騎士」全三幕(演奏会形式)独語上演/日本語字幕
【所要時間】第1幕(74分)休憩(20分)第2幕(60分)休憩(20分)第3幕(66分)4時間。
【管弦楽】東京交響楽団
【指揮】ジョナサン・ノット
【合唱】二期会合唱団
【演出監修】サー・トーマス・アレン
【登場人物】
元帥夫人(S): 陸軍元帥の妻、貴婦人
オックス男爵(Bs): 好色な田舎貴族
オクタヴィアン(Ms):伯爵家の若き貴公子
ゾフィー(S): オックス男爵の婚約者
ファーニナル(Br): 新興貴族、ゾフィーの父
他。
【主な人物相関】

【キャスト】
〇元帥夫人:ミア・パーション (ソプラノ)
〈Profile〉
スウェーデン出身。世界中の歌劇場やオーケストラから出演オファーが絶えないカリスマ 歌手。新国立劇場、ウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場、ミラノ・スカラ座、英 国ロイヤルオペラ、エクサン・プロヴァンス音楽祭等、世界の主要な歌劇場・音楽祭に出 演。1998年に『フィガロの結婚』のスザンナ役でオペラ・デビューして以来、モーツァル ト作品の主要な役柄を数多く歌い世界的に高く評価されている。近年は、R.シュトラウス 作品に取り組んでおり、円熟期にある今、最も知的なR.シュトラウス歌手として確固たる 地位を築いている。2018年ノット指揮モーツァルト歌劇 「フィガロの結婚」(演奏会形式) 伯爵夫人役で出演しており、その気品溢れる佇まいと抜群の歌唱が絶賛された。
〇オクタヴィアン:カトリオーナ・モリソン(メゾ・ソプラノ)
〈Profile〉
スコットランド出身。あたたかく豊かな声で今、ヨーロッパの耳の肥えた聴衆を魅了する 注目の歌手。すでにザルツブルク音楽祭、エジンバラ国際音楽祭、ハンブルク州立歌劇場 等の世界の歌劇場に出演している。レパートリーは幅広く、近年のオペラ作品のレバート リーとしてはR.シュトラウス 『ナクソス島のアリアドネ』作曲家、ワーグナー 『ラインの黄 金』フリッカ、モンテヴェルディ『ポッペアの戴冠』 ネローネ等がある。2024年にはネゼ =セガン指揮ロッテルダム・フィルで『ワルキューレ』(演奏会形式)に出演。
〇エルザ・ブノワ (ソプラノ)
〈Profile〉
フランス出身。ベルベットのようなしなやかな歌声が絶賛される注目の歌手。バイエルン州 立歌劇場のオペラ・スタジオで研修後、同歌劇場のアンサンブルメンバーとして数多くの作 品に出演。プッチーニ「ラ・ボエーム」ムゼッタ、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」 ツェ ルリーナ、ビゼー「カルメン」ミカエラ等で、バリ・ガルニエ宮、グラインドボーン音楽祭、 ベルリン・コーミッシュ・オーバー等に出演。オーケストラ公演でもネルソンス指揮ゲヴァ ントハウス管をはじめ、ベルリン・フィル、ミュンヘン・フィル等と共演を重ねている。
〇オックス男爵 :アルベルト・ペーゼンドルファー(バス)
〈Profile〉
オーストリア出身。説得力のある歌声と高い演技力を誇る実力派。アントン・ブルックナー 私立大学、ウィーン国立音楽大学で学ぶ。ワーグナー『神々の黄昏』ハーゲンや「トリスタンとイゾルデ」マルケ王等、ワーグナー作品を中心に60以上の役をレパートリーとする。な かでも「ばらの騎士」 オックス男爵は当たり役として世界の歌劇場で歌っており、絶賛され ている。新国立劇場、ウィーン国立歌劇場、バイロイト音楽祭、ドレスデン州立歌劇場、シュ トゥットガルト歌劇場等で活躍するほか、チェコ・フィル、BBCフィル等オーケストラとの 共演も数多い。
〇ファーニナル:マルクス・アイヒェ(バリトン)
〈Profile〉
ドイツ出身。エレガンスを備えた芳醇な歌唱に加え、確かな演技力が高く評価されている。 シュトゥットガルトで学び、マンハイム歌劇場でキャリアをスタートした。ウィーン国立歌劇 場、バイエルン州立歌劇場、チューリッヒ歌劇場、フィンランド国立オペラ等、世界の歌劇 場からオファーが絶えない歌手の一人である。ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」クルヴェ ナール、チャイコフスキー 「エフゲニー・オネーギン』 タイトルロール等数多くのレパート リーを誇る。「ばらの騎士」 ファーニナルも十八番としており、メトロポリタン歌劇場では同 役でデビューし絶賛された。
・マリアンネ/帽子屋:渡邊仁美(ソプラノ)
・ヴァルツァッキ:澤武紀行(テノール)
・アンニーナ:中島郁子(メゾソプラノ)
・警部/公証人:河野鉄平(バス)
・元帥家執事/料理屋の主人:髙梨英次郎(テノール)
・テノール歌手:村上公太(テノール)
・動物売り/ファーニナル家執事:下村将太(テノール)
【粗筋】
《第1幕》
時は18世紀中頃、舞台はウィーンの陸軍元帥の館。元帥夫人は夫の留守中、寝室にまだ若く、そして美しき貴公子オクタヴィアンを招き入れ、一夜を過ごしていました。早朝、そこへ突然オックス男爵が訪ねてきます。元帥夫人のいとこである男爵は、好色で知れた田舎貴族。女装をして小間使いに変装したオクタヴィアンをも口説こうとします。そんなオックス男爵が元帥夫人を訪ねてきたのは、彼が裕福な新興貴族ファーニナルの娘ゾフィーと婚約したので、彼女に「銀のばら」を贈る「ばらの騎士」を紹介してほしいと頼みにきたからでした。元帥夫人はばらの騎士としてオクタヴィアンを推薦します。オックス男爵は納得して帰っていきました。
元帥夫人は若かった昔のことを思い出しながら、時の移ろいに憂いを感じていました。そして、オクタヴィアンに、いずれ私より若く、美しい人のために私のもとをから立ち去るでしょうと話します。オクタヴィアンはそれを否定しましたが、すっかり拗(す)ねてしまって館をあとにしました。
《第2幕》
正装したオクタヴィアンは裕福な新興貴族ファーニナルの館を訪れ、娘のゾフィーに銀のばらを贈ります。このときオクタヴィアンとゾフィーはお互いに一目惚れしていました。
続いてオックス男爵の登場です。彼は婚約者のゾフィーに下品な物言いをし続けたので、ゾフィーはすっかりこの結婚が嫌になってしまいました。そして彼女はオクタヴィアンに助けを求めます。オックス男爵の下品な態度に怒ったオクタヴィアンは成り行きでとうとう剣を抜き、彼と決闘となりました。もともと弱虫の男爵は、ちょっと怪我をしただけで大げさに騒ぎます。ゾフィーの父ファーニナルはこんな事態になったことに怒り、娘を叱りつけました。
騒ぎが一時おさまったとき、オックス男爵に一通の手紙が届きます。それは元帥夫人の小間使いからのお誘い。実はオクタヴィアンの仕組んだものでしたが、男爵は喜んで会いに行きました。
《第3幕》
郊外にある居酒屋の一室に、オックス男爵と小間使いに扮して女装をしたオクタヴィアンがいます。オクタヴィアンは散々、男爵をからかった後にその醜態をゾフィーの父ファーニナルに見せたので、ファーニナルも愛想を尽かしました。
そこへ元帥夫人がやってきます。元帥夫人は男爵にこれ以上の醜態をさらすことなく立ち去るように言い、オックス男爵は引き下がりました。
そこに残ったのは、元帥夫人とオクタヴィアン、ゾフィーの3人。2人の女性の間でオクタヴィアンは戸惑います。そのとき、元帥夫人は身を引くことを決心し、静かに立ち去ったのでした。その後二人になったオクタヴィアンとゾフィーは、抱き合いながら愛を誓い合ったのでした。
【上演の模様】
第1幕開けは、元帥夫人マルシャリンの寝室の設定ですが、今回は演奏会形式でした(といっても少しの備品、かなりの歌手演技を備えた)ので、大きなソファーが用意され、登場人物がそれを有効に活用して歌っていました。夫人の愛人オクタヴィアンと一緒のシーンです。オクタヴィアンは少し興奮して夫人に話しかける歌を歌い、夫人はそれを軽くいなして歌います。ここではあまり多くは歌わない夫人役ミア・パーションですが、その第一声はやや声量に欠けるものの、綺麗な歌声の安定したソプラノ歌手ということが分かります。それに対しオクタヴィアン役のカトリーナ・モリソンは、興奮して歌う場面だからなのか、声も、抑揚も少し上擦り気味ですが、かなり多くの場数を踏んだと思える力の籠った歌声で歌っていました。
この第1幕では、オクタヴィアンとの情事に絡んだ歌のやり取りの他に、多くの来客が有り、その最たるものがオックス男爵です。彼は婚約者に使わす「銀の薔薇」の使者を誰にするか相談に来て歌うのです(薔薇の使者は夫人の推薦で、オクタビアンに決まりました)。オックス男爵役は、オーストリア出身のアルベルト・ベーぜンドルファー。かなりの偉丈夫で堂々としたもの。第1幕から第3幕までズート出ずっぱりで、この役は一見脇役の様に見えますが、かっては「ばらの騎士」のタイトルでなく「オックス男爵」のタイトルにしたら?と言う話も出たとまで言われる程で、彼中心に物語は進むのです。それはそうと、劇中貴族の場を楽しませる呼び込み歌手役の村上公太さんは、現在二期会等で活躍されている若手のテノールですが、夫人たちの前で滔々とホール一杯に響くテノールの歌声を響かせていました。完ぺきでは無いですがさらに精進すればいい歌手になるでしょう。
この幕では夫人と恋人オクタヴィアンのやり取りの歌が一つの山場でしょう。
夫人が自分の最近抱いている気持ちを吐露して歌う切ない歌、終わる間もなくオクタヴィアンが歌います。その後の夫人とオクタヴィアンの二重唱的やり取りでは、オクタヴィアン役のモリソンの声(強く高い音も出ていましたが、安定感、音楽性の高さでは今一つの感有り)が優勢で、弱い声の場合が多い夫人役を凌駕していました。これは若い騎士だから元気があるのだと納得しようにも、見た目がそう若くは見えないズボン役なので戸惑いました。元帥夫人役パーションは最初は抑制的に歌っていたのでしょうか?(オペラ舞台で良くあるケースの様に、彼女は後の幕になればなる程調子を上げていました。)最初からエンジン全開となって欲しかった。
またこの第1幕では、元帥夫人のモノローグの歌が有名です。多くの来客が帰えり、オクタヴィアンも帰らせた後、夫人がホット一息ついて歌う独り言の歌です。
❝(元帥夫人)[一人になり]行ったわ、あの威張った、悪い奴。そしてそのかわいい若い子を捕まえて、つまらない金にありついて。[嘆息]まるでそれが当然かのように。そしてそれでもまだ、自分の方こそが彼女に何かを与えていると錯覚しているんだわ。だけどなぜ腹を立てるの?それが世の流れじゃない。覚えているわ、私も娘だった時を。修道院から出たてで、神聖な結婚生活に入るように命じられたのよ。[手鏡を取り上げる]彼女は今どこへ?ええ、[嘆息]過ぎた年の雪をお探し![穏やかに]そう命じるわ。でもこんなことが本当にありえるのかしら、私はあの小さなレジ(テレーズの愛称)だった、そして瞬時に私はまたおばあさんになってしまった…おばあさん、老元帥夫人!「見て、あそこに老侯爵夫人レジが行くよ!」[穏やかに]なぜこんなことが起きうるの?愛しい神はなぜこんなふうになさるの?私はでもずっと同じだったのに。それにもし神が物事をそうなさらなければならないのなら、なぜそれをその場で私に見させるの、こんなにはっきりとした感覚で?なぜ私から隠してくださらないの?[常により静かに]すべて秘密だわ、あまりに多くの秘密。そして人はこの下にいて[嘆息]耐えるのだわ。そして「どのように」に[きわめて穏やかに]すべての違いがあるのよ。❞
独りになった元帥夫人の独白の歌です。夫人は、修道院を出てきたばかりの時の、あの若い自分はどこへいったってしまったのか(即ち年を取ってしまった)と問い、また避けられない老いの予感に心を痛めるのです。時の移ろいは誰にも避けられないものであることを悟り、いつかはオクタヴィアンが去ることを予感しているのでしょう。夫人役のパーションは、堂々としかも切々と歌いました。さすがこの役を多く演じた経験と本場の雰囲気を体に滲み込ませている歌手の為せる歌い振りだと思いました。 ここは演ずる歌手の重要な聴かせ処のひとつで、本格オペラでは歌い終わると拍手が入る時もある場面です。この歌は、リサイタルで独立して演奏されることもあります。この場面やその直前の二重唱の東響の演奏も白眉でした、コンマスのソロ演奏に乗って歌う夫人、一層盛んに体を左右に振りタクトの腕を上げ下げし、オケを囃し抑え、コントロールするジョナサン・ノット、弦楽奏の如何にも特異(得意)なシュトラウス節の響き、などなど、益々力強く快調に進むオーケストラでした。
次の第二幕では、ばらの騎士役オクタヴィアンが結婚予定のゾフィーに婚約の印であるペルシャ産の香油をたらした銀の薔薇の造花を渡す場面の歌のやり取りです。当時の貴族階級の風習として、婚約を伝達する騎士にバラを持たせて、婚約者の花嫁予定者に渡す(男性婚約者は直接渡さない、日本流に言えば、結納の印しを届ける一種の仲人役でしょうか?)ことが行われていたのです。ハープやチェレスタに彩られて弱音器つきの弦楽器と木管が奏でる優美で、繊細な色彩感をもった調べ(この調べは1幕の元帥夫人の述懐の歌の時にも、3幕などでも、度々登場する調べで、ワーグナー流に言えば、一種のライトモチーフでしょうか? この稿では仮りに以下『キンコンカン』と記します。そんな風な響きがあるので)に乗って婚約申込みの口上の歌が歌われるのでした。そのあとには打ち解けた二人の二重唱が続きますが、結婚の喜びを歌い上げるゾフィーと、彼女に惹かれて恋心を抱き始めたオクタヴィアンがそれぞれ歌う歌には微妙なずれがある二重唱です。(銀のばらの贈呈と二重唱)ここでは、ゾフィー役のエルザ・ブノワが歌いました。ブノワはかなり熟達したソプラノ歌手とみえて、相当いい歌い振りをしていました。ゾフィーは、裕福な家庭の娘のおしとやかな役柄だけあって、余裕の発声で歌っていました。オクタヴィアン役モリソンは1幕からさらに喉が滑らかになって来たのか、随分と安定性が増して来たように思えました。
第2幕後半で、オクタヴィアンに腕を切られたオックス男爵が、ゾフイーの父親ファーニナルが登場、娘の婚約者のオックス男爵に詫びて歌います。ファーニナル役のマルクス・アイヒェはここで初めて(だったと思うのですが)歌うのですが、そのバリトンの歌声は、そこまでの他の歌手の活躍の影に隠れて、バリトンの素晴らしさを発揮する機会が少なかったのではないかと思います。勿論重みのあるベースの上に時には軽めの声に変化する技術など百戦錬磨の経験から発していると思われます。彼がオックス男爵にお酒を薦める場面からベーゼンドルファーが、機嫌を直して歌う場面があります(オックス男爵のワルツ)。通称『ばらの騎士のワルツ』で知られる処ですが、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ『ディナミーデン』をもとにした旋律です。R.シュトラウスはこの『ばらの騎士のワルツ』は、ウィーンの陽気な天才(ヨゼフ・シュトラウス)を思い浮かべて作曲した様です。オックス男爵の演技は踊りも振りも、手練れの為す技と言った感じで、歌は勿論益々調子に乗ってきた感じ、怪我を負わせられたにもかかわらず、人がいいのでしょうね。口ほどでもありません。根っからの悪人ではないのでしょう。
でも第3幕の歌のハイライトは、やはり、夫人、オクタヴィアン、ゾフィーの三人で歌う三重唱の場面でしょう。『ばらの騎士の三重唱』として知られる名場面です。それぞれが自分の想いを独白で歌う三重唱で、オクタヴィアンは一目惚れしたゾフィーに気持ちが向き、でも先日まで愛し合っていた元帥夫人にも未練があって、ジレンマに陥って歌っているし、ゾフィーはゾフィーで、オックスに裏切られ、自分を救ってくれると信じたオクタヴィアンが格上の元帥夫人と愛人関係にあることを見抜き、傷ついています。オクタヴィアンをつなぎとめることも出来たはずの元帥夫人は夫人で、いつまでもオクタヴィアンを手元に留めておくのは不可能であることを痛感し、潔く若い二人を結び付かせて祝福し、自分は身を引く決意をした気持ちで歌っているのです。この場面はゾフィー役ではなく、元帥夫人役の歌手にとっての聴かせどころの一つと見なされています。R.シュトラウスにとって非常に愛着のある曲であり、遺言により彼の葬儀でも演奏されました。
その他、歌に合わせた演奏に挟まれる様に管弦楽奏のワルツが頻繁に出て来ます。特に第3幕では、あちこちそれまで良く知られている旋律のウィーンナーワルツが挿入され、このオペラの物語は将にウィーンの物語なんですよ、としつこい程念を押していてしかもそれがR.シュトラウスの旋律に違和感なく溶け込んでいて浮き浮きた明るい雰囲気を十二分に演出していました。オックス男爵役ベーゼンドルファーは、管弦の調べに乗って歌ったり、ワルツのステップをとったり、かなりの器用さを求められる役を見事に演じていました。勿論独語は母国語でしょうから、流暢そのもの、今回の配役中抜きん出ていたオックス約適材の歌手だと思いました。
2幕に戻りますが、ここでの一大見どころは、男爵が元帥夫人の奥女中マリアンデルだと思い込み、オクタヴィアンに言い寄って思いを遂げようとする場面でした。しかし実はオクタヴィアンの計略によって、男爵をやりこめるための様々な計略がそこには待っていたのでした。「マリアンデル」を口説こうとする男爵の前に、結婚相手を名乗る女性や「パパ、パパ!」と言いたてる4人の子ども達まで出現し、料亭の亭主は「重婚」だと騒ぎだすありさま。そこに風俗の乱れを取り締まる警察まで現れたため、オックス男爵は、同席している「マリアンデル」は自分の婚約者のゾフィーだと偽って切り抜けようとします。しかし、そこにファーニナルやゾフィーまで現れて、集まった野次馬たちは男爵とファーニナル家の「醜聞スキャンダル」と騒ぎ立てるのでした。この混乱の場に元帥夫人が現れ(それはオクタヴィアンの想定外?)、警察に対しては「これはみんな茶番劇でそれだけのこと」と言って事態を収拾し、オックス男爵をたしなめて立ち去らせます。元帥夫人とオクタヴィアンの様子を見ていたゾフィーは二人の関係を悟り、自分はオクタヴィアンにとって「虚しい空気」のような存在でしかなかったのだとショックを受けるのです。元帥夫人はオクタヴィアンをゾフィーへと向かわせるとともに、ゾフィーも気遣う。元帥夫人は静かに身を引くのですが、考えようによっては男爵は脇が甘いお人良しで、ただ女好き、好色漢、色おやじだけの人物なのかも知れない。それはその時代のウイーンの風潮を象徴しているかのようです。時代設定に関して、建前上は18世紀中頃、マリア・テレジア治下のウィーンということになっていますが、事実上は、このオペラが作られた少し前の19 世紀末のいわゆる「ウィーン世紀末」の社会風潮を色濃く反映されている内容になっています。オックス男爵に代表される堕落した貴族の風俗、元帥夫人からして、若い燕を囲って自堕落な生活に生甲斐を見い出している。元帥は登場しませんが、夫人は或いは元帥の女性関係に反発してオクタビアンに走ったのかも知れない。オックス男爵が酒場で飲んでいると以前関係した女が多くの落とし子たちを連れて現われたり、兎に角風紀の乱れが目に余ります。風紀を取り締まる「風紀警察」なるものまで登場します。でもそれらが悲劇を呼ぶのでなく、最終的に良識、理性に回帰し、誰が見ても笑って済まされる喜劇と化して物語が流れていて、頻繁に流れるワルツの調べと共に大いに楽しめる物語になっているのが、百年以上経っても人気が衰えないオペラである所以ではないでしょうか。勿論そこにはR.シュトラウスの優れた個性的なオーケストレーションによる曲の展開があったからこそ打ち建てられた金字塔なのです。
昔からこの演目はカラヤン指揮、シュワルツコップ他の出演の映像を見て楽しんできました。その間他の演者の実際のフルオペラを多く観てもいるのですが、時代考証、舞台装置、出演歌手の水準の総合力ではこれを超えるものは見当たらないのではなかろうかと思っています。(決してシュワルツコップは物凄く歌が上手いとは思いませんし、カラヤン、ウィーンフィルにも癖があることは確かですが、)当時の雰囲気はこの上無く表現されています。
今回のミューザの上演は、演奏会形式としては、相当高いレヴェルだったと思います。非常に楽しかった。