HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

明日は「天一天上」の日です。

 明日(4/24土曜)から16日間は「天一天上(てんいちてんじょう)」にあたります。

暦書によれば、

❝天一天上(別名、天一神)は、この神がつねに八方(東西南北とその四隅)を運行していて人事の吉凶禍福を司り、悪い方角をふさいでこれを守る神とされていますが、この天一天上の期間、即ち4/24の癸巳(みづのとみ)の日から戊申(つちのえさる)の日(6/8)までは、この神は、天上に登っていて、己酉(つちのととり)の日 (6/9)から天上より降りて八方を巡るとされるのです。❞

    この話は、旧暦10月(新暦11月頃)を神無月と称するのと類似しています。神無月には、日本全国の神々が出雲大社に集まり、縁結びや来年の収穫などについて会議(神議り)を行うため、各地域では神様がいない状態になることから付けられた月名だと言われています。(逆に、出雲地方では、神々が集まることから「神在月(かみありづき)」と呼んでいます。)

 この天上に帰っている間(天一天上の期間)は神は地上におらず、別に天一神の祟りはないのですが、天上より降りてきて(己酉(つちのととり)の日から天上より降りて八方を巡る。)、八方を巡っている間は、その方角に向かってのお産や、談判、掛け合い事は慎むべきであるとされています。

  従って「天一天上」は、人々にとっては、吉の日とされ、普段忌み嫌う行為も、この期間に行えば良いとされるのです。

 一方、良く耳にする歴語に「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」と言うのが有ります。 
 「一粒万倍日」は、日本の暦に古くからある吉日の一つで、その決め方は少しややこしいのですが、二十四節気(立春・夏至・立秋など)と、干支(甲・乙・丙・丁……と子・丑・寅……を組み合わせたもの)によって決められ、「立春から啓蟄(けいちつ)の前日までは、丑と午の日」「啓蟄から清明(せいめい)の前日までは、寅と酉の日」というように、二十四節気の節目と節目の間の2日が一粒万倍日になるのです。おおよそ6日に1回、ひと月に5日、1年間だと約60日あります。   
 この言葉が意味するところは「種籾(たねもみ)一粒から一本のイネができ、このイネから万倍もの数のお米が穫れること」。すなわち「わずかなものが飛躍的に増えること」を意味します。この日に始めたことは、やがて大きな成果を上げると考えられることから、一粒万倍日は「何かを始めるのに最適な日」ともされるのです。(逆に悪業をすると、それも大きくなって振りかかるので、出来るだけ安心出来る行為に努めるのです)

 以上に記した「天一天上」と「一粒万倍日」が重なる日が有り、直近では6月3日と6月4日がそれに相当し、この日は何事も普段出来ないこともやってみても吉相が大だと謂われます。

 

  ところで話題は変わりますが、今日(5/23金曜)の夕方、帰宅前に横浜市内のスーパーに立ち寄った際、建物内の通路にあるベンチに腰を降ろしていたら、親子連れの買い物客が前を通りかけました。その子供は幼稚園児と思われますが、ヤンママの手から離れて立ち止まり、盛んに通路の床を指さしながら、母親に、アレアレと言いながらじっと見つめ始めたのです。良く見たら小さい小さい黒っぽい虫が確かに蠢いて歩き回っていました。

小蟻ではなくその半分くらいの名も知らぬ虫でした。子供の母親も夕方の忙しそうな買い物客の一人なのでしょうが、立ち止まって子供の為すがままに5~6分も子供を微笑んで待っていたでしょうか。目の前のその光景を見た時、子供の興味と言うのは意外な物、目にも入らない様な小さい動物にも関心を持つ子もいるのだなと思って、つい頬が緩んでしまい、にっこりその親子に微笑みかけました。その親子連れが立ち去った後、暫くベンチに座って観察しましたが、その虫はズート動き回っていました。

  

 通路を行き来する通行人の靴やスーパーのカートや買い物かごの小さなカートの車輪にもつぶされず、随分運がいいものだなと思って見ていたら、10分位経ったでしょうか、床を掃除する車がやって来て、通り過ぎた後は遂に力尽きて押しつぶされ、動かぬ小さな黒い点となってしまったのでした。何で通路の端の方に歩かなかったのか?若し今日が翌日の「天一天上」の日だったらナ―。自分たち人間も大きな世界の情勢のもとで生き延びていることは運がいいのかも知れない、いつつぶされる日が来るか分からない。等ととりとめ無いことを考える自分でした。