【日時】2025年4月4日 [金] 19:00〜
【会場】東京文化会館 大ホール
【管弦楽】NHK交響楽団
【指揮】マレク・ヤノフスキ Marek Janowski/Conductor
〈Profile〉
ポーランド・ワルシャワに生まれ、ドイツで教育を受ける。フライブルク・イム・ブライスガウやドルトムントで音楽総監督として活動。70 年代後半から、メトロポリタン歌劇場、バイエルン国立歌劇場をはじめ、ウィーン、ベルリン、パリ等の世界的な歌劇場・コンサートホールに登場。90年代から独墺系のレパートリーに傾注し始め、特にベルリン放送交響楽団と行なったワーグナー・チクルスは、演奏会形式による新しいスタンダードを築いた。
【独奏】
ソプラノ:アドリアナ・ゴンサレス
Adriana Gonzalez / Soprano
〈Profile〉
中米グアテマラ生まれ。グアテマラ・デル・バジェ大学卒業。バリーオペラ座のオペラ・スタジオで学ぶ。ウィーンのオットー・エーデルマン国際声楽コンクール第1位等、受賞歴多数。オペラでは〈カルメン〉ミカエラ、〈トゥーランドット〉リュー、〈ラ・ボエーム〉ミミ、〈ロメオとジュリエット) ジュリエット、〈フィガロの結婚)伯爵夫人等を欧州の主要歌劇場で歌う。2023年グアテマラ人として初めてザルツブルク音楽祭に登場した。
以下の三者は、同春祭2025年の『バルジファル』にも出演した。以下順に、クンドリー役、パルジファル役、グルネマンツ役と同じ歌手です。
〇メゾ・ソプラノ:ターニャ・アリアーネ・バウムガルトナー
〇テノール:ステュアート・スケルトン
〇バス:タレク・ナズミ
【合唱】東京オペラシンガーズ
【合唱指揮】エベルハルト・フリードリヒ、西口彰浩
【曲目】
ベートーヴェン:ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲) ニ長調 op.123
【作曲時期】1819/23(四、五年かけて作曲)
【初演】
1824-04-07@サンクト・ペテルブルク
1824-05-07@ウィーン(キリエ、クレド、アニュス・デイのみ)
(曲について)
この曲は、2020年の春祭でも演奏された模様で、その時のプログラムノートに、藤本一子さんという方が書いている視点が良く纏まっているので、以下に引用して置きます。
L.v.ベートーヴェン(1770-1827)の芸術は、幾多の厳しい峰々を経て、53歳の頃に“天上的”と“人間的”な二つの頂に到達した。ミサ曲第2番(《ミサ・ソレムニス》)と《第9交響曲》である。ミサ曲第2番は、内的情感を湛えた第1番とは対照的に、壮大な交響様式と結んで平和祈願をうたいあげ、コンサート会場をすら圧倒する記念碑的様相を呈している。ベートーヴェン自ら「私の最も成功した作品」(1823年各国国王諸侯宛)、「最高傑作」(1824年出版社宛)と自負したことも知られている。
“ミサ・ソレムニス”とは司教以上の聖職者によって執り行なわれる盛儀ミサの総称だが、彼はこれを意図して自作品に用いた。楽譜を手に遠方を見つめる有名な肖像画を思い出していただけるだろうか。絵が仕上がる頃、「“ミサ・〇調”と書き込みたいのですが」と画家シュティーラーに問われると、「Missa solemnis / aus D ミサ・ソレムニス ニ長調」と答え(1820年4月会話帳)、作品の完成後はルードルフ大公への献呈譜、予約者用の筆写楽譜、初版の外側表紙にもこの名が掲げられて作品の代名詞となっていった。
だが音楽は難解とされた。本来、教会音楽は信仰共同体における祈りと讃美を本質とするのだが、その点でこのミサ曲は聴き手を戸惑わせる要素が多く、「器楽的な声楽書法による純交響的作品」(ヴァーグナー)、「苦渋にみちた平和への呼びかけ」(ロマン・ロラン)、「異化された大作」(アドルノ)などと称されてきた。しかしそれにもかかわらず、ここでは真摯な祈りが高次の芸術的表現を通して力強く響きかけている。その一端をみてみよう。
よく知られているように契機は1819年3月。ベートーヴェン最大の支援者で作曲の弟子でもあったルードルフ大公がモラヴィアの宗教都市オルミュツ大司教に就任することが決定。かねて「真の教会音楽」を書きたいと願っていたベートーヴェンは、直ちに「私のミサ曲が式典で用いられるその日こそ生涯最良の日です、その慶祝に微力を捧げます」と述べて、グレゴリオ聖歌、パレストリーナ、ヘンデル、バッハを研究しつつ作曲を進めていった。だが、翌1820年3月9日の叙任式には間に合わず、式典ではフンメルのミサ曲op.77が演奏された。完成した浄書譜が大公に渡されたのは、着手から4年を経た1823年3月19日だった。興味深いことにその間の膨大なスケッチには、ミサ曲、オラトリオと並んで、古く敬虔な声楽付きの交響曲が共時的に構想されている。折しもミサ曲が完成した頃、しばらく中断していた交響曲の「歓喜に寄す」のテキストが決定され、平和を祈願するミサ曲のメッセージは《第9》へと受け継がれていった。 ミサ曲はベートーヴェンの意欲そのままに、教会音楽としては異例の仕方で広く発信された。ラテン語式文にドイツ語訳をつける提案がなされ(実現せず)、各国の国王諸侯に向けて「オラトリオとしても演奏可能です」と宣伝して、筆写楽譜の予約を募る(1822年12月)。このとき予約を申し出たフランス国王など9名と1団体の中に、ロシア貴族ニコラウス・ガリツィン侯爵が含まれていた。侯爵は一カ月前に3曲の弦楽四重奏曲(のちのop.127、130、132)をベートーヴェンに委嘱したばかり。熱烈なベートーヴェン愛好者の彼は、サンクトペテルブルクの音楽家未亡人協会の慈善演奏会でこのミサ曲を上演すべく、ベートーヴェンと頻繁に手紙を交わす。弦楽四重奏曲の代金として振込んでいた50ドゥカートをミサ曲にあてると、1823年10月ウィーンのロシア大使館経由で楽譜を発送。翌1824年4月7日、受難節前の水曜日(ロシア暦3月26日)に、ミサ全曲が旧フィルハーモニー・ホールで「オラトリオ」として演奏され、これが初演となった。演奏会は大成功をおさめ、「独創的で崇高なこの傑作がベートーヴェン崇拝者に与えた印象は絶大だった、すぐれた作曲家に感謝を捧げる」と報じられる
一方、ウィーン上演は手間取った。この地では18世紀以来、オラトリオなど宗教作品を交響曲と組んで慈善演奏会で演奏する習慣があったから、ベートーヴェンはミサ曲を新作交響曲と一緒に演奏しようとしていた。だが、教会の権威を保護するためか、教会音楽を教会の外でそのまま演奏することは、当局から禁じられていた。ではミサ曲をどう演奏するか。会話帳には緊迫したやりとりがみられる。「讃歌、讃歌です」「うまくいかないならオラトリオで」「昨日はミサ曲が禁止されるのではないかと不安でした」などなど。結局、ベートーヴェンは「3章のみを聖歌として上演する」ことを宮廷検察局に申請。5月7日、〈キリエ〉〈クレド〉〈アニュス・デイ〉が《大讃歌》として《献堂式序曲》《第9交響曲》とともにケルントナートーア劇場において演奏された。総指揮ベートーヴェン、実質指揮ウムラウフ、合唱は約90名であった。なお、教会のミサ典礼としては1830年6月29日、北ボヘミアのヴァルンドルフ教会が初演だが、最新の報告によればボヘミアの教会になお複数の筆写譜が現存している。
《ミサ・ソレムニス》は革新にみちている。ベートーヴェンは真の教会音楽を目指し、その目的を「歌手と聴衆に宗教的な感情を起こさせること」と表明している(1824年シュトライヒャー宛)。長らく抱いてきた神に対する人間の関係を彼自身の問題として確認し得たのであろう。だがここでの音楽は、既存の教会音楽の枠をこえ、“個人の宗教感情”をドラマティックに前面に示すものであった。
その背景のひとつにナポレオン失脚後の社会情勢をあげることができる。1815年ロシア・オーストリア・プロイセンはヨーロッパ秩序を平定すべく、ロシア正教・カトリック・プロテスタントによる三国神聖同盟を結んで、自由で超教派的キリスト教ヨーロッパを目指した。青年期に自由思想の薫育をうけたベートーヴェンがこの動向に敏感でないはずはなく、自由なキリスト教音楽を目指したことが推測される。さらに《ミサ・ソレムニス》の作曲当時は、カトリック界においても個人の宗教感情が重視される傾向がみられた。ある研究者によれば、ベートーヴェンはミサ曲にとりかかった頃、反体制的なカトリック神学者ミヒャエル・ザイラーと交わりをもっていた。二人は互いに尊敬し、カトリックの公的枠組みではなく、個々人の信仰の内面的経験に優位をおくザイラーの姿勢を、ベートーヴェンは賞賛していたという。
【演奏の模様】
今回の演奏会を一言で言えば、オーケストラ、ソリスト、合唱団が(恐らく大部分はキリスト教信者ではないと思われるにもかかわらず)一丸となって、ヤノフスキーを神の如く崇め奉り、全身全霊祈る気持ちで演奏した神聖なる儀式の様でした。しかしその響きには単なる教会の儀式音楽の響きに留まらず、それをベースとしているもののそれを越えた人間的音楽の響きがありました。つまり「交響曲的」響きも有していたのでした。
第一章のスタートからして、如何にもベートーヴェンくさい調べが、ゆっくりと弦楽奏と木管楽器から流れ出し、すぐに混成合唱の「Kyrie」の轟音とそれに続くTenor.のキリエの叫び、合唱の合いの手、そしてSop.⇒Mezzo-Sopと一巡して厳かな雰囲気が場内一杯に広がりました。冒頭からヤノフスキーのきびきびした牽引にN響、合唱の響きも引き締まったものになっている。ソリストの四重唱もSop.が目立つものの調和は保たれ、しかも合唱の狭間に影が薄くなることは無く流石の実力者揃いと感心しました。この間ズートTimp.は弱音でゆっくりとリズムをとっています。こうした流れが①キリエから⑥アニュス デイマで延々と約1時間20分と続いたのでした。休憩なしの一本勝負です。勿論その流れには淵あり瀬あり、紆余曲折もまたあり、変化に富んだものでした。
主として印象深かった箇所をリストアップしていくと、次の②グロリアにおける最初の合唱の女声と男声のフーガの展開が格好良い。宗教音楽の醍醐味です。ソリストもTenor. ⇒Mezzo.⇒Sop.⇒Bas.と次々と遷移する歌声、ソリスト達は立ちっぱなしでなく、歌わない時は椅子に掛け、歌う直前に4人とも起立して歌っていました。
勿論ベートーヴェンはバッハ他先人のフーガの技法を学びとり、自ら幾多の曲に応用していますが、この曲でもフーガの展開は、そのあとのキリエのフガート、クレドにおけるフーガの多用、アニュス・デイでもフーガは四声合唱で展開、管弦楽でも次々と楽器をリーレーするフガートなど聴き処満載でした。
又特に面白かったのは声楽部門が、オケのソロと掛け合い演奏をした箇所です。特に⑤ベネディクトゥスにおけるコンマス(多分川崎さん?)のソロと声楽の掛け合いは、見ものでした。Vn.の流麗な美しい調べが滔々と会場に流れると、四人のソリストの歌声がそれに乗って歌われ、Vn.伴奏で歌われるのもPF.伴奏とは一味違った仲々乙な味がしました。(若干両者のずれを感じる箇所も有りましたけれど)
全体としてSop.の声が良く聞こえましたが、Mezzo.やTenor.も大部分の場面で明確に聞き取れる歌声を発していましたが、どういう訳かハバスのクレタ・ナズミは、何回かソロで歌った時びっくりする程の大きな声を響かせていた他は、大部分では目立った声は立てず、重唱の差支え役に徹していた様に思われました。
あと掛け合いとしてはTrmb.(3)とソリスト達の掛け合いが珍しい組合せだと思いました。そう言えば、Timp.とソリスト達の掛け合いの場面もあった気がします(サンクトゥスだったかな?)それからコンマスとFg.の掛け合いもあったかな?記憶が明確ではありません。コンマスは長時間ソロ演奏をしていました。一番目立った存在だったかも知れません。兎に角全体で1時間半程の演奏は、結構あっという間に終わってしまい、それだけ演奏に没頭して聴けたからかなとも思いました。
○楽器編成:Fl:2; Ob:2; Cl:2; Fg:2; C-Fg:1; Hrn.4; Timp.:2; Trmb.:3; Timp.:2, Org.; Str; SATB; Chor 弦楽五部 16 型( 16 - 14 -12 - 10 -8 )
○合唱隊、男声(雛壇上手)、女声(雛壇下手)それぞれ40人程、計約80名、
○ソリスト4名(Sop. M-sop. Tenorb. Bass.)
〇楽章構成
①キリエ
②グローリア
③クレド
④サンクトゥス
⑤アニュス・デイ
①キリエ(憐れみの章)
独唱が各部を牽引する力にまずは驚かされるのだが、
②グローリア(栄光賛美の章)
注目すべきは、式文テキストです。第3セクションで「ミゼレレ・ノービス miserere nobis(私たちを憐れんでください)」と歌う箇所で、式文にない感嘆詞 Oh(おお)、Ah(ああ)が挿入されて個人の感情があふれ出すのです。
③クレド(信仰告白の章)
中心の楽章。この章はそもそも全曲で唯一「私」が主語となって信仰を告白してゆきます。さらにセクションごとに式文にない「クレド credo(私は信じます)」の語が強く主張されます。
④サンクトゥス(感謝の章)
⑤ベネディクトゥス(讃えあれ)
⑥アニュス・デイ(神の子羊:平和祈願の章)
祈りに集約される楽章。後半「ドーナ・ノビス・パーチェム Dona nobis pacem(私たちに平和を与えてください)」にベートーヴェン自ら「内と外の平和への願い Bitte um innern und äußern Frieden」とドイツ語で書き入れた箇所があります。平穏の中に進んでゆくとトランペットとティンパニの軍楽的な響きが現れ、不安げにアルト独唱が「アニュス・デイ Agnus Dei(神の子羊、憐れんでください)」と訴えかける。いったんは「ドーナ・ノビス・パーチェム Dona nobis pacem(私たちに平和を与えてください)」によって平和が訪れるも、またもやティンパニが響いて戦争が再開される。しかし、それでも世界は「ドーナ・ノビス・パーチェム」に大きく包まれるのです、多分永遠に。分断と絶望に対する“人と外界への祈り”、そして葛藤と克服、このことが劇場的な物語とともに切実な現代性をおびて一人一人に響きかけてゆく。ここにベートーヴェン自身と神との問題がひとつの仕方で示されている。
このことは現下の世界情勢にも通じる、将に時宜(じぎ)を得た演奏会だったのかも知れません。
(参考:各章の歌詞)
I.KYRIE
Kyrie eleison.
Christ eleison
Kyrie eleison.
1.キリエ
主よ、あわれみたまえ。 キリストよ、あわれみたまえ。 主よ、あわれみたまえ。
II.GLORIA
Gloria in excelsis Deo, et in terra pax hominibus bonae voluntatis. Laudamus te, benedicimus te, adoramus te, glorificamus te. Gratias agimus tibi, propter magnam gloriam tuam. Domine Deus, Rex coelestis, Deus Pater omnipotens. Domine Fili unigenite, Jesu Christe, Domine Deus, agnus Dei, filius patris.
Qui tollis peccata mundi, miserere nobis, qui tollis peccata mundi, suscipe deprecationem nostrum, qui sedes ad dexteram patris, miserere nobis, ah miserere nobis.
Quoniam tu solus sanctus. Quoniam tu solus dominus. Quoniam tu solus altissimus, Jesu Christe, cum Sancto Spiritu in gloria Dei patris. Amen.
Gloria in excelsis Deo,
II. グローリア
天のいと高きところでは神に栄光がありますように。 そして地上では善意の人に平和がありますように。
私たちはあなたを誉(ほ)め、あなたを祝福し、 あなたを拝し、あなたを崇(あが)め、 あなたの大いなる栄光のゆえにあなたに感謝を捧げます。 主なる神よ、天の王よ全能の父なる神よ。 唯一の御子である主、イエス・キリストよ、 主なる神よ、
神の小羊よ、父の御子よ。
世の罪を取り除いて下さる方よ、 私たちを憐れんで下さい。 世の罪を取り除いて下さる方よ、 私たちの願いを聞いて下さい。 父の右に座しておられる方よ、 私たちを憐れんで下さい、 ああ私たちを憐れんで下さい。
あなただけが聖なる方であり、 あなただけが主です。 イエス・キリストよ、 あなただけがいと高き方です。 聖霊とともに、 父なる神の栄光のうちに。 アーメン。
いと高きところでは神に栄光がありますように。
Ⅲ.CRED
Credo in unum Deum, patrem omnipotentem, factorem coeli et terrae, visibilium omnium et invisibilium. Credo in unum dominum Jesum Christum, filium Dei unigenitum et ex patre natum ante omnia saecula, Deum de Deo, lumen de lumine, Deum verum de Deo vero, genitum, non factum, consubstantialem patri: per quem omnia facta sunt, qui propter nos homines, et propter nostram salutem descendit de coelis.
Et incarnatus est de spiritu sancto ex Maria virgine, et homo factus est,
crucifixus etiam pro nobis: sub Pontio Pilato passus, et sepultus est.
Et resurrexit tertia die, secundum Scripturas et ascendit in coelom, sedet ad dexteram Patris, et iterum venturus est cum gloria judicare vivos et mortuos, cujus regni non erit finis.
Credo in Spiritum Sanctum, Dominum et vivificantem, qui ex patre filioque procedit, qui cum patre et filio simul adoratur, et conglorificatur, qui locutus est per Prophetas. Credo in unam sanctam catholicam et apostolicam ecclesiam, confiteor unum baptisma in remissionem peccatorum, et expecto resurrectionem mortuorum, et vitam venturi saeculi, amen.
Ⅲ.クレド
私は唯一の神を信じます。
全能の父を信じます、 天と地と、見えるものすべてと、 見えないものを作った方を。 また、唯一の主なるイエス・キリストを。 すなわち、神の唯一の子であり、 この世のすべてのものよりも前に父から生まれた方を信じます。 神から出た神であり、光から発した光であり、 本当の神から出た本当の神であって、 作られることなく、生まれ出て、父と一体であり、 その方によって万物が作られたそのイエスを信じます。 そのイエスは私たち人間のゆえに、 また私たちを救うために天から降りて来ました。
聖霊によって聖母マリアから肉体を受けて人間となりました。
そして私たちのためにポンティオ・ピラトのもとで十字架にかけられ、受難し、葬られました。
そして聖書に書かれている通り 3日目によみがえり、 天に昇って父の右に座りました。 そして再び栄光とともにこの世に来て、 生きている者と死んでいる者とを裁きます。 その[イエスの]王国には終わりがありません。
私はまた、主なる聖霊、即ち生命を与えてくれるものを信じます。
その聖霊は父と子から出て 父と子とともに
拝され、あがめられています。
その聖霊は預言者によって語ってきました。 私はまた、唯一の、聖なる、公(おおやけ)の使徒を継承する教会を信じます。 私は罪の赦しとなる唯一の洗礼を認め、 死者の復活と来世のいのちを待ち望みます。 アーメン。
IV.SANCTUS
Sanctus! Sanctus! Sanctus!
Dominus Deus Sabaoth.
Pleni sunt coeli et terra gloria tua.
Osanna in excelsis.
IV. サンクトゥス
聖なるかな! 聖なるかな! 聖なるかな!
万軍の神なる主は。
天も地もあなたの栄光に満ちています。
いと高きところにホサナ[いま、救いたまえ
V.BENEDICTUS
Benedictus, qui venit in nomine Domini. Osanna in excelsis.
V. ベネディクトゥス
ほむべきかな、主の御名(みな)によって来る人は。 いと高きところにホサナ。
VI. AGNUS DEI
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Agnus Dei, qui tollis peccata mundi, miserere nobis.
Agnus Dei
Dona nobis pacem.
VI. アニュス デイ
世の罪を取り除いて下さる神の小羊よ、 私たちを憐れんで下さい。
世の罪を取り除いて下さる神の小羊よ、 私たちを憐れんで下さい。
世の罪を取り除いて下さる神の小羊よ、 私たちに平安を授けて下さい。