HUKKATS hyoro Roc

綺麗好き、食べること好き、映画好き、音楽好き、小さい生き物好き、街散策好き、買い物好き、スポーツテレビ観戦好き、女房好き、な(嫌いなものは多すぎて書けない)自分では若いと思いこんでいる(偏屈と言われる)おっさんの気ままなつぶやき

サー・アンドラーシュ・シフ演奏会を聴く

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【日時】2025.3.21.(金)19:00~

【会場】ミューザ川崎シンフォニーホール

【管弦楽】カペラ・アンドレア・バルカ

<Profile>

    「カペラ・アンドレア・バルカ」 (CAB)のメンバーは、普段はソリスト、室内楽奏者として世界的に活躍している音楽家たちである。彼らは、ザルツブルクの音楽祭 「モーツァルト週間」で1999年から 2005年にかけて行われたモーツァルトのピアノ協奏曲全曲演奏会のために、シフが出演を依頼した奏者たちであり、以来CABは、モーツァルト週間から定期的に招かれている。シフの指揮のもと、CABは徐々にその活動の場を広げてきた。イタリアのヴィチェンツァでのオマッジョ・ア・パッラーディオ音楽祭を主宰するほか、ボンのベートーヴェン・フェスト、ワイマール芸術祭などの著名な音楽祭に招かれている。2012年にはルツェルン・フェスティバルでシフの指揮によるJ.S.バッハの「ミサ曲ロ短調」を、14年春にはベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を演奏して絶賛された。2020年と23年にはモーツァルト週間で、オペラ(フィガロの結婚》と《ドン・ジョヴァンニ》を上演している。また、ヨーロッパツアーにも数多く、ウィーン、チューリヒ、ブリュッセル、ケルン、フランクフルト、バーデン=バーデン、ブダペスト、リスボンなどを訪れているほか、 2006年にはニューヨークのカーネギーホールやリンカーンセンターなどで公演を行っている。2019年には中国、日本、韓国、香港で計13公演ものアジアツアーを行い、大成功を収めた。CABを率いるシフが志向して

いるのは、メンバーたちがソリスト、室内楽奏者としての能力を最大限に発揮できるアンサンブルである。 「私が目指しているのは、“室内楽の延長”です。CABは室内楽に長けた卓越したソリストたちから成る室内アンサンブルです。弦楽四重奏団のメンバーたちが多数参加していますが、これこそ演奏芸術の極みに至るジャンルです」 「ここには自分本位な者のための居場所はありません。このアンサンブルの土台は、友情、 相互理解、平等、そして美学的・音楽的・人間的な理想なのです」とシフは語る。

【指揮】アンドラーシュ・シフ

<Profile>

1953年ブダペスト生まれ。現代最高の鍵盤奏者の一人として、J.S.バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、バルトーク、ヤナーチェクなどの主要な鍵盤作品による公演や録音を中心として活動。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全32曲のリサイタルを2004年から20都市以上で行い、 チューリヒ・トーンハレで行われた同プログラムはECMにライヴ・レコーディングされ、最高の賞の数々を受賞した。モントゼー音楽週間をはじめ多くの音楽祭を主宰し、室内楽にも力を入れている。また若い才能へのサポートも行い、“ビルディング・ブリッジ”シリーズを開催。世界の一流オーケストラや著名な指揮者たちと共演。近年は弾き振りに力を入れ、1999年には国際的なソリストや室内楽奏者、友人たちによるカペラーアンドレア・バルカを創設。カーネギーホールやザルツブルクのモーツァルト週間などで演奏し、2019年の日本公演も大成功を収めた。レコーディングも多く、近年ではフォルテピアノを弾いたシューベルトのピアノ・ソナタ集(2019)や、クラリネット奏者で作曲家のヴィトマンとのコラボレーションによる録音(ブラームスの2つのクラリネット・ソナタと、ヴィトマンがシフのために作曲した「間奏曲集」を収録)、そしてブリュートナーのピアノを演奏したプラームスのピアノ協奏曲2曲のエイジ・オブ・インライトゥンメント管との録音(2021)と、

クラヴィコードによるJ.S.バッハの主要作品集 (2023)で、いずれもECMからリリース。2014年には英国よりナイト爵位を授与されたほか、受賞や受章も多く、2022年にはバッハ・メダルを受賞。2023年8月、ザルツブルク音楽祭への66回目の出演で「音楽祭の歴史を語る上でなくてはならないアーティスト」として表彰され、ルビーをあしらった音楽祭のバッジを授与された。

【独奏】アンドラーシュ・シフ(Pf.)

 

【曲目】オールバッハプログラム

J.S.バッハ:

①ピアノ協奏曲 第3番 ニ長調 BWV 1054

Ⅰ.Allegro

II. Adagio e piano sempre

III .Allegro

(約17分)

 

②ピアノ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV 1056

 I .Allegro moderato

Ⅱ. Largo

III .Presto

(約10分)

 

③ピアノ協奏曲第7番 ト短調 BWV 1058

Ⅰ.Allegro

Ⅱ.Andante

III .Allegro assai

(約13分)

 

④ピアノ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV 1053

Ⅰ.Allegro

II. Siciliano

III.Allegro

(約19分)

 

《20分の休憩》

 

 

⑤ピアノ協奏曲 第4番 イ長調 BWV 1055

Ⅰ.Allegro

Ⅱ.Larghetto

III . Allegro ma non tanto

(13分)

 

⑥ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV 1052

Ⅰ. AllegroI 

Ⅱ. Adagio 

III. Allegro

(23分)

 

(曲について)

①ピアノ協奏曲 第3番 ニ長調 BWV 1054

「ヴァイオリン協奏曲第2番ホ長調」BWV1042の編曲。バッハがライプツィヒ時代に使っていたチェンバロの音域に合わせて低く移調されている。同音反復をトレモロに置き換えるなど、ヴァイオリン向きの音型をチェンバロ向きに変えている工夫にも注目したい。

 

②ピアノ協奏曲 第5番 ヘ短調 BWV 1056

第1、第3楽章はおそらく消失したヴァイリン協奏曲 (ト短調)の、第2楽章はオーボエ協奏曲(ニ短調)からの編曲で、カンタータ第156番 (1727年または1729年) 第1楽章でも使用されている。

 

③ピアノ協奏曲第7番 ト短調 BWV 1058

「ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 BWV1041」の編曲。低い調性への移調は第3番と同様。 チェンバロの左手パートの活躍にも注目したい。

 

④ピアノ協奏曲 第2番 ホ長調 BWV 1053

原曲は不明だが、第1、2楽章がカンタータ第169番第1、第5楽章、第3楽章がカンタータ第49番の第1曲と一致し、いずれもオルガンのオブリガートがあるので、オルガン協奏曲の可能性が指摘されている。

 

⑤ピアノ協奏曲 第4番 イ長調 BWV 1055

原曲は不明だが、おそらく旋律楽器が独奏を務めるハ長調の協奏曲からの編曲。第2楽章では旋律楽器ならではのカンタービレな旋律に、鍵盤楽器が得意とする種々の装飾的な音型が施されている。

 

⑥ピアノ協奏曲 第1番 ニ短調 BWV 1052

原曲は消失しているが、バッハが1725年にドレスデンのソフィア教会で演奏したオルガン協奏曲である可能性が指摘されている。第1、第2楽章はカンタータ第146番 (1726年頃)の第1、第2楽章、第3楽章はカンタータ第188番 (1728年頃)の第1楽章と同じ音楽で、いずれもオルガンのオブリガートが活躍する。独奏チェンバロが一際際立つ作品であるのは、同じ鍵盤楽器であるオルガンがオリジナルだからかもしれない。

 

    勿論バッハの時代にはピアノは存在しませんから、これ等の作品の元は、すべて1台のチェンバロのための「チェンバロ協奏曲」です。バッハのチェンバロ協奏曲には、1台用から4台用まであり、1台用は8曲(うち1曲は断片)、2台用3曲、3台用2曲、4台用1曲の計14曲が作曲されました。何れもそれ以前に作曲した原曲(Vn.やOb.やリコーダーのための協奏曲を転用。転用はバッハの時代には、自分の曲からのみならず他の曲からも、珍しくも無く行われていました。)今回はそれらの中から1台のための協奏曲6曲が選ばれて演奏されました。この室内楽奏団とシフは、古楽器を使うのではなく、あくまで現代の音楽演奏用楽器を使っての演奏でした。すべて三楽章構成、急―緩―急の速度構成です。

 

【演奏の模様】

室内楽団の楽器編成:(9-8-5-4-2)過去のこのカペラの構成から考えると、若干の欠員の可能性あり。

実際の演奏は、前半と後半に分けられて演奏されました。

 

<前半>

①ピアノ協奏曲第3番 ニ長調 BWV1054
②ピアノ協奏曲第5番 ヘ短調 BWV1056
③ピアノ協奏曲第7番 ト短調 BWV1058
④ピアノ協奏曲第2番 ホ長調 BWV1053

 

《20分の休憩》

 

<後半>

⑤ピアノ協奏曲第4番 イ長調 BWV1055

⑥ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 BWV1052

 

 サー・シフは、一曲の演奏が終わってから拍手を受けた後、いちいち挨拶と舞台→袖↔舞台の移動は行わず、椅子に腰かけたまま一服すると、すぐに次曲を弾き始めました。こうして次々と①~④まで弾き進み、2番の協奏曲を弾き終ると、やっとここで休憩するといった素振りで舞台前面に進み出て、団員も起立させ深々と挨拶、20分の休憩となったのでした。悠に1時間は超えていたと思います。(尤も②の演奏後もピアノから立ち上がって、拍手に応じた挨拶はしましたが、袖には戻りませんでした。)以前聴いた時よりも年老いた感はありましたが、各曲を連綿と弾き続けるソリストの指の動きは滑らかで些かの逡巡も無く、鍵盤に比較的平らかにした両手の先の十指を、滑るが如く鍵盤上を走らせる姿は、凛として大輪の花を咲かせること然也りでした。将にサーの風格ある姿からほとばしり出る花の舞い、聴く者の心を花びら飛び舞う幽玄の世界へと誘う演奏でした。

 最初から最後まで、自分としては大好きなバッハの曲達の連なりで、それぞれの中にも特筆すべき内容が多いのですが、端的に二三例を挙げれば、最初の①3番BWV1054では、初盤から如何にもバッハらしい旋律が、オケとソロPf.の斉奏によって軽快に弾み、つい拍子を取り、口遊みたくなる(最近は館内放送で周囲の迷惑になる体の動きなどしない様にとの注意がされますけれど、自分の隣の席の熟年男性など、最初の曲から最後まで、演奏に合わせて体で拍子を取っていた)様な気持ちに駆り立てられました。サー・シフは第1楽章の最初からディナミーク、アゴーギグを少し滑らかに交えた柔らかい発音で、実に暖かい調べを繰り出し、カペラはそれを引き立てるアウンの一致と言うか将に一体化した生きものの如き動きで進行しました。海洋の深い処を悠然と泳ぐ巨魚(例えばクジラ)、その周りを多くの小魚の群れが取り囲み、群れの形状を連続的に変化させながらも、移動する巨魚を取り囲み、一体化した動きをするが如し。ソロPf.の調べには、特に高音域でトリルなどの修飾音が旋律を一層引き立たせる働きをしていました。主題は何回も繰り返され、その都度適宣修飾音は変化させていた模様。また第三楽章のこれまた良く知られた旋律は勢いがあって何と明るいことでしょう、ソロPf.とカペラの斉奏部でも掛け合い部でも、両者の活発な意気投合は、両者とも調べに陶酔しているが如く、気持ち良さそうに体を少し揺すり何回も繰り返し演奏していました。(聞く方は勿論自然とカラダで拍子を取っていた)

 さらに前半最後の④第2番BVW1053の第3楽章の何と華やかな絢爛たる展開なのでしょう。将にこの世の春爛漫、人生を謳歌する明るさが有りました。

 一方、後半最初の⑤第4番BVW1055では、イ長調らしいAllegroの調べで開始しましたが、第2楽章は、かなり暗い展開の曲に聞こえました。それが、第3楽章では、何と軽快に勇みゆく華やかな絢爛たる展開の修飾音に満ちた調べなのでしょう。将にこの世の春に人生を謳歌するかの様。しかし後半には短調の変奏も出現、一瞬の陰りをみせますが、すぐに明るさを取り戻して、軽快快活に終盤を弾き終えるのでした。この曲は、次の最終曲の前座的役割りがある様な気がしました。

   そして、最後の⑥1番、この曲は、下記した様に、何かやり切れなささえ感じる深刻性を帯びた調べの流れもありました。

 先ずカペラが速い比較的低音域の短調旋律強奏でスタート、次いでPf.ソロが同様な旋律を、少し高音域で同テンポで、後を追いました。オケは強奏で合いの手や両者が掛け合い、Pf.のサー・シフは少し疲れが見えた気もしましたが、最初の①3番から相も変わらぬ調子で鍵盤をなぞっています。時々入る修飾パッセッジが小気味良く飾り立て、すぐに下行音階のカデンツァ的ソロが入り、すぐに以前のテンポとテーマ奏に戻りました。ここまですべて暗譜で完全無疵、恐らく目を瞑っても弾けるのではとまで思いました。これも若い時から何十年も暗譜で同曲を演奏して来た賜物なのでしょう。一回休憩が入ったとは言え全6曲を淡々と弾き進む姿は、かっての陸上長距離三冠を達成したマラソン選手、ザトペックを思い起こします。そう❛人間機関車❜の異名を取った驚異的長丁場の活躍。将にそういった感じでした。

《参考》

https://www.youtube.com/watch?v=pgveA01q5z8&list=RDpgveA01q5z8&index=1&pp=8AUB

 

   これ等全曲の演奏順は、作曲された順番ではなく、どういう意味合いがある順なのかは不明です(奏者に訊いてみないと分かりません)。この全曲を1番から順序だって聴いてみると、先ず1番が短調のかなり暗いというか落ち着いた印象の曲で、自分的にはどちらかというと苦手ですが、次の2番では打って変わった長調の明るい、しかも華やかな旋律美が煌めく、とても心ときめくかなり慣れ親しんできた曲でした。次の3番も長調で、これまで結構何かにかと耳にする機会が多い曲で、馴染み深い旋律が迸り出る曲です。一般的に人気の高い曲です。自分勝手な推量をすれば、矢張りサー・シフとしては、聴衆へのアピールと、聞いていて飽きないプログラム構成を考え抜いたのではないでしょうか?若し1番を先頭にしたら、(勿論この曲が好きな人はいるでしょうが)最初からやや難解な曲を聴衆にぶつけることになり、次にどの曲にしようかと迷うのでは?(勿論そんなことは無いかも知れないですが)第2番はその構成、内容的にもトリを取るに相応しい曲で、ただ演奏会の最後に持ってこなくて、前半のトリにしています。そして1番を大トリに持って来たのは、曲自体のアピール効果というよりは、バッハの作曲の背景・立場及び今回のプログラムの流れの宗教的な意味合いまで考え抜いた末の曲順だったのでは?と妄想逞しくするのでした。

 即ち上記(曲について)⑥に記している様に、この1番の曲は元々カンタータ146番をベースとしていて(第3楽章はカンタータ188番)、カンタータの第一曲目、シンフォニアのオルガンのオブリガートの影響が考えられているのです。またこのカンタータの第二曲目は合唱となっており、その中で、短調の悲哀に満ちた以下の歌詞が歌われ、今回のピアノ協奏曲でも将にその雰囲気は良く再現されていると言えるでしょう。

Cantata BWV 146第二曲の中では、❝Wir müssen durch viel Trübsal in das Reich Gottes eingehen.(我々が神の国に入るには、多くの艱難辛苦を経なくてはならない。)❞と歌うのです。

しかし第5曲ではソプラノが前半で歌います。❝Ich säe meine Zähren mit bangem Herzen aus (われ不安のうちに涙もて種を蒔く)❞と。さらに後半では❝Jedoch mein Herzeleid wird mir die Herrlichkeit am Tage der seligen Ernte gebären(然うして、わが心の悩みは 栄光を生み出すであろう、幸いなる収穫の日に)❞と。

 要するに今回のピアノ協奏曲<前半>の①から④での様々な旋律の跳梁は、喜びや悲しみ、苦しい時も悲しい時もあらゆることが生じる現世の人間の営みで、しかしそのままでは救われず、<後半>最後の(審判?で)艱難辛苦を乗り越えた者にのみ、神の救いの手が差し伸べられる、と言ったストーリがこのプログラムの演奏順から読み取ることが出来るでしょう、と考えた次第です。

 何れにせよ今日の演奏会は、サー・アンドラーシュ・シフならではの素晴らしい演奏会で、以前彼の弾いたシューベルト他の演奏会とは又一味違った魅力で満たされたもので、満足度は99.9%でした。(残り0.1%は、やはりレガートな奏法とは一味違った、どちらかというとチェンバロの様な切れ味の良い発音をする、グールドの奏法に引き付けられる気持ちの現われです。

《参考2》

https://www.youtube.com/watch?v=6J4ESjBpuBM&pp=ygUt44OQ44OD44OP44OU44Ki44OO5Y2U5aWP5puy56ysMsOX44Kw44O844Or44OJ

 

 

全6曲の演奏が終わると会場は、万座の席から万来の拍手喝采と歓声で埋め尽くされました。満足そうに起立して挨拶するシフ卿とカペラの皆さん。

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暫し興奮が冷めやらぬ会場を見てか団員と卿は再び席に着きアンコール演奏を始めました。これはその直前に二つの譜面台がピアノの前面に置かれ、女性フルート奏者と恐らくコンマスの両名が登場、その状況からフルートが入った曲の演奏が有るなと直感的に分かりました。

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《アンコール曲Ⅰ》J.S.バッハ『ブランデンブルク協奏曲第5番』より第2楽章

この曲の演奏は、恐らく最終曲⑥1番の原曲から連想されたものかも知れません。

 ここまでで場内は皆スタンディングで応え中々拍手は鳴りやまなかった。f:id:hukkats:20250323030002j:image
カペラの皆さんが退場した後もスタンディングの聴衆は拍手を続けましたが、もう帰り始める客も出始めました。ところがソロカーテンコールに応じて再登壇した卿は、やおらピアノの前に座り再びアンコール演奏を始めたのです。これには残った観客は狂喜して、館内は一瞬にして静まりかえりました。

《アンコール曲Ⅱ》J.S.バッハ『ゴルドベルグ変奏曲』からアリア。

この曲も素晴らしい雰囲気で弾かれました。
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最後は観客とピアニストは、お互いの幸いを祈る様な気持ちになって帰路に着いたのでした。